生贄の花嫁③
リアトリスは困惑していた。
何故かと言えば、原因は目の前でめそめそと泣いている臭くて醜い魔物のせいである。
『俺だって、俺だって、こんな体嫌だよ! でも生まれつきだし、どうにかする方法も知らないし、誰も教えてくれなかったし!! 俺と同じようなやつもいなくて、俺、どうすれば、よか、ぇう、うえええええええ』
つい先ほどまでリアトリスは人類の救世主、英雄になるべくこの魔物を殺そうとしていた。そして危うく死ぬところだった。
魔物……腐敗公は強かった。
まずリアトリスがどんなに強力な魔術を叩き込もうが、大抵がそのドロドロした体の前には無意味。炎も雷も弾かれるか吸収されるか、はたまたかき消されるか。
風で切り裂いてもすぐにくっつく。氷の魔法はしばらくその体にへばりついたが、流動性のある腐敗公の体表は少しすれば氷がくっついた場所ごと地面に流れ落ちた。本体はもちろん無傷だ。ふざけている。
何より戦う場所が悪い。
ただでさえこの腐朽の大地で死なないために、リアトリスは自分で加護の結界を張っているのだ。それだけでも常に魔力が消費されているというのに、この腐朽の大地はその消費を更に早くする。結界を張っているにもかかわらず、だ。
並の魔術師ならとっくに魔力が底をついて死んでいる。だがリアトリスとて、いつまでも持つわけでは無い。
結界と攻撃、更に腐敗公からの直接攻撃からの防御。いくらも経たずして、リアトリスの魔力も枯渇の兆しを見せ始めていた。
しかしリアトリスは諦めなかった。
まだまだ生きて、やりたいことがたくさんあるのだ。だからこんなところで死ねない。無謀だろうがやってやろう、今まで挑んだ者が勝てなかった? そんなこと自分には関係ない。自分が初めての勝者になればいいと、傲慢なほどに自分を信じるのがリアトリスという人間だ。
だがリアトリス個人が保有する魔力がいくら強大であろうとも、有限であることに変わりはない。ついに加護の結界に使う魔力しか残らなくなった。
それでもこのまま死ねるかと、リアトリスは走った。唯一はっきりとした形があり、一度も攻撃が成功しなかった場所……腐敗公の単眼を目指して。
腐敗公は体への攻撃には無頓着だったが、眼では絶対攻撃を受けなかった。大きすぎる的かつ分かりやす過ぎる弱点だったが、しかし守るだけあって攻撃はただの一度も届かない。だからどんな方法でもいい。攻撃を絶対にあててやろうと、リアトリスは走ったのだ。その一撃が必殺となるだろうと、リアトリスは疑わなかった。
走っている間の記憶は、正直定かではない。
だが過程はどうあれ、リアトリスはついに腐敗公の眼球までたどり着いたのだ。彼女の身長よりも大きな、醜い体とは不釣り合いなほど澄んだ碧い眼球に。
そこで彼女が最終手段に選んだ方法。それは噛みつき。
とんだ物理攻撃である。魔術の魔の字も無い、原始的な攻撃方法だ。
しかしそんなやけっぱちな攻撃も、リアトリスにとっては決死の一撃。だがその攻撃を受けた腐敗公の反応は、彼女の予想だにしないものだった。
腐敗公は眼球に噛みつかれたのち、しばし沈黙。「やったか……!?」とリアトリスが噛みついたまま思っていた時だ。
『ま、ま、まさか! これは口づけ……!?』
この腐朽の大地に来て、初めて耳にした自分以外の意志ある音。
しばし、沈黙。
「いや違うし。つーかあんた喋れんの?」
リアトリスは思わず突っ込んだ。ガタガタの満身創痍の有様だったが、突っ込まずにはいられなかった。
そこで、再びしばしの沈黙。最初に口(?)を開いたのは、腐敗公だった。
『あ、あの! よければ、お話、を、しま、せんか!』
そしてその発言から少々混乱とひと悶着があったものの、互いに落ち着いて話し合えたのがつい先ほど。
リアトリスは腐敗公の思いがけず幼く純粋な内面を知り、呆れ交じりに言った。
「私たちは今まで、こんないとけない子供みたいな相手に恐れを抱いていたわけ……。いや、しかたがないっちゃしかたがないけど。この大地で加護の結界をこれほど長く持続させるのは、多分私くらいじゃないと無理だもの。話し合う暇なんて無かったでしょうね」
『みんなすぐに溶けて死んでしまうか、生きていても攻撃してくるか、泣くか怖がるか、気を失うか、逃げるかのどれかで……。…………。ところで、なんで鼻を指でつまんでるの?』
「いやだってあんた、この世の生物全てのうんこといううんこを集めてゲロと小便で煮込んだみたいな臭いするから。加護の結界も臭いの遮断までは無理だし……」
『うわあああああああああああああああん!!!!』
「え、あ、ごめん! せめて口呼吸にするべきだったわね!?」
飾らないありのままの本心で語ったら、自分より何倍も大きい相手を泣かせてしまった。そのことにリアトリスも動揺を禁じ得ない。おろおろと自分より何倍も大きな相手を慰め始めた。
「ごめん、ごめんってば! 謝るから泣き止んでちょうだい! 何か知らないけど、罪悪感が凄いから!」
『うっ、ぐすっ……』
「お、落ち着いた? ……あ、そうえいば気になってたんだけど、あんたどこから声出してるの? っていうか、それ声なの? あと誰にも相手にされなかったくせに、なんで言葉を知ってるのかしら。知識はどうやって身に着けたの? 普段は何して暮らしてるの?」
動揺しつつも、ついつい好奇心を刺激されたリアトリスは質問を投げかける。彼女は魔術師。未知の魔物の存在は、とても気になるのだ。
しかし腐敗公はといえば、ほぼ初めての話し相手。会話をしたい気持ちはあるものの、いざ自分の事について質問されると言葉が出てこない。そのため体を恥ずかしそうにくねらせながら、もごもごと言い淀む。その様子はなかなかに不気味だ。
リアトリスはそれを見てしばらくまともには話せないかと、とりあえず待つことにした。しかしその間にピンっとあることを閃いた彼女はニヤリと悪辣な笑みを浮かべる。
そして腐敗公が少々落ち着いたのを見て取ると、両手を腰にあてて自信に満ちた表情でひとつの提案を試みた。
「ねえ、腐敗公。あんたの保有魔力は正直言って素晴らしいわ。眼球を噛んだだけで、私の魔力が全快したんだもの。酸っぱいわ渋いわ臭いわでゲロ吐きそうなほど不味かったけど」
そう。先ほどまで結界を維持する魔力すら危うかったリアトリスが、なぜこんなに元気にハキハキ喋ることが出来ているかといえば原因はそこにある。
なんと腐敗公の眼球を噛んだ途端に、リアトリスの魔力が全て回復したのだ。
しかし言葉の内容よりも、腐敗公はまず己の眼球の味の感想に対して文句を言う。
『だからなんで普通に酷い事を言うの!』
「あ、ごめん。でも事実だったから……」
『だからぁぁ!』
「ごめんって! と、とりあえず! 私の話を聞きなさい! あんたにとっても悪い話じゃないはずよ!」
再び涙目になる腐敗公をどうどうと落ち着かせてから、リアトリスはひとつ咳払いをし、満面の笑顔で言い放った。
「その膨大な魔力を操る方法、この超天才元宮廷魔術師リアトリス様が教えてあげる! そして私に相応しい夫になりなさい!」
これがのちに夫婦となる魔物と人間の、馴れ初めの第一歩となるのだった。
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