生贄の花嫁②


 もともと花嫁とは名ばかりの生贄の慣習は古くから存在した。これは腐敗公の領域の進行を少しでも遅らせよう、という措置なのだ。

 今回はリアトリスの蛮行の時期が重なったため、渡りに船とばかりに処刑台送りが生贄送りに変更されたのである。魔力の大きい娘ほど花嫁に相応しいとされるため、宮廷魔術師を務めていたリアトリスは適任でもあった。

 しかしいくら生贄とはいえ、実はリアトリスのように崖の上から突き落とされた者はこれまでに一人とて存在しない。

 通常は使い魔によって中心地まで運ばれる。花嫁を贈る相手である腐敗公に届く前に死んでしまっては、生贄の意味が無いのだから当然だ。


 そしてこの花嫁という生贄制度、迷信やおとぎ話の類でなく実際に効果がある。


 いつから、誰が始めたか記録は残っていない。

 しかし生き永らえるため、自分たちの土地を守るため。主に人間領……そして魔族領からも、それぞれの種族間で順番を決めて生贄は捧げ続けられている。

 人の勇者が、魔族の猛者が。幾度となく自分たちの生活圏を脅かす腐敗公に戦いを挑んだが、誰もが戻ってこなかった。たとえ魔族の王が仮初めの爵位を贈ろうとも、腐敗公は誰にも支配されていない最強の腐朽の大地の支配者。せめてご機嫌取りに生贄を捧げるくらいしか、今のところ対処する方法が分かっていないのだ。


 だがリアトリスにとって、そんなこと知った事ではない。人間領がどれだけ削られようが、助かろうが、そこに自分がいなければ全てに意味が無いのだ。今までその身を賭して人類を救ってきた花嫁たちには申し訳ないが、生贄などまっぴらごめんである。

 人類の礎? 冗談ではない。リアトリスはこのまま大人しく腐敗公の花嫁として死ぬ気など毛頭なかった。



 だからこそ、彼女は決意していた。



「よしっ」


 ぱんっと手のひらに拳を叩きつける。乾いた音が響いた。


「ふっふっふ。確か使い魔を使う前まで、花嫁は綱と籠を使って崖下に降ろされてたはずよね。でもって、それを腐敗公自らが迎えに来ていたと記録に残っていた……。つまり、ここで待ってればあちらさんから来てくれる、と」


 ちなみにその方法では腐敗公を腐朽の大地の端まで呼び寄せ土地の浸食を早めてしまうため、花嫁を捧げたところで本末転倒。現在は廃止されている。

 だというのにこうして土地の浸食を早める危険を承知で、雑な捧げられ方をしたリアトリスとしては不満しか無い。

 が、とりあえずそのことは今はいい。肝心なのは、ここで待っていればこの腐朽の大地の主にご足労頂けるという事だ。


「このまませこせこと魔力を節約して、地道に脱出を目指してもいいわ。でもそれだけじゃ気が済まない」


 自分に確認するように、リアトリスは言葉を紡ぐ。


「私をこんな目に合わせた奴らに目に物を見せてやる。真正面から輝かしい功績でぶん殴るような形でね!」


 口の端がニヤリと怪しく吊り上がり、目元は三日月形に歪む。


「ふふっ、ふふふふふふふ」


 怪しい笑いは次第に大きくなっていき、やがて哄笑と共に弾けた。


「あはっ、あーっははははははははは! ほーっほほほほほほほほほほ!」


 勝つ前から勝ち誇っているような、実に気持ちよさそうな高笑いである。


「かかってきなさい腐敗公! 迎え撃つ! このリアトリス様が相手してやんよ! お前の首を刈り取るのはこの私よ! 私こそが人類の救世主! 罪人ー? 言わせるか!! 言えないわよね救世主様相手に! 頭こすりつけて拝ませてやるわあの馬鹿共! 腐敗公、あんたこそが輝かしい私の未来への礎となるのよ! ほーっほほほほほほほほほ!」


 リアトリスは単身、人類も魔族も敗北し続けた腐敗公に挑み……勝つ気満々であった。












 ふいに、波紋が広がるように空気が揺れた。

 楽しそうな笑い声に聞こえたのは、気のせいだろうか。


 眠っていたそれは、巨大な単眼の瞼とおぼしき場所を持ち上げる。そしてギョロリとした目が一瞬、毒の霧を抜けた先……遥か天空の蒼穹を羨むように見上げた。

 しかしそれも一瞬の事。諦念の色を宿した瞳は再び醜い大地へ向けられる。


 今日は一年に一度の特別な日だったようだ。

 さあ、花嫁を迎えに行かなければ。


 のっそりとした非常に遅い動きで、"それ"は体をもちあげた。

 それの体は他の生物のように決まった形を保てず、巨大な単眼以外は常に汚泥が流れ落ちる小山のような姿をしていた。遠目に見たのなら、暗い大地にうずくまっていた平べったい丘がそのまま移動しているように見えただろう。

 そして身から流れ落ちる汚泥の隙間から、精一杯気遣いやっと形を保てている白い何かがのぞいていた。


 人骨である。それは"彼"の前の花嫁のものだった。


 それ以前の物は、彼の願い虚しく腐って溶けてしまった。おそらくこの骨も次の花嫁を迎えに行くまでに溶け切ってしまうだろう。



 世間で腐敗公と呼ばれる魔物は、ただただ寂しいだけだった。せめて何かを考える、感じる頭も心も無かったならば……そう思えど、彼のありかたは変わらない。

 自分でも頑張れるだけは頑張った。この生まれながらにして忌み嫌われる呪われた体をどうにかしようと、少しずつ身に着けた知識の中で、精一杯足掻いたのだ。

 しかしどうしたって限界はある。どうにかなる可能性があるのかすら、自分は知らない。誰かに教えを乞いたくとも、誰も教えてくれなかった。相手にしてくれなかった。


 そして諦めてからは、彼はただただ与えられることにすがることを覚えた。


 寂しくてたまらない自分に一年に一度だけ"誰か"がそばに居てくれる。すぐに溶けてしまうけれど、唯一自分が孤独で無くなる瞬間が愛しかった。


 近づけばもっと嫌われると、攻撃されると分かっていても……長い事一人だと、どうしても寂しさが勝って近寄ってしまう。それも一年に一度、自分のそばに居てくれる花嫁という名の誰かが居れば耐えられた。


 今日はその喜ばしい記念日。


 最近は花嫁の方から彼の住居まで来てくれていたため、迎えに行くのは久しぶりだ。今度はどれだけの間、腐らずに、溶けずにいてくれるだろうか。その体が長く保ってくれたらいい。

 花嫁と共に運ばれてくる宝の中に、本はあるだろうか。自分で読むのは一苦労だが、花嫁が溶けないでいてくれる間はお願いすれば彼女たちが読んでくれる。たとえそれが恐怖と苦悶に染まった声だとしても、幸せだった。


 ああ、だけど望まずにはいられない。

 いつか読んでもらったお伽話のように、醜い自分に寄り添ってくれる心優しく清らかな乙女が花嫁になってくれる事を。


 ひと時側に居てくれるだけでも、自分には過分な幸せなのかもしれない。


(けど、だけど、それでも)


 願いは常に心の中にくすぶっている。

 もし自分の事を怖がらずに、心から愛してくれる相手。そんな人が現れたら、愛ある魔法の口づけできっと自分の呪いは解けるのだ。

 …………そんな夢想を抱きながらも、魔物はボトっボトっと粘性のある汚泥をこぼしながら、自分以外誰も居ない大地を進む。


 そして遠くに見えてきた、自分よりずっと小さな花嫁の姿。汚れてしまっているが、花嫁衣裳を身に纏っている。


(よかった、まだ溶けていなかった。死んでいなかった)


 そんな安堵が腐敗公の胸を満たした、その瞬間であった。



「くったばれぇぇ!!」



 苛烈な声と共に、魔物の眼前に煉獄の炎が迫った。それを前にすっと高揚していた心が冷える。

 …………どうやら今回は、久しぶりの"敵"だったらしい。


 ─────────── ふざけた真似を、してくれる。


 愛しいはずの花嫁を装って自分を殺しに来たのか。


 自分は生き物たちの仲間に入れてほしいと願っているが、何をされても怒らないわけでは無い。憎まないわけでは無い。

 敵対する意思を向けられたなら、文字通り骨も残さず殺しつくしてやろう。それによってより嫌われるとしても、無抵抗で殺されてやるほど優しくないのだと……思い知ればいい。

 これ以上自分の心を踏みにじるなと、腐敗公と呼ばれる魔物の心は怒りに染められる。




 腐り果てた死の領域にて。

 領域の主と、たった一人の魔術師の戦いが始まった。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る