生贄の花嫁①


 もともと短気ではあったのだ。


 子供のころから両親にはよく注意され、何度反省させられたかわからない。しかし反省しても反省しても治らないものだから、成長するにつれて取り繕う事を覚えていった。ハラワタが煮えくり返る事があったとしても、すぐに表に出すことをやめたのだ。

 その代わり口数が減り、怒りに歪む表情をどうにかしようとしたら無表情ばかりが増えていった。

 結果、自分についた評価が「仕事は出来るが暗い奴」だというのだから馬鹿らしい。

 もし表情を笑顔にするために使っていて、飛び出す言葉を柔らかな絹で覆うような努力が出来たなら……また違った人生が待っていたのではないだろうか。

 しかしそんなことを頭で理解しながらも実行できなかったあたり、自分はどうしようもなく不器用で世渡り下手なのだろう。


 でもあと少しだけ、上手く立ち回れていたなら。自分の感情を抑える事が出来ていたなら。あんな事をしなかったのではないだろうか。

 今こうして死の領域に叩き落とされることも、無かったかもしれない。


(まあ、そんな事考えたって今さらだけど! つーか無理! あのまま我慢とか、絶対にむーーりーー! あんのクッソ王子が!! つーか、ここまで来たらもうヤケよ! とにかく今は生き延びる! でもっていつかあのクソどもギャフンと言わせてやるわ!! 今に見てなさい!!)


 眼前に迫ってくる腐り果てた大地を前に、リアトリスは一瞬脳裏をよぎった「後悔と走馬灯に似た何か」を切り捨てる。今はそんな不毛な思考に時間を割いている場合ではない。

 崖の底が近くなるにつれて、先ほどまで自分を縛り付けていた魔力の枷が無くなっていくのを感じる。拘束具にかけられた魔術が効果を失ったのだ。

 どうやら腐朽の大地ではすぐに魔力が枯渇する、という噂は本当だったらしい。


 リアトリスは枷の消失を確認すると、封じられていた魔力を一気に解放した。


 生き残るため、本来ならば真っ先に魔力の消費をおさえる結界を展開させたい所。しかし魔力に対する拘束効果が消え失せたとはいえ、未だリアトリスには物理的な束縛が残っている。両手両足、更に言うなら全身が鉄の塊で覆われているのだ。

 このまま落ちれば潰れた果実のようになる事は明白である。よって、まずは拘束具を破壊する必要があった。


『我が銀鱗ぎんりんしもべよ、忌々しい鉄どもを存分に食い散らかせ!!』


 解放した魔力は一瞬にして術へと昇華される。本来必要とされる呪文を端折るどころか、命令のみで望んだ効果を発揮できるリアトリスは事実として優秀な魔術師だ。現在それを褒めたたえる存在は、残念ながら周りにいないわけだが。


 発動した魔術は白い光を振り撒きながら、大きさこそ小さいが銀色の竜の姿をとる。数は二体。

 竜達は主であるリアトリスの命を速やかに実行した。その大きさや可愛らしい見た目からは想像出来ないほど鋭く鋭利な牙をむいて、リアトリスと拘束する枷と檻を一瞬にして喰い破ったのである。

 そして役目を終えて消える銀竜を見届けることなく、リアトリスはすぐさま自由になった腕を前へ突き出し風の魔術を放った。それによって目前に迫っていた終着点は遠ざかり、風により発生した衝撃波でリアトリスの体は再び浮遊感を味わう。今度は落下でなく、上へ向かう力によって。

 これによって、一応転落死だけは免れた。かなり荒っぽい方法であったが、他のやり方を考えられるほどリアトリスに時間と余裕は残されていなかったにである。


 が、転落死しなかったとはいえリアトリスにまだ余裕はない。何故ならここは毒の霧が吹きだす腐朽の大地……場所によってはひと呼吸で死ぬ可能性があるのだ。


 そのため宙に放り出されながら、リアトリスは次の対策として瘴気から身を護る結界を張ることにした。

 物理的な衝撃に対する結界を同時に張る余裕はないが、現在の高度から落ちる程度なら死ぬことは無いだろう。崖の上から地面に叩きつけられるより遥かにましだ。



 しかし、その結果。



「うびゃっ!?」


 宙から落下したリアトリスがつっこんだのは、植物か生物か……とにかく何かが腐った成れの果て。腐朽の大地全土を覆う汚泥が特にこんもり山のように積もった場所だった。

 骨折などしなかったものの、それは彼女にとって幸か不幸か。とりあえず気分は最悪である。

 

「うえー! ぺっぺ! 気持ち悪ッ! つーかくっさ!! 臭い! 臭い臭い臭い! くーさーいー! うっぷ、おえぇ……」


 リアトリスは口に入った苦いような酸っぱいような、触感的にも味的にもおよそ口に入れるものではないドロドロした何かを吐き出す。

 そしてもともとの美しさなど見る影もない、無残にも汚泥色に染まったドレスを引きずり、腐れた何かの小山から抜け出した。


 生きているのが奇跡だと、他者が見ていたなら言うだろう。しかし彼女にとってこの程度で死なないことは当たり前の事。

 更に言うならば、リアトリスをこの地へ突き落した者たちもこの程度で彼女が死ぬとは思っていなかったりする。少なくとも「拘束された状態で崖から突き落とされた」程度で死ぬとは思っていない。彼らとしてはこの死の領域の環境と、この場所の主こそがリアトリスを殺してくれるだろうと期待しているのだ。

 しかしリアトリスはこの環境……まず第一の関門である、毒の空気をやり過ごした。これでひとまず直面する死の危険は遠ざかったと、軽く息をつく。


(でも、問題はこの後ね。今は一時的な安全を手に入れたに過ぎないわ)


 この腐朽の大地はその全てが地面そのものが溶かされ沈んだかのように、隣接する他の土地より低い場所に位置している。そのためどの場所であろうとリアトリスが落とされた崖と同じか,それ以上の高低差が存在するのだ。

 よってすぐに脱出することは不可能。


「空でも飛べたらいいんだけど、流石の天才リアトリス様でも厳しいわね……。何を試すにせよ、この崖の上までは魔力がもたないわ」


 自分が落ちてきた上空を見上げつつ、リアトリスは眉根を寄せてひとりごちる。

 とはいえさりげなく自画自賛しているあたり、まだ余裕はありそうだ。


 ……しかしそうして現状を把握する余裕が出てきたところで、一時的に静まっていた心の波が再度波打ち始める。彼女は短気なのだ。


 一応、冷静になろうとひと呼吸。……そして吸った空気と共に、リアトリスは声を吐き出した。






「クッソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」






 全然冷静になれていなかった。

 女の物とは思えない喉から血を吐かんばかりの怒声が、腐朽の大地にこだまする。


 ぼさぼさになった髪を振り乱して咆哮をあげ、地団太を踏むその姿はまるで悪鬼のようだ。そんなリアトリスの有様はこのおどろおどろしい場所に非常に良く似合っていたが、そんな感想を述べるものは周囲に存在しない。

 腐ったナニカはあるのに蛆すら生息できない摩訶不思議なこの大地で、リアトリスは現在正真正銘のぼっちである。


 そしてあらん限り、持ちうる限りの語彙を駆使した罵詈雑言を叫び続けて数十分。

 少々冷静さを取り戻したリアトリスは、腕を組んで今度はぶちぶちと独り言を吐き出し始めた。


「本当にあのクズども頭にくるわね。そりゃ、私だって悪かったというか、多少常識が欠けていたけど……。あんなの怒って当たり前じゃない。そうよ、あの馬鹿が全部悪いわ。私は悪くない。むしろそれまでよく我慢したっていうか、私ったら凄く偉いっていうか。よくあの王子の部下として耐えたわよ。なによ、ちょっと罵倒してぶん殴ったくらいで処刑とか。もっと心を広く持ちなさいよ。バーカバーカあーほ。フンッ」


 一国の王子を罵倒して殴った時点で死罪は免れない。それはリアトリスも理解してはいるのか、誰も居ないのに吐き出す愚痴は少々の言い訳らしさを備えていた。

 だが納得はいっていないのか、恨み節の方が強い。


 ともあれ、その罪行の結果が彼女の現在なのだ。

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