第10話 朝食セット

 アシュリーに隣の席の話題を詳しく聞いてみようかと思い、振り返ると、


「はい、お待ちどおさまです!」


 と、お盆を一つ手渡された。そういえばまだ注文したものが来ていなかった。


 お盆の上にはパンが2つとスープ、サラダとお茶があった。

 

 まずはパンを一口……と思ったが、硬くて噛みきれない。ライ麦パン……所謂黒パンというやつだろうか。色が黒っぽいし。日本で一般的に普及されている食パンのようなふわふわとしたものとは違い、中身がぎっしりと詰まっている感じだ。


――腹持ちは良さそうなんだけどな……


 味はよく分からない。それよりも硬さが際立っているからだ。

 保存食として、長持ちさせるために作られていると聞くから仕方ないんだろう。乾パンのようなものだ。香りは麦の良い香りがする。


 だがこれは食べるのは無理そうだな。硬い。硬すぎる。このまま食べるのでは顎が疲れる。それこそ蘇生させた死体の強靭な顎でないと無理そうだ。



 パンは置いておいてスープにいこう。

 液体は良い。顎が疲れない。純粋に味を楽しめる。

 スプーンで一口。


――しょっぱいな……


 味は濃いというよりも塩気が多い。決して飲めないほどの塩の多さではないが、ちょっと入れすぎじゃないかと思えるくらいだ。

 スープの中に浮かんでいるのは正体の分からない肉と芋のような野菜。

 肉は鶏肉に近いな。そこまで脂身は無く、しかし淡白というわけではない。肉は火を通しすぎると固くなるのが常である。そしてこのような大衆食堂に近い場所での大量生産品であれば恐らく一度に作る関係上、ずっと火をかけられ続けているであろう。

 大量生産の肉料理は硬い。これが俺の中の常識であった。まあ低温の火であれば違うのかもしれないが。

 しかし、このスープに入っている肉に硬さというものはない。脂身は少なく肉質が多い。それなのにも関わらず柔らかく、かつ肉を感じることができる。

 芋はまあジャガイモに近いだろう。甘さはなく、これも腹持ちが良くなるために入れてあるに違いない。

 ……しかしそれでも具材は少ないな。料金に見合った具材の量といった感じだ。


「……ん?」


 と、思ったが、周りをよく見れば俺のスープに入っている具材は他の冒険者らしき客が食べているスープに比べて具材が多い。他は肉と芋が1つずつといった程度なのに俺は3つ4つほど入っている。


 アシュリーの方を見ると、パチンとウインクしてきた。

 恐らくアシュリーが給仕と配膳を兼ねているのだろう。

 具材を多くしたのはアシュリーで間違いない。


――何が目的だ?


 まさか本当に俺に媚びているとでもいうのか?

 何かの陰謀に違いない。何か目的があるはずだ。

 無条件で相手に好意的なことをするわけがない。まして俺とアシュリーは初対面。


――毒……ではないよな


 こんな大衆の面前で毒を盛るなど、それこそすぐに犯人が分かってしまう。

 尤も、すでにパンもスープも口に入れてしまっている。即効性にしろ遅効性にしろ何らかの変化はあるはずだが、その様子はない。


 あるいは俺にだけサービス過多することで周囲との確執を生ませようとしているのか? 俺にだけ親切にすることで周りの冒険者は俺を疎む。陰湿なやり方だ。

 そこまで嫌われるほど何かをした覚えもない。同様に好かれるような何かも、だ。


 まあいい。

 それよりもスープだ。このしょっぱさは少しきつい。水が欲しくなる。


 ……というか、周りを見て気づいた。これはパンとスープを一緒に食べるものだ。

 パンをスープに浸し、パンに水分を含ませることで柔らかくする。スープの塩気もパンで薄くなり丁度良くなる。まるでというか、多分だが最初からこのように食べるために少しだけ塩気を強くしていたのだろう。



 パンとスープ問題が解決したらサラダだ。

 そういえば日本にいたときに海外のサラダは食べない方が良いと聞いたことがある。

 確か水が駄目なんだったっけな。生水が良くないとか。水道水で洗った野菜や果物、氷の入った飲み物には気を付けた方がいいとか。

 まああちらの問題は今は関係ない。

 今はこちらの問題だ。


 サラダに生水が使われているかどうか。そもそも生水が汚染されていないかもしれない可能性もあるが、この問題に関しては大丈夫だ。

 生水がどうとかではない。サラダは温野菜であった。つまり、使われているのは沸騰した水。生水ではない。


 塩水で茹でたのだろう。少し塩を感じられる野菜は本来の甘みを十分に感じさせてくれる。葉野菜が大部分で、1つだけトマトのような果実が乗っかっている。齧ってみると甘みと酸味が同時に口の中に広がる。


――これが一番美味いかもな


 まあパンとスープも組み合わせれば美味しいのだ。

 だが、そのまま食べた時のインパクトから、サラダのほうが美味しいと思ってしまう。



 ひとしきり食べた後、お茶をすする。

 お茶はハーブティーだな。何のハーブかは分からないが、スゥっとしたミントのような香りがする。


 ああ、落ち着く。

 何だろう。これまで忙しすぎたせいか。食事を取った。お茶を飲んだ。たったこれだけでこれまでの疲れが癒されていくようだ。


 ああ、でも疲れって癒される前に一度表面化するよな。

 それが眠気に繋がっていると俺は思っている。

 

 溜まった疲れ。それ自体は自覚していても動くことはできる。体奥深くにある疲れなのだから。

 しかし、一度表面に出てくるとそれは自覚している以上の疲労となって、体をこれ以上酷使しないでくれと訴えているかのように体を動かなくさせる。今すぐに睡眠を取ろうと意識を奪い去ろうとしてくる。

 

 これがハーブティーを飲んだ俺に今、襲い掛かっていた。


――ああ、このまま寝ようかな……


「あの……シドウさん」


 目を閉じ、意識が消えようとした瞬間、アシュリーの声で覚醒する。


「ん……アシュリー。どうした?」

「お疲れのようでしたらギルドの方でおすすめしている宿屋があります。そちらをご紹介しましょうか?」


 宿屋か。まあ俺が貧乏だと思っているアシュリーのことだ。

 そこまで法外な値段のところを紹介されないだろう。


 場所を聞き、ついでに武器屋防具屋の場所も聞き立ち上がる。

 そしてふと思い出した。


「そういえば、先ほどあちらのテーブルからエルフが亡くなったと言っていたけど、有名な人なのか?」

「ええ。実力でも人格でもどちらの面でも有名でした」


 実力でもか。そしてその実力者が死んでいる。


「その方は火事で亡くなったんです」

「なんと……」

「この辺りではレンガで家を造るのが一般的なのですが、エルフの方ですと木で造られた家を好むんです。それでその方は……その……レンガと木、どちらも使った家を建てられまして」


 ほう。ならばレンガで家を支え、木で通気性を良くしたのか。

 さすがに鉄筋コンクリートの方が勝るだろうが、レンガなら火にも強いはず。


 ……あれ? でも死んでいるのか。火事で。


「それでですね。土台を木にして、他をレンガで覆っていたみたいなのですが、木が燃えてそれで家全体が崩れ落ちてしまったみたいなんです……」


 それ逆だ。

 完全にやってはいけないやつだ。


 レンガが土台。木で周りを覆えよ。


「幸いにもエルフであったことも含め、そういったよく分からない家を建てていることもあって周囲には家はなく被害はそのエルフさんだけでした。今日の夜にお葬式をして……まあ土に埋めるだけなんですけどね。それも友人関係が全くといっていいほどいなかったらしいのでギルドから数人派遣するだけの簡単なお葬式です」


 ……悲しいな。

 孤独死……しかも社会的にも孤独か。


 どういった暮らしをしていたのだろう。


「ギルドというと冒険者だったのか?」

「はい。とは言え、最近はクエストもそこまで受けていなかったのでランクはBですが。それでも本来の実力はAの方々にも勝るとも劣らないと言われていました」

「それはすごい」


 実力的には申し分ない。コミュニケーション能力に関しては低いのかもしれないが、実力はある。そして死んでいる。


 いいじゃないか。

 そういった人材を求めていた。


「実は俺がこの街に来た理由の1つが――」


 この後俺はそのエルフがもしかしたら知り合いかもしれないと嘘をついてそのエルフの墓が建てられる予定の場所を聞き出した。

 アシュリー結構知ってるな。そしてこんなに言ってしまっていいのか?


「いいんですよ。噂が広まっていて皆さん知っていることですので」

「ならいいけど……。じゃあ俺は宿屋で休むことにするよ。また明日、来るからその時はおすすめのクエストを教えてほしい」

「はい! お待ちしていますね!」


 アシュリーとの会話を終え、テーブルを離れた途端に他のテーブルに座っていた男達――俺が冒険者登録をするときにこちらに視線をやっていた男達が立ち上がる。

 俺が扉に手を掛けると、こちらに近づいて来る。


 この扉を開け、建物から出た瞬間に男達に囲まれる。

 理由は何だ? ……アシュリーに近づくなか。それとも単に新人いびりか。

 気に食わないという理由もありそうだ。


 どちらにせよ確定しているのは敵、ということだな。


 殺すほどではない、とは言えない。

 だがこちらも大事にするわけにはいかない。


 男達は三人か……。

 


――【オートリバイバル】



 だから食事をしながら探していた、ギルドの隅の方で死んでいたネズミを蘇生させる。

 近くには団子のようなものが転がっていた。毒団子で死んだのだろう。ネズミは害獣。駆除対象である。


 音もなく、鳴くこともなく起き上がったネズミはそのまま男の1人に噛みつかせた。

 こちらに注意を向けていた男だ。当然、ネズミに反応することはできなかった。


「いっでぇ!?」


 突如噛まれた足を庇い、ネズミに噛みつかれた男は飛び上がる。

 

 ネズミは男から口を離すと、すぐさま他の2人に噛みつき、悲鳴を上げさせる。


「や、やめろ!」

「こっち来るんじゃねえ!」


 やがてギルドにいた他の冒険者らもその異常事態に気づき始めた。


「あ、あれ……マッドマウスじゃないの?」

「あの毒持ちのネズミか……ならあの噛まれた3人は可哀想に……」

「やだ、こっち来てる!?」


 どうやら思っていたよりも凶悪なネズミのようだ。

 臆病な種であれば突然噛みつきだしたネズミを不可解に思うかもと不安だったが、凶暴であれば問題はない。

 そしてその毒は強いようだ。すぐさま冒険者達はネズミから遠ざかり、こっちに来るなと悲鳴を上げている。

 噛まれた3人は助からないようだな。


 マッドマウスと呼ばれていたネズミは次なるターゲットを探す。

 そして唯一逃げていない男――俺を見つけると駆け寄り、その凶悪な牙を俺に向けようとする。

 俺は路地裏でチンピラが落としていったナイフを手に取り、ネズミに向かって突き出す。

 ネズミは左右にフェイントをかけながら俺へと近づくが、俺はそのフェイントに惑わされずにネズミの脳天へとナイフを突き立てた。

 ネズミは一度全身を震わせるとそれきり動かなくなる。


 周りから安堵したようなため息と、おお……という称賛の声があがる。

 小さく俊敏な動きの上に毒を持つネズミ。それに臆することなく退治した俺はそれなりの勇敢な男と見られているのだろう。


 まあ全部俺が蘇生させたネズミを操っていたからできる芸当なんだけどな。

 フェイントも指示通り。そもそも脳天を貫いたくらいでは蘇生した死体の動きは止まらない。今は俺の命令で止めているだけだ。


「誰か火をください」


 冒険者ギルドの扉を開け、外に出ると地面にネズミを放る。ナイフを取り外し、軽く振って血を払う。


「俺がやろう。……【ファイア】」


 魔法使いらしきローブを着た男が1人外へと出てきてネズミに火をつけた。


 火魔法か……中々便利そうでいいな。


 ネズミは骨になるまで燃え続ける。さすがにそこまで燃えるといくら蘇生させたからとはいえ死体は動かすことはできなくなっていた。まあ動かす筋肉もないんだから仕方ないか。


「お前、勇気あるな。新人だろ? 歓迎するよ」


 そう言って俺の肩をポンと叩いてその魔法使いはギルドの中へと入っていった。


「ふあぁ」


 さて、ネズミが蘇生された死体という証拠も隠滅したことだしそろそろ本当に宿屋に向かって休むとしよう。


 あくび混じりに街を歩き、新たな目的地に俺は向かって行った。

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