一章 染
ひどく風の吹き荒れた日の事。
私はいやに緊張していた。
もともと学校が少人数だった私はその何倍もの人数の中学に来て、圧倒されてしまっていた。人の波に周囲を見渡すけど、・・・当たり前だけど知らない人ばかりで、息が詰まりそうになった。
私と同じ小学校だった千佳は隣のクラスで、初めて会った人との仲良くなり方がよく分からないと思った。
玄関で確認した1―3という文字と、22番という出席番号をもとにまだ人の疎らな端の教室に座った。まだ新しい空気が漂っていて、どう息を吸っていいか分からない。8時台になって全員が集まり、顔ぶれの確認もそこそこに入学式の整列の時間となった。私は女子の中では6番目だった。さっきぶりに立った廊下は陽の光が全く届かなくて凍えそうになった。
♦
入学式はつつがなく終わった。新入生の親達が見守る中、担任の先生に一人ずつ名前を呼ばれ、それ返事をしなければならないと知った時はどうにかなりそうと思ったけど。
一大イベントを終え、のろのろと帰路に着く。初日なんてこんなものだ。心の落ち着く場所で休みたい。でも、話せる人つくらなきゃな、とも思った。その日の二限は、担任の吉見先生の挨拶と、自己紹介から始まった。
♢
「相沢奏多です」立ち上がり、ぽつりとそれだけ言った。
こういう時、変に目立とうとする人の気が知れない。いつのまにか終わっていた式を客観的に振り返っていると、ついさっき知った担任に最初に自己紹介を、と言われた。
――こういう時自分の苗字がつくづく嫌になるのだが、できるだけ印象を残さないように努力した。
■
「相沢奏多です」先生から言われて一番に立った華奢な人は少しだけ教室の中央の方を向き、控えめに言った。
それ以外は何の付け足しもなく、次の男子が慌てて椅子から立ち上がった。規定より長そうな髪、ちょっと気怠そうな声。でもそれすら堂に入っていた。
「ね、あの人、格好良くない?」
—— 吃驚した。
気持ちがそのまま口に出たのかと思った。・・・見ると、斜め前の女子二人が目を合わせている。
もう前を向いてしまったその人の後姿を何となくまた見た。恋がどんなものかはよく知らないけれど、例えるならものの一瞬で心が奪われるみたいなもの、なのかな。
思考が何処かに行っていて気付いたら自分の自己紹介は終わっていた。
□
思っていたより自分のクラスは普通で安心した。・・・いや、元の学校の奴がおかしいだったかもしれないが、そう思って頬杖をついていると後ろの席の関野が話し掛けてきた。
なぁ、昨日の言ってたやつ、やった?宿題か。その言葉に、俺は無視するでもなく――さりとて興味もなく。
けど、悪目立ちするとまた小学生の時の悪夢が蘇りそうで面倒くさいと思った。あー。今からやる、と返す。木を隠すなら森。出来るだけ話せるやつをつくっておいて、別に女子と接点を持たずとも万全にしておくのだ。
中一になった俺の目標は誰からも告らせる”可能性”をなくすことだった。
つまり、そのために、できるだけ仲良いやつを増やしておくことだ。そこに関しては培ってきた順応性で、何人もと友達になることができた。
□
まだ二日目の学校は探り探りで、でも席が近い子と何個か会話をした。
――「叶わない」なんて分かってるヒトに恋をしたのが昨日。どうやら私は、“友人”を作るよりも先に好きな人を作ってしまったみたいだった。
その人は何か特別なことをしているわけでもないのに何故か目を引く人だった。
相沢君。
その人は「野暮」という言葉が一番似合わない人だった。
一つ一つの動作が計算されたかのように完璧だった。あまりにも完成された雰囲気に、なんというかまるっきり『観賞』用みたいだと他人事のように思った。
その雰囲気は近くの人がうっかり息を潜めてしまうくらいの完成された何かがあった。
私が近くにいたとしたら、恐らく一分も持たないだろう。
女子の団結が時として恐怖じみたほどのものになることを私は知っているけど、相沢くんの場合は違うと思った。
誰の抜け駆けも最初から許されてない暗黙のルールが存在していた。
私は、空気が読めないわけでも無鉄砲なわけでもない。この気持ちに関して、私は想いを伝えたいとは微塵も思っていない。
これが、昨日のハイライトである。
♢
「今日から仮入部の期間となります」
この学校は主任によると運動部の方が文化部よりも若干多いらしい。体育会系っぽい人達が一定数いた、ような気がする。
昨日は、各部活の部長が思い思いに活動内容を話していた。冗談をかましたどこかの部長に前の方がワッと沸いて、その喧噪に揉まれながら私はしばし考えた。――どうしようかな。
「ひぃ、はぁ」
少し準備運動をしただけで悲鳴のような呼吸が口から漏れ出ていた。
運動部のいくつかを私は体験したが、とてもついていけるような状態じゃなかった。・・・というか、声出しが基本なんて、どうにも私はストイックになれそうにない。しかも、噂だと「今年は女子も男子も化け物ぞろい」だと。
それを聞いて、私は大いに震え上がった。
ついていけない。――もし運動部に入ろうものなら、私はサバンナのような場所で凡そ直ぐに野垂れ死んでしまう弱小動物のようになってしまうかもしれない、と。
■
三日目、徐々に授業が始まり、デザイン重視で買ったリュックがだんだんと重みを増してくるのが実感できた。
放課後、昔馴染みが他のクラスから俺の席の前に来て、どっか行こーぜ、とどっかり座った。
「や、・・・邪魔だし」
そんなこと言うなよ、とそいつは机に頬杖をついた。
「部活。なんか考えてんだろ?」
「別になんでもいーわ」ただ、スパルタすぎんのはパス、と俺は苦言を呈した。低身長な下田が下からこっちを見やる。「とりあえずかっこいーやつやりたい。」至極マジメな顔をして言うから、それに負けて俺は渋々体育館へ連れだった。
♢
あ、本当に私は「好き」になってはいけない人を好きになってしまったのかもしれない。
友達という友達は何となく作れたものの、机に着くたび、移動教室で廊下を歩く度、前の端麗なオーラが背中から滲み出ている彼のことを無視できなくなっている。
あ、会話をしたとかじゃないんだけど、叶わない恋のことなんか忘れてしまいたいから、ないもののように扱いたい(失礼すぎるだろ、)のに、存在が大きすぎて無視ができない。視界に入らないようにしても誰かが君のことを噂してる。「相沢君、部活はバスケ部に入ったらしいよ。」「え、何それ、応援する!」
――結局の所君を認識してしまう。
ぼやけた日々の、絶対的な二進数に私は今までないほどもみくちゃにされていた。
■
君の第一印象は「面白い人」だった。
――何がとは言わないけど、主に動作が。
体育後の休憩時間、なんとなく頬杖を付いてぼんやりしていると、同じバスケ部の由田が授業のノートを丸めて、窓際に凭れ掛かってこっちを見ていた。「あに」喋るのもダルく、視線で言葉の続きを促すと、由田は急に声を潜めて意味ありげな笑みを浮かべた。あれ、そういって後ろを顎で差すものだから、其処をちらと見る。でも、何も起こっていないので苛立ち混じりに「・・・はぁ?」と返すと、本当にお前はツミツクリなオトコだなぁとわざとらしく天を仰ぐので自分自身合点がいってしまった。
周囲といかに距離を保つことができようと、他人からの好意はどうしようもにもならない。だから、昨日同小の奴らに、誰かが「奏多の所見てる」と言われて心底内心無表情になったことを覚えている。
小学生の時と同じく、“近寄り難い”雰囲気は出しているつもりだが、嫌われはしないのでーまぁ、告られなければどうでもいいか、と内心強引に結論づけた。
あと、その日の部活の入部体験で空き時間に『可愛い子とかいる?』——なんていう、何ともありきたりな話題が帰り道で出た時、女子の顔なんて全然覚えていなかった俺は、話に興じるフリをして、内心ずっと上の空だった。言わずとも恋愛の話なんて照れくさいだけだし、冷静ぶっていたい。だから、そういう話は基本的に喋らない。
・・・そもそも、告られないようにしているのだから、その類のものが近づいてくる気配もなかった。
■
5月の上旬最初の席替えが始まって、俺は中央後ろの席になった。同じグループになったのは同じ部活の男子の他は知らない女子だった。
どうする?最初に話し始めたのは一番前の人だった。それに答えた由田はやけに緊張していて、それを横目で見ていた俺は「後で揶揄うネタ見っけ」、と実にくだらないことだけを考えていた。「
移動教室の途中、前方に由田を見つけて、ダル絡みでもしようかと思いつく。よ、と由田の背中を通り越し、歩を合わせる。何?と聞き返してきたので面白くねぇ奴、と思いながら俺はしゃべりだした。
・・・ちょっと思ったんけど、なんか、川島さんていい人よな。
「川島さん」とは、今回の席替えで同じグループになった中の一人である。できるだけ何ともない調子で言うと、
「なに?・・・好きなん?」
と由田が実に白々しい感じで聞いてくるものだから、無性に俺は腹が立った。
はぁ?マジになんなよ、
とそれ以上の言葉で返してやろうと必死に頭を回転させていると間もなく相手が言った。
…お前ってそういうやつやったんや。明らかに侮りを含んだ声色が俺を突き刺した。そんな風に他人から物を言われたことがなかった俺は、動揺して、返す言葉を持たなかった。
□
安寧の日々はいつまでも続いてくれなかった、と最初に言っておこう。「遠くで見てるだけでいい」とそう思っていたのに。
—— 唐突に行われた席替えによって、予想外にも相沢くんの斜め前の席になってしまったのだった。
給食の時間には、給食で同じ班は向き合ってお昼を食べなくてはならない。・・・そんな馬鹿なことあるか? 絶対変に固まってしまうのが目に見えてる。
もし万が一喋ることになったら、敬語とかになってしまうかもしれない。
放課後の机で私は突っ伏していた。友達が同じ班になってくれたことは現実逃避として唯一の救いだと思ったが、距離が近すぎることで授業に集中できない自信だけはあった。
――だから、移動教室はものすごくありがたかった。その間だけでも、彼のことを忘れられるから。でも、聞いたところによると、次の席替えまでは二か月あると聞いて私は美術室で絶句してしまった。
□
あれから‘川島さん’というワードは俺達の間で禁止になった。二日間ぐらい俺たちは喋らずに奇妙な空間が漂っていた。
後にも先にも主だった喧嘩はこの時が初めてで、微妙な話題はできるだけ避けようとそう決めた。
――でも、その川島さんなのだが、単刀直入に言ってしまえば彼女に俺は嫌われているらしかった。給食中も必要最低限しか喋らないし、美術室での授業の時も俺が後ろに教材を回す時、彼女は絶対違う方向を見ているもしくは別方向を向いているのである。――これは気のせいなんかじゃない。ほかの授業もそうだった。――不自然というか、絶対避けられている。
俺、何かしたか?そういうことがあって、俺は彼女を面白いような、でも失礼な女だとみるようになった。
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