第16話 バイト

家に帰った僕は精神的に疲れていたのか、横になるとすぐに眠りに入った。

「ピピピピッピピピピッピピピピッ」とアラームが機械的な周期で音を鳴らす。僕はすぐに意識が覚醒した。あんなことがあった後だから、カエルが夢に出てくると思ったが心配しすぎだったらしい。

「あぁ、もうこんな時間か。バイト行かなきゃ」と僕は重い体を起こして、うがいをした。

自転車に乗り、コンビニに向かう。風が心地よく気分がいい、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込むと、漕ぐスピードを上げた。10分ほどで着くと自転車を駐車場のフェンスにチェーンロックでつなぐ。

「お疲れ様ですー」と僕は憂鬱な気持ちで挨拶をした。

「おいっす」と挨拶を返してくれたのは、フリーターで芸人を目指している木村さんだ。変顔筋肉芸人のポッキーという芸名で休みの日はライブをしているらしい。筋肉はムキムキだが、全然面白くはない。制服に着替えて、レジに立つ。駅から離れているせいか、この時間は客が来ない。僕は軽い欠伸をした。

少しの沈黙の後「古池くん、今日寒いよね」と木村さんが話しかけてきた。僕は沈黙が平気なタイプだが、木村さんは芸人の血がそうさせるのか、天気の話というどうでもいい内容でも話していたいのだろう。

「あぁ、確かにそうですね」と僕は相槌を打つ。またしばらくの沈黙の後、木村さんはまた天気の話を始めた。

「今日、来る時に雨降ってなかった?」と木村さんは筋肉を見せつけるようにこちらに体を向けた。

「いや、降ってなかったですけど、今から降り始めますかね?」と僕はようやく聞き返した。

「さぁな」と木村さんは無駄にレジ台をアルコールで拭き上げている。

「…………」いや、天気の話題盛り上げる気ないのかよ、と僕は心の中で思った。


木村さんが言った通り、1時間ほど経つとビニール傘を買う客で店内は混み始めた。レジから横目で外を見ると、視界が悪いほどに雨が降っていた。

「傘持ってくればよかったな」と僕はぼやく。ビニール傘を買えばいいのだが、1本580円だ。今日稼ぐ金額が4000円ほどでそこから引かれると考えると気が引ける。従業員が置き忘れた傘を借りる手も考えたが、先月に溜まりに溜まった傘を、店長が整理してほとんど捨ててしまったのだった。もうすぐ上がる時間だ。僕は制服を脱いで、帰る支度をした。

「しょうがない、ビニール傘を買うか」と僕は入り口付近に大量にかけられている傘を取りに行こうとして、足が止まった。

「うっ」とそんな息が止まるような声が漏れる。コンビニの入り口前に立っている女に見覚えがあった。土砂降りの雨の中で彼女は、傘を2本持って立っていた。


「いつから?何でここに」僕の体は震えていた。もはや気持ち悪いとかではない、ただただ恐怖を感じて体が強ばり動けなかったのだ。僕はすぐに引き返し、裏口から出て自転車まで走ると鍵を外そうと必死になった。雨と恐怖のせいで僕の手は子犬のように震えてしまい、いつもより時間がかかった。鍵を雑にバックに入れると、全速力で逃げ帰った。


家に帰り、僕がまずしたことはぴょん吉に電話をかけることだった。さっきあったことを全て話して落ち着くと、温かい紅茶を飲む。その日は家の戸締りを確認して電気をつけたまま寝た。

じっとりとした雨が降り続き、次の日の朝は雨音で起こされることになった。僕の気分は最悪だった。汗で服がくっついて気持ちが悪い。シャワーを浴びるために立ち上がったが、ふらついて、ソファに倒れ込んだ。そこで体が思うように動かないことに気がついた。体温計を脇に挟んで確認すると熱がある。雨を浴びて帰ったせいだろう。僕はぴょん吉と尼崎にメッセージで大学を休むことを伝えた。するとすぐに返信があり、大学終わりに二人で見舞いに来てくれると言っている。風邪をうつすのは悪いと思い固く断った。僕の体力はそこで力尽き再び眠りに入った。


「どんどんどんどんピーンポーンピーンポーンどんどん」と玄関から音が聞こえ、僕は目を覚ました。見舞いは要らないと言ったのに、どうやらきてしまったらしい。

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