第1章
第6話 失意
語り:吹雪
―――――
「―――ねー! ちょっと待ってよ~!」
私はいつものように、関心の赴くままに突っ走る揚羽を追いかけていた。日が落ち始め、空はだんだんと赤く染まっていく。
そろそろ体力が限界を迎えそうだ。筋肉痛で動かしづらい足を引き摺るようにしながら、彼女に置いていかれないよう必死で走る。
意識したことはあまりないが、私はこの何気ない日常を愛おしく思っている。
「ハーッ... やっと追いついた...」
ここはどこだろう...? 目の前に海が見える。港の近くかな。揚羽は立ち止まり、その大きな海を見つめていた。
「もー、1人で行かないでよー...」
私は揚羽の背中に向かって叫ぶ。
「へへっ、ゴメンね~」
彼女は振り返り、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「謝罪が軽いな~、もう... もう少しで見失っちゃうところだったんだからね!」
「ゴメンってば~! ほら、ゴメンねのハグだよ~」
私が冗談半分で怒ってみせると、揚羽は私に抱きついて再度謝った。ただ声の調子からして、全く反省していないのが伝わってくる。
そうして私達は、2人で暫くの間笑い合っていた。
「本当に、いつもごめんね...」
日がすっかり沈み空が黒く染まったとき、揚羽が小さな声でそう言った。その声は消え入りそうなほど弱弱しく、私には心からの謝罪のように聞こえた。
「何? 急にどうしたの、揚羽~」
揚羽が1人で突っ走り、周囲を置き去りにするのはもう慣れっこだ。実際、私は全く気にしていない。
「吹雪、置いて行ってごめん... ごめんね...」
「揚羽...?」
揚羽は私に抱きついたまま、うわ言のように謝罪の言葉を繰り返す。その声は震えており、涙を堪えているようだ。様子がおかしい... 何だろう...?
「置いて行ってごめん」...? 揚羽は何を言ってるの...? 私はヘトヘトになりながらも、こうして追いついたのに...
...いや、私は... ...私は、間に合わなかったんだ。揚羽はもう... ...もうこの世にいない。
私は気づいてしまった。どうしようもなく耐え難い現実に。
「ごめんね、吹雪、ごめんね...」
私に抱きついている揚羽の体が、だんだんと血染まっていく。その血は密着している私の体も真っ赤に染めていった。
「あ、あぁ......」
揚羽が私の目をじっと見つめる。頬には痣が、額には大きな傷ができており、その傷口から血が止め処なく溢れている。彼女は目に大粒の涙を浮かべ、悲しみに満ちた表情で私に訴えかけた。
「吹雪...... どうして......来てくれなかったの......?」
...嫌
「ねぇ...... どうして......?」
...嫌ぁ...
「痛いよ...... 死にたくないよ......」
―――――
「嫌ああああああああああ!」
その時私は、最悪の目覚めを迎えた。
全身が汗でびしょ濡れになっている。酷い悪夢だった。夢にしてはかなり生々しくて...
「ゔぅっ...!」
その時、私はこみ上げてくるものを抑えきれず、冷たいアスファルトの上にぶち撒けた。あの時の、冷たくなった揚羽の頬に触れたときの感触は未だ消えない。
地面が固い。ここは...路地裏のようだ。何でこんな寝心地の悪そうな場所で眠っていたんだろう。...実のところ、倉庫の外に出た後の記憶がほとんど無い。
「吹雪、目が覚めたか...」
背後から生気のない、しかし聞きなれた声がした。この声は...赤毛だ。全く眠れなかったらしく、目の下にクマがくっきりと顕れている。とはいえ、彼のことをとやかく言えないほど、私も酷い顔なのだろう。
「赤毛...!」
酷い夢を見ていたこともあり、赤毛の顔を見た途端、私は涙が溢れて止まらなくなった。赤毛はそんな私を何も言わずに抱きしめた。自分だって眠れないほど辛かったくせに...
「落ち着いたか、吹雪」
「...うん、ありがと。ごめんね...」
「気にするな。俺達、友達だろ...」
少し落ち着きを取り戻したことで、昨日のことを少し思い出してきた。あの後、私達はメカネと会っていたんだ。
―――――
「君達は無事だったか。あの子は......駄目だったみたいだね... その、何と言っていいか...」
メカネは絞り出すように言った。彼もこの件にかなり責任を感じているようで、言葉の節々から悔しさとやるせなさが伝わってきた。
その時の私は、とても受け答えできるような状態ではなかった。だからこの先はほとんどが赤毛とメカネだけの会話になる。
「本当にすまなかった... 僕が君達を巻き込んでしまった。全て、僕の責任だ...!」
「謝らないでくれ、アンタは最後の最後まで俺達を庇ってくれた。自分が危ない状況だったにもかかわらずだ。それだけで十分だ」
赤毛だって相当悔しかったはずだ。辛かったはずだ。それでもメカネに当たり散らすようなことはしなかった。
「そうか... ...ところで、君達に伝えておくべきことがあるんだ」
メカネが赤毛に伝えたことは、
・なるべくその場から離れて、少なくとも一晩は身を隠すこと
・メカネのことは置いて逃げること
の2つだ。私達は顔を見られてしまったから、あの男とその仲間が追ってくる可能性が高いらしい。捕まればただでは済まないだろう。もう1つ、メカネはあの男の仲間に体を作り替えられたらしく、その際にGPSを仕込まれた可能性が高いことから、私達の逃亡の邪魔になるかもしれないとのことだ。
「―――――僕から言えるのはこれだけだ。こんな時に本当に済まない」
「...許さない」
その時、私は俯いたまま小さい声で言った。
「揚羽を殺したアイツだけは、絶対...!」
「吹雪...」
「...僕は、アイツらに逆らえないように作られている。だから君の復讐を直接手助けすることはできない。でもね...」
メカネは頭だけの状態で、私の傍まで器用に転がってきた。
「君の復讐を邪魔することもしないよ。その道を選んでしまえば、もう当分君に平穏な日は訪れないだろう。それでもあの男が許せないと言うのなら、君は『異能』を鍛えなければならない」
上等。それでアイツに復讐できるなら安いものだ。
「最後に、無責任な事を言わせてくれないか。どうか、君達は生き延びてくれよ」
―――――
揚羽を殺したアイツ... 顔は覚えている。
次に会ったときは、私が必ずこの手で...!
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