第5話 絶望

語り:吹雪


 私達の前に突然現れた謎の男。ソイツと揚羽が戦っている倉庫からなるべく離れるため、そしてソイツの増援を足止めするために奔走していた私と赤毛の目の前に、メカネが飛んできた。


「うわあぁっ!?」

 突然のことに赤毛は驚き、走る勢いもそのままに尻もちをついた。

「くっ... なんてことだ...!」

「ヒッ...! ...何でここに...?」


 私はメカネを恐る恐る抱え、事情を訊いた。

「あの男の狙いは僕だ... あの子は... 揚羽はそれを分かってて...!」

「...どういう事? 揚羽がどうしたの!?」


「あの子は戦いの最中、あの男に気づかれないように僕を逃がしたんだ...」

「...え?」

 相も変わらず器用なことをするものだと感心したのも束の間、メカネは立て続けに捲し立てる。

「吹っ飛ばされてるときに見たが、この辺りにあの男の増援は見当たらなかった。不幸中の幸いだね」


「一瞬でそんなことまで分かるのか、凄いな」

「まあ一応、サイボーグだからね。目は特別製だよ」

「だったら...」

 増援はいない... つまり敵はあの男のみということだ。であれば倉庫まで戻り、揚羽を援護してあげないと。そう思い、私が踵を返そうとしたその時、


「戻っちゃ駄目だ! 君達2人はこのまま逃げろ!」


 メカネが出会ってから一番の声量で叫んだ。

「...何で... ...何で止めるの!?」

 意味が分からない。揚羽を見捨てて逃げるなんて有り得ない。何故戻ってはいけないんだ。


「君達では、どうやってもあの男に殺されるだけだ...」

「それなら心配ないぞ。俺達にもアイツに対抗する力は―――――」

「分かってるよ、君達が『異能者』だってことは。その上で引き留めているんだ。あの男は特殊な訓練を積んでいる。君達が束になったところで...」




「...は? 何それ...」

 メカネの言い分が正しければ、尚のこと揚羽を助けに戻らないといけない。でもこの生首は、私達だと無駄死にするだけだと言いたいらしい。そんな言い分で納得ができるわけがない。私は無視して倉庫へ向かおうとした。すると...


「...納得してくれないなら仕方ない」

 私が背を向けた瞬間、メカネは目から光線を放つ。その光線は私のすぐ傍のアスファルトを削り取っていた。私への最後の警告といったところか。

 揚羽のことがあり焦燥感に駆られていた私は、それによって頭に血が昇ってしまった。


「...邪魔するなら、先ずはアンタから...!」

 私は振り返り、怒りのままにメカネに反撃しようとした。その時、




「...2人ともやめろ!」

 赤毛が私とメカネの間に滑り込んできた。付き合いが長い私ですらここまで声を張り上げているのは見たことがない。彼の制止によって、私は冷静になった。


 赤毛は膝立ちのままメカネの方に向き直り、真剣な眼差しで思いを伝えた。

「...今までアンタと話してて、アンタが悪い奴じゃないってことも、アンタの言う通りにするのが俺と吹雪にとって最善だってことも頭では分かってる。でもな...」


 放しながら、赤毛はおもむろに立ち上がった。

「揚羽は俺達の大事な幼馴染だ。誰に何と言われようと、置いて逃げるなんてできない!」


「しかし、それでは君達が...」

 私も分かっていた。この生首―――――いや、メカネがずっと、私達の身を案じていたこと。そのうえで赤毛は、真っ直ぐ向き合って説得している。それに比べて私は、怒りのままメカネを潰そうとした。なんて情けないんだろう。




「それに、俺も吹雪も、もちろん揚羽だって、どんなに相手が強くったって、ただでは転ばないからな!」

「...そうか。君達を引き留めようだなんて、僕が傲慢だったみたいだね...」

 赤毛の言葉に、メカネはすっかり絆されたようだ。


「早く戻るぞ、吹雪!」

「...」

 ばつが悪かったので、私は無言のまま赤毛の後を追った。




 あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。徐々に空が赤くなり始めた。

(揚羽、今行くから待っててね...!)

 私と赤毛は倉庫の近くまで辿り着いていた。ここで揚羽とあの男が激しい戦闘を繰り広げているはずだ。実際、倉庫の壁にはいくつか穴が空いている。にもかかわらず、静かなのだ。不自然なほどに...


「何だこれ、穴だらけじゃないか...」

(揚羽...)

 私は一瞬、心の中で最悪の事態を予感したが、無理やり押し殺した。揚羽は器用で、機転が利く子だ。マイペースだけど頭の回転は速いし、私達の中ではたぶん一番強い。メカネが言っていたこともあって少し不安だが、彼は私達のことをよく知らないからあそこまで心配していたんだ。きっとそうだ。今、あの男を返り討ちにした揚羽が、倉庫の中で私達を待っているはず...




 太陽が低くなってきたこともあって、倉庫の中は暗かった。揚羽の姿も、男の姿も見えない。

「揚羽...? 今戻ったよー...」

 私は暗闇に向かってそう呼びかけたが、何故か返事は返ってこない。

「揚羽ー、居るなら返事して―――――」

 倉庫の中を進みながら、声のボリュームを少し上げてもう一度呼びかける。その時、足元で水音がした。


(...ん? 水溜まり...?)

 どうやら水溜まりに踏み入れてしまったらしく、靴が濡れてしまった。ふと足元を見た私は、驚きのあまり絶句した。


 私の靴が赤く染まっていた。私が踏み入れていたのは、水溜まりではなく血溜まりだった。


 その時、日が更に傾き、壁に空いた大穴から倉庫の中を... ...血溜まりの先を照らした。私は見てしまった。夕日が照らしていた、一番目にしたくなかった光景を...




「...え............揚羽......」

 私の目の前に、揚羽が変わり果てた姿で横たわっていた。左足はあらぬ方向に折れ曲がり、頭蓋は激しく割れ、腹部は赤く滲み、胸部には大きな傷がつけられ、全身に打撲痕があった。をはっきりと認識してしまったその瞬間、私は胸が締め付けられるような激痛に襲われた。


「嘘でしょ...? そんな...嫌...! 嫌あぁっ!!」

 私はすぐに揚羽の元へ駆け寄り、一心不乱に彼女の体を揺さぶった。目から止め処なく溢れる涙で、揚羽の顔がよく見えない。服や手や顔が、揚羽の血で染まっていく。そんなことは一切意に介さず、私は泣き叫んだ。

「嫌ぁ... ...揚羽! 起きてよ!! 返事してよ!!」

 血がべっとりと付いた手で揚羽の顔に触れる。彼女の肌は、信じられないほど冷たかった。その感触が、目の前の非情な現実を私にまざまざと突き付けているようだった。




「どうした!? 吹雪、大丈夫―――――」

 私の只ならぬ声を聞いた赤毛は、慌てて倉庫の中へ駆けつけた。そして私と同じく、この惨状を目にして言葉を詰まらせた。


「そんな...... あぁぁ......!」

「揚羽... こんなの嫌だよぉ...」


 赤毛も膝から崩れ落ち、俯いたまま呻くように泣いた。私は生気のない揚羽のすぐ傍で、暫く動けなかった。私達は、間に合わなかったんだ...






―――――あれからどれくらい時間が経っただろうか。静かな倉庫の中に、私達の声だけがずっと響き続けている。


 激闘の最中、倉庫の壁に付けられたであろう大きな亀裂が、突然音を立てて拡がった。

「......何...? この音...?」

 どうやら、この倉庫の壁や天井、至る所にヒビや穴ができていたようだ。それらを支えていた柱も、乱雑に傷つけられたことで悲鳴を上げている。つまりこの倉庫は、いつ崩れてもおかしくない状態だったんだ。

「...もしかして、崩れるんじゃないか、ここ...! 早く離れるぞ!」


 赤毛は一足先に我に返り、私の肩に手をかけた。早く外に出ないと... でも...

「待って... 揚羽も... 揚羽も連れてってあげないと―――――」

 弱々しくそう発したその時、柱の1本が音を立てて倒れた。それを皮切りに、遠くの天井が次々と抜け落ち、砂埃が大きく舞う。


「......無理だ、時間がない... このままじゃ俺達も巻き込まれる!」

「......え...?」

 赤毛...? 何を言ってるの...?


「ほら、早く立て! 走るぞ!」

 赤毛は動けないでいる私の脇に手をかけて無理やり立ち上がらせ、手を強く引いてきた。それでも私は、揚羽から目を反らせないでいた。




 私は確信していたんだ。ここから離れたら、もう二度と揚羽には会えないと。




「...嫌だ!! こんな危ない場所に、揚羽を置いて行くなんて!」

「俺だって嫌だよ! でも俺達が死んだら、揚羽は何のために、こんな...」

 私は最後まで半狂乱になりながら抵抗した。しかし、男女の体格差か火事場の馬鹿力か、最終的には赤毛に引きずられるようにして倉庫を離れることになった。




 私達は間一髪、倉庫の崩落に巻き込まれずに済んだ。皮肉なことに、2人とも無傷だった。


 でも、私は確かにこの目で見た。あの瞬間、目の前で崩れた壁によって、揚羽の体が下敷きにされていたところを... 揚羽は事切れた後も、その体を滅茶苦茶に傷つけられたんだ。跡形も無くなるほどに...




 私達はこの日、かけがえのない友人を永遠に失った。




「ああぁぁぁ...... 揚羽......」

 どうしてこんな事になったんだ。あの時、無理にでも揚羽を止めていれば良かったのか? 揚羽の指示を聞かず、3人であの男に立ち向かっていれば、揚羽は助かっていたのか? 心の中でいくら問いかけても、答えが返ってくることはない。




 ...いや違う。あの男だ。アイツが揚羽を...!

 私の心が、一気に怒り一色に染まる。

(絶対に許さない...! 返せ、私の友達を...!)

 私は地面に伏したまま、爪が掌に刺さるほど拳を握り締め、密かに復讐を誓った。

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