教会の秘密③

 人目を忍びつつ一番安い馬車に乗り込んだパトリシアとマリーは半日で王国に着いた。


 侯爵家の門番に訝しげな目で睨まれマリーは青ざめていたけれど、父から渡されていた徽章を見せた途端、あっという間に客室へ通された。

 良く分からないが、この徽章にはすごい効力があったらしい。


 今まで見た事もないような豪奢な調度品の並ぶ客室に通された二人は、赤いベルベットの長椅子の隅にくっついて座り主が来るのを待った。


「あ、あの……パティ。これはどういう状況? 私、なにがなにやら」

 不安そうに手を握ってくるマリーの手を大丈夫と握り返したパトリシアだったが、内心は彼女同様、戸惑いと緊張でいっぱいだ。


(やっぱりここに来るのは間違いだった? ううん……もうやるしかない)


 覚悟を決めたと同時にドアが開かれた。

 身なりの良い壮年の男性が真っ直ぐにこちらを見ながら部屋に入ってくる。

 今まで接してきたどの男性にもなかった有無を言わせぬような威厳を放つ視線に、パトリシアは思わず立ち上がって背筋を正した。


「私の名はクラウド・マクレイン」

「お初にお目に掛かります、わたしはっ」

「生きていたのだな、パトリシア」

「っ!」

 この人は自分の事を知っている?


「今までどこでなにをしていた」

 孤児院にいた事はまだしも山賊の元で生活をしていたことを知られては切り捨てられるかもしれない。パトリシアは慎重に言葉を選んだ。


「……山賊に攫われ数年、なんとか逃げ出し今は孤児院でお世話になっていました。過去の記憶は山賊に攫われた際の精神的なショックから曖昧でよく覚えていませんでした。けど」


 握りしめていた徽章をクラウドに差し出す。


「炎の中、父に言われた事を思い出したのです。何かあればマクレイン侯爵様を頼るようにと」

「そうか」


 全てを見透かすような威圧的な視線にたじろぎそうになる。

 今まで気が乗らずここに来ることを避けていたことを、視線だけで責められているような後ろめたい気持ちになった。


 それでも。


「勝手なお願いだと言うことはわかっています。でも、どうか助けてください」

「なにがあった」

「実はお世話になっていた孤児院で」


 パトリシアはここまで来ることになった経緯を話した。

 地下牢に監禁されていた少女たちと売られていったロンたちを助けてほしいと。

 クラウドはパトリシアの話に端から聞く耳を持たない感じではなく、最後まで無言で聞いていた。

 本当は門前払いされてもおかしくない状況なのに。


「そうか。それがお前の願いか」

「…………」

 クラウドは何か思案しているようだった。冷や汗がパトリシアの頬を流れる。


(どうしよう。わたしにはこの人に差し出せるものがなにもない)


 今まで大人に助けを求めたりお願いする時はいつも『見返り』を求められてきた。

 けれど地位も名誉も財力も有り余っているであろうこの貴族に、孤児の自分が差し出せる見返りなんてなにもない。


「パティ……」

 不安そうにマリーがパトリシアの服の袖を引っ張る。

 無礼だと捕まってもおかしくない事を自分はしている。突然現れてお願いを聞いてほしいなどと不躾だ。


「もし、救ってくださるなら……なんでもします!」

 ヘクターはこの国で治癒魔法を使える者は貴重だと言っていた。

 ならばこの秘密で駆け引きできないだろうかと捨て身で思ったのだが。


 パトリシアがそれを口にする前に、クラウドは執事に視線を送りナイフを用意させ自分の親指をそれでわざと切ると。


「お前の力を証明してみせろ」

 そう言って手を差し出してきた。

「っ!」

(この人はわたしに治癒魔法があることも知っているんだ)

 深呼吸をすると、パトリシアはその命令に従いクラウドの手に触れ。


「ヒール」

 そう唱え彼の傷を癒してみせた。

「ほう……これで証明された、お前は本物の聖女だ」

「……聖女?」

 緊張した面持ちで見上げるパトリシアにクラウドは表情を変えることなく言った。


「なんでもすると言ったな。ならば、今日からお前は私の娘だ」

「……え」

「そしていずれは、この国の王妃となれ」

 それだけ言うと彼は部屋を出て行ってしまった。呆然とするパトリシアを残して。




 それからはあっという間だった。

 ゴードンを主犯とし教会に勤めていた大人たちと、賄賂をもらい黙視していた町の自警団数人は捕まり、信頼のおける神父様が新たに教会へと派遣された。


 監禁されていた少女たちは元通りの生活ができるようになるまで療養施設へ保護され、治療費などの心配もしなくていいとの事だった。


 今まで売られていった子供たちの全員を救う事は、残念ながらできなかったけれど、今回のロンやジミーたちを乗せた馬車は海を渡る前に発見され、彼らは無事に助けられた。


 今はまた新しい神父様のいる教会に戻り、元気に生活を送っているらしい。

 ロンが覚えたての字を使ってたまに手紙を送ってくれる。


 マリーはと言うとクラウドの紹介で子爵家に養子縁組されていった。クレスロット王国からは離れた土地へ行ってしまったので、簡単には会えないけれど彼女とも手紙のやり取りは続けている。




 この国の王妃となれ。


 そう言われ引き取られてから一ヶ月。王子たちに会わせるには教養を身に付けなければならないと勉強が始まった。

 何人もの家庭教師が自分のためだけに毎日屋敷を訪れてくれる。


 義理の母であるミアと一つ年下の妹リオノーラはパトリシアの存在をあまりよく思っていないようだ。けれど兄のリアムはとても良くしてくれるし、なによりも極上の衣食住を与えられ教養までタダで教えて貰えるなんて。

 こんなにありがたい生活はないとパトリシアは思った。


 こんなにも施してくれるクラウドに恩返しをするためにも、なれと言うなら王妃になろう。


 本当にそう思っているのに……なぜだろう。やはりパトリシアの胸の奥は、そう考えるたびにもやもやとして警告を鳴らしてくる。




 なぜこの家にはすでに娘がいるのに養女の自分に王妃になれと?

 なぜ小さな村出身の孤児だった自分にここまでの施しをしてくれるの?

 なぜあの時クラウド様は、わたしを「聖女」と呼んだの?




「分からない事だらけ……」


 与えられた大きな部屋で一人、パトリシアは不安を抱くのだった。

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