教会の秘密①

「マリー、これはなんて読むの?」

「これはね」

 自分より小さな子供たちを寝かしつけた後、パトリシアは読み書きの勉強をするのが日課となっていた。

 先生役は同じ歳の少女マリー、教会に来てから一番に出来た友達だ。


 一年前、ヘクターと別れたパトリシアは彼に言われたように山を下り、持っていたお金で行ける中で一番遠い町を馬車で目指し、そこの自警団に助けを求めた。


 辿り着いたのはクレスロット王国近くに位置するそれなりに都会の町ベスゴア。

 今はそこで孤児院をやっている小さな教会でお世話になっている。


「さあ、今日のお勉強はここまで。私たちもそろそろ寝ましょう」

「はーい」

 蝋燭の火を吹き消すと狭いベッドに二人並んで入る。


「今日も勉強に付き合ってくれてありがとう」

「気にしないで。私はこんな事ぐらいしか役に立てないから」

 ふわふわとしたセミロングの猫っ毛がチャームポイントの彼女は、大人しそうな見た目通り控えめな性格をしている。


「そんなことないよ。わたしのほうが出来ない事や知らない事だらけだもん」

「パティは仕方ないわ。過去の記憶がないんだから」

「う、うん……」


 名前と年齢以外はよく思い出せないという事にしている。

 出身の村などがバレ治癒魔法がらみでまた狙われないためだ。

 マリーは同じ歳なのに、いつもそんなパトリシアを抱きしめ癒してくれる。まるで姉の様に。


「お料理上手で、優しくって面倒見も良くて、良い匂いがするし、マリーには素敵なところがいっぱいあるよ」

「パティったらくすぐったいわ」

 すりすりとくっつくとマリーは照れ笑いを浮かべた。


「しかも可愛い。マリーはもっと自分に自信を持ったらいいのに」

「私なんて……それを言うなら私はパティに初めて会った時、天使様かと思って見惚れたわ」

「え~、またまた」

 ヘクターにはよく山猿みたいだと言われていた自分が天使だなんて、褒めすぎだ。気恥ずかしい。


 くすくすと笑い合い手を繋いで二人は眠りについた。仲の良い姉妹のように。




 山賊のアジトで暮らしていた時は、誰とも接するなと命じられていたし孤独な時間が多かった。


 だからここでの歳の近い子供たちとの生活は、それなりに気に入っている。けれどこの時間がいつまでも続くわけじゃない。

 国で認められる成人は十七歳だが、この孤児院は十五歳までしかいられないらしい。


 らしいというのはパトリシアが来てから今まで十歳以上の子を見た事がないからだ。この施設は養子縁組に力を入れているようで、大抵の子供たちは十歳までに新しい家族を見つけ卒業してゆく。


 マリーが自分に自信を持てない理由は、古株なのに十歳になった今でも養子先が見つからないことに引け目を感じているからのようだった。


 パトリシアは特に養子先が見つからない事を気にしていない。どちらかというと十五歳までに自分の手で生きてゆく術を身につけ独り立ちしたいと考えている。


(大人なんて信用できないし、養子先が劣悪な環境だったら嫌だもの)


 マリーに読み書きを教わっているのもそのためだ。料理と皿洗いが出来れば、どこかの酒屋で雇ってもらえるかもしれないと家事にも力を入れている。


 読み書きに不自由しなくなればもっと勉強も出来るようになるし、職業の幅も広がるはず。




「えい!」

「とう!」

「もう、二人とも。今は掃除の時間だよ」

 教会の周りを掃除する係りだというのに、ロンとジミーが箒を木刀代わりに決闘ごっこを始めたのでパトリシアは苦笑いを浮かべながら注意した。


「うるせー、パティなんかおれたちが倒してやる!」

「倒してやるー!」

 言いながら二人が箒を構えてこちらに走ってくるので。

「まじめに掃除!」

 二人の頭に箒で一撃ずつお見舞いして返り討ちにしてやる。


「いってー、暴力女」

「先に手を出して来たのはそっちでしょ」

「ご、ごめんなさ~い」

 ジミーは直に謝り掃除を始めたが。


「今に見てろよ、来週までにおまえから一本取ってやるんだからな!」

「はいはい」

 負けず嫌いなロンは唇を尖らせながら宣戦布告をしてくる。いつものことだ。


 二人とも今年で七歳。養子先も見つかり、来週にはこの教会を出て行く予定だ。


「な、なんだよ」

 じっと見ていたらロンがたじろいで視線を逸らす。

「寂しくなるな~っと思って」

 幸せになるんだよ。そう願いながら、彼の頭を撫でた。子供扱いするなと手を払われてしまったけれど。






 掃除を終えたパトリシアは、夕食の準備をしているマリーの手伝いをしようと台所へ向かった。

 すると話し声が聞こえて来た。マリーと神父様のようだった。


「ここでの生活に不満はないんです。皆いい子たちだし、パティとも出会えたし」

 でも……と、マリーは悲しそうに俯いた。

「私、このまま養子先が見つからなかったらって思うと不安で……」


「大丈夫ですよ、マリー。縁があれば新しい家族に出逢える。焦る必要はありません。それに……十五歳を過ぎたらそのまま教会で働いてもらうことも可能なのですよ」


「え?」

「貴女はとても働き者で良い子ですからね。歓迎しますよ」

「神父様……」


「マリー、掃除が終わったからわたしもお料理手伝うね」

「おや、パトリシアはいつも働き者ですね。ありがとう、貴方達がいてくれるととても助かります」

 初老の神父ゴードンは目じりに皺を寄せ、優しそうに微笑むと台所を出て行った。


「パティ、聞いて! 私、神父様に教会に残らないかって言ってもらえたの! とても光栄なことだわ」

「……よかったね」

 マリーは神父様に心酔している。孤児を引き受け誰にでも平等に優しく慈悲深い人だと。

 けれどパトリシアは正直あまり信用していない。


「神父様だけは私のこと認めてくれる、必要としてくださるの」

 教会で一番の古株であるマリーにとって、ゴードンは本当の父のような祖父のような存在なのだろう。だから彼女の前で彼を悪くは言わないけれど。


(あの人の笑い方はどう見ても胡散臭い……信用できない)


 だから無理強いはできないけれど、彼女が望んでくれるなら自分が独り立ちしてこの教会を離れる時には、マリーも連れて行こうとパトリシアは密かに思っていた。


「ねえ、マリー。それもいいけど、大人になったらここを出てわたしと一緒に暮らそうよ」

「え! そんなこと、でるわけ……」

 無力な自分が自分の力だけで生きていけるわけがない。そうマリーは洗脳されているのだと思う。

 確かに自分たちはまだ十歳の子供。誰かの庇護が必要だ。けど。


「二人暮らし楽しそうだと思わない? 嫌ならしょうがないけど」

「い、嫌じゃないわ!」

 マリーは大きく首を横に振ると、少し考え事をするように俯いてから。


「パティと一緒に暮らすの、楽しそう」

 嬉しそうにはにかんで笑ってくれたのだった。




 けれどそれから数日後、マリーは教会から姿を消した。

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