初恋②

 マシューと秘密の約束をしてから一週間が過ぎた。

 彼は約束通りヘクターになにも言わないでいてくれた。


 そのおかげでパトリシアは今日もヘクターの訓練を受け、その後に湖で水泳の訓練をする。そんな日々を続ける事ができた。




 ただ一つ、夜の素振りの稽古は最近できていない。その代りパトリシアの一日のルーティーンに加わったのは。


「そうですか、それでご家族を奪われて……貴女も苦労されたのですね」

 マシューとの時間。

 夜寝る前に彼は必ずパトリシアに会いに来てくれて、優しい笑顔で話を聞いてくれた。


「悲しい時は、我慢しなくていいのですよ」

 過去を思い出し涙を流すと壊れ物を扱う様に頭を撫で、目元にキスをしてくれた。


「もっと私に甘えてください」

 寂しい夜は眠るまで抱きしめてくれた。

 家と家族を失ってから、こんな風に安らげる時間は初めてで。


「ありがとう。わたし、優しいマシューが大好き」

「ふふ、私もパティの事が大切ですよ」

 パトリシアはすっかり彼に心を奪われていた。




「はぁっ!!」

 ある日、いつものように木の板に拳を打ち込んでいると。

「お前さん……マシューとなにかあったか?」

「へっ!?」

 突然ヘクターの口からマシューの名前を聞いて、パトリシアは声を裏返らせる。


「なな、なにかってなに!?」

「フッ、色気づきやがって。あいつを見つめるお前さん、一丁前に女の目をしてやがる」

 なんだ、そんなことかとパトリシアは肩を撫でおろした。

 てっきりマシューに治癒の力がばれた事などを勘付かれたのかと思ったが。


「だって、マシューって知的で大人で優しくって。王子様みたい」

 頬を赤らめ答えたパトリシアに、なぜかヘクターは爆笑する。


「ははははは、あいつが王子様に見えんのか? お前さん、男を見る目がねーな」

「むっ、少なくともヘクターよりはカッコイイもん」

「おい! この俺様の魅力が理解できねーとか。これだからお子様は」

「ヘクターのバカ」

「ははは、拗ねるな拗ねるな」


 パトリシアがいじけた所で今日の訓練は終わった。

 ヘクターは今日の夜は狩りに出るから、いい子にしてろよとゴツゴツした手で頭をかき回してくる。そして最後に一言。


「まあ、お前さんが誰に惚れようが関係ねーけどよ……ここは山賊の巣窟だ。誰に対してもあんまし気を許すんじゃねーぞ。取って喰われんぞ」

「っ」


 そう言って先に戻って行ってしまった。

 パトリシアはその言葉にドキリとしたが、感じた得体のしれない胸騒ぎに気付かないふりをして目を逸らしたのだった。




 その夜。ヘクターの言葉通り山賊たちは狩りと言う名の奇襲をかけに里に降り立ったようだ。いつもより洞窟内に人気がなくしんとしている。


 夕食を終えたパトリシアは暇を持て余し、腹筋と腕立て伏せでもしようかと考えていた所。


「パトリシア……起きていたのですか」

「っ……うん、まだ寝るには早いもの」

 マシューがやってきた。

 いつも来るのは寝る準備をした頃だったのに。こんな時間に珍しい。


「どうしたの? 今日は狩りの日だって聞いてたのに」

「ええ、ですが私は今日、待機組なので」

 村を襲う時、山賊全員がアジトを離れる事はない。特に最近は魔物も出るので、マシューがアジトの洞窟に残っているというのも不自然なことではないのだけれど。


「な、なに!?」

 突然抱きしめられパトリシアは真っ赤になった。

「パティ、私は貴女をとても大切に思っていますよ」

「あ、ありがとう。わたしも、マシューのこと……」


「だから、怖い思いをさせないよう夕食に睡眠薬を入れたのに。知りませんでした……アノ力があると、薬が効かないのですね」

「えっ、カハッ……」

 突然、首の後ろを手刀で打たれ意識が遠のく。

 地面に膝を着くと、ニタリとした笑みを浮かべたマシューが手を伸ばしてきた。


(だ、め……)


「ヒール!!」

「なっ!?」

 意識を手放す寸での所で治癒魔法を発動させたパトリシアは、思い切り相手の急所を蹴り上げると素早く逃げ出す。




(一体、どういうこと?)


 初恋の相手の急所を蹴り上げる日が来るなんて思ってもみなかったが、身の危険を感じた時はまずそこを狙えというヘクターの教えが役に立つとは。


 しかし混乱したまま洞窟の外に飛び出そうとしたパトリシアは、足元にある光景に青ざめ足を止めてしまった。

 見張り役で残っていたのであろう山賊たちが、何人も血まみれで倒れていたのだ。

 

「な、なに……どうして……」

 二年前の村での出来事が脳裏に過り身体が勝手に震えだす。


「貴女を攫うには邪魔ですからね。始末させて貰ったのですよ」

「っ……なんで」

 振り返るとマシューが妖しげな笑みを浮かべていた。

 パトリシアの大好きな優しい笑顔とは似ても似つかない。あの憎むべき村長のような、下衆の笑みだった。


「パティ、いい子ですからこちらにおいで。私が好きなのでしょう。なら言う事を聞いてくださいよ」

「こ、来ないでっ」

「どうしたのです、そんなに怯えた顔をして。貴女は私の腕の中が、大好きでしょう?」

「来ないで!」


 パトリシアは全力で駆け出した。

 悔しいけれど今の自分ではまだマシューには敵わない。せめて武器がないと、いくら訓練していても自分は身体も小さく非力な子供だ。

 こんな時は逃げるしかない。


「ふふふ、追いかけっこですか? 無駄ですよ、助けを呼んだところで今夜はお頭もいない」

 それでも逃げなくちゃ。パトリシアは出口に向かって全力で走った。マシューは本気で走ればすぐにパトリシアを捕まえられるだろうにそうはしなかった。


 いたぶるように、じりじりと追い詰めるように、着かず離れずの距離で追いかけてくる。


「私はね、いつかヘクターを殺してここの頭になるのが目標でした。ずっと昔から。けれど、貴女という存在に気付いて、そんなちっぽけな目標どうでもよくなった。感謝しますよ。私はもっと高みにいける!」

「はぁ、はぁ、はぁっ」

 出口が見えてきた。何度も転びそうになりながら、必死で耐えて走り続ける。


「だって貴女を売れば、盗みなどバカらしくなる程の大金が入るのですよ。ははははは、さあ、そろそろ追いかけっこは終わりです。チェンバレン伯爵もお待ちですよ」

「いやーっ!」


「伏せろ、パトリシア!」

「っ!」


 パトリシアは突然の命令に素早く反応して、洞窟から飛び出した瞬間に身を低くして左に避けた。


「ぐあぁっ、な、ぜ……」


 次の瞬間、パトリシアを捕まえようと飛び出して来たマシューはヘクターの剣によって斬りつけられて倒れたのだった。




「お前さん、ココを出てけ」

「っ!」

 助かった。そう思い気が抜けて地面に膝を着いた途端、ヘクターにそう告げられた。


「な、なんで突然」

「約束だったよな。お前さんの力、他の奴には気付かれないようにすること」

 ああ、彼には全部お見通しだったのだと察した。


 聞けばヘクターは最近、マシューの不審な行動が目についていたのだと言う。

 しかし頭のいい男だ。中々しっぽを見せない。それで今夜、わざとマシューを洞窟に残し他の山賊たちに狩りをさせ、自分だけ洞窟にバレないよう残っていたのだ。


「マシューは野心家だった。だが使える男だから傍に置いてた。それが、こういう裏切られかたをされるとは、な」


「治癒魔法が使えると、そんなに高く売れるの?」

「ああ、そうだ。魔法使いってだけで貴重だが、治癒魔法が使える者はこの国では滅多に現れないことになっている」

 自分の村は人が少ないから治癒魔法を使えるのは自分だけなのだと思っていた。

 まさかそんなに希少な力だったなんて。


「ヘクターも、わたしをいつか誰かに売りつけるために傍に置いていたの?」

「いいや、俺様は山賊なんてやってるがそこまで金に興味はない」

「じゃあ、なんで……」

「お前さんはいざという時、貴族や王族たちを動かせる駒になる」

「え?」


「俺様は貴族も王族も大嫌いだ。お前さんは、そんな奴らに一泡吹かせてやるだけの力があるんだよ」

「どういうこと?」

「……知らないままでいい。今回の事で改めて、俺様は貴族が嫌いになった。アイツらの元に行ってお前さんが幸せになれるとは思えねーな」

「ヘクター?」

「だから……逃げろ」


 どうしていいのか分からない。いつかこんな日が来るかもしれないとは思っていたけれど、突然放り出されて生きてゆくすべは自分にはまだない。


「この場所はお前さんを狙う奴らにもうバレてる。まだ身内に敵がいねーとも言えないしな。わりぃ」


 遠くから複数の足音が聞こえてくる。目を凝らして見えてきた格好は仲間の山賊ではなさそうだった。

 追手だ。恐らくパトリシアを攫うために来た、マシューと取引をした誰かの。


「足止めぐらいはしてやる。行け」


 やはりもう自分は連れて行っては貰えないのだなとパトリシアは悟った。


「いいか、どっかの町まで行って自警団にでも助けを求めろ。力の事は隠して、だ。記憶喪失だとでも言えばどうにかなんだろ」

「……分かった」


「じゃーな、元気で」

「ヘクターも……ありがとう」


 二カッと歯を見せて笑いながら、ヘクターはいつものように乱暴な手つきでパトリシアの頭を撫でまわすと。

「もう二度と悪い男には引っ掛かるなよ」

 そう囁いて、不穏な足音がする方へ消えて行った。


「……大丈夫。もう二度と、胡散臭い笑みを浮かべる人は信じない」


 パトリシアは、そう硬く決意して走り出したのだった。

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