初恋①
「チッ、斬っても斬ってもキリがねぇ」
紅蓮の瞳を光らせ魔物が牙を剥く。
やつらの生命力は異常なのだ。一度や二度斬ったくらいじゃビクともしない。
血を噴きだしてもなお襲い掛かってくる。
「ひぃぃ、おれじゃ手におえない。お頭、お頭ー!!」
ただの狼だと思って斬りつけたのが悪かった。相手が魔物だったなんて。
山賊は自分の行いに後悔しながら、大きく口を開けて飛びかかってきた魔物を前に硬く目を閉じる。
グサッ――
「ガウゥゥウウッ……!?」
目を開けるとそこには動かなくなった魔物と……
「おじさん、大丈夫?」
「お嬢……」
剣についた獣の血を払う少女が立っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山賊に拾われて二年が過ぎた。
「はぁっ!」
回し蹴りで木刀を折り拳で木の板を割ってゆく。
もっと強くなりたい。もっともっともっと強く。
その想いだけで雨の日も風の日も修行に明け暮れた。
「よし、今日の訓練はここまでだ」
「え、もう?」
「もう、じゃねーよ。まったくお前さんは、俺様が止めなけりゃぶっ倒れるまでやり続けるからな」
ゴツゴツした大きな手で乱暴に頭を撫でられる。
「やめて、お頭。髪がぐしゃぐしゃになる」
「お前さんのお頭になった覚えはねぇよ」
「…………」
パトリシアは乱れた髪を指で梳きながら不満げな目をしてヘクターを見上げた。
二年も共に生活をしているというのに、パトリシアは彼らの仲間としては迎え入れられていない。
ヘクター曰く、パトリシアは人質なのだと言う。家族も帰る場所もない自分が、誰に対しての人質になるというのか疑問だが。
他の山賊と必要以上に親しくすることは許されていないし、盗みや里を襲うのに同行することも禁止。
パトリシアとしても山賊を生業にしたいわけじゃないのでそこに不満はない。
ただ一つ不満に思っているのは。
「ねえ……また怪我人が出たんでしょ? わたしに手当てさせて?」
「ダメだ」
最近魔物の動きが活発になっているらしい。そのせいで山賊のアジトにも魔の手が迫ってくることがある。となれば怪我人も増える。
そんな時こそ衣食住を世話になっている自分ができる数少ない恩返しの機会だとパトリシアは思っているのだけれど。
「しつけーな。アノ力を使うな、誰にも知られるな。それがここに置いてやる条件の一つだっただろうが」
何度役に立ちたいと言ってもヘクターにそう言われ、止められてしまう。
「返事は?」
「……分かった」
「よし、いい子だ」
まだこの男には学びたい事がある。今追い出されるわけにはいかないので、パトリシアは言う事を聞くしかなかった。
「ふぅ」
訓練の後、パトリシアは汗を流すため湖でひと泳ぎ……というのはヘクターに止められないための口実で。
バシャバシャバシャバシャバシャ!!
これも訓練。
泳いで泳いで泳いで体力アップと筋トレをするのも日課だった。
今日もぐるぐる湖を何周も泳ぎ続けていると。
「あ~、いてて。まだ噛まれた腕が痛いぜ」
「っ!」
誰か来た。あまり子分たちとも口を聞くなと言われているため、パトリシアはとりあえず岩陰に身を顰める。
「大変だったな。つーか、ここ数年でこの森も魔物が随分増えたよな」
「まったくだ。魔物相手なんて勘弁してほしいぜ」
ちらっと覗き見すれば厳つい男が二名。そのうちの一人は昨日助けたヘクターの子分だ。
「それにしても、一人の時に魔物と鉢合わせになって良く助かったな」
「いや……それは」
「ん? どうした?」
「……お頭のお嬢に助けられたんだよ、実は」
黙っていてと言ったのに。口が軽い。
「マジか……噂には聞いてたよ。他にも何人か、魔物に襲われた所をあのお嬢に助けられたって話」
他の人たちにも黙ってと約束したのに、口の軽い人ばかりだ。
パトリシアの生活範囲は基本的にアジト内でヘクターの目が届く所。
ただ寝る時は同じ部屋で寝ているわけではない。そこで夜も剣の素振りで一汗かいてから寝るようにしていた。
そして度々、ヘクターの部下たちが襲われているのに遭遇し魔物退治していたのだ。
ヘクターに知られたら大目玉なので、この事は内緒だとお願いしていたのに。
「魔物を一撃で倒せる子供って……あり得ない、よな」
「あのお嬢、何者なんだ? もうここに来て二年だろ」
「最初はある程度育ったらお頭の女にするのかと思ってたが。どうなんだかな」
「お頭は大人の女が好みだから。あと十数年は掛かるんじゃねーか」
「そんな手間のかかることしなくても、女なんていくらでもいるしなぁ。一体なんのために」
「人質、だそうですよ」
「マシューさん!」
二人の話に入ってきたのはヘクターの懐刀と言われている男だった。
暴れるのは得意だが考えるのは苦手、そんな輩が多いこの山賊団の中でマシューは頭脳の役割を担っている。ヘクターからの信頼も厚く、パトリシアもヘクターの次に顔を合わす機会が多い人物だ。
「人質? 二年も経っていつ使う人質だ?」
「さぁ? そこまでは私も……それより、先程の話を詳しく聞かせてくれませんか?」
「先程?」
「あのお嬢様が魔物を倒したという話ですよ」
ギクリとしてパトリシアは肩を竦めた。
マシューに知られたらヘクターに告げ口されるに違いない。
三人は話しながら湖を離れて行ったが、パトリシアは洞窟に戻るのが億劫でしばらくその場に留まっていた。
しかしその日の夜も、次の日になっても、一週間経ってもヘクターに夜の魔物退治の件で呼び出される事はなかった。
泳がされているのかとも思ったが、夜に見張りが強化したりもしていない。
(マシューが内緒にしていてくれた?)
「どうしてなにも言わないの?」
夕食の時間、いつものように洞窟の部屋に一人でいると、マシューが夕食を持ってきてくれたので聞いてみた。
「何をですか?」
普段、顔を合わせることはあってもヘクターの言いつけもあり、会話をすることはないので、パトリシアに声を掛けられマシューも少し驚いた様子だ。
「……わたしが夜に出歩いていたこと。知っているんでしょ?」
「ああ、そのことですか」
居心地悪そうに言うとマシューは笑みを浮かべた。
「してほしかったのですか? 告げ口」
大きく首を横に振るとマシューは「では、言いません」と答えた。
「内緒にしてくれるの?」
「ええ、もちろん」
「ありがとう!」
「そのかわり……」
そっと耳元に唇を寄せられ、パトリシアはなにをされるのかと身を竦めたが。
「治していただけませんか、これ」
マシューは小さく切れた指先を差し出してきた。
「先程、不注意によりナイフで切ってしまいましてね。見た目より痛くて、困っていたのです」
ごくりとパトリシアは唾を飲んだ。
夜中に抜け出していた事だけでなく、誰にも知られてはいけないと言われていたことが、マシューにバレてしまっている?
「あの、どうして、あの……」
なんて言っていいか分からなくて困った顔をすると、マシューは優しく笑って頭を撫でてくれた。彼にそんなことをされたのは初めてだ。
「困らせてしまったならすみません。ですが、なんの見返りもなくお頭に黙っているわけにはいきませんね。私にも忠義がありますので」
「ま、待って!」
パトリシアは慌ててマシューの手を取った。
「ふ、二人だけの秘密にしてくれる?」
「ええ、もちろん」
魔物退治の事も治癒魔法の事も知られてしまっているなら、もう黙っていてもらうしかない。じゃないとこの居場所を追い出されてしまうかもしれない。
「絶対、約束、だよ?」
「ええ、約束です」
「じゃあ……」
マシューの手をそっと握り祈るようにヒールと唱えると、彼の切り傷はあっという間に塞がれた。
「これは……ふふ。ありがとう、パティ。貴女はすごいですね」
誰かにパティと愛称で呼ばれたのは久しぶりだ。
治癒された指を確認するとマシューはうっとりするような笑顔を見せ……パトリシアの頬にチュッとお礼のキスをした。
その瞬間、パトリシアは心臓が飛び跳ね真っ赤になって頬を押えたのだった。
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