一章 始まりの幼少期
無力な少女時代①
「……っ、う、く……」
ハッと目が覚めたパトリシアは体中の痛みに顔を顰めた。
(……朝?)
昨日あの後、必死で走り続けて林を抜けようと試みたが、七歳のパトリシアにその道のりは過酷過ぎた。
体力的にも精神的にも追い詰められ気が付けば意識を手放し倒れていたようだ。
「にげ、なきゃ……」
傷だらけの身体に鞭打って何とか立ち上がろうとする。そこに。
「子供の足だ、まだ近くにいる可能性が高い!」
「っ」
思わず出そうになった悲鳴を堪える為、自分の口を押え草陰で身を竦めた。
あんなに一生懸命走ったのに、まだ村からそう離れられていなかったなんて。
「しかし、ジェイクとセルマも馬鹿だな。村長の言う事を聞いて娘を差し出していれば死なずに済んだってーのに」
(そん、な……)
「娘一人売るだけで村が豊かになるんだ。絶対に逃がさない」
(そんな……そんな……お父さんとお母さんが……)
昨日まで優しかった村長や村人の顔を思い出し恐怖に震える。
あの優しい顔の裏で彼らは自分を売ろうと企んでいたのだ。
父と母はそんな魔の手から自分を命懸けで助けてくれたのだと幼いパトリシアにも理解できた。
どうしてかは分からない。村には同じ年頃の娘が他にもいる。その中でなぜ自分が選ばれ狙われたのか。
「ぅっ……くっ……」
あふれる涙が止まらなくて、必死で声を殺した。しかし。
「み~つけた」
「っ!?」
今すぐ逃げなくちゃと思うのに、身体が動いてくれない。
「探したよ、パトリシア。さあ、おじちゃんたちと村に戻ろうか」
両親とも仲がよかった優しい果樹園のおじさん。しかし今は、その瞳の奥に仄暗いものを感じた。
「いやっ!」
伸ばされた手を精いっぱいの力で払いのける。
「っ……このガキ!!」
抵抗も虚しく捕まると口元を被われ抱えられる。
「むぐ、むぐぐぐぐっ」
「暴れんじゃっ、痛っ!?」」
ガブリと思いきり手に噛み付いてやると村人の力が緩んだ。その隙に男の腕から逃れる。
「この!!」
噛まれた男は拳を上げてきたが、もう一人の村人がそれを制した。
「まあまあ、あまり傷をつけるなよ」
優しそうな顔をしてパトリシアの目線に合わせるよう屈むと。
「パトリシア、村に帰ろう。パパとママも心配してるからさ」
そう言って手を差し出してきた瞬間、パトリシアの頭にカッと血が上った。
「嘘つき!!」
「なっ!」
「あなた達がお父さんとお母さんを殺したんでしょ!!」
「……ははは、なんだ知ってたのか。そうだよ!! キミのパパとママはさあ、キミを売って手に入る金を独り占めしようとしていたみたいだからね」
「そんなのウソ!!」
本当に売り飛ばそうとしていたなら、命懸けで自分を逃がそうなんてしないはずだ。
「嘘じゃないさ。お前の両親は、お前を差し出すように言った村長の命令に背いたんだからな」
「貧しい村なんだ。おれたちを助けると思って売られてくれよ!」
「やだ、離して!!」
「チッ、暴れるな!」
「うっ……」
結局、腹を殴られ意識が遠のく。
悔しい……自分にもっと力があれば。
パトリシアは生まれて初めて自分の無力さに打ちひしがれ意識を手放した。
「…………っ」
目が覚めると薄汚い天井が視界に映る。
狭い小屋に閉じ込められたようだ。
木の格子の窓からオレンジ色の日が射し込んでいる。夕方まで意識を無くしていたのか。
室内には自分以外いないようだけれど……
パトリシアはこの部屋に一つしかないドアに体当たりしてみた。
ドン……ドンッ、ドン!!
(鍵が掛かっているみたい)
だが落胆した瞬間にドアが開いた。
「そろそろ目が覚める頃かと思っていたよ、パトリシア」
「……村長」
人の良さそうな優しい笑顔の初老が姿を現した。
昨日までの自分なら、なんの警戒心もなく笑顔であいさつをしていたけれど。
「怖い顔じゃのう、そう睨むな。可愛い顔が台無しじゃよ」
「どうして家に火をつけたの。村長の命令なんでしょ!」
「仕方がなかったのじゃ。お前の両親が悪人だったから。でも安心せい、お前だけは最初から生かしておくつもりじゃった」
「そうだぞ、村長はおいらたち村人の事を一番に考えてくれている聖人のような方だ!」
村長の後ろに護衛のように控える二人が迷いなく声を揃える。自分たちのしていることに、少しの疑問も持っていないようだった。
「パトリシア……お前を高く買い取ってくれるという伯爵様がいてな」
「お前も伯爵家に行けるんだ。誰も損しない、皆が幸せになれるんだ! なのにジェイク達ときたら」
「人の家族を奪っておいて皆が幸せ? ……本気でそう思っているなら人でなし!」
「村の皆が衣食住に困らないためには金が必要じゃ」
「そうだ、そのための犠牲だ! 仕方ない」
「村長も、苦渋の末の結論だったんだ」
だから自分たちを恨まずに売られてくれ、と涙ながらに訴えてくる大人たちの姿に、すっと気持ちが冷めてゆく。
その涙もなにもかも、薄っぺらい嘘にしか見えないし聞こえない。
「…………嘘つき」
「はぁ、子供のお前には理解できないじゃろうが」
子供だと思ってバカにしすぎだ。
天候などに恵まれず不作が数年続いている村だというならまだわかる。
だがここは作物だけでなく、近くに大きな川があり新鮮な魚だって釣れる。領主に税もきっちり収めているし、小さいけれど贅沢しなければ衣食住に困る程貧しい村ではない。
そしてなにより……
「その伯爵様から手付金としていくらもらったの?」
「な、そんなもの……」
村長たちの目が泳ぎ出す。
彼らを見ると真新し革靴を履いていたり、懐中時計を身に付けていたり、一村人には分不相応と言われそうな身形をしていた。
つい先日まではそんな物、持っていなかった。
「お金に目がくらんだ人殺し!」
「子供だと思い下手に出ていれば調子に乗りおって!!」
「きゃっ」
ビンタされパトリシアは横に倒れた。
「ふん、お前にどう思われようと、どうでもいい。この村ではわしがルールじゃ」
ゲスな笑みを浮かべて三人は小屋を出て行った。再び鍵の掛けられた小屋で一人になる。
(許さないっ、許さないっ)
怒りで身体が震える。
両親の仇を取って復讐してやりたい……そのためなら、この命と引き換えでもいいと思えた。けれど無力な自分にはそんな力も抗う術すらない。
「うっ……ヒール……ヒール」
弱々しい声で治癒魔法を使おうとした。
けれど気力も体力も殆ど残っていないうえ今の精神状態じゃろくに発動してくれなかった。
自分にあるのは小さな切りキズぐらいしか癒せない治癒魔法。こんな力じゃ復讐はできない。
「悔しい……悔しい、悔しい……おかあ、さん」
唇を噛みパトリシアは涙を流し続けた。
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