第2話 ミレイユ視点

**ミレイユside**



 魔狼人ダークウルフを数十体屠ったところから記憶が曖昧だ。

 今日は完全武装してない分、身軽だが一撃でもまともに食らったら一気に形成が不利になる。

 お気に入りのリボンが引き裂かれ、結っていた髪がほどけた。


(ああ、クロード様からの贈り物が……)


 悲しみと同時に怒りが爆発し、自分より二回りも大きな巨体を薙ぎ払う。

 本来なら楽しい狩りになる予定だった。

 近衛兵も気を利かせてクロード様と二人きりにしてくれたというのに。それがまさか魔物の襲撃で危険な目に遭わせるなど――戻ったら父様に叱られるだろう。

 無事に――戻れたらだが。


 額から血が流れ、視界が歪む。

 致命傷は避けているが、それでも鋭い爪や牙から完全回避などできるはずもなく、蓄積される傷に両手両足ともに悲鳴を上げている。


 それでも、一分でも、一秒でも時間を稼ぐ。

 愛しい人のために。

 私の、騎士としての生き方に反対しつつも――誰よりも認めてくださった王子のためにも、最後まであの方の剣でいるために、息が止まるその瞬間まで戦い抜く。

 刃を振るい、魔狼人ダークウルフを蹴散らした。


 どれだけ屠っても、ぞろぞろと沸いてくる。

 周辺からも剣劇や爆音が聞こえるので、応戦しているのだろう。

 こちらに手を回す余力かもしれないが、王子が無事なら──問題ない。

 赤銅色の血飛沫が舞う中、意識が途切れつつあった。

 手にしていた剣を握る余力も、もうない。

 ギョロリとした緋色の目と目が合う。獣が笑った気がした。

 振り下ろされる鋭い爪が緩やかに動くのが見えた。

 動かなければ──死ぬ。

 ああ、こんな事なら王子ともっと──。


「ミレイユ、伏せろ!」

「!」


 その声に、反射的に体が動いた。

 私に襲いかかろうとした魔狼人ダークウルフは不可視の壁に阻まれ、弾かれた。

 それだけではない私を取り囲んでいた魔狼人ダークウルフは突進を繰り返すが、全方向完全防御によって弾かれ吹き飛ばされていく。


(……これは、魔法結界?)

治癒ヒール。……遅くなってごめん」


 荒い息を吐きながら私の隣に金髪の美しい人が佇んでいた。鳶色の瞳は珍しく怒りを宿し、眼前の魔狼人ダークウルフを睨んでいる。

 少しずつ傷が癒える中、頭の中はぐちゃぐちゃだった。


「え、な――」

「君が僕の剣なら、僕は君を守る盾になる。……なんて格好良いことを言ったけれど、王族として膨大な魔力量を具現化させて壁にしているだけなんだけどね」


 自嘲するクロード様は私の傷を癒やしながら、常時全方向完全防御の結界を張り巡らせている。それがどれだけ高等技術であり、常人離れしているのか──この方はたぶん分かっていないだろう。


(最初に出会ったときも、魔物に襲われそうだった孤児のために飛び出すようなお方だった)


 私が「クロード様をお守りしたい」と思ったのは婚約者になる前だ。王子が孤児院の視察に行くというので、護衛騎士だった父に経験だといって連れ出された。

 クロード様を実際に目にするまでは、自己中心で自意識が高い我が儘な子供なのだろうと思っていた。実際にクロード様の従兄は気位が高く、我が儘放題だった。


 我が家系は代々騎士として王族をお守りしていた。しかし王族とはいえ、仕えるに値しない人間に自分の命を預けたくない。

 そう思っていたのでクロード様に対して期待などしていなかったし、「女の癖に剣を持つな」とか言われるかもしれないと思うと面倒で、億劫だった。


 そんな先入観感などクロード様と出会った瞬間、見事に打ち砕かれた。

 品行方正で身分関係なく誰に対しても笑顔で接し、突如現れた魔物の襲撃に対して修道院の孤児たちを庇って魔法で応戦したのだ。


 目を疑った。

 王族としてはあまりにも無謀、いやあり得ない言動だった。後で父様に怒られていたが「自分ができることをしないで見殺しにするのは、王族と言うよりも人として恥ずべきことだ」と言ってのけたのだ。

 八歳の少年がだ。

 私よりも四つも下なのに。

 その時の尊き志に惚れた。

 あの瞬間、私の命を捧げるのなら、この方しかいないと誓ったのだ。


(クロード様は私を普通の令嬢にしようとしていたみたいだけれど、私は貴方の隣で最後までお守りしたい)


 そう思っていたのに、気付けばクロード様に助けられている。

 なんとも不甲斐ない。

 傷が癒えた代わりに自分の無力さに打ちひしがれていると、クロードが私の肩に手を回して抱き寄せた。あまりにも自然にするので、心臓が口から飛び出すほど驚いた。


「魔力量の消費からいってあと一時間は均衡が保てるから、それまでに近衛兵たちがくればいいけれど、ミレイユから見てどう思う?」

「(きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ――。み、密着、え、ちょ、吐息が頬に、近い。距離が近いっ……! あれ、これは夢!?)え、あ……」

「ミレイユ、もしかして毒で声が出ないのか?」


 さらに顔を近づけて私の顔を覗き込むクロード様に、私の顔はレッドドラゴンよりも真っ赤だっただろう。あと変な汗とか出てきた。

 それをクロード様は毒に犯されていると解釈したのか、携帯していた解毒薬を取り出す。とんでもなく苦くてまずくて酷い匂いのアレだ。色も紫とか完全に人間が摂取するものじゃない。


「あ、いえ、クロード様。解毒はだい、じょうぶです!」

「しかしこんなに汗をかいて顔を赤いじゃないか」

(それはクロード様がいつになく積極的だからです! 婚約破棄を言いながらどうして――)


 ふとそこでクロード様が急に婚約破棄を言い出したのか気になった。というかそんなことを考えている場合ではないのだが、頭から離れない。

 クロード様の魔力量は確かにすごいが、防御のみで攻撃に転じてはいない。このまま魔狼人ダークウルフの数が増えれば――。

 そう考え、一瞬にして乙女脳から戦闘状況に切り替える。


「クロード様、私は大丈夫です。傷も癒えましたし、戦えます」

「ダメだ。一人ではミレイユの負担が大きすぎる。その決断は僕の魔力量が切れてもなお近衛兵が間に合わなかった場合だけにしてほしい」

「(私のことを考えて……尊いっ)し、しかし、私はクロード様の剣です」

「それでも、僕は君が傷つくのが耐えられない」

「え――」


 いつになく必死なクロード様の姿に、心臓がバグバクして止まらない。

 私のことを心配してくださる。なんて心優しい方なのだろう。


「僕は剣術の才能がないし、大して強くもないけれど、だからといって好いた人に守られてばかりなのは嫌なんだよ」

「好き」

「うん。ミレイユが大好きだから、自分を酷使する戦い方はやめてほしい」


 好き。

 政略結婚かつ護衛として結ばれた婚約だったのだけれど――。

 クロード様が私を?

 メスゴリラとか化物とか言われる私を?


 ボン、と今度こそ完全に私は許容量をオーバーした。

 茹でたクラーケンのようにふにゃふなになった体はクロード様にもたれかかってしまう。それをクロード様は疲労でふらついたと思ったのか、抱きしめて支えてくれたのだ。


(あ。もしかして今日私の命日なんじゃ? クロード様が好きだと仰ってくれた。もしかして、今なら巷で流行っている方法をとれば最強無敵になって、この状況を突破できるんじゃ?)

「ミレイユ?」

「あの、クロード様。……ここ以外にも魔狼人ダークウルフが現れているようです。恐らく援軍は当分見込めないかと」

「そうか。となると……」

「あの、これは同僚から聞いたのですが、好いているもの同士でキスをするとエンドルフィンが分泌され鎮痛効果、体力向上、能力覚醒、速度向上、ミノタウロスも一撃で滅ぼせると聞いたことがあります」

「え? それはたぶんちょっと違うと思うけれど……」

「私はクロード様に全てを捧げていますので、クロード様が好きなら、きっと効果があると思うのです!」


 至極真面目に言ったのだが、なぜかクロード様の頬が少し赤い。

 なんだか新鮮で可愛らしい。守りたい、その笑顔。

 少し調子に乗りすぎてしまった。いくら婚約者とはいえ、そう気軽にキスなど――。


「じょうだ――ん!」


 唇に触れた感触に、衝撃が走った。

 予想以上に柔らかくて、甘い。


「場を和ませるにしては可愛らしい話だと思う。……ええっと、でもこれで僕が本気なのは、わかってくれた?」

「え、あ、いまの」


 キス。

 キスした。

 誰と。

 クロード様と私が。


「しゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! クロード様のキスぅうううう!」

「え、ちょ」


 能力超覚醒。

 一瞬で全身に力が漲り、群がっていた魔狼人ダークウルフの動きが緩慢になり、胸ポケットに隠してあった短剣一本で彼らの首を刈り取った。

 かつて無いほど力が漲り、体が羽根のように軽かった──と言うことだけは覚えていた。

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