第5-33話 雨の中②

『人間ごときに本気なんて出したくないのだけれど』


 ざあざあと降り続ける雨音を突き破るようにして、嵐女公子あらめこうしの声が宗一郎の耳に届く。彼女の頬にはが残ったままだ。


 ゆっくりと黒い煙がこぼれ出るが、その量はわずか。

 もっと深い傷か、あるいは純粋に傷の量を増やさなければ迅速な祓除は狙えないだろう。


『油断して祓われるなんて馬鹿の極みでしょう? こういうの、なんて言うのだったかしら』


 雨の勢いが増していく。

 その勢いにより、宗一郎の頭上に張った魔力の天井からヒビ割れの走る音が鳴った。


『そう、獅子搏兎だわ』


 もはや周囲の木々は銃撃でも喰らったかのように穴だらけになり、まるで絵本に出てくるチーズみたいにも見える。


 そんな光景を見ていると、わずかに子どもたちに心配の念が沸くが……宗一郎は静かにその思考を捨てた。


 眼の前にいる“魔”は子どもたちを人質に捕ることを考えられるほど知能の高い“魔”だ。

 そして、子どもたちを人質に捕るために山を降りようとした。そこから考えると、この『重たい雨』は子どもたちを巻き込んでいない――もしくは、射程の問題で届かないと考えるのが道理が通っている。


 嵐女公子あらめこうしの目的は『仙境』に到達すること。

 そのために子どもたちを人質に取ろうとしているのであり、子どもをこの雨に巻き込むようなことになれば人質としての意味がなくなってしまう。


 それが分からないほど、彼女は馬鹿ではないだろう。


『じゃあ、さようなら』


 瞬間、嵐女公子あらめこうしが傘を左手に持ち替えた。


 そして、何かを握りしめるようにして包んでいた右手を開く。

 開いた瞬間、そこから何かが飛び出した。


「……ッ!」


 ――キュドッッツツツツ!!!!


 圧縮した空気が破裂する音。

 ギリギリで半身を捻り、その場から飛んだのはもはや宗一郎の直感であった。


 嵐女公子あらめこうしが放った音速を超える水のつぶて

 それは彼女が使っている『重たい雨』の影響を受けずに大気を斬り開いて宗一郎の立っていた場所を見事に駆け抜けた。


 それを避けた宗一郎だったが、生まれた衝撃波からは逃げられず、ぱっと真っ赤な血が弾けて地面を彩った。


 地面を転がり、重たい雨に巻き込まれないよう飛び出した先で血にまみれながら反射的に魔力の天井を貼り直したのは、彼が歴戦であるがため。


『まぁ、避けるわよねぇ』


 まるで音をさえぎる膜でもあるかのように嵐女公子あらめこうしの声が、ぼんやりと宗一郎の左耳に届いた。


 一方、キーン、という音が右耳から聞こえてくる。

 それ以外の音が、右耳からは聞こえない。


 そして立ち上がった宗一郎を迎えたのは、深く酔っ払った時のような酷い酩酊感。

 全く持って平衡感覚が保てず、吐き気が胸の内からせり上げてくる。


 宗一郎は『導糸シルベイト』を伸ばすと、右耳に挿入。

 治癒魔法を使い、破れた鼓膜と傷ついた三半規管を修復開始。


 その間にも、嵐女公子あらめこうしは同じように右手をぎゅっと握りしめた。


「……その魔法、溜めがいるんだな」


 ふらつきが穏やかになる。耳がだんだんと音を拾うようになる。

 あと数秒でも稼げれば良いという思いで放った宗一郎の問いかけに、嵐女公子あらめこうしは乗った。


『えぇ、そうよ』

「……手の内を晒すのか」

『だって、これを言ったところで――あなた、避けきれないじゃない』


 その言葉とともに、再び嵐女公子あらめこうしの手が開かれる。


 だが、それよりわずかばかり速く宗一郎の残った片目に『導糸シルベイト』が巻き付くと『形質変化』。視界に見える世界の速度が、がくん、と落ちる。


 雨粒の動きが目で分かるようになる。

 1つ1つが見えるほど動きが緩慢になる。

 そして、その1つ1つが止まって見えるほど減速しきる。


 その世界の中で、動いているものが2つ。


 1つは嵐女公子あらめこうしが放った『水の礫』。

 宗一郎に迫る水の弾丸は、周囲が歪んで見えた。おそらく音速を超えたことで生みだされている衝撃波。

 

 そして、2つ目は『導糸シルベイト』に包まれた宗一郎の右腕である。

 手にした日本刀をやや傾けて水の礫の斜線に

 置きながら、刀の切っ先に向かって『導糸シルベイト』を伸ばす。伸ばして、固める。


 そして、1呼吸。


 水の礫が刀の切っ先に触れる。

 魔法で圧縮し、高速で放ってはいるが――所詮は、水である。


 当然、2つに分かれた。分かれると同時に宗一郎の右腕に信じられないほどの力が加わる。だが『身体強化』で耐える。


 宗一郎が生み出す『導糸シルベイト』は常に2本。

 それは第五階位という膨大な魔力を持っている彼が出力先を絞り威力を跳ね上げるために選択した技術。


 そうして2つに裂けた水の礫は勢いを保ったまま、動きをY字に替えて宗一郎の両横を通り抜ける。だが、宗一郎がやや傾けて置いた刀によって両者の動きに差異が生まれる。生まれたせいで、互いの後方に抜けた。


 当然、全ては打ち消せない。

 だが、それでも軽減は出来る。

 

 そして、そこで追う傷は承知の上である。


「……ふッ!」


 宗一郎が息を吐き出し、再び前に飛び出す。

 嵐女公子あらめこうしの目が、今度こそ驚愕に染まる。


『……あなた、本当に人間なの?』


 いかに歴戦の鬼と言えど、自らのつぶてを斬り――ましてや、斬った上でその衝撃波を打ち消し合う傑物は、見たことがない。


 自らの雨を突き破って飛び出した怪物に、嵐女公子あらめこうしは目に見えて怯んだ。


「もちろん、人間だ」


 刀を振るう。


 嵐女公子あらめこうしが、ひらりと宙に舞う。

 彼女の着ているゴスロリドレスが華やかに咲く。


『……鬼だわ』


 嵐女公子あらめこうしの声に若干の畏怖がにじむ。


 宙に浮いた彼女の身体がそのまま空に持ち上げられる。

 その途中に『重い雨』が止んだ。その代わりに風が渦巻く。渦巻きながら、嵐女公子あらめこうしの手元に集まっていく。


 鍛冶師の小屋をまるごと吹き飛ばした暴風爆弾。

 宗一郎と近接でやり合うことに命のリスクがあると判断した彼女は、もはや空からの一方的な破壊に思考を切り替えた。


『真正面からやり合うのが危ないなんて、初めてだわ。良い勉強になったけど……でもこれで終わり』


 遠距離戦では、宗一郎は十全な力を発揮できない。

 そう思考を切り替え無防備な空から確殺するつもりだった嵐女公子あらめこうしに向かって、地面から槍のように鋭い岩の弾丸が3発、飛び出してきた。


 彼女は手元にあった暴風の塊を開放し、岩をはたき落とす――はずだった。

 2発は風に飲まれたが風の鎧を貫通し、1発だけ嵐女公子あらめこうしの右足を貫いた。


『……あら?』


 先ほどまでと段違いの威力を誇る遠距離魔法。

 両足に治癒魔法をかけていると同時に、再び岩の槍が嵐女公子あらめこうしに向かって飛んでいく。


 暴風の爆弾を爆ぜさせる隙もなく、彼女は地面に落ちることでそれを回避。

 だが、避けきれない。明確に嵐女公子あらめこうしに向かって槍が追尾する。


導糸シルベイトね』


 片方を魔法に、もう片方を敵に結べば、それだけで追尾する魔法の完成だ。

 嵐女公子あらめこうしは空爆に用いるはずだった暴風球を激しく解放し、槍を叩き落として地面に落下。


 空中にいては的になると判断。

 中距離を維持したまま水の砲撃を用いる当初のプランに作戦を変更しようとし――地面に降りたった彼女が見たのは、血を拭う宗一郎とその後ろにいる大人の男女。


 その片方、女性の方がパチリと指を鳴らした瞬間、嵐女公子あらめこうしが降り立ったばかりの地面から無数の黒い影が溢れかえり手を伸ばし、ずぶずぶと黒い影の中に引きずりこむ。


「足、痛いだろう?」


 宗一郎の後ろに控えた縦傷の男がそう言ったものだから、嵐女公子あらめこうしは先ほどの魔法の主を理解をした。

 

 いつ、どこからか分からないが、祓魔師側に増援が来たのだと。


『――転移魔法』

入れ替えキャスリングですよ」


 後ろの女性が答える。

 すでに身体は影に半分ほど沈み込んでいる。


 放たれた岩の槍が嵐女公子あらめこうしの右肩を貫く。

 肩甲骨を壊されて、右腕の自由が無くなるのを感じながら嵐女公子あらめこうしは微笑んだ。


『……三対一ね』


 そして、彼女もまた『導糸シルベイト』を伸ばした。


『数での勝負なら、負けないけど?』


 嵐女公子あらめこうしの視界が真っ黒い影に飲まれるのと、彼女が生み出した“魔”が山津波のように溢れかえるのは同時だった。

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