第5-32話 雨の中①

 ひゅう、と前方から刃のような風が吹き抜けたのを宗一郎が伏せて避けたものだから、後ろで木々が倒れる音が響いた。


 嵐女公子あらめこうしは真正面からの斬り合いには応じず、すでにアヤとニーナの追走に行動を切り替えている。故に、宗一郎はそれを追いかけ、邪魔をし、少しでも時間を稼いでいるのだ。子どもたちに追いつかせないように。


『あはは! 鬼ごっこだわ! あなたにわたくしが捕まえられるかしら』


 まるで獣のように軽い足取りで山間やまあいを駆け下りる嵐女公子あらめこうし。その動きは、とてもじゃないが普通の人間が追いつけるようなものではない。


 だから、宗一郎の動きも人を外れたものになる。

 真正面にある木に『導糸シルベイト』を撃ち込むと、重力に身をまかせて飛び降り、その木を足場にして加速を繰り返す。


 だが、重力に身体を任せる都合上、どうしても動きが直線的になる。

 そうなると、嵐女公子あらめこうしは宗一郎に向かって魔法を放ってくる。


 それは、脅威である。

 彼女の名前通りの風、水、あるいは両者を混合した魔法はほぼ見えない。不可視の魔法である。

 

 宗一郎が魔法を避けられるのは、ひとえに経験があるからだ。

 手元の動き、目の動き、あるいは自分が嵐女公子あらめこうしだったらどうするか。頭を働かせ、回避し、距離を詰める。


 そして少しでも離されそうになれば、嵐女公子あらめこうしに向かってつぶての魔法を放つ。


 宗一郎は基本的に近接戦闘をメインとする祓魔師であるが、遠距離の魔法が使えないわけではない。


 そもそも彼は1人で仕事を行える祓魔師だ。

 レンジのように遠距離を得意とする祓魔師と組まない場合は1人で“魔”を祓う。


 しかし嵐女公子あらめこうしの魔法を宗一郎が避けているのと同様に、彼女もまた宗一郎の魔法を避ける。あるいは、自分自身の周りに纏っている風に巻き取る形で魔法を防いでしまう。


「俺から逃げるなら遠く遠く……捕まらないところまで逃げたらどうだ?」

『浅い挑発ね。そんなものに乗ると思われているのかしら。そんなはしたない女に見える?』

「“魔”につつしみを感じたことはないな」

『ならわたくしで知りなさい』


 嵐女公子あらめこうしは足を止めると、彼女の持っていた黒い傘をぱさりと開いた。


『押し潰してあげるわ』


 その瞬間、山肌を撫でるようにして広がっていた重い雲から雨が降りはじめた。

 最初は数滴、しかしすぐさま信じられないほどの豪雨になるとその雨が水滴の威力で木々を


 木の幹に当たった水滴が、ばづ、と音を立てて幹に穴を空けた。


「……まるで銃弾だな」


 自分自身の肉が削がれないように宗一郎は『形質変化』によって自らの頭上に魔力の壁を生み出して防御。


 先ほどまでの追走とは打って変わって、一瞬の停滞。


『愛と雨は重ければ重いほど良いの。その方が安心するの。心穏やかに生きていくほど大事なことが他にあるのかしら?』

「……それにしては」


 ミシミシという嫌な音が山中に木霊コダマする。

 山間やまあいに深く根ざしている木々を潰していく。


「祓魔師のいる場所に来るんだな」

『えぇ? あなた、何を言っているの?』


 宗一郎の問いかけに、心の底から困惑した表情を嵐女公子あらめこうしは浮かべて続けた。


『あなたじゃ私の敵にはならないから、ここに来たんじゃないの』

「浅い挑発だな」


 そう返すと同時に、宗一郎はつぶてを放った。

 圧縮空気をつぶての後ろで爆発させ、その威力を乗せた弾丸は『導糸シルベイト』に導かれて嵐女公子あらめこうしに襲いかかる。


 だが、その途中で木々も貫く重たい雨によって礫ははかなくも砕け散った。


『だから、言ったじゃないの。わたくしの敵になるような祓魔師はここにはいな――』


 そう言い切る途中で、宗一郎は地面を蹴って雨の中に飛び込んだ。


 一瞬で真上から身体を押さえつけられるような感覚があった。

 続いて雨粒が深く肉に食い込む感触があった。


 遅れて、頭上に展開した魔力の壁を延長。雨粒を防ぐ。

 そうして斜面を飛ぶようにして駆け下りる。


『……あら? 勇気あるわね』


 しかし、黒い傘を傾けたまま嵐女公子あらめこうしはそう言うと宗一郎から距離を取るように半歩、後ろに下がった。


 それは祓魔師へのあなどりだったか、あるいは自らの魔法への過信か。


「……シッ!」


 だが、それでも宗一郎は刀を抜いて嵐女公子あらめこうしの頬を斬った。


 瞬間、浅く斬られた嵐女公子あらめこうしが後ろに飛ぶ。

 その隙を縫って再び宗一郎は天井を生み出し、雨を防いだ。


『傘も持たずに雨の中に飛び込むなんて、無粋ね』

「そのくびねるつもりだったが……」


 どろり、とした血がほほを流れるのを感じながら宗一郎は刀を構える。


「だが、傷は入れさせてもらったぞ」

『……かすり傷1つで喜べるなんて、羨ましい限りだわ』


 嵐女公子あらめこうしはそう言いながら、そっと自らの頬を撫でた。


わたくしの可愛いお顔に傷をつけたのは褒めてあげるけど……この程度、治癒魔法で簡単に治してしまえるって思わないのかしら?』


 そうして、彼女がいつものように『治癒魔法』を使い……。


『…………あら?』


 傷が治らないことに、気がついた。

 再び撫でる。だが、それでは傷が治らない。そして、治らないだけではなくそこから人間の血液の代わりに黒い煙のような魔力がじわりじわりと溢れ出してくる。


『治癒魔法の失敗ミス……ってわけじゃないのよね』

「……さて、どうだろうな。祓魔師を相手に怯えたお前が、魔力操作を誤ったんじゃないか?」

『そんな初歩的なミスなんて赤ちゃん第一階位でもやらないわ。……治癒封じ? 面倒な魔法ね。ううん。呪いの方かしら』


 そう言いながら、彼女はピンクのネイルのされた指で頬に手を当てる。

 そうして、自らの指で頬の肉を削いだ。痛々しい傷口が見えたのもつかの間、すぐさま傷が修復されていく。


 彼女は『第六階位』。

 だからこそ、祓魔師と戦ってきた経験が豊富であり生半可な魔法に対する対策は知っている。


『こういう時は周りごと治すに限るのよ』

「かつての魔法であれば、そうだろうな」

『……?』


 嵐女公子あらめこうしは自らの治癒魔法によって周りの肉ごと傷を再生する――はずだった。


『……あら? あらあら???』


 しかし、宗一郎の傷だけが治らない。

 他は全て治った。化粧で覆われた真っ白い頬が見えた。

 だが、その頬には一筋の傷が走っている。


 新しい身体のはずなのに、宗一郎が付けた傷が頬にある。

 

 ――そう、治るはずがないのだ。


 宗一郎たちが使う日本の魔法。

 彼らが与える『変化』の魔法には、あるルールが存在する。


 原則として『導糸シルベイト』後のは基本的に


 つまり『属性変化』を与えた後に生みだされる火や、水を別の『変化』に移行させることはできない。別の変化が欲しければ、新しい『導糸シルベイト』が必要だ。

 だから祓魔師も、“魔”も、撃たれた魔法に対して無力化するような『変化』を与えない。壁による防御、あるいは回避という形で敵の魔法に対処する。


 そして、その原則が適用されるのは『属性変化』だけではない。


嵐女公子あらめこうしだったか。お前は知っているか? 魔力の尽きた“魔”がどうなるのかを」

『…………』


 『形質変化』についても同様である。

 傷、という形で“魔”に固定された『形質変化』は治癒魔法という変化を


 つまり、治ることがないのだ。

 それを付けた術者を殺さない限りは。


 そうして“魔”の体表にばっくりと開いた傷からは、魔力が流れ出す。

 それはさながら、人間の血液のように。


「魔力は、生命力だ。人間が血を流し過ぎたら死ぬように、“魔”も魔力を流し過ぎたら祓われる」

『…………えぇ、もちろん』


 それを古い魔法で『呪刻』と言う。

 だが当然、性能は現代の方が格段に上だ。


『どうやら本気でやらないとダメみたいね』

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