第5-20話 閂

彼岸むこうってのは、仙境のことでさぁ』

「…………?」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


 だが、違う。

 今の言葉を絶対に聞き間違えるはずがない。


「……仙境が、あるの?」


 いま、目の前の1つ目の少年は確かに『仙境』という言葉を口にした。


『へ、へぇ。ここいらじゃ有名な話だと思ってたんですがね……。そも、坊っちゃんも法師でしょう。だったら、ここに打ちに来たんでしょ? 刀を』

「うん。そうだけど……」


 俺は眼の前のモンスターに頷く。

 鍛冶師がへそを曲げたので打ってもらえなかった、というところまで説明するかどうかを悩んで……辞めた。


 そんな話を眼の前のモンスターにしたところで、意味がない。

 

 一方、そんな俺の悩みなど知るはずのないモンスターは意気揚々と続けた。


『その鍛冶師が「カンヌキ」でさぁ。此岸こっち彼岸あっちを切り離し、触れないようにする鍵の防人さきもりなんですわ』

「……あの、おじいさんが?」

『おじいさん? ははぁ、もうそんな歳になってるのか。あっしが出会った時はまだ、こんな小さい子どもでしたけどね』


 そう言いながら1つ目の少年は、俺の膝くらいの高さを手のひらで指した。

 

 その身長、3歳くらいか?

 流石に適当言ってるだろ、と思ってしまう。


 思ってしまうが祓魔師界隈は割とそのくらいの年齢から魔法の練習をしだすので、あの鍛冶師がそれくらいから鍛冶をしててもおかしくはない。


 しかし、どうにもいまいち目の前のモンスターが言っていることが飲み込めない。

 だから俺は、再び聞いた。


「ええっと、つまり……あの、おじいさんが『仙境』と現実世界を切り離す仕事をしてるってこと? どうして?」

『えぇ? 賢い坊っちゃんはご存知でしょうが、仙境は膨張するものでしょう?』

「いや、知らないけど」

 

 晴永ハルナガはそんなことまで口にしていなかったから、当然初耳である。

 というか、どうしてみんな俺が知ってる前提で物を話すんだ。


 一方、モンスターの方は俺がそう言ったからか、顎に手をあてて少し考え込んだ。


『ふうむ。口伝が途切れたのかな。まま、ええでしょ。説明するのもあっしの役目、ただ……』


 眼の前にいるモンスターは、やや口ごもりながら俺たちがやってきたばかりの道を指さした。


『鍛冶師の居場所まで案内してくだせぇ。時間がねぇんだ』

「色々知ってそうだし、1人で行ったら?」

『あっしは“結界”を超えられねぇもんで』


 そういえばそんなものあったな……と、思いながら俺は続けた。


「……裏切ったら?」

『殺せばええでしょ。坊っちゃんにゃ朝飯前だ』

 

 あまりにも、あっさり自分の命を投げ捨ててしまうような発言に思わず黙り込む。

 

 基本的に、モンスターは自らの命に執着する。

 モンスターが人を襲うのは人の魔力を手にするためで、どうして魔力を手にするのかというと命を延ばすためだ。


 だから俺はモンスターの発言に、どうして良いか分からず困ってしまった。

 そんな俺の後ろから、父親の声が飛んできた。


「イツキ、先を歩かせよう」

「先?」

「ああ、どうせ一本道だ。先を歩かせ、何かこちらに仕掛けてくればそのタイミングで祓えば良い」


 ああ、そうすれば良いのか。

 一理あるなと思った俺は深く息を吐き出し、モンスターに告げた。


「じゃあ、先を歩いてよ。僕が後ろから道を教えるから」

『へへ。流石、坊っちゃん。話せば分かると思ってやしたよ!』


 モンスターが、へらりと笑って立ち上がる。


 というわけで、そういうことになった。




 モンスターに数メートル先を歩かせながら、俺たちはその後ろに続く。

 そうやって鍛冶師のところに戻りながら、俺はモンスターに質問を投げた。


「さっき言ってた『仙境』が膨らむってどういうこと?」

『まんまの意味でさぁ。「仙境」はこちらとは別世界なんですが、日に日に膨張してましてね。膨張を止めるためにゃ、魔力をこっちの世界に流す必要があんでさぁ』

「流すってどういうこと? 地脈みたいな?」


 流れる、のイメージが沸かず俺がそう尋ねると、眼の前のモンスターは振り向かずに頷いた。


『えぇ、えぇ。まさにそういうことですよ。まぁ、とは言ってもね。そこら辺は自然の摂理。普通は仙境が勝手に釣り合いを取るもんではあるんですが……』

「でも、その釣り合いが取れてない?」

『はい。あっしが目覚めたってことは、そういうことだ』


 このモンスターの口ぶりからして、仙境の釣り合いが取れなくなったら目を覚ますように設定されたってことっぽいけど……それ、誰がやったんだろうか。


 そんなことを俺が考えていると、隣を歩いていたアヤちゃんが声を張り上げた。


「あの! 仙境? が、しぼむくらい魔力を流しちゃ駄目なんですか?」

『そう簡単なものでは無いんでさぁ、嬢ちゃん。過ぎたる魔力は毒になる。だから「カンヌキ」が釣り合いを取る。そういう役割なんですわ』


 あの鍛冶師が?

 どうにも、そういう態度には見えなかったけどな……。


『ただね、これ以上この土地に魔力を流すと、どんなわざわいが起きるやら……下手すりゃ休眠している火山が目を覚ましかねねぇ』

「じゃあ、魔力は流せないってことなんですか?」


 アヤちゃんの問いかけに、モンスターが頷いた。

 そんなモンスターの言葉を噛み砕きながら、俺はさっきから気になっていたことを尋ねる。


「仙境が膨らんだら人が死ぬって、さっき言ってたよね」

『へぇ』

「どうして?」

『向こうの“魔”がこっちの世界に流れ込んでくるんでさぁ。仙境の魔力をまとい、こちらの人間を食い散らかす。世にいう「百鬼夜行」だ』


 その言葉に、隣を歩いていたニーナちゃんの肩がびくりと震えた。

 俺はそんなニーナちゃんを安心させるように、少し背中をさすってモンスターの言った言葉の意味を考えた。


 つまり、仙境ってのはどんどん水が溜まっていく水風船みたいなもの。

 ただ、普段は膨らみすぎないように釣り合いを取っているが……何かのきっかけで、そのバランスが崩れちゃったと。


 だから水風船に溜まった水を抜いてやらなきゃいけないが、抜きすぎてもいけない。

 そして、その水をどれだけ流すかを管理しているのが、あの鍛冶師だが……もはや、これ以上、魔力は流せない。

 流してしまうと眠っている火山が目を覚ますかもしれないから。

 

 だが流さないわけにもいかない。

 流さないと膨らみ続ける仙境が破裂して百鬼夜行になるかもしれない。


 これ手詰まりでは?


「……どうすれば良いの?」

『こういうときの最後のとりでが「カンヌキ」でさぁ』

「あの、おじいさん?」

『釣り合いが壊れちまったときは、大抵仙境の中で狂っちまったやつがいる。あっしたちはそれを『鬼腫キシュ』と呼んでる』


 騎手? いや、流石に違うか。


鬼腫キシュを祓うのがカンヌキで、こいつを祓っちまえば仙境は釣り合いを取り戻す』

「つまり、仙境にいるそのモンスターを祓えば良いと?」

『へぇ、そういうことでさぁ。人間だって身体ン中に入ってきたばい菌を攻撃して、殺して、膿にしちまうでしょ。そうして元気になる。仙境も生きてるもんで、人間と同じですよ。同じ』


 小学校に入る前に読んだ『人間のからだ』図鑑に書いてあったことを思い返す。

 まぁ、確かに人間も身体の中に入ってきたウィルスとかを白血球が食べちゃうけども。


 ああ、そういうこと?

 つまり、『カンヌキ』は仙境の白血球なわけか。


『しかしね、相手は丙種第五階位。そう簡単に祓えるもんじゃあ無いんですぜ』


 モンスターが山道に足をかける。

 父親が車を停め、トランクケースから刀を取り出してから俺たちの後ろに続いた。


『たぁだ、今回は「カンヌキ」が仕事をしねぇ。さっさと鬼腫キシュを祓わなきゃいけないんだが……』


 そう言いながら結界を通り抜けた俺たちの眼に入ったのは、


「……うん?」


 工房の手前で胸を押さえ、倒れている老人の姿だった。

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