第5-12話 氷の姫君
氷雪公女が俺に抱きついたまま、全然離れようとしないので流石に背中を優しく叩いた。
「元気してた?」
「それはこちらの言葉よ。アヤの中から見ていたぞ」
そう言って氷雪公女が、ようやく俺を離す。そういえば彼女が前に出てきていないときはアヤちゃんの中でどうしているのか、いまいち俺は知らないわけで、
「見えるものなの?」
「うむ。アヤの見ているもの、聞いたものは全て私にも届いている。逆もそうだ。いまもアヤに届いているぞ」
氷雪公女がそういうものだから、俺は彼女の瞳を覗きながら手を振ってみる。
見えてるのかな、と思ってやってみたが考えてみればアヤちゃんからリアクションのあるわけもない。
アヤちゃんの姿に戻った時に聞いてみよう、と思っていると氷雪公女がニーナちゃんに向き直った。
「初めまして……になるか。遠島の少女」
「……だ、誰? あなた、アヤじゃないわよね」
急に容姿の変わったアヤちゃんに驚くニーナちゃん。
そういえば、そこの説明が抜けてたな……と、思っていると彼女自ら名前を名乗った。
「私は氷雪公女。第六階位の“魔”だ」
「……っ! な、なんでモンスターがアヤの中にいるのよ!」
びびび、と震えながら温泉旅行に来て一番くらいの大きな声を出してニーナちゃんが驚く。そして、ずっと握っていた俺の手を痛いほどに力を強めた。
どこから説明したものか……と、思いながら俺はニーナちゃんに向き直る。
「んとね、そこは話すと長くなるんだけど……」
「気を使わずとも良い。私は人の手により“魔”になったのだ。そこにいる者によってな」
氷雪公女がまっすぐ俺を指さすものだから、ニーナちゃんの視線が俺に向いた。
嘘はついていないが、やや語弊があるな……と思って胸元から遺宝たちを取り出した。その内の1つを手にとって、俺はニーナちゃんに見せる。
それはちょうど1年前、夏合宿の最中に俺が祓った“魔”の遺宝。
その魔力の結晶に、ニーナちゃんの視線が吸い寄せられた。
「これだよ」
俺がそう言うと、氷雪公女が続けた。
「化野晴永という男でな。人の醜悪なところを煮詰めたような男だ。とはいっても、そこにいるのは本人ではなく、本人を引き継いだ『蟲』だがな」
いまいち分かっていないのか、ニーナちゃんが数度瞬き。
わずかに生まれた沈黙を埋めるように自動販売機の「じぃー」という機械の音が聞こえる。
この場には俺たち以外の誰もおらず、その音を遮るものもない。
一拍置いてから、氷雪公女は続けた。
「私は実験台にされたのだ。その男が自分を“魔”にするためのな」
「……それが、どうして、アヤの中にいるのよ」
「救われたのだ。私は、彼女に……そして、イツキに」
氷雪公女の答えは、ニーナちゃんの答えになっているようで、やっぱりなっていなくて。
「ニーナ、お主の境遇はアヤから聞いている。だから似た者同士、話をしたくてな」
「……私はモンスターじゃない」
「だが、“魔”に人生を狂わされたであろう」
その言葉にニーナちゃんは固まった。
固まったまま、ゆっくりと首を横に振った。
「……違う。私のは、モンスターのせいじゃない」
俺の手を掴んでいるニーナちゃんの手が震える。
ぶるぶると、心の底からの怯えと戦っているようにも感じるその震えを捻じ伏せて、ニーナちゃんは続けた。
「
「……ニーナちゃん?」
「私が、パパを笑ったのは私が弱かったから。私に
ぐ、と決意を強く噛みしめるようにして、ニーナちゃんが感情を熱のように吐き出し始めた。
「私が強ければ、私にもっと才能があったら……あんなことにはならなかった」
「違うよ……。あれは、モンスターが」
そう言いかけた俺の言葉を覆すようにして、ニーナちゃんが叫んだ。
「
「……それは」
俺は、彼女の言葉を否定しようとして……それができずに、詰まった。
考えてみれば。いや、考えなくても分かる。俺だったら、きっと、解決していた。
誰も被害者を出さずに……なんてことは自信を持って頷けないが、モンスターを祓えたかと聞かれたら、首を縦に振ってしまう。
現に俺は第六階位を
なら、それを言うべきか?
ニーナちゃんに、俺と君は違うのだと。比べても意味がないのだと。
そんなことが、本当に彼女に届ける言葉なのか?
いいや、絶対に違う。それくらいは、今の俺にだって分かる。
彼女に届ける言葉はそんな致命的にズレた言葉じゃない。
「私は……私には、
「そんなことを言うものじゃないぞ、ニーナ」
短く、氷雪公女がたしなめる。
だが、ニーナちゃんは止まらなかった。
「だって、だって……! 私を見てくれたのは、イツキだけだったの。イツキだけが私に
ニーナちゃんの声は途切れ途切れになりながら、それでも言うべき言葉を必死に探して暴露した。
「イツキは1人で強くなるじゃない。妖精魔法をどんどん覚えていく。分からないことは自分で試して、やって、前に進んでいく……! 今日の
手だけではなく、声が震えていく。
俺がそんなことはしなくて良いと言っても、きっと、彼女は納得しないだろう。
「でも、私はイツキと一緒にいたかった。分かってるの。これが私のワガママだって……! 私はもうあそこに行くしかないのに、私は行くのが嫌で、けど、そうしないとイツキには何も返せなくて」
ニーナちゃんの声が詰まる。
それを無理やり押し流してしまうような声の大きさで、ニーナちゃんが力を振り絞った。
「私は……私には、自分の気持ちが分からない……っ!」
そうして、ニーナちゃんが静かに泣き始めた。
俺は彼女を落ち着かせるように、そっと背中を撫でた。
撫でていると、氷雪公女が続けた。
「ニーナ。私は、お前の味方だ。私だけじゃない、イツキもそうだ。アヤもそうだ。みんな、お前のことを想っている」
「…………じゃあ、私は、どうすればいいの」
「泣けばいい」
ニーナちゃんの問いかけに、氷雪公女が穏やかに答えた。
「その悲しみを、全て涙にして流してしまえば良い。好きなだけ泣けば良い。そうして泣き疲れて周りを見れば、お前に手を差し伸べる者がいる。そうだろう、イツキ」
「うん。そうだよ」
氷雪公女の問いかけに、俺はすばやく首を縦に振った。
「僕はいつでもニーナちゃんの味方だよ」
「私の味方でもあるだろう?」
「……みんなの味方だよ」
なんか押し切られた感じもあるが、そこの想いはずっと変わっていない。
俺は身近にいる人にも、死んでほしくない。つらい思いをしてほしくないと……そう、思っている。
「だから、ニーナ。好きなだけ泣けば良いんだ」
それは泣けなかった氷雪公女なりの優しさだったのだろうか。
その意図を確かめるよりも先に、氷雪公女は消えてしまい……そうして、再びアヤちゃんが戻ってきた。
アヤちゃんは泣いているニーナちゃんの頭をそっと撫でてから、
「悲しい気持ちは、悲しい時に出さなきゃずっと溜まってくの。だから、ニーナちゃん。悲しいものはね、ちょっとずつ出してあげると良いんだよ」
そういって、泣いているニーナちゃんをそっと抱きしめた。
そして、ニーナちゃんが落ち着くまで待ってからアヤちゃんは俺に向き直る。
その顔はやや赤く染まっていて、アヤちゃんは照れくさそうに続けた。
「イツキくんも、困った時はいつでも言ってくれて良いんだからね」
「うん。ありがとね、アヤちゃん」
「こ、これはニーナちゃんにもやったから……ね?」
アヤちゃんはそういうと、顔を赤くしたまま俺を抱きしめてくれた。
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