第4-30話 夢のありか:下

『ここは理想の世界かい? イツキくん』


 急に真面目くさった劇団員アクターの問いに俺は答えられなかった。


 ……こいつ、何を言ってるんだ?

 今の今までふざけ倒して急に真面目な話をされてもな……と、若干の引きも入っている。


 というかそもそも理想の世界ってのは、もっと夢のある世界のことを言うんじゃないのか。

 劇団員アクターが何を思っているのかは知らないが、今の世界は味気無いというかなんというか。至って普通のこんな世界を『理想』と呼んで良いのか。いや、でも何も変化が無い世界なのも理想と言えるのか……?


 なんて、そんなことをウダウダと考えていると、ヤカンのお湯が完全に沸騰。

 俺は思考を打ち切って、二人分のお茶を入れた。


 そういえば劇団員アクターって飲み物飲むのかな……と思いながら振り向いたら、


「……あれ?」


 劇団員アクターが姿を消してしまっていた。

 さっきまでうるさかったのに、こんな急に消えるとは。


 俺はまだ質問に答えてないから、さらに何かを言ってくるんじゃないかと思ってたんだけどな。


「……なんだったの?」


 いなくなった劇団員アクターに文句を言ってみるが、言葉は返ってこない。


 仕方がないので俺はお茶を持って自分の部屋に戻ることにした。


「イツキ。おかえり」

「……うん。ただいま」


 戻っても、劇団員アクターの姿はどこにも無かった。


 マジでどこに行ったんだ……?

 なんて心の中で首を捻ってみるが自分から居場所を探るのも嫌なので、劇団員アクターのことを思考から断ち切る。


 それから18時まではヒナも入って一緒にトランプで遊んだ。時間になったら二人が帰った。なぜだか無性に『二人を家まで送らなければ』という強迫観念みたいな感情に襲われたが、アヤちゃんには『1人で帰れるよ!』と言われたので、ぐっとこらえた。


 そこまで言ってるのに、送ろうとするのも変な話だから。

 そうしてすることも無くなったのでテレビを見ていると父親が仕事から帰宅。珍しいこともあるもんだと思いながら玄関まで迎えに行った。


「パパ、今日は仕事終わるの早いね」

「む? いつもこの時間だぞ?」

「あ、あれ……。そうだっけ……?」


 父親は俺を抱き上げたまま不思議そうな顔を浮かべる。


 ……うーん?

 なんか今日はこんなことが良くあるな。


 これが果たしてデジャブってやつなんだろうか、と思いながら家族揃ってカレーを食べた。しかし、そこには違和感がなく、お風呂に入る。そこでも違和感がない。

 

 お風呂から上がったら自分の部屋で日課のストレッチをする。下半身の筋肉を伸ばして、上半身の筋肉も伸ばす。それが終われば後は寝るだけだ。至って普段通り。当たり前すぎる毎日のルーティン。


 なのに、何故だろうか。

『何か』をやっていないという強力な違和感があるのだ。


 こんな穏やかに時間が過ぎてしまって良いのか、という罪悪感にも似た心の引っかかりがあるのだ。

 

 ……何かが、足りない。

 なんだか社会人時代の休みを思い出した。


 一日を寝て過ごし何もできなかった休日。あの全てを無駄にしてしまったような感覚。

 今の気持ちは、その時間への喪失感にとても似ていた。


 それが普通なのだ。分かっている。それは分かっている。

 逆に日常で何かが起きるようなことなんてあるはずがない。


 俺は部屋の灯りを消して、布団の中で横になった。


 そして目をつむる。

 このまま眠ってしまえば、この焦る気持ちも落ち着くかと思った。

 そう思って深呼吸を繰り返してみる。


 やっぱりだ。

 やっぱり


 心に穴が空いているんじゃないかって思うほどに満たされない。


 ため息をつく。起き上がる。

 布団を投げて、パジャマ姿のまま障子をあける。


 廊下には月明かりが差し込んでいて、とても明るかった。


 俺は両親に気が付かれないよう締め切ってある窓を静かに開いて縁側に出る。

 スリッパを履いて、庭の端っこに向かう。


 家から離れた場所にある大きな建物。

 倉庫と思うにはあまりに大きく、人が住むにはやや小さい。


 けれど、不思議とそこに近づくと心が落ち着いた。

 やるべきことがそこで待ってくれている気がした。

 

「……うん」


 片手で『離れ』の扉を開く。

 開いたら木の床の上に、劇団員アクターが座っていた。


『うーん。うん。そっかそっか。来ちゃうんだね。これが


 全く表情の変わらないヌイグルミの顔で『うんうん』と頷き続ける劇団員アクター

 その様子はなんだか過度に芝居かかっているように見えた。


「ここにいたんだね、劇団員アクター

『ボクはずっとここにいたよ。ここを君が求めていたからね!』


 そう言うと劇団員アクターはぐるりと回る。


 の中で、ぐるりと回る。


『イツキくん。この建物が何か分かるかい?』

「修練場でしょ。をする場所」

『そう! そう! まさにそう!』


 魔法の練習、その言葉を口に出すと腹の底にしっくり落ちてきた。


 やっぱりそうだ。

 今日は一度たりとも魔法の練習をしていない。


 していないんだから、眠れるはずがない。


『ボクの名前は劇団員アクター。ワンダーランドの先導人。子供に夢を見せるもの』


 魔力を編む。

 手元に『導糸シルベイト』が出来る。


 慣れ親しんだ『絲術シジュツ』の感覚。

 それは心の空白が埋まっていく感覚。


『だからみーんなの望む世界を作ってあげた。君もそうだよ、イツキくん。モンスターのいない、魔法もない安全な世界。君が望んだ、君だけの世界』


 劇団員アクターが回転をやめる。

 熊の腕が俺を指す。


『けどね、けどね、けどけどけどね! 君みたいな強欲は初めてさ! モンスターがいない世界を望むのに、なんて!』


 その瞬間、修練場がばかっと開いた。

 紙で作ったおもちゃの家みたいに、ひとりでに開いていくのだ。


 そして、どぉん! と、大きな音を立てて壁が地面に落ちると、その瞬間に俺の後ろにあった家が幻みたいに消える。空に浮かんでいた月も消える。


 一切合切が消えていく。


 そして、瞬きすれば俺が立っていたのは遊園地のど真ん中。


 思い出す。ここで起きた全てを。


『変な話だよね! 死にたくないと思うのに、モンスターがいない世界を望むのに、君は魔法がある世界を望むんだ! それは矛盾だよ! 君は矛盾さ。ボクはむずむず』

「矛盾じゃないよ」


 劇団員アクターに向かって『導糸シルベイト』を伸ばす。掴み上げる。


「だって魔法が無くなるとさ」


 劇団員アクターの身体を燃やす。

 俺の『導糸シルベイト』の中で劇団員アクターが消し炭になっていく。


「僕が努力してきたこと。全部無くなっちゃうんだ」


 ゆっくりと黒い霧になっていく。

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