第34話 決意

 雷鳴はまさにこれからクリスマスパーティーを始めようとしていた俺の真正面に落ちてきた。衝撃、粉塵。舞い上がった煙と、落下してくる天井。その中にいる、たった1つの人影。


「イツキ! ヒナ!!」


 とっさに母親が近くにいたヒナと俺をかばおうとして、それよりも先に俺は何者かに


『よくぞみのったッ!!』


 ズン、と頭の中に直接響き渡るかのような声。

 例えるなら骨伝導のイヤホンだろうか。頭蓋骨が揺らされて、音というか振動を頭に叩き込まれているような違和感。生理的な嫌悪感。


 そして、その勢いのまま壁に激突。


「……ぐっ!?」


 何が起きたのかさっぱり分からない。

 だが、目の前にいるのは敵だ。モンスターだッ!!


 俺が『導糸シルベイト』を伸ばそうとした瞬間、それよりも先に俺の胸ポケットが熱を持った。


『むッ!?』


 刹那、胸ポケットから光が溢れ出す!!

 轟、と質量を持った光が俺を掴み上げていたモンスターを弾き飛ばしたッ!!


 じゅ、と音を立ててモンスターの右腕が消失。

 だが、モンスターは驚異的な反応速度で俺から離れると、障子しょうじを背中で壊して庭に飛び出た。


 ……神在月かみありづきでもらった破魔札だ!!


 何があっても肌身離さず持っておけと言われていた破魔札が俺を守ってくれたのだ。

 しかし、安心出来るような状況じゃない。俺は落ちてくる天井を支えるように『導糸シルベイト』をネットのように張って、誰も怪我しないように防御。


「みんな! 大丈夫!? 怪我はない!!?」


 そういったのは桃花さんだった。


 粉塵が落ち着いて視界が晴れると、そこにはぐしゃぐしゃになった部屋とかすり傷1つもない、みんなの姿があった。


「……良かった。みんな無事ね」

「みんな、私についてきて。逃げるのよ」


 安堵した桃花さんの隣に立ったのはヒナを抱きかかえた母親。

 こっちも対応が早すぎる。なんであなた達そんなにこんな状況だってのに焦っても慌てても無いんですか……。


 元が一般人の俺は未だに困惑しているってのに。

 俺が2人に感心して逃げようとしていた瞬間、庭から先程のモンスターの声が響いた。


『弱者が逃げるのは結構ォッ!!』


 びりびりと、再び脳に響き渡る狂気の声。


『しかァし! わっぱは今まさに喰い時であるッ!!』


 わっぱ。それは子供……中でも少年を指す言葉だ。


『よくぞ、良くぞ実たッ! そして、我のためによくぞ育ててくれたッ!!』


 誰に何を言っているのかさっぱり分からない。

 しかし、庭先から聞こえてくるモンスターの圧倒的な威圧感だけが、あたりを支配していた。さっきまで逃げようとしていた桃花さんも、母親も、何かやばい奴を前にしたときのように動かない。


 ……ま、まずいぞ。


 こういうは関わらずに逃げるに限るのだ。少しでも関わってしまったら、前世の俺のように殺されてしまうかも知れないのだから!


「母さん! 逃げないと!!」


 注意が完全にモンスターに向いてしまっている大人2人の意識を取り戻すために俺がそう言うと、はっとした顔で母親は表情を変えた。


「えぇ、そうね。イツキの言う通りだわ」


 母親がそういった瞬間、バジ、と雷の音が鳴った。

 そして、気がつけば目の前に1人の異形が立っていた。


 身長は2mくらいか。信じられない筋肉が全身を覆っている。

 そして先ほど右腕を失ったと思えないほどの威圧感で、悠々ゆうゆうとそこに立っていた。


 その全身は黒い鎧みたいな甲殻に覆われており、口からは4本の牙が伸びている。

 だが、そんなものよりも俺の注意を引いたのは、そいつの頭だ。そこには、絶対に人間にないものがある。


 それは角。額から2本の角が伸びているのだ。


 その見た目で、目の前にいるモンスターを見誤ることなどない。

 日本人として生まれ育って、絶対にそいつの名前を間違えることがない。


 誰でもその見た目を見ればそう言うだろう。

 そのモンスターの名前を、口にするだろう。


「――『鬼』」

『いかにも。名を雷公童子らいこうどうじと言う』

「…………ッ!?」


 名前を名乗った!!?

 それはあまりに初めてのことで、俺は思わず言葉を失った。


 しかも目の前にいる鬼はまるで値踏みするかのようにその場にいる全員を見回すと、アヤちゃんを見ながら優しい声で告げた。


『素質ありッ! 研鑽けんさんに励め!!』


 ……ほ、褒めた!? モンスターが、人間を!!?


 これまでつちかってきたモンスターへの常識が音を立てて崩れていくのを感じる。


 だがなんとか俺が動揺を飲みこんで『導糸シルベイト』を練った瞬間、桃花さんに身体を抱きかかえられた。そして、桃花さんは俺を抱きかかえたまま部屋から庭に飛び出したのだ!


「イツキくん! 逃げるのよ!!」

「えッ!? 桃花さん!!?」


 見ればその足に『導糸シルベイト』が巻き付いている。

 身体強化の魔法だ!


名前持ちのネームドモンスター”は全部が『』! 私たちが戦える相手じゃない!!」


 だ、第六階位!?

 俺があの森で戦ったモンスターより30倍強いってことか!?


 なんでそんなやつが今日、このタイミングで!!?


「で、でも母さんもヒナもアヤちゃんもまだ!!」

「大丈夫。あいつは誰も狙わない。まだ! 雷公童子は、そういう“魔”だもの!」

「……食べない?」

「『雷公童子』は才能ある子が育ちきってから喰いにくる。これまで何百人もの祓魔師が食べられてるっ!」

「な、なんで、そんなモンスターがここに!?」

「わからないわ……っ! 前に現れたのは30年以上も前だもの! その時は、15歳の男の子が食べられた……そう、聞いてるわ」


 庭に飛び出た桃花さんと俺だったがその足元に、ぬるりと地面にが現れた。


 そして、影が桃花さんの影を


「……ッ!?」


 刹那、桃花さんの身体がまるで縫い付けられたかのように固まった。


「な、なんで……!」

『あらあら。をやったことないのかしら』


 どぷ、と影をしたたらせながら再び鬼が現れる。

 しかし、さっきの雷公童子とは違う。女性体だ。


『影を掴まれたら、動けなくなる。子供でも知っている常識ね』

「……『風刃カマイタチ』ッ!」


 しかし、臨戦態勢に入っている俺は目の前のモンスターを逃しはしない!

 『属性変化:風』と『形質変化:刃』を混ぜ込んだ複合魔法を発動!


 全身を両断しようとした瞬間、女の鬼は影に再び溶け込んだ。


「……ッ!」

『そう焦らないの。坊やの相手は私じゃなくて、雷公童子様』


 瞬間、屋敷から雷が立ち登る。

 そして、俺の目の前に落ちた。


 雷は人の形を取ると、両腕を組んだ状態で俺の前に立ちふさがった。

 気がつけば破魔札で祓われた右腕も治ってやがる。


 な、何なんだよこいつら!!!


『うむうむ。よく熟しておる』


 まるで果物でも品定めするかのように、雷公童子は俺を見下ろしながらそう笑う。

 

 ……い、威圧感が森のやつと段違いだ。

 

 呼吸ができない。

 どうすれば呼吸ができるのか、そのやり方を忘れてしまったかのように浅く、どこまでも浅くなっていく。


 目の前にいる。

 だから、魔法を使えばいい。体術を使えばいい。

 なのに、身体が動かない。恐怖にのまれて、身体がびくともしない。


『食材とは、最も美味い時に食すものだ。そうでなければ、素材にも、育成者にも、失礼であろう。それが狩人の流儀というものだ。のう! わっぱもそう思うだろう!』


 ねばつくような狂気が全身をむしばんでいくのが分かる。

 殺意に貫かれていくのが分かる。


 異常性を前にして、前世の時を思い出す。

 胸をナイフで突き刺されたときのことを鮮明に思い出す。

 何度呼吸しても肺に酸素が入らず、陸の上で溺れていたあの苦しみを思い出してしまう。


 死。


 絶対的なそれが、俺の両足を掴んだ。


「待ちなさいッ!!」

『む?』


 だが、突如として入ってきた声が全てを破った。


 そこにいたのは、母親だった。

 今まで見たこともないような形相で、薙刀なぎなたを持ってこっちに走ってきていて、


「イツキから離れてッ!」

『やめよ。うさぎが獅子に勝てぬが世の道理である』


 その静止を振り切って、母親は薙刀を振り下ろした。


「……ッ!!」

『我は逃げよと言った』


 しかし、それが第六階位のモンスターに通用するはずもなく、いとも容易たやすく刃部分を握られる。


『しかし、それでも立ち向かってくるのであれば』


 刹那、雷公童子が『導糸シルベイト』を伸ばした。

 まっすぐ、母親の心臓に向かって。


 このままだと母親が死ぬ。

 殺されてしまう。


 ――動け。


 どくん、と心臓が強く脈打つ。

 脊髄に冷たい鉄を入れ込まれたかのような悪寒が走る。

 恐怖が汚泥のように絡みついてくる。


 ――動けよ。


『死ぬ覚悟があるということであろうなッ!』


 動けよ、俺の身体!!!


 刹那、俺は全身から『導糸シルベイト』を伸ばして母親の目の前に土壁を生み出した。わずかに遅れて雷公童子の稲妻が世界を駆け抜ける。


 バズッッッツツツ!!!!!


 空気を切り裂き、土壁に激突する怪音が響いた。

 だが、それは母親に届くことはない。


 それよりも先に、俺が食い止めている。


「雷公童子……だったっけ」


 俺の言葉に、鬼が振り返った。


「今、母さんを殺そうとしたよね」


 俺はこれまで、死なないために強くなろうとした。

 二度と死なないために、強くあろうとした。


 殺される前に殺す。

 それが、何よりも死なないための選択肢だと思っていた。

 それはつまり、俺が死の恐怖を乗り越えれていないということだ。


 だから、正直に言おう。


 俺は怖い。とても怖い。

 気を抜けば死ぬかも知れないという恐怖が俺の足を震わせる。


 だがそれでも、俺が死ぬかも知れなくても、


「じゃあ、僕に殺される覚悟もあるってことだ」


 ――こいつは、絶対に許せない。


『獲物に殺される狩人などおらぬが』

「なら、あんたが獲物に殺される最初の狩人だ」


 だから俺が、


「『焔蜂ホムラバチ』!」


 絶対にここで祓うッ!

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