第26話 麒麟児

「……しまった。不意を付かれた」


 レンジは短く吐き出すと、地面を蹴り飛ばした。

 その両足には『導糸シルベイト』が巻き付いており、当然のように『身体強化』を発動。そして目を『暗視魔法』で覆って暗い森の中を駆け抜けていた。


 先程、空に大きな爆発が描かれた。

 恐らく、その下でイツキが戦っているのだと思うが……急になんの音もしなくなったのが怖い。


 イツキがいかに『第七階位』なんていう人並み外れた魔力を持っているとはいえ、それはあくまでも魔力量の話でしかない。実戦では魔力量ではなく、どれだけ戦いに慣れているかが全てなのだ。


 だから、もしかしたら……と思うと背筋に冷たいものが走っていく。


「無事でいてくれよ。アヤ、イツキくん……!」


 元はと言えば、熊を狩りにきただけだった。

 まさか『第五階位』の“魔”と対敵するなんて予想もしていなかった。


 しかも相手は『転移魔法』持ちである。

 そんな上級の“魔”と戦うのであれば、もっと準備をしてくるべきだったのだ。少なくとも、子供連れでやってくるような任務じゃなかった。


 後悔は先に立たないとよく言うが、レンジの頭の中ではこれまで見てきた他の祓魔師たちの『最悪ケース』ばかりが頭の中を流れていく。


 滅多なことでは祈らない神にすら祈りながら、レンジが森から抜けると巨大な岩を前にしてビビっているイツキが立っていて、


「イツキくん! 大丈夫か!?」


 まだ彼が生きていたことに安堵あんどしながら、周囲を索敵する。


「あ、レンジさん!」


 イツキが自分のところに駆け寄ってくるのに、肩を抱きしめると目線をあわせて尋ねた。


「あの“魔”はどうなった?」

「あ、あのね。さっき、押しつぶしちゃったんだけど……」

「……何?」


 押しつぶした、の意味が分からず聞き返したレンジに、イツキはまっすぐ岩を指差して答えた。

 

隕石これを上に落として潰したの」

「…………」


 その言葉に、レンジは黙り込んだ。

 いや、黙り込まざるを得なかった。


 それ以外にどんな反応をしろというのだ。


 まさか、5歳の子供が『第五階位』の“魔”と戦って生き延びただけでも恐るべきことなのに、逆に押しつぶしただと? そんなことが、ありえるのか……?


 にわかには信じられなかったレンジは現実味を取り戻すために、イツキが落としたという岩を見た。


 大きな……とても大きな岩だ。恐らく『属性変化』で生み出したものだと思うが、ここまで大きなものは自分でも作れるかどうか分からない。


 だからこそ、レンジは思わず息を呑んだ。


「……本当に、これをイツキくんが」

「うん。『属性変化:土』で生み出して……」


 そういって説明しているイツキには、異常なことを成し遂げているという自覚はなさそうだった。


 これが、天才。『第七階位』の祓魔師の実力なのだ……!!


 レンジは心の底でそれを理解して、イツキの戦いを見逃したことを悔やんだ。


 1人の祓魔師として、1人の男として、彼の戦いを見てみたかった。

 きっと、それは伝説の祓魔師のような戦い方だったろうから。


 しかし、そこまで考えてレンジは逆に疑問が鎌首をもたげた。


「イツキくん。どうして、“魔”を祓ったのにそんなに怯えてるんだい?」

「あ、あのね。一つだけ、心配なことがあって」

「うん。どうしたの?」


 心配なこと? なんだろう??

 もしかして、あの“魔”には仲間がいたとかだろうか。

 それとも、殺しきれずに逃しただろうか?


 レンジはあらゆる可能性を考えていると、イツキから返ってきたのはびっくりするくらい拍子抜けする言葉で、


「道路に穴空けちゃったんだけど、大丈夫かな……?」


 そのリアクションを予想していなかったレンジは思わず吹き出してしまった。


 ――――――――――――――


 完全に、やりすぎた。

 俺は地面に落とした隕石を見て、初めて思ったのがそれだった。


 地面の真下からモンスターの死体代わりである黒い霧が上がったから、祓えたのは祓えたのだ。それは良し。レンジさんも父親もさっきの爆発を見てここに戻ってくるはずだ。だから、それも問題なし。


 問題はこの地面に空いた穴である。


 ……どうしよ。

『属性変化』とか『形質変化』で埋めといた方が良いんだろうか……。


 いや、こんなことになったのも相手が『治癒魔法』なんて持ってたのが悪いのである。

 ちょっとくらいの傷だったら治してくるだろうから、それ以上の火力をぶつけてやろうと思ってたわけだけど、勢いのまま完全にやりすぎた。まさか道路に大穴を空けてしまうとは……。


 これ弁償とかさせられるんだろうか……と、大人特有の金のことを考えていたら、レンジさんがタイミング良く森の中から出てきた。


 なので、事の顛末を説明して俺は恐る恐る尋ねた。


「道路に穴空けちゃったんだけど、大丈夫かな……?」


 すると、レンジさんは急に吹き出して、


「あぁ、大丈夫。これくらいだったら後処理の人たちが直してくれるから」


 ……後処理の人たち?


 初めて聞く概念に、俺はレンジさんに尋ねた。


「ね、レンジさん。『後処理』の人たちって?」

「あぁ、そっか。まだ宗一郎から聞いていないのか」


 レンジさんは俺を連れて車に戻りながら、優しく教えてくれた。


「イツキくんは『七五三』の時にあった他の家の人のことを覚えてる?」

「うん。覚えてるよ!」


 忘れるわけがない。

 あれだけ色んなおじさんたちに見られたのは、流石に人生始めての経験だったのだから。


「あそこにいた10の家……。『神在月かみありづき』家を入れたら11の家になるんだけど、そこが“祓魔師”としてのトップ10の家なんだ」

「トップ10……」

「そうそう。歴史も長いし、色んな祓魔の術を知っている。イツキくんも『夜刀ヤト流』なんていう剣術を習ってるんじゃないかな?」

「うん! パパが教えてくれるよ」

「そうだろうね。『夜刀ヤト流』ってのは、如月家だけの剣術だからね」

「え、そうなの!?」

「そうだよ」


 初めて知ったぞ、それ!

 というか、如月家だけの剣術があるってことは他の家には他の家特有の剣術を持ってるってことか……?


「それに、特別なのは剣術だけじゃない。あの10の家にはそれぞれ『相伝』って呼ばれる魔法があるんだ。多分、まだイツキくんも習ってないと思うんだけど」

「……そうでん」


 送電……じゃ、ないだろうな。

 一子相伝とかの相伝だろう。


 ……え、そんなのあんの!?


「僕、聞いたこと無いよ? 如月家にもあるかなぁ?」

「絶対にあるよ。宗一郎が使ってるのを見たことあるからね。多分、習うのは7歳の時の『七五三』じゃないかな」


 うわ、でたよ。祓魔師の『七五三』文化。

 なんでそんなに『七五三』を大事にしてるんだ。


 せっかく俺も『相伝』魔法を知りたかったのに……。


「話を戻そっか。“祓魔師”の名家は10もあるんだけどね、別に“祓魔師”になれるのはこの10の家だけじゃないんだ。この家たちの分家とか、あとは“魔”に家族を殺された子たちがね。魔法の練習をして“祓魔師”になることがあるんだ」


 その言葉を聞いてぎゅ、と心臓が握りしめられたような気持ちになった。


 ……ヒナのような子供たちが、他にもいるということか。


「それでもね。普通の家の生まれだと祓魔師として戦うだけの魔力を持って生まれてこないことの方が多いんだよ。そういう子たちが警察と協力して『後処理』をやってくれてるんだ」

「そうなんだ……」


 普通の子でも排便トレーニングをすれば魔力量は増えると思うけど、あれをやるには3歳までという制約がある。そして俺にはあれを人に話したくないという制約がある。きっと、普通の生まれの子が魔力量を増やすことはないだろう。すまない。俺の生み出したトレーニングがクソなばっかりに……。


「だから、イツキくんは安心して“魔”を祓っていいからね」


 そんなことを言われても、俺は苦笑いしか返せない。


 車に戻ると、先に父親が戻っていた。

 どうやら俺がモンスターを倒すことを予想して、アヤちゃんを護っていたらしい。流石すぎる。


 レンジさんと一緒に戻ってきた俺に、父親が声をかけるよりも先に車の中からアヤちゃんが飛び出してきて抱きつかれた。


「イツキくん! 良かった!! 生きてたよぉ!!」

「……アヤちゃん」

「心配したんだよ! イツキくんの馬鹿!!」


 そして、そのまま泣かれてしまって……なだめるのにとても苦労した。

 

 俺はそれだけ心配してもらえたことにちょっとの嬉しさを覚えつつ、それだけ心配をかけたのだから、なだめるのに苦労するべきだと思った。

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