第五章『嫉妬』①

 クリスマス前の乾季の爽やかな午後。

「貴子」のアパートの屋上で、風雨に晒されて相当、痛んでいる備え付けのデッキチェアに横になって、まるで一年一度のクリスマスプレゼントのような清涼なそよ風を枕にウトウトしていた時、タイの国民歌手トンチャイの『コンマイミーフェン』の着信音が鳴った。

 リョウからの電話であることはわかっていたが、あまり出たくはなかった。こういう場合、電源をオフにすれば済む話だが、いつ何時、エロ親父どもがバイアグラその他を所望してくるかわからないので、「めしの種」を失いたくない俺にとっては仕方がないことだ。

「貴子」の恋人兼、主夫兼、男娼の地位を不動のものにして二週間近くが経ったわけだが、俺はだんだんと親友であり、相方であるリョウの存在が疎ましいものに思えてきた。リョウは三文作家の薬売りに身を落とした俺を憐れんでか、毎月第三日曜には必ずといっていいほど俺にめしを奢ってくれ、それ以外の週末にはシーヴァスやボンベイサファイヤを持ってプラカノンの我が貧者の城を訪ねてくれるのだが、飢えている筈のこの俺が二週間も音信不通なので不審に思ったのだろう。

 もっとも、「貴子」を抜きに考えても、恐らく、ゲイであろうリョウが、こういった美味しい餌をばらまきながらも、いつ狼に変わって、俺に「ケツをほらせろ」と迫ってくるかわからないので距離を置くのが得策だ。

 着信音はきっちり三分鳴って止まった。

 俺は重く舌打ちをし、「RYO」と言う文字を見るよりも先に着信履歴から消した。

 そして「春眠不覚暁」。

「クリスマスプレゼント」を枕に再び、まどろみはじめる。

 が、俺に安眠は許されないらしい。

 俺のノキアがまたトンチャイを歌い始めた。「うるさい!」と、切ったつもりが間違えて通話ボタンを押してしまったので、仕方なく出る。

「リュウ。なんで出ないんだ?出れない理由でもあるのか?」

「ごめん。昼寝してたんだ。で、俺に何か用か?」

「ああ、寝てたのか。それはすまなかった」

「三分も鳴らし続けるなんて尋常じゃないぞ。デイトレで大損でもこいたか?」

「そうじゃないんだけどさぁ……」

 嫉妬深く、「私をちやほやしてね病」のタイの若い女のように呆れるしかないリョウにわざと大槻ケンヂのようなすっとぼけた声で応対したせいか、リョウはすぐに冷静さを取り戻したが、これが噂のバンコク若手ナンバーワンの天才相場師かと思うと、リョウがまるで歌を忘れたカナリアのように思えてきて一寸、憐れだった・

「じゃぁ、用件を言うぞ。例年通り、RCAの『コズミックカフェ』でクリスマスパーティをやるってヤスから連絡があったんだけど行くよな?」

「無理だよ。先週も言ったじゃん。女ができたんだ」

「じゃぁ、彼女も連れてくればいいだろ」

「俺の貴子ちゃんは喧しいの嫌いなんだ。クリスマスは俺と二人きりで過ごしたいんだとさ」

「何だよそれ。今年は白石さんがエートさんたちをゲストで呼ぼうって動いてくれてるんだぞ。つったく、『女』、『女』って友達甲斐のない奴だな。信義に篤い台湾人が聞いて呆れるよ。リュウは絶対に『昔はいい奴だったのに』って言われるタイプだな」

「まぁ、そう言うな。こっちは生まれて初めて女と過ごすクリスマスなんだ。これ以上の無粋は勘弁してくれ。じゃぁな」

「おい!リュウ!まだ、話は終わってないぞ。だいたい最近のお前はなぁ……」

 俺は電話を切ってほくそえんだ。リョウはきっと今頃、イヴの夜に俺と唇だけではなく、お互いの肌を重ねあうまだ見ぬ「貴子」に激しい嫉妬の炎を燃やしているに違いない。どうなるわけでもないのに、バカな奴だ。

 よく公務員やエリートたちの女がらみの犯罪を耳にするが、要は実践不足なのだ。俺だって人のことは言えないけれど、今は「貴子」のことだけでいい。「相思相愛」なんて神が呉れるもっとも粋なギフトだ。

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