第三章『それぞれの明暗』①
なんとなくはじめたバンコク生活も「あっ!」という間に二年間が経った。
この二年間で俺がやってきたこと全てがなんとなくだったのかも知れないが、なんとなくで要領がわからないなりにバンコクの街に馴染んだつもりだ。
初年度は生活に支障をきたさない程度のタイ語をアソークのタイムズスクエアー十五階のユニティというタイ語学校で学び、ひと月学校に行ってはひと月地方都市や近隣諸国を
旅行すると言う実にのんびりとしたスパンで生活していた。それなりに充実した一年であったが、金遣いの荒い俺の軍資金は五百万から半分以下に目減りしてしまったので、タイ語学校の全過程終了と同時に人生初の就職活動という奴を開始した。
と言っても在住日本人と日系企業の多いバンコクはある程度のキャリアと業務に必要な語学能力さえあれば就職はそれほど難しくない。幸い俺には五年間の貿易実務と営業経験、それプラス父から受け継いだこの一年で覚えたタイ語を含む語学能力があるので、いわゆる「現地採用」の友人知人から聞かされるアドヴァイスや駐在員やタイ人の仕事に対する愚痴はほとんど右から左だった。
俺の就職活動は順調そのものだった。
中でも俺が送った履歴書に対して最初に反応を示してきた「イワイトレーディング」という日本にタピオカを輸出している日タイ合弁会社の面接は傑作だった。
どう考えても適材適所でアピールすることだらけの俺は「厭味言われたら椅子蹴って帰ろう」くらいにしか考えていなかった。俺はこちらでも何着か仕立てたポールスミスのサマースーツに袖を通し、まるで予約したレストランに向かうように自然に、全ての決定権が俺にあるかのように鷹揚にアパートから徒歩十分のBTS戦勝記念塔駅からBTSに乗り、指定されたシーロムのオフィスを目指した。
東京で言ったら丸の内であるシーロムはいつ来ても人工的な街であり、間違っても住みたいだなんて思わない。別に和めるカフェがないわけでないし、美味しいレストランがないわけでもないし、必要なものが揃わないわけでもない、寧ろ、便利至極なくらいの街なのになぜか血が通っていないような印象を受けるのだ。
BTSシーロム駅の四番出口を降りてすぐのところにある「イワイトレーディング」の入ったビルディングも個性も歴史も味わいも感じないような特徴のないオフィスビルで、十五階のオフィスは呼び鈴を鳴らして用件を伝えないとドアが開かない仕組みになっていた。幸い、外回りから帰ってきた若い短髪をジェルかなんかでツンツンと立てた日本人の営業マンと同じエレヴェーターだったので、微笑みの国タイに来てさらに磨きのかかった営業スマイルで「私、今から御社で面接なんですよ」と伝えたのでそのような面倒もなかった。
「め、面接でありますか!伺っております!」と声を裏返し、二等兵のように仰々しく対応した日本人営業マンに通された会議室みたいなところの壁にはレプリカのレンブラントか飾られていた。日本ならばハッタリにもならないような代物だ。正面の壁には白い黒板大のメッセージボードには「十三時~」と本日の面接の時間帯が殴り書きされていて、十人位、着席可能な長机にはすでに二三のおそらく採用担当であろうお偉いさんが着席している。年齢関係なく、全員、健康的にゴルフ焼けしているのが特徴だ。
一対一でサシの面接を予想していた俺にはひどく意外で腑に落ちないまま、一般にこういうかたがたが好むような体育会系の青年を装って、溌剌と自己紹介をし、「本日はよろしくお願い申し上げます!」と深々と頭を下げた。するとどうだろうか、どういうわけか一同、恐縮としていて、わざとらしいくらいの笑みを浮かべて俺に着席を促す。ほかの現地採用の友人たちの話によると面接官と言うのは横柄なもので、当初の予想としてはかなりの厭味を言われるものと覚悟していたというのに、俺は「さては俺をビビらせようとして担いだな」と苦笑した。
どうやらこのVIP待遇の理由は年齢とポジション的に営業部長であろう俳優の中野英雄さんそっくりの地声が大きいずんぐりむっくりの体躯に紺のダブルのブレザーをあおった四十男のひとことで明らかになった。
「黄興龍さんはもしや、台湾の黄財閥の黄龍三氏のご子息でありますか?」
普段は猛烈な鬼軍曹として部下を怒鳴りつけているであろうこの男が妙に遠慮がちに訊いて来るので、俺は「なんだそういうことか」と脱力したと同時にあれだけ強い拒否反応を示し、棄ててしまた「家族」を利用するのはなんだか卑怯な気もしたが、どっちみち働かなくてはいけないことに変わりはないし、「勝ちを拾う」ことに遠慮していてはここバンコクでは生きていけないので俺は素直に認めた。
「黄龍三は本家筋の叔父です。私の父は黄龍民。主に貿易のほうをやっておりまして、私自身も昨年までは父の下で五年間、修行させていただいておりました」
「その若社長がなぜバンコクくんだりの弊社になんかに」
白髪、ゴルフ焼けの席順からして支店長とおぼしき初老の男はそれが一番の関心事のように訊いた。
「武者修行です。私は多少のキャリアや実績があるとはいえ、まだまだ世間を知らなすぎます。ですから御社で現地採用扱いで便所掃除から鍛えていただく所存です!」
「ほう。それは殊勝なことですな。社長令息にしては頼もしい」
鹿児島での鬼のような営業経験で年配の人間に好かれる方法を熟知している俺にははじめから方法論があるので身分を明かさなくともこの面接は俺の勝ちだった。支店長は「うむ。感心だ」とうなづいているし、中野英雄さんはまだかしこまっている。そのあとは俺が父の会社でしてきたことを脚色無しで語り、「イワイトレーディング」の為に心血を注ぐ覚悟であることと具体的にどのように貢献していくかを熱く語った。
その一週間後、手紙と電子メールで採用通知が届いた。
しかし、そうやってはじまった「イワイトレーディング」での日々は全ての歯車が噛みあわず、焦燥と失望の日々であった。
まず俺は鹿児島での新入社員時代のように毎朝、七時に出勤して当然のようにオフィス内の掃除をやっていたのだが、こういったビルディングにはちゃんとした清掃業者が入っているもので、一ヶ月ほど経って、業者からクレームが入ったのか「そういうことはしなくても大丈夫ですので、どうかお気遣いなく」と直属の上司になった中野英雄さんから遠まわしにお断りされ、また、新入社員はやって当然だと思っていた、そういった行為をタイ人の同僚たちからは「点数稼ぎ」と見做されて、陰口を言われる始末なので止めざるを得なくなった。
「それならば」と周りの雑用や使い走りを進んで買って出たが、やはり、俺が黄財閥の人間だとうことを遠慮するばかりか、妙に態度がよそよそしく、どんなに溶け込もうとしても俺は「異国人」というか「異星人」扱いだった。
それならば、「厭な仕事ほど私にください!」とやる気とガッツを示してみても、曖昧に、且つ、失礼のない態度ではぐらかされるばかりで、いい加減、空元気を出すのもバカバカしく思い始めていた。
そんな俺が必要とされるのは決まって大きな取引やゴルフコンペなどのイベントのときで、必ず俺は「見世物パンダ」として同行させられ、大叔父や父との思い出話をさせられる羽目になった。要は「イワイトレーディング」は俺の「黄財閥ブランド」の威光が欲しいだけだったのだ。悔しいやら情けないやらで、シーヴァス片手に同じアパートの十階に住むリョウをたずねてそういった不満をぶつけてみても、「お金貰ってやってる以上はプロだろう?」と冷たく言い放ってそれ以上は取り合ってくれない。「友達同士は助け合わない」という敬愛する島田紳助の格言に忠実なリョウは一緒に酒は飲んでくれても解決策は示してくれない。
俺が黄興龍、つまり黄財閥に関係ある人間である限り、黄財閥のネームヴァリューがある限り、バンコクでは、いやもしかしたらこの世界中全てで俺は堅気の仕事はできないということを悟り、結局、仕事は一年ほどで辞め、煩わしい黄興龍という名は棄て、母方の姓である「高杉」を名乗り、売文家業兼、バイアグラ売りに身を落としたのだった。
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