第一章『ゆりかごからここに来るまで』③

 深夜のスクムビット通りはエカマイからパタヤへのバスの本数が激減するので昼間のような絶望的な渋滞はなく、俺の塒であるプラカノンから顧客(と書いてエロジジイと発音する)の待つナナプラザまでは愛車のべスパで十五分ほどの距離だ。バイクがないとタイの地方都市での生活は相当、不自由するが、それはここバンコクに於いても小回りが効き、渋滞時も車と車の間をスイスイとすり抜けられるバイクは車よりも使い勝手がよい。

 信号無視したので十分弱で目的地に着いた俺はソイナナタイのパクソイのコンビニの前にべスパを停め、辺りを見回すとナナプラザを出て右手のところに出ている屋台に小太りで、トミーズ健のような貧相と醤油を煮しめたようなTシャツがむさくるしい四十ヅラ抱えた寺澤がペイバーしたゴーゴーのダンサー二名を両脇に従えて、おそらく、拙いというかほとんど通じていないタイ語を駆使してくだらなく卑猥な冗談を言っているのだろう。ニヤけて、シンハビールを飲んでいた。虫はタンパク源になる食べ物の少ないイサーン(タイ東北部)に於いてよく食されているが、さすがの寺澤も虫には手をつけず、テーブルに酒、両手に華という齢四十過ぎにしてこんなアジアの果ての袋小路でやっと手に入れた幸福に酔っているだけだ。褐色の肌と団子鼻といった見た目ともどもイサーン人であるダンサー二人がバッタやら蟻やらをバリバリとおいしそうな音を立てて食べている。

 俺はタイ人のようなできるだけ友好的且つ、底抜けに無邪気な笑顔を貼り付けて、寺澤のテーブルに近づいた。

「やぁ。寺さん。今晩は3Pですか?羨ましいなぁ」

 寺澤は一瞬、「ビクッ」としたが、声の主が俺とわかって形相を崩した。

「ははは。リュウちゃん。今宵はご覧の通りですよ。リュウちゃんのところは相変わらず出前迅速ですね。おまけによそより格安ときてる。タイ人のところなんて足元ばっかり見やがって信用できませんよ」

「そう言われると照れますね。ご注文の品、お持ちいたしました。お納めください」

 俺が賄賂を渡すように周囲に見えないように寺澤の手にそっと中国産のバイアグラを握らせ片目を瞑ると、寺澤も代金を俺の麻のシャツの胸ポケットに同じくこっそりと押し込んだ。これで商談成立ってわけだ。

「ちょっとそこのハンサムなお兄さん。バイアグラなんて売ってんじゃないわよ。この豚野郎に股開くだけでも気が滅入るのに冗談じゃないわよ!」

 さっきから寺澤から執拗に胸を触られているピンクのタンクトップを着た少し、ゴルフの宮里藍に似たダンサーが俺にタイ語でクレームを入れてきた。寺澤はタイ語がわからないので「豚野郎」と言われても「お前たちは可愛いねぇ」とニヤニヤしている。俺は営業で培った爽やかなスマイルを絶やさず、タイ語でこう返した。

「大丈夫。このオジサン早撃ちであれもちっちゃいからやってるかどうかもわかんないよ」

 そして、俺は意地悪くダメ押しをする。

「ここだけの話だけど、俺はハルシオンも扱ってる。特別価格でいいよ」

 それを聞いて、踊り子の四つの瞳が闇にキラリと鋭利に光った。

 彼女たちは間違いなく、俺にハルシオンを売ってくれ、と言うだろう。

 そして、朝になれば憐れな寺澤の財布の中身は現金であれ、クレジットカードであれそっくりそのまま彼女たちのものとなるだろう。

 俺はつくづくやくざな商売をやっていると思った。

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