第一章『ゆりかごからここに来るまで』①

 脱力していたところに携帯が鳴る。

 零コンマ一パーセントの希望を持って「はい。もしもし」などとかしこまった声で電話に出たところ、現実は生ぬるく耳にからみつくバイアグラを求める醜悪中年寺澤の声だった(俺はこいつを「顧客」と書いて「エロジジイ」と発音することにしている)。

 至急、バイアグラをナナプラザまで届けて欲しいと言う。

 ろくでもない。

 だが、商売と言うのは信頼第一、出前迅速が鉄則なので俺は新人の営業マンの如く、音声ラウド気味に且つ、ハキハキと「はい!ただ今、お届けにあがります!」と対応した。

 まったく、歳を取れば、或いは孫の一人でも持てば性欲は減退するなんて嘘だ!男は、雄は、いくつになったって柔らかく、瑞々しい若い女の軀を求めるのだ。俺だってきっとそういう男だ。

 さて、小説だの、バイアグラだのとまるでこのバンコクの街そのもののように話が混乱しているので、ここいらでちゃんとひとつひとつ整理して話す必要がありそうだ。

 まずはあまり気は進まぬが、俺の生い立ちから順を追って話すとする。


 俺はリュウと言う。

 三十歳。

 このバンコクの街で「高杉龍」といういかにも幕末ファンのような筆名で日本語のフリーペーパーやエロ本もどきの三流雑誌に小説や雑文やグルメレポートといった純然たる文章以外に潜入レポなど妖しい記事なども書いている言うなれば編集者の使いぱしりのような三流ライターだ。バンコクは在住日本人十万人で日本語の活字メディアに需要はあるとはいえ、そんな雑文を書くだけでは口を糊にすることさえ難しいので、中国広東省から安くバイアグラを仕入れて、寺澤のような日本の恥さらしたるエロ親父に「良心的な値段」で販売して、なんとかかんとか今日まで飢え死にせずに済んでいると言う訳だ。

 俺の本当の名前は黄興龍と言う。父の国では「ホワンシンロン」、母の国では説明不要かもしれないが、「こうこうりゅう」と発音する。俺は全中華圏で名の通った黄財閥の一族である実業家の台湾人の父黄龍民とエッセイものが得意な女流作家の母高杉悦子との間に生まれたひとり息子だ。ガキの頃から両親からも友達からも「リュウ」としか呼ばれたことがないので俺は「リュウ」と呼ばれないと振り向かないことにしている。俺に限らずバンコクでライターやら芸人やら自由業を営んでいるものはあまり本名を名乗りたがらないのだが……

 父は一族の中でも五本の指に入るほど商才に長けた人だったが、日本びいきで子煩悩で何よりも家庭を大事にする典型的な台湾人だった。俺は幼少の頃から語学と商いのノウハウを父から手ほどきを受けたおかげで今、貧乏しながらも生活ができている。父のウエットな愛情を「重い」とか「鬱とおしい」と思ったことは一度もなく、少年から青年に変わる過程での父と息子の確執とは全く無縁に過ごせた。

 母は作家だが、実年齢よりも十五歳は若く見え、「宝塚雪組のトップスター」と言っても遜色ない美貌を誇り、あまり生活臭がしない人だった。そのせいか物心ついた頃から母のことは「悦子さん」と呼ばされているので「悦子さん」のことは「ママ」だの「お母さん」だのと呼んだことがない。俺が中学に上がったあたりから俺を「弟」か「恋人」に仕立てて、よく「銀ブラ」に連れて行かれたものだ。「悦子さん」がいったいどういうつもりでそういう行動に出ていたのかについては知る由もないが、最大公約数の答えは「悦子さんも女だった」ということなのだろう。

 そんな両親の元で分不相応な「知識」と「贅沢」を知った俺は父の意向で商いの本場である大阪にある中堅大学の商学科に入学するが、青春時代のほとんどを同世代の友ではなく、優雅な「悦子さん」と過ごした俺は周りが異常に子供っぽく見え、なかなか「恋人」という奴ができなかった。流石に「童貞でいること」については恥ずかしいと思ったので十九の夏に飛田新地で「儀式」は済ませたものの、それはあくまで「通過儀礼」に過ぎず、血眼になってまで追求する「快楽」とは言い難かった。

 この経験によって俺は「性」や「女」にあまり執着を持たなくなった。

 なので、大学時代の俺は遊びやバイトよりも勉学に励む、親や教授に好まれる書生であった。

 掛け値なしで優秀な成績で大学を卒業した俺は父が経営する貿易会社に次期社長候補として入社した。

「一切、特別扱いはしない」という父の方針とお達しに従い、従業員十人と言う鹿児島支店に配属され、最初の半年は「小学生にやらせたほうが早いんじゃないか」と思うような雑用しかやらせてもらえず、おまけに毎朝、小学校の前で交通整理を課せられていた。その準備期間が終わったら今度は営業修行の始まりだ。鬼のようなノルマ、支店長からの叱責とダメ出し、するほうは苦痛以外の何者でもない接待、毎日、支店長に提出する原稿用紙十枚分の営業日誌……

このとき俺はあの優しい父が公私混同しない一流のビジネスマンであることを知り、ますます尊敬したものだ。

 以後、俺はメキメキと実力をつけ、数々の難攻不落と思われた商談をまとめ、プレゼンを勝利に導いたので社内での評判は抜群で「若きエース」の座を確実なものとし、配属からわずか一年三ヶ月で父の待つ東京本社へと召還された。

 そんな一点の曇りもなかった俺の人生は入社五年目を迎えたところで思わぬ暗転を迎えることとなった。

 禍の元を運んできたのは「悦子さんの母」、つまりは俺の外祖母高杉雅、通称「マサばあば」なのであった。

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