リュウとリョウ

野田詠月

序章

 二〇〇六年三月三十一日。

 コンクリートの壁を黄緑色に塗装された兎小屋のように狭い家賃二千バーツのこの部屋はただただ蒸し暑く、西に向いた窓を開けても風はちっとも凪がず、古い映画で出てくるような天井でカタカタ回っている埃のかぶった年代モノのファンは熱い空気をいたずらにかき回しているだけだ。暑期のバンコクは一様にこんな感じだが、こんなときは「せめてエアコンがあったら」と思わずにはいられない。

 俺はそんな天然のサウナの中で上半身裸になり、朝から何度も水シャワーを浴びて一時の涼を取りながら、日本から来るはずの一本の電話を待ちわびている。その電話が掛かってきさえすればこの綱渡りのような貧乏フリーライター生活からおさらばでき、売れっ子作家の仲間入りができるのだ。

 なぜなら今日は「文學界新人賞」の受賞者発表の日なのだから。

 こっちの日本語フリーペーパー『サイアムウォーカー』誌に連載された俺の小説『堕天使の涙』は舞台がここバンコクだけに読者にはそこそこ好評で、俺自身としてもちょっとした自信作であったので新人賞の登竜門のひとつである当賞に応募し、起死回生を狙ったというわけなのだが、一向に日本からの電話は来ない。気まぐれな彼からの電話を黙って待つ女はこんな気分なのだろうか?

 それにしても、もう、夜十時過ぎだぞ!

 審査はそんなに難航しているのか???

 否。

 日本時間ではすでに四月一日の午前零時過ぎたところなので、早い話が俺は落選したのだ。

「あははは。ホンマにあほくさ」

 俺は乾いたカラ元気な笑い声を立て、無為に過ぎた一日と報われなかた一条の希望の火を一蹴した。

 相変わらず、天国は降ってこない。

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