15,666 小山先生は咒殺されたがってヰた Hanged-Man・帰
小川のせせらぎが聴こえる場所。
そこは、村の少女たちの秘密基地だった。
「え……?」
いつのまにか、小山鏡花は河原に立っていた。
今まで童咋沼の”中ノ島”、その地下空間にいたはずなのに。
この場所には見覚えがある。
ありすぎるほどに。
ここは他でもない、鏡花の故郷の川だった。
「私は……いったい何を。どうしてこんなところに……?」
河童に囲まれて、呪術にかけられそうになった生徒をかばって……。
そこまでは覚えている。
けれどそんな非現実的な体験よりも、今のこの場所のほうがよほど確かな現実のように感じられる。
どこか懐かしさや心地よさすら覚える。
「鏡花ちゃん」
立ち尽くす鏡花を呼ぶ声があった。
これは、懐かしい声。ずっと聴きたかった声。
「あなたは……!」
「久しぶりだね、待ってたよ。鏡花ちゃん」
それは、鏡花とともに村を出て、一緒に大人になろうと誓い合って。
だけど大人になる前に1人自殺していった親友の姿だった。
村にいたころの子どもの姿のまま。
あの頃のままの笑顔で鏡花を出迎えていた。
「どうして……あなたがこんなところに」
「ヘンなこと訊くんだね、ここは鏡花ちゃんと私の秘密基地でしょ?」
「そう……そう、だったわね」
「ねぇ、一緒に遊ぼう? いつもみたいに」
鏡花が近づくと、少女は河原に座り込んで石を拾い、一つ一つ積み上げていた。
石で山を作って高く積み上げるが、簡単にバラバラと崩れてしまう。
それを繰り返すだけだ。
「それ、面白い?」
「面白いと思う?」
「え……面白くないの?」
「遊びなんてね、何をするかじゃなくて誰とするかなんだよ」
少女は鏡花に微笑み、言った。
「私は鏡花ちゃんと一緒ならどこでも良かったんだ。一生この村の中でも、この村の外に出ても。どっちでも良かったんだよ。だからあの日、鏡花ちゃんと一緒に”旧X地区”に行ったんだ。村の秘密とか、外の世界とか。私にとってはどうでも良かったけど……鏡花ちゃんと一緒なら目的地なんて関係なかった。だって一番の親友だもん」
「……ごめん、なさい」
「どうして謝るの?」
「私のせいなのよ。私は……バカだった。この村で感じる鬱屈とか閉塞感とか、全部村の陰謀のせいにしようとして……暴かなくてもいい秘密を暴こうとして、友達を危険に巻き込んで……結果は、村人全員を犠牲にして私だけが生き残った。ごめんなさい……ごめんなさい。私はあなたに会いたかった……ずっと謝りたかった」
「……いいよ、もう。だってこうして会えたんだから」
少女は石を再び積み上げる。
「鏡花ちゃんもいっしょにやろう。ここでは時間は無限にあるんだから」
「ええ、あなたと一緒なら……どこだって楽園になるわ」
鏡花は少女と向かい合い、河原で石を拾う。
そして少女が積んだ石の上に、石を乗せた。
「どうして気づかなかったんだろう。青い鳥は外の世界にはいなかった。ずっとここにいたんだって」
☆ ☆ ☆
「小山先生!」
倒れた鏡花の身体にすがりながら、比良坂の娘が叫ぶ。
「先生、先生! そんな、息してるのに……心臓、動いてるのに……」
鏡花の魂は尻子玉として物質化された。
抜き出された尻子玉は童咋の奥方の手に収まっている。
だが、当の奥方自身が驚愕に目を見開いていた。
「なぜ……他人をかばったの……」
「まだわからないんですか!?」
比良坂の娘は奥方に向かって必死に訴えた。
「ぼくが先生の生徒だったからです、他人を助ける理由なんてそれだけでじゅうぶんなんです! 親子みたいな特別な絆がなくたって……人が人を助けるために命だってかけられる。外の世界では少女が人に傷つけられるだけって言いましたよね……でもそれだけじゃないんです。傷つけ合うだけじゃない……ぼくたちは互いを想い合うこともできる。サユちゃんだって、他人を犠牲にしたくないと思ったから自ら尻子玉を抜かれ、河童になった……そうなんですよね?」
「そんな、そんなコトあるわけない……外の世界は……他人は私を傷つける。悲しみと痛みが満ちたこの世界は、変えるしかないのに」
黒咲はそんな奥方の様子を見て思った。
「コイツも、過去のオレと同じだ」と。
外の世界は自分を傷つける。ずっとそう思っていた。
その想いを受け継いだアイも同じことを言っていた。
「このセカイはワタシを傷つける」って。
何度も、何度も。繰り返し続けた。そうやって争って傷つけあった。
だけど、
「だがそれだけじゃねえんだよ、奥さん」
うろたえる奥方に近づく黒咲。
「ち、近づくな! この尻子玉を破壊するぞ!」
奥方は鏡花の魂を固めた尻子玉を頭上に振り上げた。
「……頼む、それはやめてくれ。もう能力はつかわねェ」
「何……?」
「かわりにオレの魂を差し出してもいい。このとおりだ」
黒咲は両手をポケットにつっこむ。
この状態では「Φスティグマ」は使えない。無防備だ。
「黒咲……何を企んでいる。こんななんの力もないオンナのために、犠牲になるとでも?」
「疑り深い奥さんだねぇ。美人のためにがんばるのは男の本分だろうよ」
「冗談を聴きたいんじゃない!」
「わかった、わかったって。そうだな、この子はさ……鏡花ちゃんは、オレが昔助けた女の子なんだ」
黒咲は鏡花の動かなくなった身体を見つめて思い出す。
「この子もさ、こんな閉塞的で呪われた村に住んでいた。昔の奥さんと同じさ、自由のない閉じた世界から出て、外の世界に出たいって……希望をいだいた結果、村に秘められた呪いを解き放って多大な犠牲を出しちまった。いや、奥さんだけじゃねえ。オレも同じなんだ。外の世界はきっと自分を傷つける。それをわかっていながらも、どこかに”幸せの青い鳥”がいるって願わずにはいられねぇんだ。バカだよな、お互い」
「……それが、どうした」
「本当は、この子のことも処分しなきゃならない立場だったんだがよ。やっぱ放っておけなくてさ……助けちまった。村の外に連れ出して、自由を与えちまった。自由ほどたちの悪い
言葉もないってわかってたのに。そうして案の定、鏡花ちゃんは外の世界で大切な人を失い、傷ついた。オレにはこの子を癒すすべがなかった。だからずっとこの子から逃げ回って……ホント、無責任だよな。鏡花ちゃんの気持ち、ずっとわかってたのによ。奥さんのことを連れ出した最低野郎と変わんねェよな。だけどよ、そんなどうしようもねぇオレにだって、果たすべき責任があるから」
黒咲はその場に跪いて、額を床に当てる。
「頼む、鏡花ちゃんを助けさせてくれ。その後オレはどうなってもいい」
「……黒咲、あなた尻子玉をもとの身体に戻せるのよね?」
「ああ、おそらくな」
「それは、”忘却の海”に沈んだ魂を救い出せるということ?」
「……試してみないことにはわからないが、オレの”Φスティグマ”は”Φの世界”から持ち帰った能力だ。境界を超えて作用するなら、”忘却の海”って場所からでも魂を掬い取ることができる……と、思う」
「……」
奥方は黒咲に尻子玉を差し出した。
「なら、交換条件よ。サユの魂を救い出して。もう一度……あの子に会いたい」
「……わかった、約束だ」
黒咲は童咋の奥方から、鏡花の尻子玉を受け取った。
そのまま鏡花の抜け殻になった肉体の前にたち、尻子玉を胸の前に構える。
「さあ忌まわしき
黒咲の手が輝き、振りかぶった次の瞬間。
尻子玉を持った彼の手が、鏡花の胸の奥まで
「頼む鏡花ちゃん、帰ってきてくれよ――」
――オレたちの世界に!!!
☆ ☆ ☆
どれだけ時間がたったのだろう。
無限とも感じられるほどの時間、鏡花は河原で石を積み続けていた。
なんの変化もない時間。悠久の時が流れ続ける。
そう思っていた。
だけどいつの間にか空の色が紅く染まっていた。
「鏡花ちゃん、そろそろ時間だね」
「時間?」
「”
「帰るって、どこに……?」
「鏡花ちゃんが決めて良いんだよ」
少女は立ち上がり川の向こうを指差す。
「私はあっち。川の向こうには、村のみんながいて。私たちを待ってるから」
「だったら私も――」
「ううん、ちゃんと選んで」
首を振り、ついていこうとする鏡花を止める。
少女の真剣な視線に、鏡花は迷った。
「どうして、村のみんなが待っているんでしょう?」
「鏡花ちゃんの居場所は、村だけじゃないでしょ」
「え……」
少女は少し目を伏せると、再び鏡花に向き直った。
「私ね、鏡花ちゃんと私の居場所はあの村だけだって思ってたんだ。鏡花ちゃんは自分のしたことでずっとつらそうにしてたし。外の世界はきっと私たちを傷つけるから、そうなる前に全部終わりにしちゃおうって」
「だから……大人になる前に首を吊ったの?」
「そうだね。あれは呪いだったんだ。鏡花ちゃんへの呪い」
「呪い……」
「うん。私は鏡花ちゃんのこと大好きだったから。誰よりも大好きだったから、誰よりも憎かったんだ。そしたらね、頭の中で声が聞こえた。『呪いますか?』って。愛が憎しみに変わる時、呪いが生まれるんだって誰かに言われた気がしたんだ。だから……鏡花ちゃんを道連れに、村の皆のもとに召されようとしたの」
「だけど私は、今の今まで無様に生き残って……やっとあなたに会えた。だから――」
「でもね、鏡花ちゃん」少女はキッパリと口にした。
「鏡花ちゃんの帰る場所は、川の向こうじゃないでしょ?」
「あ……」
「私がいなくなっても、鏡花ちゃんはひとりで外の世界に出ていった。傷つくってわかっていても、それでも……今では生徒に慕われる立派な先生。すごいことだよ」
「でも、その夢は私のものじゃない。先生になる夢は……」
「そう、私のものだった。だけど今では、鏡花ちゃんの夢になった。そして……叶ったんだよ。鏡花ちゃんが今まで意地でも生き続けたのは、私の夢を叶えるためなんでしょ」
「私は……私にはそれくらいしかできなかった」
「それでもすごいよ。だってね、鏡花ちゃんは私から呪いだけを受け継いだんじゃないもの。夢も受け継いでくれたんだよ! 外の世界に、私が生きた証を残してくれたんだよ!」
少女は力強く言った。
まるで励ましてくれているみたいに。
「鏡花ちゃんが村から出て、持っていったものは呪いだけじゃなかったんだ。罪とか、痛みとか……そんな悲しいことだけじゃなくてさ、私の夢も一緒に連れて行ってくれたんだよ!」
「もしかして、そのことが伝えたくて……ずっとここにいてくれたの?」
「私の呪いが鏡花ちゃんを苦しめてきた。でも同時に、私の夢が鏡花ちゃんに生きる原動力を与えてきたんだよ。私はずっと鏡花ちゃんのそばにいた。ずっと見てた。……だけどもうお別れ、しなきゃ」
少女は川に入ってゆく。
裸足のまま、少しずつ歩んでゆく。
黄昏の空が深くなる、その先を目指して進んでゆくのだ。
鏡花はその後ろ姿に涙を流した。
「行かないでよ……ずっとここにいて。私もずっと……ここにいるから」
「ううん、私には帰る場所があるから。もう行かなきゃ。鏡花ちゃんにだって、帰る場所ができた。もうわかってるよね。声、聴こえてるんだよね?」
「うん……うん……」
「どこに帰るか決めたら、もう二度と振り返らないでね。振り返ったらまたこの場所に囚われてしまうから。私もきっと……寂しくなって、今度は鏡花ちゃんを永遠に閉じ込めちゃうと思うから」
「……」
こくり、鏡花は少女の立つ川に背を向けて頷いた。
道は分かたれた。
これからは、別々の道をゆく。変える場所も違う。
背中から声が聴こえる。徐々に小さくなってゆく――。
「さよなら鏡花ちゃん。それと――がんばってね、小山先生!」
涙とともに走った。
鏡花はもう振り返らなかった。
がむしゃらに走った。
声が聴こえる方へ。
そうだ、ずっと誰かが呼んでいた。
名前を。
「鏡花ちゃん!」「小山先生!」「帰ってきて!」って、必死に。
「そっか、なんでこんなこともわからなかったんだろう……」
鏡花は目を閉じた。
そして――。
涙に濡れたまぶたを開く。
そこには、黒咲の顔があった。必死の形相で呼びかける。
それだけじゃない。涙を流す比良坂にカナタ。
心配そうな”先輩”。
外の世界で出会った人たち。
傷つけ合うだけじゃなくて、助け合うこともできる人たち。
ああ、そうだ。ここにあったんだ。ずっと。
幸せは遠くにあるんじゃなくて、ずっと隣にいてくれたんだって。
「私の帰る場所――ここにあったんだ」
ΦOLKLORE: 15 ”小山先生は咒殺されたがってヰた Hanged-Man” TRUE END.
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