18,7 童咋沼の河童 Kappa
サユちゃんのお母さんの話は終わった。
引きつった笑みを浮かべながら。
ひどい話だった。
にわかには信じられないような。荒唐無稽な話だった。
だけど目の前の座敷牢には確かに”河童”がいる。
いまだにこの河童の正体がサユちゃんだなんて信じられないけれど、ほかでもない母親がそう言っているんだ。たぶん嘘じゃないんだろうと思った。
だけどこの話を聞いていたぼくは思ったんだ。話の内容の真偽云々よりも、むしろ――。
「ウフフ、もう言葉も出ないみたいね。でもいいのよ、もうすぐ全ては一つになる。あなたたちも”忘却の海”から浮上する”
カナタくんはうつむいて震えていた。
立ち尽くして、恐怖に言葉が出ないみたいだった。
だけどぼくは、
「……どうしてですか?」
恐怖じゃなかった。ただ”謎”だったんだ。
そうだ。
世界が終わるとか、魂が一つになるとか、そんな大仰な話は全然実感がなくて。
きっと先輩なら狂った人間の戯言にすぎない、なんて切って捨ててしまうんだろうな、なんて不思議な安心感まであって。
だからこそ、ぼくが最初に気になった”謎”は――人の心だったんだ。
「サユちゃんのお母さん……あなたにとってはその神様が復活することは喜ばしいことなんですよね? そのために犠牲になるサユちゃんは誇らしいことなんですよね?」
「そうよ、そうに決まっているでしょう」
「だったらどうして……どうしてあなたはそんなつらそうな顔をしているんですか?」
「っ――!?」
そう。ずっと疑問だった。
”おびくにさま”と”河童”と”深淵に潜む古き神”。
この不思議な物語が本当か嘘かなんてわからない。世界が終わるなんて実感はないけれど。
もしかしたら全部彼女の妄想なのかもしれないけれど。
ぼくが気になっていたのは、彼女がどうしてそんな話をしたのか……だったんだから。
彼女はこの話をしている間ずっと、悲痛な笑みを浮かべていたんだ。つらそうだったんだ。
それがぼくにとっての最大の”謎”だったんだ。
「つらそうな顔……? よそ者が、童咋家の栄光ある妻たる私にくだらない言いがかりを……!」
「だってそうじゃないですか。今の話、おかしいですよ」
「おかしい?」
彼女は眉間をピクつかせながら聞き返す。
ぼくは続けた。
「サユちゃんの魂は神様のための崇高な犠牲になったって信じてるんですよね。それが幸福だって信じてるはずなのに……お母さん、あなたはサユちゃんの抜け殻になった肉体を……この河童を手元において甲斐甲斐しくお世話をしているわけじゃないですか。そもそも娘を犠牲にするのは計画になかったことだって言ってたわけで……本当はお母さんにとって娘さんが犠牲になるのは不本意なコトだったんじゃないですか?」
「っ……」
「それに話の後半、あなたはずっと娘の犠牲を正当化しようとしていました。ぼくもカナタくんも、誰もサユちゃんを犠牲にしたことを責めたりしていなかったのに、自分から何度も何度も正当化しようと理屈を重ねて……聞いてもいない、外の世界で犠牲になる女の子たちの話までして……」
そうだ。
自分の言葉にすることで。声に出すことで、思考が整理されてくる。
バラバラだった言葉がパズルのピースみたいにカチリとハマって、一つの絵ができあがる。
まるで先輩の謎解きみたいに、心の謎が解き明かされてゆく感覚――。
「あなたはこの集落の豪族”
「……何が、言いたいの」
「あなたが語った童咋家の目的を鑑みるに、豪族の直系の血は濃く保たなければならないはず。だったら嫁入りしたあなたの”血が薄い”のは不自然です。もっと直系に近い家系から結婚相手を選ぶハズ。本当は”人柱”になれなかった別の理由があるんじゃないですか? だからこそ”人柱”になることは幸福であると思いたかった。自分にできなかった偉業を娘が成し遂げたと思い込みたかった。それを自分に言い聞かせるように、聞いてもいない幸福論をぼくたちに……子どものカナタくんにまで押し付けるような真似したんじゃ――」
「っ――それ以上……言うなっ!!」
その瞬間。
目の前の美女の顔が一瞬だけ
口は左右に大きく裂け、頭は平べったく潰れて、醜い怒りに満ちた表情。
河童――!?
驚愕した頃には彼女の顔は美しい形を取り戻していた。見間違いだったのだろうか。
それとも彼女たちの体に流れるという人魚の肉を食べた人々の血がそうさせたのだろうか。
「フフ、フフフ……口の減らない子ね。世界は終わるのよ、あなたが何を言おうと結果は変わらない。だけどおばさん、あなたのこと目障りになっちゃったわ」
サユちゃんのお母さんがスッと手をあげると、彼女の背後のふすまの向こうからゾロゾロと入ってきた。
河童だった。
今のサユちゃんと同じ姿。もっとも、元になった人間が大人なのだろうか、体格はもっと大きかったけれど。
ぼくらオカルトマニアが探し求めた存在”河童”が、なんの感慨もなく目の前に6体も現れた。きっとこれが”契約”によって童咋家の人間が操ることを許された河童たちなのだろう。
いや、でもコレって……!
河童がぼくとカナタくんを取り囲み始める。
コレって……大ピンチなんじゃない!?
「くっ……」
「よそ者のお嬢さん、あなた
「え、こんな時に何言って……」
「あなた、とってもかわいいわ。キレイなストレートの黒髪。肌にはハリがあって、シミもシワも一つもない。目は大きくてまつ毛も長くて……身体はちょっと発展途上だけれど、それも若さゆえの魅力よね。あなたを好きな男のコって外の世界にはたくさんいるんでしょうね。あなたが望めば、男なんて選び放題のはず。だけれど、若いもの。夢みたいなきれいな恋愛がしたいなんて、少女漫画じみた幻想を追い求めて……その身体も心も、魂も。いまだ汚れを知らない」
そういってにじりよってくる美女。
ぼくは気圧されて後ずさるけど、周囲を河童に取り囲まれていてこれ以上動けない。
うっ……目の前にサユちゃんのお母さんが立ちはだかる。
「あなたが好きな男のコ、あなたを好きな男のコ。そういう男がいたとして、結局その男はあなたが望むほど理想的な存在じゃないのよ。でもね、お嬢さん。若すぎるあなたは気づかない。あなたに優しく接する男もきっと、本音ではあなたをキズモノにしたいだけだって。汚れなき少女の身体を自らの手で汚し、自分だけのモノにしてしまいたいと……そう思っているの。そんなどうしようもない本能を愛だの恋だの、青臭い言葉で着飾っているだけ」
「何を……!」
「美しいあなたの魂を、汚れない姿のまま保存してあげるって言ってるのよ」
無慈悲にそう告げた童咋家の奥方は、ぼくの胸元に向かって手を伸ばした。
避けられなかった。
彼女の手がぼくの胸に触れたかと思うと――そのまま奥まで
「嘘……」
「”人柱”になれなかったとはいえ、これでも童咋家の妻。”尻子玉”を抜き出す程度の”呪術”は習得しているのよ。あなたの魂は汚れのないまま物質化され、永遠に保存される。よそ者の魂では”人柱”になる栄誉は得られないけれどね。でも安心して、よそ者は魂を抜かれても河童になるワケじゃないから。ただ廃人のようになってしまうのだけれど――」
モゾモゾと身体の中を、いや、もっと奥の魂を直接まさぐられる感覚。
ダメだ。意識が遠のいていく。力が抜けていく。
ガクガクと脚が震えはじめる。
視界もぼやけてきた。あぁ……走馬灯かな。
そのときのぼくの脳裏に浮かんだ光景は、たくさんの紅い彼岸花が咲き誇る世界だった。
空は黄昏色に染まり、紅い蝶がひらひらと舞っている。
あれ? どこかで見たことがある。こんな景色。そっか、これは魂の世界……確か名前は。
――”
そして景色だけじゃない。
声が聞こえる。
懐かしい声が。どこかで聞いた声……可愛くて、ひょうきんで、小難しくて、チグハグで、謎めいた、不思議な声が。
『大丈夫だよ、×××はここで終わるけれど。終わりは次の始まりでもある。その始まりが、終わりの始まりなのかもしれないけど』
そうだ、思い出した。この声は――。
『また逢おうね、あーちゃん』
頭の中でずっと響いていた、この声の主は――。
「ずっと……そこにいたんだね、
「何よ、これ……私を拒む、強い力が……っ!! うぅっ――!?」
バチン! 一瞬部屋全体が光ったかと思うと、童咋家の奥方の手がぼくの胸元から弾かれるように離れていた。
「うっ、ぐ……この、小娘……身体の中に
手を抑えてあとずさるサユちゃんのお母さん。
ぼくに触れていた彼女の手は、まるで煮えたぎった油に手を突っ込んだかのように真っ赤になって皮膚がただれていた。
な、なんとかなったのかな。
「おのれ……よそ者の……小娘ごときがっ! 私に逆らおうなんて、なんて生意気! 河童たち、やっておしまい! 尻子玉なんてもういい、圧倒的な暴力を前に、女は無力なのよ! 徹底的に辱めて、屈辱とともに無意味な死を与えてやるのよ!」
ヒステリックに喚く美女の指令に答え、今度は6体の河童がぼくを取り囲み、詰め寄ってくる。
ついに直接的な手段に出たってワケだ。
だけど対抗手段なんてない。ぼくの力では切り抜けられそうになかった。
「っ……助けて、先輩……!」
もはや、救助を願うしかなかった。
こんな時、先輩なら……。奇跡を願うしかなかった。
そうして無力なぼくは目を閉じた。
祈りとともに。
「……?」
……そして。時間が過ぎ去った。
歯を食いしばって耐える態勢に入っていたけれど、いっこうに河童は襲ってこなかった。
ぼくはおそるおそる目を開ける。
すると、ぼくの目の前には河童じゃなくて、男性の背中があった。
――お父さん?
一瞬そう思った。大人の背中、先輩じゃない。直感的にいないはずの人のコトを思い浮かべてしまった。
だけど違う。
後ろ姿でもわかる。クシャクシャのパーマがかった奇妙なオレンジ色の髪の毛。
上半身は
和室、畳の上だというのに堂々と革靴であがりこむふてぶてしさしか感じない出で立ち。
「おいおい、仮にも呪術士が
ひょうひょうとした口調でその男は美女に語りかける。
童咋家の奥方は目を見開き、「貴様は……!」と驚愕していた。
「なぜ……河童が動かない。貴様の仕業か!?」
「さぁね、河童クンたちの
「貴様……何者だ。”ファウンダリ”の”V.S.P.”か」
「そんな高級なもんじゃねえさ。ま、通りすがりのおじさんってトコかな」
「ふざけるな!」
「これはこれは……美人の奥方様に失礼だったかな?」
男は余裕の態度で軽く会釈して自己紹介をするのだった。
ああ、そうだ。
覚えてる。ぼくはこの男と会ったことがある。
あの”振り返ってはいけない道”、その跡地で。
そして小山先生の過去にも関わるこの男の名は――。
「オレの名は
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