18,666 童咋沼の河童 Coppelia


 遥か千年以上も前のことよ。

 この童咋どうがみの土地で大飢饉だいききんが起こった。

 人々は飢え、苦しみ、人口は半分以下に落ちたとされるわ。

 原因を童咋沼に住む水神すいじんの怒りと考えた当時の豪族は、”人柱ひとばしら”を差し出すことにした。


 ”人柱”というのは、神の加護を得るために生きた人間を生贄に捧げるという意味よ。

 これまで小さな飢饉が訪れたときも、童咋の土地はそうやって生き残ってきた。

 だけどその時の飢饉は過去に類を見ない大飢饉。

 並の”人柱”では神様は満足しない。民衆も納得しない。そう考えた豪族はね――。


 自らの娘を差し出したの。


 その土地で最も美しく、身分が高く、まだ汚れなき少女だった。

 彼女は気丈に振る舞ったわ。

 父の期待に応えるため。民を救うため、明日、沼に生きたまま沈められる。

 その決意を固めた夜だった。

 夜空に一筋の光が動いて見えたのよ。

 当時は流れ星の正体なんて誰も知らなかった。

 でも彼女は本能的にその光に向かって祈った。本当は――。


「本当は死にたくなんてない。生きたい。いつまでも生きていたい」


 ってね。

 そして夜が明けた。

 美しく着飾った少女は沼に運ばれ、ついに最期の時となった。

 願いも虚しく少女はあっけなく沼に沈んでいき、やがて見えなくなった。

 着物が汚れた水に濡れて重くなった彼女は、村人に見守られながら最期までもがき苦しんだそうよ。

 その直後。”何か”が沼のほとりに打ち上げられているのを見つけた。

 その何かというのが……”人魚”だった。


 人魚、我が家に伝わる文献にはそう記されているけれど。

 実際のところ、そんなキレイなモノではなかったそうだわ。

 腕はタコのような八本の多腕になっていて、人間のような仮面のような、無表情の顔が腹部に埋め込まれていた。

 下半身は魚のようだけれど、エラの部分に不気味な牙がついてパクパクと閉じたり開いたりしている。

 そして背中には……根本で折れ曲がり、退化した羽根のようなモノが生えていたらしいわ。

 身体全体が半透明で、内臓がどくどくとうごめいているのが外からでも見えた。


 ピクリとも動かなくて、生きているのか死んでいるのかわからない。

 不気味な話よね。だけど当時の村人たちはこれを、”水神の恩恵”だと捉えたそうよ。

 村で一番の娘を捧げたのだから、当然のお返しなのだと。傲慢よね。

 だからね……。


 お腹が空いた村人たちはその”人魚”を食べてしまったの。

 人魚の肉を食べたものたちは食事をとらなくてもよくなり、衰えも疲れも知らない剛力を得た。不老不死の力を得たと思った彼らは土地を開き、復興させた。

 見事、未曾有の大飢饉から村は救われたの。

 だけどね、彼らは、そう。人魚の肉を食べた。知っての通り、人魚の肉を食べた者は不死となる。

 死なないんじゃない。

 死ねない・・・・のよ。

 彼らは役目を終えて、老後は若者たちに見送られてひっそりと息をひきとる……はずだった。

 死ねなかった。老化し、衰え、ひからびた身体はまだ動き続けていた。

 魂をすでに失い、”動く死体”と化していながらも動き続け、今度は生きた村人を襲い始めた。

 失った魂を取り戻すため、物質化された魂――”尻子玉”を求める怪物と成り果てた。


 それが童咋沼の河童の正体。

 生きるために生贄まで捧げ、神の使いの肉まで喰らい、執着し続けた者たちの成れの果て。

 魂を求め彷徨う亡者。

 その村……今は町だけれど。この土地の住人と、その子孫が魂を抜き去られると、醜い姿になってしまう理由よ。


 さて、話はまだ終わりじゃないわ。

 ここまでが河童のルーツの話。そしてここからが神との”契約”の話。


 河童が増え、村は再び危機に陥った時代。

 その時の豪族もまた、懲りもせず娘を”人柱”にしようと童咋沼を訪れた。

 死の恐怖に震える娘を無理やり沼に沈めようとしたその時、沼の底から現れたのよ。


 かつて沼に沈められた”人柱”の少女がね。

 彼女は沈んだときのきれいな身なりのまま、汚れなき若い姿のままだった。

 豪族は一目で理解した。村が得た偽りの不死ではなく、彼女こそ真の不老不死になったのだと。

 ”おびくにさま”の誕生だった。

 彼女は豪族に言った、”契約”すれば河童たちを沼にかえすと。

 さらに、今後生まれる河童を操る力を豪族の血筋に与えると。

 そのかわり、豪族の子孫に生まれた少女のうち、血が濃くかつ汚れなき魂を持つ者を”人柱”として代々捧げ続けろと。


 おびくにさまはこうも言った。

 童咋沼の中央に位置する”中ノ島”。その中心には底なしの井戸がある。

 誰が作ったのかわからない。底を見たものは誰もいない。底に何があるのか、そもそも底があるのかもわからない。

 一説には村が成立する以前から存在するその井戸は別名”忘却の海”とも呼ばれていたわ。

 そして”人柱”の汚れなき魂が物質化した”尻子玉”がこの”忘却の海”を埋めつくすほど集まった時、”深淵に潜む古き神”が復活するのだと。


 その神は人間の世界が始まるずっと前、”忘却の海”の底に沈められた古き世界の神。

 太古の世界を支配していた大いなる存在。

 古き神が復活すれば、人間の世界は終わり。世界全ての魂”忘却の海”に集められ一つとなり、新たな世界が始まる。

 豪族はこの”契約”を飲んだ。

 自らの娘を生きたまま”忘却の海”に沈めることで……これが、始まりだった。

 村で暴れまわる河童は大人しくなり、沼の奥や中ノ島まで去っていったとのことよ。

 それでも豪族の直系以外が”中ノ島”へ入り込むと容赦なく襲い、尻子玉を抜き取った。

 だから”契約”以降も河童はたびたび生み出されることとなった。

 豪族の家系は手なづけた河童を使い、”人柱”候補の少女をさらっていったそうよ。


 これがこの土地の成り立ち。

 童咋沼の”童咋どうがみ”という名前はね……。


 こどもかむことから名付けられたの。

 この町からは今でもときどき少女がいなくなる。河童が尻子玉を抜き取り、”忘却の海”へ還すからね。

 でも不思議じゃないわよね?

 この町以外の人間社会でも、小さな女の子なんて誘拐されて辱められて……最後には殺される。

 こんな残酷なことが珍しくもないんだから。

 私達は”契約”に従って、崇高なる目的のために”人柱”の誘拐を続けている。

 だけどどうかしら?


 確かな目的もなく、ただ自らの一時的な欲望を満たすために少女を傷つける。

 そんな人間で溢れかえっている外の世界こそが、異常なんじゃないかしら?

 異常者の欲望の玩具オモチャにされる少女の人生に、意味はあるかしら?

 いいえ、ないのよ。

 外の世界では、少女たちの犠牲に意味はない。

 だけどこの町では違う。

 少女たちの犠牲は……サユの犠牲は。

 大切な意味を持つの。

 生きていることに意味が保証されるのよ。この無意味な人生に、神様が確かな意味をくれるの。

 それがどれだけ幸運なことか。

 だからサユがこうなっても悲しくはないわ。

 サユの魂は”忘却の海”へと還った。

 ”古き神”が復活すれば、その時は――世界全ての魂が”忘却の海”へ還る。

 血が薄く、”人柱”になれなかった私の魂もそこに導かれるわ。


 新世界で、私達はまた一つになれるのよ。

 ”忘却の海”はもうすぐ満たされる。

 サユの尊い犠牲によってね。

 私達の計画はもう誰にも止められない。


 アハ……っ。


 アハハハ。



 アハ、





 アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――

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