18,5 童咋沼の河童 Kappa
カナタくんの証言を聞き終えたぼくらは、さっそく旅館を出た。
まだ夕方だ、完全に日が落ちるまで調査できる時間は残っていた。
「まずはサユちゃんの家に行ってみるのが先決ね」
小山先生が言った。
その意見には賛成だけど……。
ぼくが異議を唱える前にカナタくんが指摘する。
「どうせ追い返されるだけだよ!」
「そうね、カナタくんが一緒だと結果は一緒でしょうね」
「そ、それどういう……」
「子どもには言えない事情がある。あるいはカナタくんだから真実を告げられなかったのかもしれない。そういう可能性を考慮すると、大人が行くほうがチャンスはあるわ」
ここまで言われてぼくにも意味がわかった。
「つまり……小山先生がサユちゃんの家に行くってことですか?」
「そうよ」
「いくら大人とは言っても、部外者に子どもの情報を漏らすなんてことないんじゃ……」
「大丈夫、私に考えがあるから」
小山先生はスマホの通話アプリを起動して、ぼくと通話をつなげた。
小山先生の側はマイクをハンズフリーモードに切り替える。これでスマホの近くじゃなくて、周囲で話している人の声を拾うことができる。
そしてぼくの側のスマホをマイクミュートに設定する。小山先生周囲の音をぼくのスマホで拾えるようになった。その上で、こちらの音はあちらに漏れることはない。簡易的な盗聴器というわけだ。
小山先生一人がサユちゃん宅へ赴いても、内部の様子がわかるようになる仕掛けだった。
準備は整った。
ぼくらはサユちゃん宅の近くに到着する。
土地勘のあるカナタくんが家の窓から見えない角度に案内してくれた。
ぼくと先輩、カナタくんの三人はそこで待機。
なぜかスーツを持参していた小山先生はパリっとした格好で一人、サユちゃん宅へ近づいてゆく。
「本当に大丈夫なんですかね……」
ボソボソとぼくが呟く。
「ま、俺たち未成年は信用ないからな。今は
先輩が冷静に答える。確かにそうだけど……。
胸騒ぎがする。理由はわからないけれど、どうにも不安だった。
この作戦、うまくいくのだろうか。
「それにしても……大きいですね」
不安の原因の一つになっているのだろうか。サユちゃんの家は広い。
古い日本家屋で、一階建てだけど面積が大きく離れや、庭に池まであるときている。
「ああ、サユちゃんちは代々この町で一番偉い人の家系だからな」
「町長さんってことですか?」
「そーゆーんじゃないけど……それは表向きのお偉いさんだろ? サユちゃんちの一族は……なんていうか、町長が変わるたびに絶対に挨拶に来るような感じっつーか。催事があるときもいちいち主催者がお伺いを立てに来るような。裏のお偉いさんなんだ」
「へぇ……あるんですね、そういうの。現代でも」
そうこうしているうちに、ぼくのスマホから音声が流れてくる。
小山先生のスマホのマイクがキャッチしたものだ。
『失礼します、◯◯学校の教師をしております、小山鏡花と申します』
『小山様ですか。本日はどういった御用で?』
応対しているのは割烹着を着た中年の女性のようだった。
「お手伝いさんだよ、サユちゃんのコト小さい頃から面倒見てくれてる」とはカナタくんの弁だ。
『私のクラスの生徒であるサユさんのことなのですが。長い間学校に来ていないので、様子を見に来ました』
『あら、それは……おかしいわ。サユ様の担任は大森先生だったはずだけれど……』
まずい。怪しまれたか?
小山先生の「考え」とはサユちゃんのクラスの担任になりすますことだったらしい。
だけどそれはリスクが大きい。本物の担任を知られていた場合嘘だとすぐにバレてしまう。
ドクドクと心臓が高鳴る。つい、ぎゅっと拳に力が入ってしまう。
『これは失礼、担任ではなく副担任なのです。それも、9月度から赴任した新人でして。ご挨拶が遅れて申し訳ありません』
『い、いえいえ失礼しました。これはご丁寧にどうも』
う、うまい! 小山先生のアドリブか、最初から作戦だったのか、まんまとお手伝いさんを騙すことに成功したみたいだった。
『サユさんの様子を見に来たのですが、会わせてはいただけませんか?』
『それは……困ったわねぇ。本日は当主様がご不在でして。私の一存ではどうにも……』
『では、様子だけでも教えてくださいませんか?』
『……大森先生から聞いていませんか?』
『いえ、大森からは、何も。新人だからこそ自分の足で生徒と関わるよう指導されています』
『そう……そうよね、あなたは他所から来た人みたいだから。聞かされてないのよね……』
『え……?』
『口にするのもおぞましいことだから』
ボソリと、マイクがギリギリ拾えるかすれた小声でお手伝いさんはそう言った。
『それは……どういうことですか?』
『あんた……小山先生だっけ? いまのうちに教えてあげるけど、この町ではね、
『な、何を言って……』
『最初はね、赴任した先生なんかも生徒が
お手伝いさんの口調は変わっていた。
今までの柔和な家政婦、というようなものから、噂好きの中年女性の本性が現れたかのような。
『多発する行方不明……サユさんも、その一人だと?』
『それとはちょっと違うんだけどね……サユ様はちゃんとこの屋敷の離れにいるさ。どうにも他人に見せられる状態じゃないってんで……あたしたち使用人も立ち入りが禁止されてるんだけどさ。今は当主様と奥様だけが面倒を見てるってわけさ』
『どうしてそうなったんですか? やはり重い病気なのですか?』
『……それがね、おかしいんだよ。サユ様は魚が好きだからってね、奥様が魚料理を振る舞ってあげるってんで材料だけはあたしが買い出ししたんだけどさ……。奥様ったら魚を受け取ったら、生のまま離れに持ってっちまってさ。離れには調理器具なんてないのにね』
『どうしてそんなことに……』
『噂ではね、サユ様が離れに隔離される前……行っちまったらしいんだ。”
『禁足地?』
『あんたはよそ者だから知らないのよね。いい機会だから知っておいたほうが良いよ、
『そんな噂があるのに、どうしてサユさんは禁足地へ入ったのでしょうか?』
『さあねぇ。でもまあ、わかる気がするよ。あの島はこの家の当主様だけが足を踏み入れることを許される土地。自分の父親が頻繁に怪しい場所に行ってたら、娘としては気になるんじゃないのかねぇ』
『……』
『おっと、長話が過ぎたね。そういうわけだから、家には上げられないのよ。ごめんなさいね、おほほ。あたしももう、仕事に戻らなきゃだから』
『いえ、お時間を取らせて申し訳ございません。貴重なお話、ありがとうございました』
会話は終わった。
小山先生が屋敷に背を向けて戻って来る。
その時だった。
「そんな……サユちゃん……”中ノ島”に行ったのかよ」
カナタくんが拳を震わせていた。
「だから河童がいるって……言い伝えは本当だったんだ」
「言い伝え?」
「オレたちの町の古い言い伝えだよ! 中ノ島に入った人間は河童に尻子玉を抜かれるんだ! サユちゃんの家系は、昔町を襲った河童たちを中ノ島まで追いやって封印した尼さんの直系の子孫なんだ!」
「え、え、それってどういう……」
次々と襲ってくる情報の波に飲み込まれて、混乱していた。
そうしているうちにカナタくんは立ち上がり、走り出した。
「行かないと!」
「行かないとって、どこに!?」
「サユちゃんのとこだよ! 離れにいるんだよ、会いに行く!」
「ちょ、待って!」
ぼくはカナタくんを追って走り出す。
「おい、待て!」止めようとする先輩に、「先輩は小山先生と合流して待機していてください!」と言い残して。
「はぁ、はぁ……どうするつもりですか。お屋敷に忍び込むつもりですか」
「そうだよ。この町はオレの庭みたいなもんだ。ほら見ろ、生け垣が破れてる。この穴から簡単に出入りできるだろ」
「もしかしてサユちゃんの居場所がわかったら、すぐに忍び込むつもりだったんですか?」
「決まってんだろ!」
言いながら、カナタくんは生け垣に空いた穴を通り抜けた。
さ、さすが小学生。細い。
ぼくはといえば、うん……太ってない。太ってないからね。当然通り抜けられた。
うん。これはぼくがスリム体型だからできたことであって、決してチビだからじゃないんだ。
自分に言い聞かせながら、立ち上がる。
ちょうどそこは離れの裏側だった。
靴を脱いで堂々と上がり込むカナタくん。屋敷の人に見つかるんじゃないかって不安だったけど、さっきのお手伝いさんの話だとこの離れに人はあまり寄り付かないように指示されているらしい。
ぼくもそろりそろりと忍び込んだ。
そしてふすまを開けると、そこには。
畳の匂い、そして古びた木の匂いに満たされていた。
和室だった。ふすまに囲まれ、中央にはなぜか木組みの檻のようなものが鎮座している。
「
だけど現代にこんなものが……?
そう訝しみながら見ると、隙間から人影がチラリと見えてきた。
「サユちゃん!」
カナタくんは木組みの檻に駆け寄った。
すると、その時だった――。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアァ!!!!」
獣の唸り声とともにガン、と木製の柵にぶつかる人影。
明らかに、小学生の女の子じゃない。小柄だけど、潰れた顔で、大きな口、手足が細くて、髪もところどころ抜けていて……。
「コイツは……サユちゃんじゃない……なんなんだよ……!」
たぶん、カナタくんも気づいていた。
檻の中で暴れ、柵を叩く生物。
小柄な体格の人型、潰れた顔に大きな口、細い手足、そしてヌメヌメとした質感の汚れた肌。
ボロキレを着ているから、かろうじて人間にも見えるけれど、これは間違いなく――。
「――河童よ」
ぼくらの背後から声がした。
驚愕して振り向く。そこには檻の中の醜い生物とは対照的な、美しい女性が立っていた。
着物を着こなし、つややかな黒髪をシニヨンにしている。奇妙なことにその手には生魚が握られていた。
上品な雰囲気の女性はどこか悲しげな目つきでぼくら――ではなく、その向こうの怪物を見つめている。
「お察しの通り、それは河童。カナタくん、あれほどダメだと言ったのに。見てしまったのね」
「……サユちゃんのおばさん。なんだよ、コイツはなんなんだよ! オレはサユちゃんがここにいるとおもったから来たんだ、なのにここにいるのは……バケモンじゃねえか!」
「……カナタくん。もうわかっているのでしょう? ここにいるのは河童だけれど、化け物じゃないの」
「……なんだよ、それって……それって……」
美女はこの屋敷の”奥様”、つまりサユちゃんの母親らしい。
彼女の言葉に、カナタくんはうつむく。
そうしているうちに、柵を持ってガタガタと揺らす怪物――いや、河童はくちばしのようにも見える大きく裂けた口を開いて、何かを訴えようとしていた。
「ウオォ……」弱々しく口の隙間から声らしきものがこぼれる。
「ウ゛ォォ……カ、ナ゛……カ゛ナ゛タ……ク゛ン゛……」
「っ――!?」
そこでカナタくんは気付いたみたいだった。
ぼくも察した。察してしまった。この生物は……”河童”の正体とは――。
「お前……サユ、なのか……」
「カ゛ナ゛……タ゛……ク゛ン゛……」
「なんで、なんでそんな姿に……」
「正確には、サユだったモノよ」サユちゃんのお母さんが言った。
「この子は”禁足地”に入った。その結果”尻子玉”を抜かれ、こうなった」
「どういうことですか?」
ぼくが口を挟む。
カナタくんはともかく、突然侵入したよそ者であるはずのぼくにも怯まず彼女は返答する。
「”尻子玉”というのは私達の言葉でいう”魂”のことよ。この河童は、サユが魂を抜かれた”抜け殻”なの」
そう言いつつ、柵の隙間から持っていた生魚を投げ込んだ。
河童はすぐに魚に飛びつき、生のままかぶりつく。
ぐしゃ、ぐしゃ、と肉が噛みちぎられる音が和室じゅうに響いた。
うぅっ、不快な音と臭いにおもわず眉を潜めた。
「サユ、そんな醜い姿になって。かわいそうに。でももうすぐ
「また会える?」どういう意味?
まるで理解が追いつかなかった。
この生魚を喰らう醜い化け物がもともと人間だった? 信じられない。
「おばさんがサユをこんなふうにしたのか?」
カナタくんは歯を食いしばってそう問うた。
ぼくと同じように、あまりの恐怖と困惑に立っているのがやっとのハズなのに。
それでもカナタくんは気丈に振る舞っていた。
「まさか」
サユちゃんのお母さんは淡々と答える。
「大事な娘を巻き込むなんて、”計画”のうちじゃなかったわ。主人もたいそう心を痛めている」
「計画?」
今度はぼくが口を挟む。
「計画……つまり、このお屋敷のご主人がその”禁足地”とやらで何か悪巧みをしているということですか?」
「悪巧みとは人聞きの悪い。”契約”を果たしているのよ、私たち
「契約……。”おびくにさま”という言葉は聞いたことがあります。”
「うふふ、物知りね。概ね正解だけれど、私は嫁入りの身だから血は薄いの。”契約”を継いだのは当主たる主人のほうよ」
余裕綽々といった様子で美女は質問に答える。
なんだろう、重大な秘密に触れられているっていうのに全然躊躇がない。
ぼくらにバレても問題ないということなのだろうか……?
「”契約”というのは? いったいどういった内容なんですか?」
「いいでしょう。話してあげましょう。もう”計画”は完遂に近づいている、全ては
こうして美女は血のように真っ赤な口紅に覆われたつややかな唇を開き、話し始めた。
この町の成り立ち。
”おびくにさま”と”河童”。
そして”深淵に潜む古き神”の物語を。
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