18,4 童咋沼の河童 Kappa


「それ以来サユちゃんとは一度も顔を合わせてない……どこに行ったのか、わかんねーままなんだ……」


 カナタくんの話は終わった。

 うなだれるカナタくんに掛ける言葉がみつからなかった。

 少しだけ沈黙が流れる。

 その静けさを最初に破ったのは、意外にも小山先生だった。


「まずは状況を整理しましょう」


 先ほどカナタくんが語った”おびくにさま”など、気になることはいろいろあるんだけど。

 小山先生は小山先生らしく、現実的な話から始めるのだった。


「その後、サユちゃんとは”顔を合わせていない”と言ったわね。連絡は取れたの? 電話とかメールとか、メッセージアプリとか。手段はいろいろあると思うのだけれど」

「どれも試したけど、ダメだった。メッセージアプリは最初の数日間だけは既読がついてたけど、その後は既読すらつかない」

「なるほど。あとは関係各所への確認ね。サユちゃんは小学生だから、家庭と学校が所在を知っていると考えるのが自然だけれど」

「依頼のメールにも書いたけど、どっちも空振りだった。ハヤリ病だの、病欠だのの一点張りで……だったらどの病院に入院しているんだとか、せめて一目顔を見せてほしいとか頼んでも……門前払いだ」

「……」


 小山先生は少し考え込み、続ける。


「病欠という2つの主張は一致している。基本的にはその線で考えて良さそうね。学校は個人情報保護が厳しくなってきているから、友達といえど病気の内容まで勝手に明かすことはできない。となると家庭のほうだけれど……カナタくん、サユちゃんとは仲良しだって言っていたけれど、ご家庭とはどうだったのかしら?」

「サユちゃんの両親とはそりゃあ、長い付き合いだよ。泊まりにいったことも何回もあったし……オレにだって良くしてくれてた。なのにサユちゃんが消えてかららオレに冷たくなった感じで……家に行っても全然話してくれねーんだ」

「……余裕がなくなったのかもしれないわね。こう仮定しましょう、サユちゃんは簡単には他人に言えない病にかかったと」

「他人に言えない病……?」


 カナタくんは困惑して聞き返した。


「そう、確かに仲良しのあなたにすら言えないのは不自然だけれど、世の中にはそういう病気が確かにあるのよ」


 そして小山先生はきれいに手入れされた爪を三本立てて「すぐに考えられる範囲でも3パターンあるわ」。


「まずひとつ、これはもっとも軽いパターン。本当に流行り病だった場合。たとえばノロウイルスならば、カタナくんの眼の前で嘔吐した症状と合致するわね。とはいえ、水草が胃から出てきたのならば食中毒という線もあるけれど……食中毒なら感染しないから、顔を合わせられないというのは考えにくい。ノロウイルスのような感染力の高い疾患は、隔離するという対処にも納得がいくわ」

「た、確かに……でもそれじゃメッセージアプリに既読がつかないのは……?」

「発症から数日は自宅療養だったのが、重症化して入院したとすれば、スマホを家においたままかもしれないわ。その場合既読がつかなくなってもおかしくない」

「な、なるほど」


 小山先生の説には納得性がある。

 でも――。

 ぼくは手を上げて発言する。


「でもそれだけじゃ、学校や家族が仲良しのカナタくんにまで病名を伏せる必要性がないんじゃないですか?」

「そうね、そこで2つ目の仮説よ。サユちゃんが人に言えないような重病だった場合。例えばガンとか、生命に関わる病気」

「えっ……!」


 ガタリ、カナタくんが立ち上がる。

 拳を握りしめ、「そうなのか!?」と小山先生に詰め寄った。


「確実にそうだとは言っていないわ。今は可能性の検討をしているだけよ。一般的に、生死に関わる大病を患った場合、周囲にそれを公表するかどうかは慎重になるでしょう? 余命や治療方針がある程度固まるまでは家族だけで情報をとどめておくものよ」

「そ、そうか……全然思いつかなかった……なぁサユちゃん、死んじまうのかな……?」

「まだそうと決まったわけではないわ。生死に関わる大病以外にも、周囲への公表を控える病気がある。それが精神疾患よ」

「せいしんしっかん?」

「心の病気、と言い換えればわかるかしら。精神に変調をきたし、正常に働かなくなる病気。簡単に言えば……以前とは違った性格になったり、突然大声をあげたり、見えないものが見えたり、聞こえたり――」

「……!」


 カナタくんは目を見開いた。

 なるほど、小山先生の仮説。その”本命”はパターン3か。

 確かにカナタくんの今までの話は、「サユちゃんが精神疾患を発症した」と仮定すれば辻褄があう。


 学校でカナタくんと「おびくにさま」をやった時の不可解な言動。

 「河童を視た」という幻覚を思わせる発言。

 そして吐瀉物から水草が出てきたという異常な現象は……サユちゃんが「沼の水を飲んだ」という異常な行動がその前にすでにあったことを意味する。

 学校も家庭も、「サユちゃんが精神に異常をきたした」なんて事実を公表できるわけがない。

 特に、彼女と仲良くしていたカナタくんにはなおさらだろう。

 だってその事実を知れば、カナタくんは確実にショックをうける。サユちゃんの両親とカナタくんの関係が良好なのだとすれば、それ故に事実を隠すという方向に動くんじゃないだろうか?


「で……でも!」


 カナタくんは冷や汗をかきながら反論する。


「あの”おびくにさま”はなんだったんだよ! あの時のコインはスゴい力で動いてたし! サユちゃんもびっくりしてるみたいだった!」

「サユちゃん自身が無自覚に動かしたのよ、きっと。精神疾患の患者は脳のリミッターが利かなくなって、通常では考えられない力を発揮することがあるそうだから」

「だったら! サユちゃんの顔がいきなり崩れたように見えたのは!?」

「精神に変調をきたして、普段サユちゃんが絶対にやらないような表情をしたんじゃないかしら。カナタくんは彼女のことを幼い頃から視てきた。だからこそ、記憶の中の彼女のイメージとの乖離が大きくて異常な顔に見えてしまったのよ」

「……っ」


 カナタくんはうつむいて黙り込んだ。

 小山先生の仮説3はぼくの目から見ても隙がないように思えた。

 だけどこうも思った。この”答え”はカナタくんの求める答えとは違うんじゃないかって。

 カナタくんは潤んだ瞳で先輩を見つめる。

 先輩はというと、ずっと無言で顎に手を当てていた。


「先輩……? 先輩はどう思うんですか?」


 ぼくがそう問いかけると先輩は、


「小山先生の仮説に同意だ――半分はな」

「半分?」

「そう、半分だ。確かに今の仮説でサユちゃんの行動のほとんどは説明できる。しかし――カナタの依頼を達成するにはまだ半分でしかない」

「え……?」


 先輩は立ち上がり、カナタくんの前に跪いた。

 そして震える少年の両肩に優しく手をおいて、ゆっくりと語りかける。


「この依頼、サユちゃんの行方を知るためだけじゃあないんだろ。カナタ、お前が気がかりだったのは、サユちゃんの言葉をちゃんと聞いてあげられなかったことなんじゃあないのか?」

「……センパイ……」


 揺れる瞳でセンパイを見つめ返して、カナタくんはコクリと頷いた。


「そう、そうだよ。オレは謝りたい。なんでちゃんと聞いてあげられなかったんだろうって。あの時、サユちゃんの話を本気で聞いていればって……結果は違ったんじゃないのかって。ずっと思ってるんだ。あの時サユちゃんは思い詰めてた。何かに追い詰められてた。それがなにかはわからなかったけど、一緒に戦ってあげられたかもしれないんだ。あれがサユちゃんの精一杯のSOSだったかもしれないんだ……なのにオレは、サユちゃんのこと信じられなくて……」

「お前の依頼はサユちゃんに何があったのか暴き出すことではなく、彼女と再会し、彼女の言葉に耳を傾け、謝って……今度こそ寄り添ってやること。そうなんだな?」

「……うん」

「だったらまだこの依頼は”半分”だ。サユちゃんは何らかの理由で精神に異常をきたしたのかもしれない。”河童”だとか”おびくにさま”なんて実在しなくて、全部気の所為なのかもしれない。だが重要なのは……サユちゃんが本当は何を伝えたかったのか知ることだ。俺達の”謎解き活動”ってのは、ずっとそうやってきた。だろ――?」


 先輩はそう言ってぼくに目配せをした。

 なんだか……先輩らしくないと思った。カナタくんに寄り添って、現実的な回答で見切りをつけるだけじゃなくて。

 まるでこれは先輩の役割じゃなくて、いつものぼくの役割みたいだと思った。


 何かが変わってきているのだろうか。

 先輩も、この活動を通じて、何かが。


 うん、ぼくは不安げなカナタくんに笑いかける。


「先輩の言う通りです! 本当の謎は――人の心なんですから!」

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