16,2 疵痕 Sign・鋪

 夕日が沈みかけている。

 下校時間に差し掛かろうとしていた。

 ぼくと東風谷会長の”ファイルX”の謎解きは、そもそも大した相談内容が見つからずに終わる。そんな雰囲気を醸し出していた、その時だった――。


「学園の七不思議『割れた鏡』……?」


 東風谷会長が学生からの手紙を持ってそう呟いた。

 『割れた鏡』というフレーズには聞き覚えがある。


「それって北校舎三階奥の女子トイレの手洗い場にある鏡のことですよね」

「知っているのですか?」


 会長は初耳みたいだった。

 とはいえぼくも最近耳に挟んだ、最新の噂なんだけど。


「ちょっとヒビが入った鏡があるんです。そこだけ老朽化したみたいな雰囲気で不気味なので、誰が言い出したのかはわからないんですけど『呪いの鏡』って呼ばれてるみたいで」

「呪いの鏡……」

「噂によると、深夜零時ちょうどに鏡の前で呪文を唱えると、唱えた人間にとって『最も逢いたい想い人』の姿を映し出すそうなんです。そして、鏡の中の想い人がこちらに手を差し伸べた時にその手を取ってしまうと……鏡の向こう側に引っ張り込まれて、二度と帰ってこなくなるとか」

「……」


 会長はぼくの話を聞くと少しうつむいてなにかを考えていた。


「あ、あれ、会長? どうしたんですか?」

「なかなか面白そうじゃない! 検証してみましょうよ、比良坂さん!」

「え、ええ!? そういうノリですか!?」

「モチのロンよ! 実際にこの噂を解き明かすためには、噂の手順を試してみるのが一番手っ取り早いわ!」

「でもでも、深夜の学園に潜入するなんて――」


 ここまで言ってハッとした。

 そうだ。普通の学生なら無許可で深夜の学園に入り込むなんて出来ない。

 だけど目の前にいるこの人は――。


「もちろん学生議会長であるこのわたくしが許可いたしますわ〜!」


 口に手を当てておほほほ、と高らかにお嬢様笑いをキメる。

 そう、この人こそが学園のトップなのだ。以前も『足を引っ張る』事件で夜のプール調査をぼくらに依頼した時と同じ。その権限があるのだ。

 今度は、彼女自身が検証しようというのだろう。


「ではさっそく今夜、学園に集合ですわ〜!」

「お、おー!」



   ☆   ☆   ☆




 そして夜になった。

 手はず通り学園で落ち合ったぼくと会長。

 零時前になるまでは学生議会室で雑談しながら待機して、いよいよその時間が近くなった頃に廊下に出た。

 移動中は彼女の車椅子をぼくが後ろから押す形だ。

 ゆっくりと揺れる彼女の長く美しい髪をなんとなく目で追っているうちに、なんとなく気になってきた。


「あの、会長は大丈夫なんですか?」

「大丈夫って、何が?」

「なんていうか、その。ご家族が心配してませんか? 会長のお家ってたぶんお金持ちですよね。そういう家って……その、門限とか厳しいんじゃないか」

「そういう比良坂さんは大丈夫なのかしら?」

「ぼくは母子家庭でお母さんは夜勤でいないので、そのへん問題ないんですけど」

「そうなのね」

「っていうかぼくの話じゃなくて……」

「そうよね、わたくしの話。質問を質問で返すのは0点ですわよね。ごめんなさい。わたくしは……そうね。心配してくれる家族はもういないから」

「っ……いない……?」

「両親を幼い頃に事故で亡くし、わたくしを育ててくれたお祖父様も数年前に」

「……すみません」

「いいのよ、客観的にみてわたくしは不幸ではないから。両親もお祖父様も莫大な遺産をわたくしに残してくださいましたし、幼い頃からわたくしを知っている使用人の世話になっているから。生活に困ってなどいないわ。だからいいの、同情なんてしなくて」

「そういうことじゃなくて……」


 なんだろう。口には出しにくいけど。

 お父さんをあんな形で亡くした自分は、どちらかというと傷が深い方に分類されると思ってた。

 こういうの、比べるものじゃないけれど。

 会長は同情なんてしなくていいって言うけど。

 それでも……彼女の負った心の傷を想像するだけで、なんだか悲しくなった。


「悲しい顔をしないで。あなたがそんな顔をしたら、わたくしも悲しくなってしまうから」

「会長……」

「本当に大丈夫なの。確かにお祖父様まで失ってふさぎ込んでいた時もあった。もう立ち直れないって思った時もあった。それでも、ある人との出会いをキッカケに立ち直れたから」

「ある人?」

「お祖父様のお通夜の時だったわ。お祖父様の死を受け入れられないわたくしを励ましてくれた女性がいたの。その人はこの学園の制服を着ていた。きっと当時の在学生で、お祖父様のお世話になった人だったのでしょうね。その人がくれた言葉が今もわたくしの胸の中にあるから……だからわたくしはこの学園に入学した。お祖父様が遺したものを、そしてあの人が見た景色を見てみたかったから。わたくしも、あんな風に優しい人になりたかったから」


 そんなことがあったんだ。

 ぼくは会長の話に何もいえなかった。うまく言葉が出てこなかった。

 会長の世界はきっと、優しい人との出会いで良い方向に変わったのだろう。

 そんなすごい人がこの世界にいるんだ。そう思うと安心する。だけど同時に、自分はきっとそんな人にはなれないだろうという諦念も湧き上がってくるから。

 ただ無言で車椅子を押して、やがて三階奥の女子トイレに到着した。


「到着しましたわね!」


 暗い廊下の中、ひときわ目を輝かせながら会長は声を張り上げた。

 ぼくらがトイレに入ると、例の”鏡”が手洗い場に鎮座していた。

 3つ並んでいる手洗い場の中心にそれはあった。その鏡は確かに、一つだけヒビが入っていてどこか不気味だった。

 トイレの電気をつけ、鏡の前で待機する。すでに時刻は午後11時59分。

 深夜零時直前だった。


「あ」


 ぼくはこの状況でやっと気づく。


「呪文! 鏡の前で呪文を唱えなきゃならないのに、ぼくたち呪文を知らないですよ!」

「それなら心配ありませんわ」


 会長が紙切れを取り出して広げた。


「”ファイルX”の中に、呪文が書かれた相談文がありましたから。深夜零時になったら、ここに書いてある文面を読み上げましょう。もしも変なモノが見えたとして、手を前に伸ばさなければ危険はありませんわ」

「そう……ですね」

「それにしても、ワクワクしますわね。”想い人”とは、誰のことなのでしょうか。比良坂さんは、やっぱり”あの男”かしら?」


 会長は意地の悪い笑みを浮かべる。


「ち、違いますよぉー! た、たぶん……」


 自信はないけど。

 たぶん、この場合の”想い人”とは”死別した人”なんじゃないかと思えた。

 つまりぼくにとってはきっと――お父さんだろう。


「さて、零時ですわ。唱えましょう」


 ぼくは会長に促されるように、彼女の持つ紙に書かれた呪文を読み上げた。


「「鏡よ鏡、我は求め訴えたり」」


 ……。

 静寂だけが流れる。

 鏡をどれだけ覗き込んでも、特に変化はなかった。

 ぼくと会長が映っているだけ。背後に誰か立っているとか、そういうことはなかった。

 はぁ、ため息をつく。やっぱり空振りか。

 もともと、最近できたばかりの不透明な噂話だったからあまり信じていなかったけれど。

 とはいえ、ここまでやって会長を落胆させる結果になったのはなんかやだなぁ。


「や、やっぱり何も起きませんでしたね! もう夜遅いですから、帰りましょう! 会長のことは、ちゃんと責任持ってお家まで送りますから――」

「――っ……!」


 だけど、軽いノリで声をかけたぼくと違い、会長は動かなかった。

 目を見開いて、じっと鏡を凝視していた。

 そして紅く艷やかな唇を小さく開いて、こう呟いたのだった。


「……お祖父、様……?」

「ちょ、会長? 冗談キツいですって〜。ぼくのことからかってるんですよね? お茶目さんなんだから〜!」

「あ、ああ……お祖父様、ずっと、そこにいましたのね……」

「か、会長……?」


 ぼくが声をかけても上の空で、彼女はブツブツと鏡に向かって語りかけていた。


「お祖父様、待って、置いていかないで……わたくしも一緒に、ずっと一緒に……そっちに行きますから……わたくしを連れて行ってください……」


 そうして彼女は手を前に突き出すと、ヒビ割れた鏡に触れた。

 その瞬間――鏡のヒビが拡がって大きな裂け目になる。

 鏡に触れる会長の手が裂け目に飲み込まれてゆく。

 会長の体が手に引っ張られ、どんどん鏡の向こうに入り込んでゆく。


「うそっ、な、何が起こってるの――!?」


 たぶん噂の通り、『お祖父様』が見えた会長はきっと……彼が差し出した手を取ってしまったのだろう。

 だから今、会長は鏡の向こうに吸い込まれそうになっている。完全に吸い込まれたらもう元の世界には帰れないだろう。


「そんなコトっ……させないっ!!」


 ぼくは会長の身体に思いっきりしがみついた。

 鏡の中に飲み込まれてゆく会長を後ろにひっぱって食い止めようとうする。

 だけど鏡の裂け目が生み出す吸引力はあまりにも強く、ぼく一人の力では全く抵抗できなかった。抱きついているぼくの身体ごと引っ張られる。

 すでに会長の身体は半分以上が裂け目の向こうに消え去っていた。このままじゃ、ぼくまで鏡の中に飲み込まれてしまうかもしれない。

 それでも。


「はなさない! 会長、東風谷会長! 目を覚ましてください! ここにあなたのお祖父さんはいません! 過去に飲み込まれないでください!」


 会長は鏡の裂け目の、さらにその向こう側だけを見つめている。

 ぼくの声なんて届いてないのかもしれない。彼女を連れ戻そうとするのは無駄なのかもしれない。だけど、それでも――何度だって叫んだ。


「会長は今、ここにいるんです! 会長、言ったじゃないですか! 『今が最高』だって! 『あなたはここにいていいんだ』って! 無意味な青春を楽しもうって、全部会長が言ってくれたんですよ! それを聞いてぼくは、あなたのこと本気で尊敬できるって思ったんです! ぼくたちの居場所を守ってくれる人だって思えたんです! だから! だから!!」


 ぼくの叫びは虚しくも、鏡の裂け目に吸い込まれてゆく。


「だから帰ってきてください――ぼくたちの世界に!」


 この言葉を最後に、会長ごとぼくの身体まで鏡の裂け目に吸い込まれ……。

 ぼくの意識は、一度完全に途切れた。

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