15,4 小山先生は呪殺されたがっている Hanged-Man・過
オレンジ頭の男は”
堂々と「偽名だがな」とも付け加えて。
燃え盛る集会所を背に、私とAちゃんは黒咲の車に乗って村を脱出していた。
私もAちゃんも口に出さなかったけど、村はもうダメだった。それを確信していた。
黒咲は「だいたい事情はわかっているが、調査の意味合いもあるからな」と前置きしつつ私たちに証言を求めたので、命を助けられた恩もあって素直に従うことにした。
ひとしきり経緯の説明を終えた後、私は運転席の黒咲におずおずと疑問を口にした。
「ねぇ黒咲さん、霊能者なの?」
「そんな高級なモンじゃねえさ。通りすがりのおじさんってトコかな」
「でもさっき、Bちゃんのコト……その手で何かしたよね!」
「この手か……」
黒咲は片手を開いて、手のひらを私に見せた。
焼印のような傷のような線によって、不思議な図形が描かれていた。
それは、ギリシャ文字の
円の図形を一本線で縦に割った図形だった。
「なに、これ……」
「”呪印”だよ。”ファウンダリ”の連中は”V.S.P.”だとか”ファイ・スティグマ”とか呼んでいるが、そんな格好いいもんじゃあねェさ。戒めみたいなモンさ、オレが過去に犯した罪のな」
「”呪印”って……呪いってコト? ねえ、Bちゃんは、村のみんなは……呪いでああなったの?」
「ああ、半分はな」
黒咲は妙な断言の仕方をして、話を続ける。
「しかし”儀式”って対処法は特にマズかったな。火に油を注いだ形になっちまった。子どもを救いたい一心だったんだろうが、あの祭司は力も知識も足りなかった。だったら何もしないほうがマシってこった」
「どういうことなの?」
「あの廃村の呪いはな、とっくに”賞味期限切れ”だったんだ」
「は……?」
「呪いが薄れてたってコトさ。このまま忘れ去られて誰も思い出さなければ、何も起こらなかった。”旧X地区”を放棄して新たな土地に移住したのはそのためだったんだろう」
「つまり――」ここにきて黙っていたAちゃんがやっと口を挟んだ。
「”旧X地区”から”新X地区”への移住や”入り口のない小屋”の封印は呪いを風化させるためにかつての村人がやったこと……という理解でいいのかしら?」
「そうだな、お嬢ちゃんの言う通り。村の大人たちには呪いの詳細は伏せられ、”旧X地区”へ近づくなとだけ言い伝えられた。このままいけば何も起こらなかった」
「呪いなんて非科学的よ」
「だったらミームってのはどうだ? お嬢ちゃん――Aちゃんって言ったかな。賢そうだからこっちの言い方なら理解しやすいだろ?」
黒咲は不可解なことを口にした。
Aちゃんは理解できたようで、「ミーム……リチャード・ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』で見た単語ね。情報の遺伝子――ということね」。
「ああ」黒咲はうなずき、
「遺伝子だけを持っているが生命体ではない、人から人へ伝染し、壊していく。そういう存在をウイルスと呼ぶ。”呪い”ってのはミームのウイルスみたいなモンなのさ」
「隔離され、弱毒化されていたウイルスを私たちが解き放ったと、そういうこと?」
「ああ」
「だったらなぜ私たちだけが無事なの?」
「お嬢ちゃん二人が
「は……?」
意外な返答に、Aがちゃんは目を丸くして驚いていた。
「弱毒化された呪いは、それだけじゃ生者に影響を及ぼすほどの力がねェ。そもそも死者が生者より強い道理はないからな。呪いを強くするのは、媒体となる生者だ。おそらくBちゃんって子は、特別信心深かったんだろうな」
「Bちゃんが……?」
そういえば。私は思い当たるところがあった。
小屋に入ってからのBちゃんの様子はおかしかった。
私やAちゃん以上に、何かを怖がっていたし怯えていた。
何より、小屋の中心にあった”呪物”を破壊してしまった時からだ。Bちゃんの様子がおかしくなったのは。
「”呪物”自体が問題なんじゃない」
黒咲は言った。
「そいつを壊しちまったという自責の念がBちゃんに呪いを宿した。言ってしまえば、村に遺された呪いではなくBちゃんこそが自分自身を呪ったんだ。そして、Bちゃんが呪われたと認識してしまった村人や……お嬢ちゃんたちを祓おうとした祭司。みんな呪いの存在を確信しちまったんだよ。信じなければ何事もなかった程度の、弱い呪いをな。彼らの信心が呪いを現実のモノにしちまった。思い込みの力ってのは想像以上に強いもんだ」
「つまり……わたしたちは信心が浅かったから。呪いを信じてなかったから無事と……そういうことなんですね」
「ああ」
黒咲は淡々と質問に答えた。
Aちゃんはなおも食い下がる。
「ミーム論を持ち出しても説明になってないじゃない! 思い込み程度であれほどの身体的変化が起こるわけ――」
「そうかい? お嬢ちゃんはDSM-5って知ってるかな」
「知ってるわよ、小学生だからってバカにしないで。精神疾患の国際的な診断基準のことでしょう?」
「そう。お嬢ちゃんの信じる科学の積み重ねが生み出したモノだ。そこに”心身症”って疾患が定義されている。心理的あるいは社会的要因で身体に器質的あるいは機能的症状が出ることを言う。噛み砕いて言えば、異常な心理状態は異常な身体症状を引き起こし得るってコトだ。この説明なら飲み込めるだろ?」
「そうかもしれないけれど、だからって体内から歯が出てきたり指が大量に生えてきたりなんてこと……」
「そこは説明するのが難しいがね、しかし今の科学で説明できなくとも未来の科学で説明がつくこともある。オレの同僚の一人に、ミームに物理的実体を持たせる研究をしている男がいてな。そいつなら実験室でその現象を再現することも可能かもしれない。再現可能な現象はじゅうぶんに科学的と言えるはずだぜ」
「は? ミームに実体を持たせるって……そんなことが可能だとしたら、神を人工的に創り出すことだって可能じゃない……!」
「その通り。その男は……まさに創り出そうとしてんだよ。神そのものを――な。オレにだって、そんなことが可能なのかはわからないが」
「……」
もはや理解不能だった。
Aちゃんは観念したみたいで、それ以上黒咲を追求することはなかった。
「……村は、どうなるの?」
「”ファウンダリ”が処理するだろう。呪物も廃村もな。”駅”の連中が欲しがるだろうよ」
私にはやっぱり、黒咲が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
だけど訊くのをやめられなかった。
何か口に出していないと、不安で仕方がなかった。
「わたしたち、どうなるの?」
「お嬢ちゃんたちは心配ない。村の外で普通に生活すればいい。ツテがあるから紹介してやるよ」
「本当に呪いは終わったんですか?」
「……」
黒咲は少し黙ってから、言った。
「そいつはお嬢ちゃんたちしだいだ」
その時だった。
黙りこくってたAちゃんがまた口を開いた。
「――海」
ぽつりと漏れ出た声を聞いて、私もAちゃんの見ていた方を見る。
「ホントだ、海だ!」
そこには、エメラルドグリーンの海が広がっていた。
黒咲の車は村の周囲の山林を抜けて、開眼沿いの道へ差し掛かっていた。
「お嬢ちゃんたち、海は初めてかい?」
「はい、わたしたち……村から出たことなくて」
「だったらいくらでも見るといい。これからは自由に外の世界で生きられるんだからよ。なに、一歩踏み出しちまえばそう悪いもんでもないさ」
私もAちゃんも、窓にかじりつくようにして海を見ていた。
朝日がキラキラと海面に乱反射する。
生まれて初めての光景。
きっとこれ以上の美しさを目にすることは、一生無いんだと思えた。
「ま、自由ほど厄介なモンもこの世にないんだけどな」
私たちを見て呟いた黒咲の言葉の意味は、わからなかった。
☆ ☆ ☆
そして十年ほどの月日が流れた。
私とAちゃんは無事大学を卒業した。
黒咲のツテを頼って二人、なんとか助け合って暮らしていた。
だけど。
もう、限界だった。
Aちゃんは夢を叶えた。私はそれを見届けることができた。
もう、これ以上続けていられない。
Aちゃんはちょうど出かけている。私はルームシェアしている部屋に一人残っていた。
今だ。このタイミングしかないと思った。
本を開いて、書き置きを挟み込む。
大好きな本。何度も読みかえした本。
モーリス・メーテルリンクの童話『青い鳥』。
その間に挟み込んだ手紙には、こう記しておいた。
『わたしたち、帰れるのかな。みんなのいるあの場所に』
五角形に蝋燭を配置して、その中央に椅子を置く。
体の上から白い布をかぶる。周りが見えない。あとは手探りだ。
天井の照明器具に取り付けた縄を首に巻いた。
”てるてる坊主”の完成だった。
「先に行ってるね」
私はそのまま立ち上がると、足の下の椅子を蹴り飛ばした。
「あっぐぅひゅ……ひゃ……ヒャハハ……ヒャヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャ――」
☆ ☆ ☆
「ゑ!?」
ぼくはつい大声を出してしまった。
壮絶な話だった。
どんな結末を迎えるのかドキドキして聞いていた。
だけど、
「先生、
「どうして自殺未遂って思うの?」
「だって今、先生自身が言ったんじゃないですか。”私”はてるてる坊主みたいに首を吊ったんだって!」
「私はこの通りピンピンしているわね。さて、これは大いなる謎よ」
先生はからかうような口調でぼくにそう言った。
「え? え?」と混乱するぼくをあざ笑うかのように、最終下校のチャイムがなった。
「あら、いけない。もう行かないと。話、聞いてくれてありがとうね!」
小山先生は立ち上がると、
「それと、ごめんなさいね。先生、嘘ついちゃった」
ぺろりと舌を出して図書準備室を出ようとする先生。
その時、
「待って下さい」
先輩が小山先生の背中に声をかけた。
「気にすることないと思いますよ」
先輩は断定するように続けた。
「先生のせいじゃないと思うんで。先生はいい先生だし、冷たい人じゃあない。ここの学生なら、みんな知ってる。先生はこれまでの人生で、それを証明し続けてきたから」
「……そう、ありがとう」
先生はこうして図書準備室を出ていった。
ぼくらの活動時間も終わりだった。
後片付けをして、ぼくと先輩も学園を出た。
当然ぼくの頭の上には、疑問符ばかりが浮かんでいる。
本当の謎解きは――ここからだった。
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