14,2 絶対に振り返ってはいけない道 Irreversible・急


 ゆっくりと沈んでいた太陽がもうすぐ地平線の底に隠れそうだった。

 ぼくは走っていた。ひたすら進み続けた。

 どのくらい走った? このペースで間に合うだろうか。

 この空間は時間感覚がイマイチ正確に把握できない。これも中山さんの幻術なのか。それとも空間自体にそういう性質があるのか。

 経過した時間は数分かもしれないし数時間かもしれない。

 やっぱりダメかも。

 脚がしびれてもう感覚がなくなってきた。

 息が切れて、肺と心臓が破けそうだ。

 あの太陽が沈んでしまえば、出口は閉じてしまうかもしれない。

 そうなれば、次のチャンスは一週間後。たぶん、この道の中の時間でいうと数十年後になると思う。そんな長い間飲まず食わずで生きられるワケがない。

 いいや、死ぬだけで済んだらいいほうだろう。

 中山さんは、肉体が朽ちてもなお動き続けていた。生ける屍……ぼくも行き着く先はああなるかもしれないんだ。そんなのヤダ!

 間に合え、間に合え! とにかくぼくは「メールの向こうの先輩」を信じて走り続けた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」 


 だけどついに目まで霞んできた。ダメかもしれない。

 もう……出られないのかな。

 先輩にも、二度と会えないのかな。

 諦めかけたその時だった――光。遠くに小さな光が見えた。

 ひと目でわかった。これが道の終わり、出口なんだって。


「ゴールだ!」


 ゴールを認識した瞬間、背後にゾワリと巨大な気配を感じた。


「ウボォァア゛アアアアアア゛アアアア゛アアアアアアアアアアアア゛!!!! ニ゛ゲルナ゛アアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアア゛アアアア!!!!!!」


 もはや人のモノではない。

 様々な獣や金属音が混じり合ったようなグチャグチャの声がすごい勢いで背後から猛追してくるのを感じる。

 まずい、もうかなり疲れてるのに! いや、だからこそ今か! 疲れきったぼくにとどめを刺す気なんだ!

 ぼくは必死で逃げた。走って逃げるけど、ずっと走ってたからもう振り切れるくらいの速度は出せない!


「ヴォ゛オオオオオオオオオオオオオオオオ゛オオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛アアアァ゛!!!!!!!!!」


 怖い! 怖い! 怖い!

 ううん、違う――怖いのはぼくだけじゃない! 発想を転換するんだ!

 中山さんあいつも被害者、ぼくと状況は一緒なんだ!

 彼女だって脱出したいからぼくを追いかけてるんだ。必死なのは自分だけじゃない、むしろ中山さんこそ追い詰められているんだ!!

 だったら!


「っ――!」


 ぼくはさっき先輩がメールで指示した通り、スマホをその場に落とした。

 拾っている暇はない。そのまま出口ゴールに向かって走り続ける。

 後方では、スマホを落としたあたりの位置を靴音が通過するのが聞こえた。

 素通り。そりゃそうだ、今はお互い必死。スマホを落としたところで目もくれないだろう。そもそも全力疾走していてぼくがなにか落としたことにも気づかなかったかもしれない。

 ぼくも先輩も、こんな程度のモノを囮に使おうってんじゃない。

 作戦・・の本命は――ここからだ!


『中山さん、こっちですよ!』


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオ゛゛……ッ……エッ……?」


 ぼくと中山さんのさらに後方から声が聞こえた。

 ぼくの声・・・・だった。

 靴音が止まる。

 彼女はそれに気を取られて立ち止まったようだった。


「はぁ、はぁ……や、やった……成功……」


 全力疾走しすぎて意識を失いそうだったぼくは、少しペースを落として息継ぎしながら言った。


「はぁ、はぁ……な、中山さん。その様子だと、振り向いた・・・・・みたいですね」

「ナ、ナゼ……」

「あなたが冷静なら、こんな小細工は通用しなかったかもしれませんけど。あなたも必死だったみたいですから。助かりたかったんですよね? この道からどうしても抜け出したかったんですよね? ぼくがあなたを騙して振り返らせるなんて考えにまで至らなかった。スマホを落としてから3秒後に録音したぼくの声が流れるよう、アラームを設定したんですよ……」

「チクショウ……チクショウ……」

「さよなら、中山さん。せめてぼくだけは、あなたがどうなったのか……覚えておこうと思います。誰にも知られないまま忘れ去られるのは……かわいそうだから」

「ヤ、ヤメロ、マテ……タスケテ……グッ、ヴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 巨大な断末魔。

 バキバキと骨が折れ、肉が裂ける音。

 やがて静寂。彼女の気配が、消えた。

 どうなったのか、振り返ることはできないから確認できない。

 スマホがあれば後ろを映せるけど、回収する時間はない。

 とはいえ、この道で「振り返ってしまった」彼女が敗北したことはわかった。

 追跡者がいなくなった。ぼくは悠々と出口に到着した。


「よお、待ってたぞ。遅かったじゃあないか」


 そこに立っていたのは先輩だった。

 いつもと変わらない。落ち着いたたたずまいの先輩だった。

 違うのは、先輩も何故か肩で息をしているということだった。


「先輩、なんでそんな」

「とにかく出口から出てこい。説明は後だ」


 こうしてぼくは高い壁に覆われた、長すぎる”近道”をついに抜け出すことができたのだった。

 何時間にも感じられた逃走劇だけど、外の時間は本当に十数分程度しか進んでいなかったらしい。

 日は完全に沈む直前だった。夜になればアウトだったろう。ギリギリだった。

 道を出るとすぐに駅前に出た。

 ぼくと先輩は駅前広場のベンチに座ってことの顛末を話し合った。


「アラーム作戦はうまくいきました。騙された中山さんが振り返って、そのまま消えてしまったみたいです」

「『絶対に振り返ってはいけない』ルールを2度破ったんだ。ペナルティはデカいだろうな。1度目は道に数十年閉じ込められ、死ぬことすらできない。まだお前を身代わりにすれば出られるかもしれなかった……らしいが、2度目はどうなったんだろうな。完全消滅か、あるいは俺たちには想像もつかない何かが起こったか……」

「もうどっちでもいいです。あんな道に二度と行く気はないですし。ほんっとうに恐くて、めちゃくちゃ疲れたんですからね!」

「悪いな、俺も早く助けに行けたら良かったんだが……出口についた頃にはもう日没寸前だった。一応は全力疾走したんだが。なにせオタクは足が遅いと相場が決まっている」

「そういえば、どうして先輩は駅側にいたんですか?」

「そりゃそうだろ。前に進めって指示したんだから俺は逆側から入るべきだ。そうじゃなきゃ合流できない。後ろから追いかける形になっちまう」

「合流? 先輩、道の中に入ろうとしてたんですかぁ!?」

 

 ぼくは先輩がさも当然のように突拍子もない発言をするのでつい立ち上がって声を張り上げてしまう。

 先輩はキョトンとした顔をして、


「当たり前だろ。お前がメールで言ったんだからな、『助けて』って」

「だからって……二人揃って道の中に閉じ込められるかもしれなかったんですよ。先輩は、ぼくと一生あんな異空間の中に閉じ込められる生活なんか耐えられますか? 嫌じゃないですか?」

「んー」


 先輩は、頬をポリポリとかいて少し考えると、言った。


「ま、そんときゃそん時だ。案外楽しくやってけるかもしれないぜ」

「っ――。せんぱいって、ホント……」


 本当に、もう。この人は……。


「なんだよ、顔が赤いぞ? さっきの道が体調に悪影響でもあったか?」

「ち、ちがいます! 夕陽のせいですから!」


 もぉ……ホントにこーゆートコ、ズルいよ。

 なんだか、顔も身体も火照ってきてしまう。

 ああ、そういえば喉乾いたなぁ。なんて思って、カバンからペットボトルを取り出す。

 淡黄色の液体の入った容器は、どこか生温かかった。

 あれ――このペットボトルの中身って……?


「お、お茶か。今回は俺の作戦のおかげで助かったんだから、ちょっとくらいもらってもいいだろ? 走ってきたトコで喉が乾いてたんだ」


 ぼくが何か大事なことを思い出そうとしているうちに、先輩がぼくのペットボトルを横からかすめとった。

 彼は顔の前でそれを握りしめ、蓋を開けようとしている。

 その時、ぼくはその中身の液体が何だったか完全に思い出していた。道中、我慢できなくなってぼくは……あの中に……!


「あ、あの、それは、せんぱい……!」


 あ、ああ……!

 先輩がペットボトル越しにぼくの――を見てる。

 手で握って、手のひらで温度までぼくの――の温度を感じてる。

 もしも蓋をあけたら、――の匂いとか味まで……それは阻止しないと!!

 と、思うのと同時にぼくの中に黒い感情が渦巻くのを感じた。先輩、ぼくの――を飲んだらどんな顔するんだろうな?


「ん? どうしたんだよ変な顔して」

「そういうの、ぼくたちまだ早いっていうか……いや、もっと後になってもダメだと思うんですけど、やっぱり段階を踏んでからっていうか……」

「何言ってんだよ……開けるぞ」


 先輩は歯切れの悪いぼくを放っておいて、ペットボトルの蓋に手をかけた。


「先輩ダメ、そっちに進んだら! も、戻れなくなっちゃいますからぁ! だ、ダメェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 いつの間にか、陽は完全に沈んでいた。

 こうして夜空にぼくの悲鳴が響き渡ったのだった。





   ΦOLKLORE: 14 ”絶対に振り返ってはいけない道 Irreversible”   END.




 追記。

 後日、例の”近道”を再び訪れてみた。

 だけど道の入口も出口も「Keep Out」のテープと「立入禁止」の立て看板で塞がれていて入れなくなっていた。

 さっそく、前に立っていたおじさんに事情を訊いてみた。


「――封鎖?」

「そうだよ、この道は立入禁止だからしばらく使えないよ。嬢ちゃんも危ないから迂回していきな」

「何があったんですか?」

「さあねぇ、俺は雇われて警備やってるだけだから詳しくは知らないんだわ。どうやら地下の古い配管が老朽化してガス漏れがあったとかなんとか……」

「ガス漏れ……?」


 そんなハズない。

 

「あの……警備員さんって警備会社から派遣されて来てるんですよね? 警備依頼を出したのが誰かわかります?」

「そのくらいは知ってるさ。でも嬢ちゃんに関係あるのかい? 一応、最近は情報漏えいとか厳しいからね。俺も雇われの身だから――」

「――お願いします!」

「あ、ああ……そう睨まんでくれ。わかったよ。依頼主は……たしか、そう。”F.A.B.”だったかな。何の略かまでは覚えてないけどよ」

「っ――!?」


 ぼくは反射的に警備のおじさんの隣をすり抜けて、「Keep Out」のテープをくぐり抜けた。

 道の中に侵入する。背後からおじさんが「おい! 中は危ないって言ってるだろ!」と怒鳴ってくるのは無視した。

 これは怪奇現象の”隠蔽”だ。ぼくのお父さんの怪死事件と同じ。

 だったら”F.A.B.ファウンダリ”の手がかりが――この先にある!


「おっと、ここは立入禁止だよ」


 その時だった。

 道の中に入ったと思ったら、体がピタリと動かなくなった。

 声だけがぼくの耳に飛び込んでくる。

 さっきの警備員のおじさんの声じゃない。どこか軽い口調で、だけど不思議な威圧感を感じるような……。


「……なんで、身体が……っ」

「身体じゃなくて、気が進まないんじゃないかね?」


 はっとして前を向く。

 いつの間にか、ぼくの真正面に男が出現していた。

 奇妙な男だった。

 30過ぎくらいだろうか。パーマをあてたオレンジ色の派手な髪。

 ジャラジャラとシルバーアクセサリが首周りや手首、指に多数装着されている。

 かと思ったら、上半身は茶色の作務衣さむえなのに、下半身は紺のジーンズという奇妙過ぎるファッション。それでいて無骨な革靴を履いているのだから、全てがちぐはぐに感じた。

 男はゆっくりとぼくに近づき、銀のピアスを通した唇を開く。


「こんな所にキミみたいな可愛らしいお嬢ちゃんが来ちゃぁイカンよ。そりゃあ場違いってもんだ」

「あなたがぼくを動けなくしたんですか……?」

「いいや、お嬢ちゃん自身が動かないだけさ。言っただろ、気が進まない・・・・・・って」


 何を言っているのかわからない。

 だけとたぶん、この男の妙な”能力チカラ”で金縛り状態になっているんじゃないかと思った。

 怪異の隠蔽、特殊な能力。

 間違いない、この男は――。


「あなたは……”ファウンダリ”の人間ですね?」

「コイツは驚いた、知ってんのかい。ま、オレがあの組織に属してるって表現が適切かはわからないが、しかしいいようにコキ使われてるってのは確かさ」

「ここでは怪奇現象が起こって、女子学生一人が行方不明になっていたハズです。あなたたちの目的はいったい……」

「そうだねぇ。より正確に言えば、被害者は一人では済まないんだが。だからオレが来た。目的ならもう果たしたからよ、ここにはこれ以上用はないね。しかしお嬢ちゃん……まさか」


 男はぼくの顔をジロジロと見て、勝手になにかを納得した様子で頷いた。


「やっぱりな、『神は賽を振らない』とは良く言ったもんだ」

「え……?」

「この道の”呪い”は回収した。簡単でつまらない任務だったが、思わぬ収穫があったな」


 男はぼくの顔に向けて、手を広げた。

 彼の手のひらの上にはなにやら焼印のような……”Φファイ”の形の傷跡が浮かんでいる。


「これは……!?」

「安心しな、何もしやしないよ。というより、何もなかったこと・・・・・・・・にするのさ」

「それは……どういう――」


 ぼくの目の前で、男の手のひらの”Φ”の刻印が一瞬光った――その瞬間。

 男が消えた。

 ぼくは、例の”近道”の出口付近で一人、呆然と立ち尽くしていた。


「え……?」


 男の行方を探して走り回った。けど、見つからない。

 それどころか、「Keep Out」のテープも「立入禁止」の立て看板も、警備員のおじさんも。何もかもが消えていた。

 道の封鎖も、男との邂逅も……「何もなかったこと」になっていたんだ。


 追記はここで終わり。

 あの時出会った男が本当に”ファウンダリ”の一員だったのか。

 あの男の特殊能力かなにかで証拠を隠蔽されたのか、それとも全部ぼくの見た白昼夢だったのか。それは今ではわからない。

 だけど確かなことが一つだけある。

 これ以降、金曜日の夕方に例の”近道”を訪れても……。


 もう二度と、『絶対に振り返ってはいけない道』の立て看板が現れることはなかった。

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