14,1 絶対に振り返ってはいけない道 Irreversible・破


 電話は通じない。外部への連絡が絶たれた。


「けど、一本とはいえアンテナピクトは立ってる。時間の流れが違うから電話が通じないとしたら……メールなら……」


 ”中山さん”はこの異空間からぼくへメールを送ってここへ誘い込んだ。

 だとしたら、可能性はある。もはやそれしか頼みの綱はない。

 ぼくは先輩のメールアドレスへ向けて、必死で文章を打ち込んで送信した。


『先輩、助けてください!』


 すぐに返信が返ってくるとは限らないけど、一応メールは正常に送信完了できた。

 あとは返信待ちだ、けど待っているだけじゃ危機は切り抜けられない。

 足音はしないけど、一応前に進んでおこう。

 ぼくは再び前進し始めた。

 それからどれだけ経ったのだろう。

 気の遠くなるよう時間を過ごした気がしていた。

 いい加減心が折れそうになってきた、その時だった。


「よお、助けに来たぞ」


 声がした。知ってる声。待ち望んでいた声。

 背後から投げかけられた、低く落ち着いた声色。


「せん、ぱい……?」

「そうだ。お前から連絡が来たから居ても立ってもいられなくなってな。ここまで迎えに来たんだ」

「やった……先輩、ここは振り返ってはいけない道です! ぼくは特殊な時間の流れにとらわれてしまったみたいなんです……っていうか先輩も無茶ですよ、ここから抜け出す方法がわからないかぎり二重遭難じゃないですか! ミイラ取りがミイラってヤツですよ!」

「いいや、もう解決した。脱出する方法ならわかった」

「え……?」


 背後にいるらしい先輩・・から出た意外な言葉に耳を疑った。

 もう解決した? 脱出する方法がわかった?

 バカな。だけど先輩ならばもしかして・・・・・と思ってしまう。

 こういう異常事態でも常に彼は冷静沈着で、打開策を導き出す。そういう人だ。


「で、でも……先輩、どうやって脱出を?」

「説明するには見てもらうしかない・・・・・・・・。とにかくコッチをミロ」

「……こっちを、みろ……?」

「そうダ、コッチをミロ。そうすれば全てワカる。ここから出らレる」

「それって、先輩がぼくを追い越して見せてもらうってことはできませんかね?」

「無理ダな。とにカく振り返レ、コッチをミロ。俺ヲ信じろ」


 はぁ、ぼくはため息をついた。

 論外だ。


「あのですね、先輩に化けるのはいいんですが……化けるならもっとうまくやって欲しいんですよね――中山さん?」

「……ナゼ、ワカッタ」

「先輩は『信じられるものなどなにもない』ことだけを唯一信じている懐疑主義者。おまけに超絶偏屈変人陰キャオタクなんです。少なくとも『俺を信じろ』なんて軽々しく言うような無責任な人じゃないんですよ」

「……」


 それきり声はしなくなって、気配も消えていた。

 ふぅ、一息つく。罠だったようだ。ぼくを振り返らせるための。

 ちょうど心が折れかけて、先輩の助けを待ち望んでいたところだ。

 違和感ある発言で冷静になっていなければ騙されていたかもしれない。

 先輩の性格が極度にねじ曲がっていて助かった。たとえバケモノでもそういう個性は正確に真似ることはできなかったらしい。


 ピロリン。


 その時だった。ぼくのスマホにメールが届いた。

 先輩からだった。


『さっきの文字化けしたアドレスからのメール、お前か? 返信できないからお前のアドレスにメールを送ってみたが……助けて、とはどういうことだ?』


 先輩からのアドレスがキチンと表示されていた。

 本物か、はわからない。

 けど中山さんはたとえ外見は騙せても、メールアドレスや電子データを乗っ取る特殊能力があるとも思えない。

 ほら、妖怪ってアナログな存在で、デジタルには弱そうじゃん?

 そう思うと一筋の希望が芽生えた気がした。

 ぼくはすがるように文字を打ち込み、返信した。


『そうです、ぼくからです! 今、”絶対に振り返ってはいけない道”に迷い込んで出られなくなってます。電話は通じなかったんですけど、メールなら通じるみたいです。アドレスが文字化けするのは気にせずぼくのアドレスあてに返信してください!』


 送信! 祈るようにスマホを握りしめて待った。

 数十分ほど経っただろうか。先輩からの返信がやっと届く。


『今調べたが、その道は学園から駅への近道のことだな。俺も今から行く。待っていろ』


 ん……この短い文面を送るにはずいぶん時間がかかっていないか?

 そう思ってメールの送信時間と受信時間を確認する。

 すると、ぼくが数十分間隔と思っていたこのメールのやりとりが、実際には一分もかかっていない、数十秒程度のものだとわかった。

 ぼくの体感時間――というか、やっぱりこの道の時間の流れは外部とは違っているみたいだ。

 あの”中山さん”の動く死骸は、劣化具合からして数十年単位で時間が経過していた。外部では一週間といっても、この道では数十年に相当する時間が流れたのだろう。

 ぼくはその考えを先輩に対してメールで説明した。こっちの時間の流れが外より緩やかということは、ぼくは時間をかけてメールを打っても先輩からすれば一瞬の出来事だろう。

 逆に、先輩は可能な限り早く返信を送ってくれないとこちらに届くのが遅れるため、やりとりがまともに成立しないことになる。

 

『――ということなので、先輩はできるだけ早くレスしてくださいね!』


『努力する』


 体感時間数分で返信が来た。欲を言えばこれでも長く感じるけど、たぶん先輩からすれば極度の早打ちで返信しているのだろう。これ以上のスピードを求めるのは、さすがの先輩といえど酷だと思った。

 ふぅ……やっと落ち着けたかも。

 先輩と連絡がとれたとたん、ずいぶん心が楽になった。

 今まで緊張しっぱなしで、体感時間はどのくらい過ぎただろうか。数時間以上過ぎている気がする。

 そしてこの時初めて、その間には感じられなかったある”感覚”に今更ぼくは襲われることとなった。


 バケモノに殺されるかもしれない”恐怖”?

 この空間に一生閉じ込められるかもしれないという”恐怖”?

 

 いいや、違う。

 ――”尿意”だった。


「ううっ……」


 ブルルッと身体が震える。

 やばいなぁ、自律神経に思いを馳せる。

 いままで極度の興奮状態が続いていたから、交感神経優位の状態だった。

 今はその逆で少しリラックスした状態、つまり副交感神経優位。この副交感神経というのは排泄を司る自律神経で――したがって、この尿意は生理現象なのだ。

 つまり……こうなるのはしかたがない。


「いや、さすがに……非常事態とはいえ道端でするのは……乙女のやるコトじゃないです……」


 なにかこの状況を打開する策はないかな?

 そう思って鞄を漁る。すると中から出てきたのはペットボトルだった。

 ほとんど飲みきっていて、少量捨ててしまえば中は空になる。


「うくっ……いや、でもそんな、マジで……?」


 それでも、背に腹は代えられない。

 漏らしたり道端に水たまりを作るよりはマシか。

 世の中の引きこもりさんとかはよくやってるみたいだし――。


「だ、誰も見てないよね……」


 背後に視線を向けないようにしつつ、左右上下を確認する。

 誰もいない。今は中山さんの気配もない。

 物音一つしない不気味な紅い空だけがぼくを見下ろしていた。

 ぼくは道の端ででるだけ縮こまって、スカートの中に手を突っ込んだ。

 誰にも晒す予定はなかったのが丸わかりな、明らかに油断しているクタクタのパンツを下ろす。その場にしゃがみこんで、ごくり、つばを飲みこんだ。

 ペットボトルの蓋を外すと……。


「うっ、あっんっ♡ ……ああぁ~……♡ はぁ~♡」


 できれば一生知りたくなかったこの開放感。

 ヤってしまえば、コトは簡単だった――。



   ☆   ☆   ☆



『とにかくお前がやるべきことは、前に進むことだ』


 先輩はメールでそう断言した。


『絶対に振り返るな、そのルールだけは守り抜け。そうすればいつかは脱出できる……推測に過ぎないが』


『でも先輩』


 ぼくは反論する。

 ぼくはそれからしばらく、先輩の指示通り前に進み続けていた。

 だけど先輩、これはどう対処すればいいんですか?


「ぼくの前に、誰か歩いてるんですけど?」


 そう。目の前数メートル程度先に誰かが歩いていた。

 女の子みたいだった。

 ぼくと同じ制服の上からパーカーを羽織り、赤いハイカットスニーカーがいい感じのセンスを醸し出している女子高生。

 中山さんか? と思ったけど身体がボロボロじゃない。生きているように思えた。そもそも中山さんの靴はローファーだし。

 ぼくが歩くと彼女も歩く。ぼくが止まると彼女も止まる。


「しかも、後ろにも誰かいる……」


 前に女子生徒が現れたと同時に、ぼくの背後からも靴音が聞こえ始めた。

 今度こそ中山さんか? と思い再びスマホのカメラで確認する。

 そこには――。


「そんな……」


 そこに立っていたのは――やはり赤いスニーカーの女子。

 どう見ても、ぼく自身の姿だった。

 ぼくが振り返らないままスマホで彼女を見ていると、彼女ぼくもスマホを取り出し後方を見る。

 そして、暗くてよく見えないけどおそらくその背後にもまたぼくがいるんじゃないのか?

 だったら……。

 前をよく見ると、肩口からスマホを出して後方を確認する女子生徒。そういうことか……あれもぼく自身なのだろう。


「この道……無限ループしてる?」


 前にも後ろにもぼくがいる。それが無限に続いている。

 ということは、この道はいくら進んでも終わりがない、そういうことにはならないか?

 振り返らずに前に進んでも、打開策にはならないのでは?

 そう思い、ぼくは今見た現象を先輩に報告した。


『いいや、無限ループはしていない』


 なぜだか先輩はそう断定した。

 かなり早く文字入力しているのだろう、そう時間を待たずとも先輩のメールは次々と届いた。


『振り返らずに進み続ける。それが唯一の道だと俺は思う。本当に無限ループして出口がないのなら、中山がお前に頻繁にちょっかいをかける理由がないからだ。もっとじっくりと弱らせてから無理やり振り返らせれば良い。中山は、お前が本気で走って逃げたら追いつけない程度の力しかないんだろう? そもそも死者ごときが生者に勝る道理がない。中山は、力では生者であるお前にかなわないと自覚している。だからこそ実力行使ではなく、からめ手を使っているということだ』


『搦め手?』


『俺の声色を真似て振り返らせようとしたり、無限ループと錯覚させて前に進んでも意味がないと諦めさせようとしたり、な。ヤツの目的はお前がゴールに辿り着く前に後ろを振り返るよう仕向けることだ。逆に考えると、お前が振り返らないままゴールまでたどり着くのを嫌がっているから妨害するというわけだ』


『つまり、この道には確実にゴールがあるということですね?』


『ああ、これは単なる予測だが、時間の流れが違うだけではなく、道そのもの体感的な長さも引き伸ばされているということだろう。原理は不明だが、仮説を立てるとするならば道は真っ直ぐに見えているだけで実際には曲がりくねっているのかもしれない。何にせよ、こちらの時間の流れで10分程度の距離でも、そちらではかなりの長時間進み続ける必要がある、ということだ。お前はヤツの妨害で何度も足を止めている。だから思ったより前に進んでいないんじゃあないのか?』


『確かに……そうかもしれません』


『さて、こちらの時間ではそろそろ日が沈みそうだが、そっちも同じじゃあないのか? だったら金曜の夕方だけ迷い込めるその道の出口も、夕方が終わったと同時に――つまり日が落ちて夜になれば閉じてしまう可能性がある。ヤツはその時間までお前を妨害しているとは考えられないか?』


『なるほど、先輩の言う通りです。愚直に前に進みます!』


 先輩のその考察には説得力があった。

 この道でのルール違反は「後ろを振り返ること」だ。

 そして中山さんだったであろうバケモノも、ぼくが振り返るよう仕向けている。

 あるいは振り返らなくとも「タイムリミット」のようなものがあって、それまで時間稼ぎをしているのかもしれない。

 だったら、彼女の最も嫌がる「愚直に前に進む」ことこそ最善の対処法。

 さすが先輩だ、素直にそう思った。


 そうして早足で進むと、どうやら先輩の読み通りだったのか、前後に配置された”ぼく自身”らしき姿が消えた。

 やはり幻覚だったようだ。おそらく、中山さんかのじょがぼくを絶望させ、前に進むのをやめさせるための。

 でももう怖くはない。さっさとゴールしてこんな恐ろしい場所からはおさらばと行こう。


 ピロリン。


 その時、また通知音が鳴った。先輩からだった。


『ゴールが近づけば、ヤツは強硬手段に出る可能性が高い。その時のために、ヤツを出し抜く作戦がある――』

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