14,0 絶対に振り返ってはいけない道 Irreversible・序
『絶対に振り返ってはいけない道』って知ってる?
当然か、あんたはオカルト好きで有名だもんね。
学園の七不思議くらい知っててあたりまえって感じ。
でも一応知らなかったら困るから教えてあげるね。
『絶対に振り返ってはいけない道』の話。
高校から駅までの道に、近道があるのは知ってるよね?
昔何か事件が起こっただとか、私有地が含まれるだとかの噂があって、学校からも通らないように指定されているあの近道だよ。
でも、帰りの電車に間に合わなさそうだとかの理由でついそこを通っちゃう生徒が時々でるんだよね。たいていは普通に通り抜けられるんだけどさ……。
金曜の夕方にその道を通る時だけ、「絶対に振り返ってはいけない道」って看板が道に立てかけられてるらしいんだ。
その日、その時、その場所で。
後ろを振り返るとさ……どうなるんだろうね。噂では、一生出られなくなるらしいけど。
回りくどいかな。前置きはもういいって?
そろそろ本題に入ろうか。
あたしね、金曜の夕方、その道の上で後ろを振り返っちゃったんだよね。
でられない。
たすけて。
件名:絶対に振り返ってはいけない道
投稿者:中山
夏休みが終わってすぐの頃、こんなメールが届いた。
「イタズラだろう」なんて気持ちは湧いてこなかった。
中山さんといえば、先週金曜日の放課後から行方不明になっている女子生徒だからだ。
だけどぼく以外の人はそうじゃないみたいで、誰も信じてくれなかった。
メールアドレスは見たこともない文字列に文字化けしてしまっていたし、中山さんは普段からメッセージアプリを使うから、メールなんて使わないそうだ。
学園や警察に連絡しても「イタズラだろう」とまともにとりあってくれはしなかった。
文字化けしたアドレスに返信してみても、当然ながらどこにも届かなかった。
そうしているうちに、もう夕方になろうとしていた。
今日は金曜日、彼女が失踪してからちょうど一週間が経ったということだ。
ぼくは焦っていた。
行方不明者の捜索は、とにかく時間との勝負だ。
失踪から一週間を過ぎると発見の確率も生存率も劇的に低下すると聞いたことがある。
つまり、今日中に見つけなければ発見は困難を極める、ということだ。
警察が信じてくれないなら、ぼくが信じるしかない。
放課後、ぼくは例の”近道”を訪れていた。
「うそ……でしょ……」
本当にあった。
細く、高い塀に囲まれたアスファルトの道。
その入り口に立てかけられている看板には、無機質なフォントでこう書かれていた。
『絶対に振り返ってはいけない道』
いやいや、出来すぎでしょ。
誰かが仕組んだドッキリかなんかでしょ。
そう思いたいけど、心臓は素直にバクバクと高鳴っていた。
だって中山さんが行方不明なのは事実なんだから。
「怖い……けど、中山さんが助けを求めてる」
行くしかない。
ぼくは看板の向こう、『絶対に振り返ってはいけない道』に一歩足を踏み入れた。
ジジジ、ジ……。
嫌な音を立てて街灯が点滅する。
空は深く黄昏色で、まるで血に染まったようだった。
無機質なコンクリートの壁とアスファルトに覆われた空間を歩き始める。
「いまのところ普通の道……だよね」
少し歩いてみても何も起こらない。
この道に入ってしまえば、あとは10分程度歩けば駅につくはず。
その間振り返らなければ、きっと何も起こらないだろう――なんて楽観は、すぐに打ち砕かれた。
コツン、コツン。
足音だった。
ぼくが歩くのに合わせて、少し遅れたタイミングでアスファルトを叩く足音。
いや、靴音がする。ぼくのスニーカーとは違う質感の音だ。
たぶん学校指定のローファーが発する靴音。音の大きさからして、体重は軽い。女子生徒だろうか。
ぼくが立ち止まると、コツン、コツンという音が途絶えた。
後ろの何者かも立ち止まったようだ。
「もしかして、中山さん?」
ぼくは振り返らずに声をかける。
しんと静まり返る。車も通らず、なぜか周囲の住宅からも無音のこの道。
ぼくが喋るか歩くかしなければ、完全な静寂に支配されていた。
待っても、答えは返ってこなかった。
本当に後ろに誰かがいたのか、半信半疑のままで歩みを進める。
コツン、コツンと足音だけが追いかけてくる。
いる。ぼくの背後、数メートルの間隔をあけて。
「やっぱり中山さん……ですよね? メール届きました、迎えに来たんです」
「……」
「中山さんが失踪して一週間経ちました。みんな心配してます。この道から出られなくなっちゃったんですか?」
「……」
「ぼくの後ろについてくるのは、そうしなきゃならないから? このまま歩き続けたら、中山さんもぼくと一緒に道を通り抜けられるってコトですか?」
「……」
疑問を次々とぶつけてみたけど、答えは返ってこなかった。
ただ、何かがいるという気配と足音、そして小さな息遣いだけが感じられる。
「それにしてももう一週間経ったけど、その割には元気なんですね。人間は飲まず食わずだと3日から7日で死んでしまうものですけど、何か食料でも持ってたのかな?」
「……」
「ホントに、冗談じゃないから……答えられるなら答えてください!」
「……コッチヲ、ミテ」
「っ――!?」
初めて”彼女”の声を聴いた。
もともと中山さんとはたいして親しくはなかったけど、たぶんこれが中山さんの声なのだろうとなんとなく思った。おぼろげにしかないぼくの彼女に対する記憶と一致した。
だけど妙なことに、声色は同じでも合成音声みたいな無機質な響きが耳につく。
「見るって、ぼくがそっちを振り返るってことですか?」
「……」
「なんで? 中山さんがぼくを追い越して前に出てきたらいいじゃないですか!」
「……」
また、だんまりだ。
いい加減、ぼくもイライラし始めた。
「悪いけど、この道で後ろを振り返る気はないです。仮にあなたが中山さんだったとしても。何も説明がないならぼくはこのままこの道を通り抜けますから、いいですね?」
「……タスケテ」
「助けてって、メールでも言ってたけど具体的にどうすればいいんですか!? それがわからなきゃ助けようがないじゃないですか!」
「コッチ、ミテ」
「……っ」
議論が堂々巡りだ。
たぶんだけど、彼女はぼくに「振り返ってほしい」と思っている。
何が目的かはわからないけれど、ぼくにこの『絶対に振り返ってはいけない道』の上でルール違反を犯させようとしているんだ。
少なくとも、その目的は善意からくるものじゃないだろうと思う。
いいだろう、そんなに言うなら見てやろう――「振り返らず」に。
ぼくはスマホをカバンから取り出し、カメラを起動した。
つまり、前面カメラでぼくの背後を映し出せば、振り返らずに後方を確認できるということだ。
背後の視線からバレないように操作し、肩からそっと前面カメラを覗かせた。
「っ――!?」
こ、これは……!
声が出そうなのを必死でこらえた。
真っ赤に染まる空、アスファルトとコンクリートの道の中心に自分の顔と肩。
その背後、数メートル先に映っていたのは――人間じゃなかった。
いや、正確には
眼窩から眼球が剥がれ落ち、視神経に支えられてブラブラと揺れている。
鼻は削げ、唇は無くボロボロの歯が露出している。
髪は足元まで伸び切った一部だけが残り、頭部は皮膚と頭蓋骨がむき出しになっていた。
服もボロボロだ。ぼくと同じ学校指定の制服だけど劣化が激しい。
そう――失踪してざっと数十年は経っているんじゃないかと思われる死骸が歩いていた。
「はぁ……はぁ……、はぁ、はぁ、はぁ……!」
気づけば恐怖のあまり過呼吸寸前になっていた。
まずい――呼吸、呼吸を整えないと……! 動けなくなる!
目を閉じて精神を落ち着かせ、呼吸回数を減らす。
失踪者からのメール、動く死骸に追跡されている現状。
異常事態だらけ。だけど冷静さを失ったら終わりだ。
「うくっ、はぁ……はあ……」
暗くなりかけた視界がなんとかクリアに戻ってくる。
ギリギリで持ち直したらしい。
ぼくはすぅーっと深くゆっくりと息を吸い、中山さんらしき”バケモノ”に問いかけた。
「ぼくが振り返れば……あなたは助かる?」
「……タスカル、ヨ」
「助かるってのは、ここから出られるってことでいいんですよね?」
「ソウ」
「たぶん、これ当たってる自信あるんですけど。そうなったらぼくはここから一生出られなくなるってことですよね? 中山さんの代わりに永遠にこの道を
「――バレチャッタ、ウフフ」
そう言うと、
ぼくは歩いていないのに。
「ウフフフフフ、ウフフフフフフフフフフフフフフ」
笑い声。ローファーの音。
コツン、コツン、コツン、コツンコツンコツンコツン。
どんどん速くなる。近づいてくる!
コツコツコツコツコツ!
「ウフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ!」
「うあっ、あああああああああ!!」
必死で走った。
走って、走って、走って。どれだけ経ったのか覚えていない。
いつの間にか靴音はしなくなっていた。
空は血のように紅い。ジリジリと不快な音をたてて街灯は点滅している。
かなり走って、もう一時間は経ったような気がしていた。
なのにぼくはまだ、高い塀に囲まれた道を抜け出せずにいた。
スマホを開く。時計を見ると、道に入ってからまだ一分も経過していないことになっていた。
「嘘、でしょ……はぁ、はぁ……け、警察……!」
そのまま電話をかけた。
だけど繋がらない。アンテナピクトはギリギリ一本といったところで、電波状態が悪い。
そもそも、警察は中山さんのメールもイタズラと決めつけてとりあってくれなかった。この状況で助けになるだろうか?
「うっ、ぐ……はぁ、はぁ……先輩、先輩は……!」
だったら――この状況で頼りになるのは先輩しかいない。
”先輩”というのは、文字通りぼくの高校の先輩のことだ。学園でも有名な陰キャのアニメオタクで、友達も恋人もいない真正のぼっち。
いつも漫画とかラノベを読んでいて、勉強をしている姿を誰も見たことがないけど、常に成績は学年トップを維持する超秀才だ。
以前からぼくのオカルト調査に協力してもらっていたけど、文化祭が近い夏休み明けは特に文化祭実行委員の活動で忙しいみたいだから、あまり頻繁に連絡するのは迷惑かと思って避けていた。
けど――そんな先輩の事情はもう考慮していられない、ぼくが大変なことになってるので、すみません!
ツー、ツー、ツー。
「そんな……」
だけど電話は繋がらなかった。無慈悲に時間は流れる。
そのはずなのに、スマホの時計は異常にゆっくりな進み方しかしない。
体感時間に反して、さっきから太陽も全然沈んでいない。
「はぁ、はぁ……ま、まるで通常の時間の流れから切り離されて、この道だけの特殊な時間の流れにとらわれてしまったみたいな……」
独り呟く。まずは状況を分析するんだ。
どうにかして、この『絶対に振り返ってはいけない道』から脱出しなきゃ。
こうしてぼくの孤独な戦いが始まった。
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