第惨蒐”BLUE BIRD”

0,3 世界を変える出逢い Lifetime(第惨蒐・始)


 ある駅のホーム。

 電車を待つ者、乗車する者、降車する者、それぞれの道が交差する時間とき

 そのどれにも当てはまらない一人の男がホームのベンチに座っていた。

 男の名は比良坂ひらさか

 彼はベンチの上からじっと動かず、何本もの電車が過ぎ去ってもただ何かを待っていた。

 待ち続けていた。


「なあ、おじさん。あんた死ぬのか?」


 同じ姿勢でい続けるうち、突然比良坂の耳にひどく率直な疑問が飛び込んできた。

 うつむいていた顔を上げると、彼の目の前には一人の少年が立っていた。

 眼鏡をかけた、整った顔立ちを長い前髪で隠した男子だ。中学生くらいだろうか?

 娘と同じくらいの年頃に見える。比良坂はほう、と息を吐いた。


「どうしてそう思ったんだい?」

「ここは駅だ。駅で何かを待つとすれば通常電車だが、あんたはこの駅から出発する全ての行き先、種類の電車をスルーした。つまりあんたが待っているのは電車じゃない」

「なるほど。では君は、僕がこの駅で何を待っていると推測したのかな?」


 眼鏡越しだからだろうか。

 何の感情もこもっていない、酷く平坦な眼差しと共に少年はこう告げた。


死期・・、だろ」

「死期、か……素晴らしい、正解だよ。よく気づいたね」

「どうも」


 少年はすとん、と男の隣に座った。そして続ける。


「一応言っておくが、おじさん。飛び込み自殺で鉄道会社が被った被害に対する賠償は、遺族に及ぶ。あんたくらいの年齢なら妻子持ちでもおかしくないと思うが……その、やめといたほうがいいと思うぜ。家族を大切に想うならな」

「……ふふっ、心配してくれているのかい? 初対面の怪しい男の生命を」

「べつに、そういうわけじゃあない。なんとなくわかっちまっただけだ」


 少年はふてくされたようにそっぽを向いた。

 ずいぶん理知的な喋り方をするものの、こういう部分は年相応にも見えた。

 男は少年に親しみを感じて微笑みかける。


「そうだね、僕は死期を待っていた。それは正解だよ。しかし100%じゃないね。君の推理は結果だけは正解だけれど、過程が間違っている。別に飛び降りようってワケじゃないんだ。ここは僕の死に場所じゃないからね。僕が待っているのはある特定の駅に到達できる、特定時間帯の電車なのさ。用があるのはその先にある僕の職場なんだ。僕はそこで、自らの行いにケリをつけなければならない」

「なんだよ、それ。ワケわかんねェ」

「そうだね。僕も正直、まだわかっていないんだ。僕自身の心すら」

「……そうかよ。だけど覚悟だけは、もう決まってるって感じだな」

「そこまでわかるのか。驚くべき洞察力だね」


 比良坂は思い出す。

 彼自身の専門である”形而上生物学けいじじょうせいぶつがく”とは少し違うが、”ファウンダリ”において彼とは違う分野――”超能力”の研究者から聞いたことがある。

 常人には知り得ないことを認識し、たどり着けない場所にたどり着き、実現できないことを実現してしまう。

 特別な力を持った、進化した人類とでも言うべき者達が実在すると。

 ”ファウンダリ”はそういう者を”V.S.P.ブイエスピー”と呼んでいた。専門外である比良坂には、それが何の略なのかもわからなかったが。


「もしかしたら君も、特別な才能を持っているのかもしれないね。君はその才能で、僕が死にに行こうとしていることを看破した。僕に声をかけてくれたのは、止めようと思ったからかい?」

「……それは、わからない」

「わからない?」

「あんたと同じだよ。俺も、自分自身の心がわからない。他人の心も。こうして推測するのは、どうやら他人より少し得意らしいんだが……。しかし、これが才能と呼べるような代物なのか……それもわからないんだ」

「君の”謎解きの才能”には目的や方向性といったモノが無いのか」

「そうだな、意味なんてない。だからあんたに話しかけたのも、なんとなくでしかない。別にあんたが死のうが知ったことじゃない。あんたにはあんたの考えや事情があるだろうからな。止められるほどの覚悟なんて、俺にはない。ただ、あんたはこれから死ぬ。それだけは、わかっちまったんだ」

「……そうか」


 つらいだろうな、と比良坂は思った。

 少年とは今初めて逢ったばかりだが、それでも彼の境遇を理解できた。

 ただ能力だけが卓越していて、しかしそこには方向性も目的もない。

 ”ファウンダリ”のメンバーの一人がこんな風に表現していたのを思い出した。

 「V.S.P.とは、世界の迷い子だ」と。

 人間の可能性の具現化であり、それ自体に意味や方向性などないのだ。

 なるほど生物学的進化の過程に則っている。比良坂も今、実感できた。


「なぁ、おじさん」


 そこまで考えているうちに、男は少年が自分をじっと見つめていることに気づいた。


「なんだい?」

「あんたは俺みたいな人間のことを知っているみたいだな。教えてくれよ、どうして俺みたいな人間が生まれてくるんだ? 意味は……あるのか?」

「君自身は、どう思っているんだい?」

「俺は……意味なんてあると思えない。この世界にも、俺自身にも。全てに意味がない。ただ事実と解釈があるだけだ。生きることだって、死ぬまでの暇つぶしでしかない」

「そうだね。それ自体は同感だ。けれど100%ではないな。君の推論が導く結論にはやはり過程が欠如している」

「え……?」

「死ぬまでの暇つぶし、大いに結構じゃないか。人は生まれて死ぬ……原因と結果。しかしそれだけじゃないだろう? 僕は死に向かおうとしている。だけどその過程で今、君と出逢えた。同じ時間を過ごしている。そのことはきっと無意味じゃない、意味があるはずなんだ」

「意味って……?」

「決めて良いんだよ、他の誰でもない。君が全部決めて良いんだ」

「でも俺は……自分が何をしたいかなんてわからない。何かをしていて楽しいとか嬉しいとか、そういうの……わからないんだ。将来の夢とか希望みたいな、みんなあたりまえみたいに持っているモノも俺にはない。あんたは俺に才能があると言ったが……単に、欠落しているだけだ。だから俺は……他人とわかりあえない。ずっと独りだ。でもそれは、誰のせいでもない……ただ、俺のせいなんだ」

「物事には複数の側面がある。君の”才能”に”欠落”という別の見方があるように、その欠落は君の可能性と言い換えることもできる。現在の孤独もまた、未来の出逢いの可能性なんだ。君はまだ若い。たとえ結果を特別な才能で予見できたとしても、その過程を歩んでいくのは君自身なんだよ」


 少年はその言葉にハッとして目を見開く。

 男は続けた。


「君は僕が死ににいくことを看破した。本当にそれだけならば、僕に声をかける必要なんて無かったハズさ。それでも君は僕の目の前に現れた。何かを伝えようとしたからだ。何かを変えようとしたからだ。君自身が自覚していなかったとしても、僕はそれを……君の優しさだと受け取った。僕を止めてくれようとしたんだと」

「買いかぶりすぎだ。俺は優しい人間じゃあない」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも僕にとってはそうなんだ。それが僕にとっての意味。君に出逢えた意味……良かった。最期に、優しい子に逢えて」

「……っ」


 少年はうつむいて、


「でも結局変えられなかった。あんたは……死ぬんだろ? 結果は変わらない。俺が何をしようと――意味なんて」

「では最期に、君に呪いをかけてあげよう」

「呪い……? そんな非科学的なもん、俺は信じたりしない」

「だろうね。しかし”呪い”にもいろいろな側面がある。それは”祝福”であり、”夢”であり、”希望”であり――場合によっては、”絶望”でもある。君は生きていることに意味がないと言ったね。だったら、これからの人生を君自身の生きる意味を探すことに費やすのはどうかな?」

「生きる意味を、探す……? そんなのが、”呪い”なのか?」

「そうさ、夢を持つということは呪いだよ。誰も皆、生まれた意味なんて知らないんだ。そういう意味ではこの世界の誰もが迷い子なのさ。そんな欠落を抱えながら、毎日なんとか目の前の事態に対応して、仕事とか、恋愛とか、趣味に没頭して……適度に目をそらして生きている……それが大人というモノだ。そんな普通の人生も悪くない。でも君は、生きる意味なんてないと感じている。それは逆に言えば、どこかに生きる意味が存在するかもしれないという希望があるからだ。だからこそ君の人生は、それを探すことから始めてみてはどうかな」

「そんなことやっても、無駄かもしれない。答えなんて……ないかもしれない」

「そうだね。きっと探し求めた先に、答えなんて無いだろう。だけどそれでも、君は探さなければならない。君は何者なのか。何をして生きていくのか……大いなる謎だよ。一生かかっても見つからないかもしれない。険しい道かもしれない。君自身を、ひどく傷つけてしまうかもしれない。これが僕が最期に君に遺す”呪い”さ。さあ、挑戦するかい?」

「謎、か……ああ、受けてやるよ。どうやら俺には、”謎解きの才能”ってヤツがあるらしいからな」


 うつむいたまま、少年は口角を上げた。

 何かが伝わったのだろうか。

 男は立ち上がり、少年に背を向ける。


「そろそろ行くよ。時間が来た」

「……待てよ」

「ごめんね、君とこうしておしゃべりする時間は楽しかったけど。君の言う通り結果は決まっているんだ。僕はここまでだ」

「……行かないでくれよ。あんたがいなくなったら、俺はまた……独りになる」

「僕には先がない。けれど僕が最期に君と出逢えたように、君にもその瞬間は来るさ。世界を変えるほどの出逢いがね。その人は君の孤独や欠落を埋めてくれるかもしれない。その時……君はきっと、その才能に意味があると思えるかもしれないよ。出逢いを大切にね――」

「待――っ」


 少年が顔をあげる。

 そこには既に、男の姿はなかった。

 電車が通り過ぎた後だった。

 停車した気配すら感じなかった。回送電車じゃなかったか?

 少年は思う。もしかしたら今の男は、孤独な自分の精神が生み出した幻影なのではないかと。

 しかし――それでも。

 少年は願った。


「またあんたに逢えたら、その時は……」


 もっと上手に笑える自分になっていたい、と。




   ☆   ☆   ☆ 


 


「ちょっと先輩? もう到着しましたよ?」

「ん、ああ……すまん、寝てた」

「また深夜にアニメのイッキ見したんでしょ? もぉ、今日は謎解き活動なんですから気合い入れてくださいよねー」

「へいへい」


 ぼくは居眠りしていた先輩を叩き起こして電車を降りた。

 目的の駅に到着したからだ。


「”人面犬”の目撃報告がこの駅周辺で今月だけでもう5件ですよ! もしかしたらぼくたちも出会えちゃうかもしれませんね!」

「人の顔みたいな犬なんて普通にいると思うが……おおかた、薄暗い時に見間違えただけだろう」

「そういうロマンのないコト言わないでください、さあ行きますよ!」


 先輩を引っ張って駅のホームから改札に向かう。

 そのときだった。

 先輩がぼーっとホームのベンチを見つめていた。


「世界を変えるほどの……出逢い、か」

「せんぱい……? どうかしました?」

「昔、な。この駅のホームで変なおじさんと出逢ったんだ」

「え゛、変質者ですかぁ?」

「そういう感じじゃないんだが。変わった人だった。その頃の俺はいろいろ悩んでいたんだが……なんつーか、励ましてくれてるように感じた。初めて会ったってのに。名前も知らない俺に妙に親身になってな」

「優しい人だったんですね」

「そうだな」

「また……逢えるといいですね」

「……ああ」


 先輩はうつむいて、ベンチに背を向ける。

 どんな表情をしているかは見えない。

 ただ小さな声で、噛みしめるようにこう呟いたのだった。


「俺はもう――出逢っているのかもしれないな」






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