13,8 鬼駅 Terminal(第弐蒐・終)
目が覚めると、そこは電車の中だった。
座席の上でガタゴト揺られていた。
隣に座っているのは、先輩だった。
「よう、目が覚めたか?」
「え、あ……ぼくは、”きさらぎ駅”は? ”鬼”はどうなったんですか?」
「お前、寝ぼけてんのか? 何の話をしてんだよ。今日の依頼だった『ポルターガイスト事件』の犯人はストーカーの仕業だったってことで解決しただろうが」
「え……?」
先輩の話はこうだった。
『ポルターガイスト事件』の調査依頼は、ストーカー被害ということで解決した。
23時40分にぼくらが乗った電車は、地図にない駅にとまることなく普通に目的の駅に向かっている。
ぼくは先輩に”魔除けの指輪”を着けてもらったすぐ後に眠ってしまった。
眠っていたのは、数分程度のことだと。
ぼくは行方不明になんてそもそもなっていなかった。
「つまり、さっきまでのは全部……ながい、長い夢だったってこと……?」
「相当に疲れてたんだろうよ。ん、そう言われてみればなんか違和感があるな」
先輩は顎に手をあてて少し考え込んだ。
「そうだ。最初に座った席と今座っている席、俺とお前の位置が逆になっている。いつの間に……?」
先輩はそう言って、思考にふけってしまった。
だけどぼくにはその理由がわかった。
あくまで、さっきまでの体験が夢じゃなければ――という仮定にはなるけれど。
”Φの世界”で通話した先輩は、もともとぼくが座っていた席に座って”きさらぎ駅”まで迎えに来ると言っていた。
先輩が今座っている位置が、まさにぼくが”きさらぎ駅”に迷い込む時に座っていた席なのだ。だから、電車に乗った直後に座っていた位置とは逆になっているのは当然だった。
やっぱりあの”きさらぎ駅”や”きさらぎ研究所”、”Φの世界”での出来事は本当にあったんだ。
だけど先輩や、外の世界では無かったことになっているのだろう。
ぼくはスマホを取り出して時刻を確認した。零時を過ぎたところだった。『きさらぎ駅』に停まることは、もうないんだと思った。
だってぼくの”答え”は見つかったんだから。
「ねえ、先輩」
「ん?」
「先輩は、どうして謎を解くんですか? どうしてぼくを助けてくれるんですか?」
「理由、か」
先輩はこういう質問をしても、いつもはぐらかしてしまう。
だけど今回はなぜだか、すんなりと話し始めた。
「『ドッペルゲンガー事件』、覚えてるか?」
「もちろん覚えてますよ。先輩と出会った、”最初の事件”ですから」
「あの日、お前と初めて出会った日まで……俺は日常がとてもつまらないモノだと感じていた。何をやっていても無意味だとしか思えなくて、生きることは死ぬまでの暇つぶしだと……そう思っていた。原因と結果、その無味乾燥な繰り返しだと」
「先輩……」
「人はそう簡単に変わらないし変われない。今でも俺は思うんだ、世界には意味なんてない。生まれてきたことに意味なんてない。何か意味や理由を見出しても、結局は全部思い込みでしかなく。世の中には不思議なことや奇跡なんてなくて、ただ意思と表象だけがあるんだって……でも、お前は違った。不思議なこと、ありえないことがあるはずだって信じてた。その先に答えがなくたって、何かがあると信じて進み続けられるヤツだった。俺とは違う、お前は――世界が美しいって信じてる」
先輩はぼくの目をじっと見つめて言った。
「だから俺も、そんな景色を視てみたいと思った。俺には世界が美しいなんて思えない。意味があるなんて思えない。答えなんてどこにも無いって最初から諦めている。だが、それでも……何かを信じ続けられるお前と一緒に”謎”を解いていけば……俺みたいなどうしようもないヤツにも、お前の見ている美しい世界が視られるんじゃないかって……そう、思ったんだ」
先輩はそこまでいって、ハッとして恥ずかしそうに首を降った。
「な、なにクサいこと言ってんだろうな俺は! 忘れてくれ! なんつーか、変だよな。急に言わなきゃならないって気分になったんだ! もう二度と言わないからな!」
そんな先輩の、
長い間笑えてなかった気がする。久しぶりに笑えた。
たぶん、これは先輩の”答え”だったんだと思う。
”Φの世界”で電話を切る前、ぼくは問うた。「どうしてぼくなんかのために」と。
先輩は言った「その”答え”は、次に会った時にでも教えてやる」って。その約束を今、果たしてくれたんだ。
たとえ覚えていなくても、なかったことにはならないんだ。
「ありがとう、先輩」
ぼくは先輩の手の上に、そっと手を重ねた。
「な、なんだよいきなり」先輩が照れるのもおかまいなしで。
何も言わないでいると、先輩もしぶしぶ「ああもう……好きにしろよ」とこの手を振り払わずにいてくれた。
その時だった。ぼくは気づく。
紅い蝶が――舞っている。
電車の中なのに、一羽の紅い蝶がひらひらと儚げに揺れていた。
紅い蝶……”Φの世界”に無数に生息していたモノにそっくりだった。
もしかしたら――。
『きさらぎ駅』前のベンチに座っていた、盲目の老人の最後の問いを思い出す。
『この”境界”から無事出られたとして、その先がお主らの言う”元の世界”――つまり”現実”という保証はない。人は毎朝、夢から覚めると思い込んでおるが……その実、目覚めた世界もまた新たな夢という可能性もあるじゃろうて。世界に確かな”真実”など、元より存在せんのかもしれんぞ。それでもお主は進み続けるのか?』
おじいさんの言う通りなのかもしれない。
夢から目覚めたこの世界が、また別の夢ではないなんて保証はどこにもない。
ここはまだ”Φの世界”の中で、ぼくは脱出なんてできなかったのかもしれない。
この世界に確かなモノなんて、ないんだ。
それでも今――ぼくの隣には先輩がいる。
重ねた手と手、触れる感触、伝わる
この人がいる世界なら、たとえ夢でもいいんだ。
だから何度だって答えるよ。ぼくはここにいる。
ここにいていいんだ――って。
☆ ☆ ☆
”境界”――『きさらぎ駅』前のベンチ。
盲目の老人がそこに今も座っている。
そこに一人の女性が近づいてくる。スーツ姿の、妙齢の美女だった。
「あーあ、逃げられちゃったか。あの子のこと、結構気に入ってたのになー」
彼女はため息をついて、老人の隣に座る。
「久しぶりだな、葉純」
「できれば二度と会いたくなかったわよ、ジジイ」
「口が悪いのは相変わらずか」
老人はふン、と煩わしそうに息を吐く。
女性はそんな様子を見て、ケラケラと笑った。
「あの女の子、『きさらぎ研究所』の主任研究員”比良坂博士”の娘だった。ジジイ、あなたは最初から知ってたんじゃないの?」
「無論。比良坂はワシの教え子じゃ」
「は……?」
「ワシは『きさらぎ研究所』の所長だったからのう」
「嘘……でしょ……? ハゲてるのに?」
「ハゲは関係ないじゃろ。聖書を読んだことがないのか? ハゲを馬鹿にした子どもが神に呪い殺されるという逸話がある」
「てかそんな話はどうでもいいのよ! ジジイ、あなたが全ての元凶なんじゃないのよ! あたしがこの世界に迷い込んだ原因だって――」
「悪いがそれは知らん。しかしヒントは得たはずじゃ。比良坂の娘は、世界から答えを得るのではなく、自分自身の心の中で答えを見つけておった。葉純、お主もまた自身の心を知らねばならぬのだろう」
「はぁ……あたし、そーゆー小難しいの嫌いなのよね」
女性は両手をあげ、降参のジェスチャーをとる。
「手っ取り早く、あなたの知ってることを教えなさいよ」
「全く……いまだ”結果”ばかりを追い求めるか。相変わらず近視眼的じゃのう……」
「いいでしょ、ケチケチしないで。知識は減るもんじゃなし。ほら、チョコレートあげるから」
「……もらおう」
老人は女性からチョコバーを受け取り、頬張った。
ゆっくりとした時間が流れる。駅には電車はやってこない。
全てを咀嚼し、飲み込んだ後。老人は話し始めた。
「たった一つの小さなアイデアが、世界を変えてしまった。研究者として現役だった頃のワシは、1970年代の終わり頃にある社会実験をした。葉純――”口裂け女”という言葉は聞いたことがあるな?」
「ええ、日本で一番有名な”
「お主はピチピチではない」
「おい」
「とにかく、”ファウンダリ”の実験の一つとしてワシは”口裂け女”という噂を創作し、社会に流布した。結果としてその噂は日本中に拡散したが、重要なのは知名度ではない。”実害”が出たことじゃ」
「実害?」
「口裂け女を見た、遭遇したという目撃証言が多数寄せられることは想定していた。しかし……口裂け女によって負傷させられたという例がある時点から爆発的に増加したのじゃ。それも、被害者の証言からデータを分析すると……噂の伝播経路とは明らかに違う。”実体を持った犯人”が存在するしか考えられない。そういう結論が得られた」
「それって……”口裂け女”の噂の模倣犯が現れたってコト?」
「人間の犯行ならば、”ファウンダリ”の調査網以前に警察の調査でも事足りるはずじゃ。しかし実際は、”ファウンダリ”ですら犯人の特定は不可能だった。全国各地で複数の実体を持った”口裂け女”が、噂が拡散したある時点から同時多発的に出現した――そう表現するしかなかった。それこそが”形而上学的生物”を人工的に誕生させた日本初の成功例じゃった」
「つまりあなたたち”ファウンダリ”は”口裂け女”の噂を広めることで……本物の”口裂け女”を生み出してしまったと……そういうコトなの……?」
「そうじゃ。その功績から『きさらぎ研究所』所長となったワシだったが、それ以降大きな成果は得られなかった。ある男が現れるまでは」
「だいたい話が読めてきたわ。それが――」
「そう」老人が続けた「ワシの大学での教え子、比良坂という男だった」。
「比良坂はミーム論の研究で優秀な成績を収めた学生だった」
「ミーム論って……ネットミーム、みたいなアレ?」
「それは比較的新しい用法じゃろう。本来は、遺伝子進化論を”文化”に適用できるという仮説のことじゃ。ミームとは、文化における遺伝子の役割を果たす。この場合における文化とは”
「遺伝子という設計図から生物が生まれて繁殖するように、”口裂け女”というミームが新たな生物を生み出し文化として拡散した――と」
「そういうことじゃ。比良坂という男はワシの理論をさらに進めた。それまでワシらが生み出した”形而上学的生物”は、人の噂の中では存在し得るが、物理的実体を伴うことはなかった。彼らの実在を示す証拠だけはあるが、測定機器によって観測できるようなモノではなく、あくまで観測者の証言のみで成り立っていた。しかし比良坂はミームに物理的実体を持たせる物質を発見した。遺伝子にとって細胞に相当するものじゃ。それはこれまでの科学を全て覆す『パラダイムシフト』じゃった」
「は……? それって……本当に人間の想像とか噂から生物を生み出せるってコトじゃない! そんなのノーベル賞とってもおかしくないでしょ!? なんで誰も知らないのよ!?」
「その研究が表に出せるモノならば、な。比良坂の発見は科学、宗教、法律、社会の規範。全てを崩壊させる危険性があった。だから”ファウンダリ”は比良坂を主任研究員として引き入れ、無尽蔵の研究資金を提供する見返りに研究を秘匿した。その結果、研究所が生み出したのが――」
「”
「狂気と正気の”境界”など、相対的なモノじゃ。時代によって容易に変化しうる、その程度の基準でしか無い。かつて天文学の父ガリレオ・ガリレイが、今では常識となっている”地動説”を提唱したことで異端とみなされたようにな」
老人はそこまで話し終えると、ふぅ、とため息をつく。
「比良坂という男は、純粋な男だった」
「どこがよ。人体実験に手を染めたマッド・サイエンティストでしょ?」
「単純な善悪では測れんよ、物事には複数の側面があるからな。実験の素体となったのは、不治の病や厳しい環境などによりもう先がない人間だけじゃった。比良坂は強制することなく、彼らの自由意志により同意を得た上で実験に参加させていた。被験者の残された家族にも手厚い金銭的援助を行っておったのは事実じゃ。あの男には……ただ、大義があった」
「大義?」
「世界を救うという――な」
「どういうこと?」
「わからん。比良坂がその考えに取り憑かれていた頃には、ワシは一線を退いておった。おそらく、”ファウンダリ”における地位が向上するにつれ、ワシも知らないさらに深い機密に触れたのじゃろう。なにか、世界全てを揺るがす巨大な謎につきあたったとき……あの男は、修羅の道を進むことに決めたのだ」
「……ふーん。みんな、いろいろあるのね」
話題が深まるにつれ、理解できない内容が増えてきた。
女性は興味が薄れてきたことを自覚しつつ上を向いた。
その時ふと、ある気づきが彼女を襲った。
「人体実験……? 比良坂博士は、ミームから新生物を生み出したんじゃないの? その話を聞いたら、結局彼のやったことって”改造人間”を製造したってだけに聞こえるんだけど……?」
「そうじゃな、”呪創鬼人”は人間や動物を素体としている。そういう意味では従来の細胞と遺伝子を持った”改造人間”と言えるだろう。しかし比良坂の真の研究成果とは――」
老人が言った。
「キサラ――じゃよ」
「は……? あの失敗作の肉塊が……? てか、そんな重要なコトもっと早く言いなさいよ! あたし、キサラのこと殺しちゃったじゃない!」
「失敗作などと……とんでもない。ゼロから創造した新生物、その唯一の成功例と呼ぶべきだ。それに”殺した”という表現も誤りじゃ。”自由にした”というべきじゃろう。”Φの世界”は魂の世界、肉体など重要ではない。キサラの肉体と、それを封じ込める”
「だけどあたしは確かにキサラが死ぬのを見た。だったら今、キサラはどこに……?」
「比良坂の娘と共にある。キサラの能力は”テレパシー”などという従来の超能力では説明がつかん。もっと強大な……そう、”魂を支配する能力”――”ファイ・クオリア”と比良坂は呼んでおった。意識的か無意識的かキサラはその能力を使い、肉体が滅びる瞬間に魂を比良坂の娘の中に移し替えたのじゃろう。その結果、キサラはあの少女と共に”境界”から脱出し、今は外の世界にいる。彼女の望み通り、自由になったというワケじゃ」
「そんな……そんなヤバいモノが外の世界に……なんなのよ、いったい。キサラは……比良坂博士が生み出した唯一の成功例ってのは……」
「キサラは人の手で創りし神――”
老人は目を見開く。
白濁した、視力のない瞳で女性を見つめ、最後にこう言った。
「始まりの終わりは、終わりの始まりでもあるのだ。比良坂の娘にキサラが宿ったのは偶然か、あるいは必然なのか……。今は眠っているが、次に彼女が目覚めた時……はたして世界は救われるのか。それとも……滅びるのか。ワシらも見守るとしよう。この”境界”から」
☆ ☆ ☆
『きさらぎ駅』から帰還して数日後。
ぼくは写真屋さんにきていた。
例の『ポルターガイスト事件』の依頼人……実際はストーカー被害にあっていた女性に、証拠写真を送るためだ。
現像済みの写真を受け取って、中身を確認する。
そういえば――ぼくは思い出す。
”Φの世界”の中で、一度だけお父さんのカメラを使って写真を撮ったっけ。
確か多腕の”鬼”――”
あの写真はどうなっているんだろう?
なかったことになってるかもしれないし、もしちゃんと写真が残っていたら本物の”心霊写真”が爆誕してしまったかもしれない!
なんて期待に胸を膨らませながら、ぼくは最後の一枚を取り出した。
そこには、
『あーちゃん、ファインダーをのぞいてごらん』
”鬼”なんて写っていなかった。
写っていたのは、赤黒い”影”から
白衣を着ていて、写真に写っているのは背中だけ。顔は見えない。
だけどぼくはその人を知っていた。背中を見るだけでちゃんとわかった。
『レンズの向こうに、何が視える?』
それは家族を、たった一人の娘を護ろうとする父親の背中だった。
「おとう……さん……っ」
写真の表面にぽつり、ぽつりと、水滴が落ちてくる。
今日、雨だっけ?
いやいや、そもそもまだ屋内だって。
もぉ、ダメだなぁ、ぼくって。
ちゃんと笑って言わなきゃダメじゃん。こういうことはさ。
あぁ、涙が止まらない。決めたのに、謎を解くまでは泣かないって。
それでも言うんだ。震える唇でもかまわない。
今度こそ、本当の気持ちを――。
「大好きだよ」
ΦOLKLORE:第弐蒐”INIQUITY OF ΦATHERS” ΦIN.
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