13,6 鬼駅 Terminal


 突然電話が繋がったとおもったら、その先にいたのは先輩らしかった。

 理由はわからない。けどこれはチャンスだ。学園一の頭脳を持ち”謎解きの天才”である先輩ならこの状況を打開できるかも――そう思い、これまでの経緯を説明した。


『ふム、ずいぶんとややこしい状況になっているようだな』


 説明を聞いた先輩が唸った。今度は先輩の番だった。

 電車内でぼく以外が全員眠ってしまった時、どうやら先輩の視点からは車内では誰も眠っていなくて、ぼくだけが電車の中から突然いなくなったように見えていたらしい。

 その後ぼくの体感よりもかなり時間が経過しており、既に夜が明けてぼくは行方不明という扱いになっているらしい。

 葉純さんが外での10年を数年程度と認識していたように、この世界は外の世界とは時間の流れが違うのかもしれない。


「お母さん……心配してますよね」

『ああ。俺もそうだが、お前の母親も何度も電話したものの、今まで通話は一度も繋がらなかったようだ。通じたのは今回が初めてだな』

「ぼくのほうも電話がかかってきたのはこれが初めてです。でもよかった……先輩が無事で……」

『無事って、今ヤバい状況なのは俺じゃなくてお前だろう。こんな状況下で俺の心配なんてしていたのか?』

「だってぇ……」

『はぁ……お前はそんな変な世界に迷い込んでもお前らしいぜ』


 先輩は呆れたようにため息をついた。

 別の世界をまたいで通話しているのに、ぼくたちはまるでいつもどおりの調子だった。

 安心する。希望が湧いてくる。先輩と話しているだけで、絶望的な状況なのに「なんとかなる」って気がしてきたんだ。


「話し込んでるトコ悪いけど――」


 その時、葉純さんが会話に割り込んできた。


「その”先輩”って男、信用できるの?」

「もちろんですよ! 普段はただの陰キャオタクですけど、こういう異常事態になったときはすごく頼りになるんですから! ね、先輩!」


『ん――誰かもう一人そこにいるのか?』


「はい、葉純さんという女性と出会って助けてもらいました。あ、一人じゃありません。キサラって女の子も近くにいます。今はさっき説明したパスワード解読に挑戦していて、これが解けたら研究所の機密情報にアクセスできるかもしれないんですけど。ちょっと詰まってしまって……」

「あたしは葉純。聞いたわよ、あなた”謎解き”が得意なんだってね。あたしたちに協力してくれるの!?」


 葉純さんはスマホのマイクに向かって大きな声で話しかけた。

 少し間があいてから、先輩は応答した。


『……妙だな。こちらにはお前の声だけは聴こえるが、それ以外の音声はノイズにしか聞こえない』


 やっぱり、先輩の携帯には葉純さんの声は届いていないみたいだった。


『ねーねー、男の子!? 男の子!? わー男の子って久しぶりー! いえーい、キサラのカワイイ声、聴こえてる~? 惚れちゃえ~!』


 キサラがこれみよがしにアピールする。これも先輩は無反応。

 いや、そもそもキサラの場合テレパシーだから携帯越しに先輩まで届いたりはしないか……。


「……そう。しょうがないわね、通話は任せるわ」

『ちぇー、つまんなーい』


 葉純さんもキサラも先輩と話すのは諦めたようで、謎解きに再度取り掛かった。

 メモを取り出して、さっき”鬼”が書き残したらしき謎の赤い文字列とにらめっこしている。

 この文字列をそのまま打ち込んでもPCのロックは解除できなかったけど……何かのヒントになるかもしれない。

 ぼくは正六面体のモニタの件や、謎の文字列の件を先輩に話した。

 すると先輩は、さらりとこう答えた。


『なるほどな』

「なるほどって、わかったんですか?」

『確定ではないが、おそらく解読に必要な材料はもう揃っている。実際に暗号を解けば正解かどうかは自ずとわかるだろう。まずはその”文字列”とやらを教えてくれ』


 ぼくは先輩に”鬼”の書き残した文字列を伝えた。

 『ZNKOTOWAOZEULZNKLGZNKXY』やっぱり、意味はわからないけど。


『確かパソコンの画面にはこう書かれているんだよな? ”THE DIE IS CAST”と』

「はい」

『ガイウス・ユリウス・カエサルの言葉だ』

「はへ?」

『英語名はジュリアス・シーザー。有名な古代ローマの将軍だ』

「ああ、『ブルータス、お前もか!』の人ですよね」

『なんでそっちの名言は知ってるんだよ……まあ、そいつで間違いない』

「シーザーさんが何か関係あるんですか?」

『大アリだ。シーザー暗号って知ってるか?』

「いえ……シーザーサラダは好きですけど」

『俺もサラダの中では一番好きまであるが今は関係ない。シーザーが使っていたとされる最も古くシンプルな暗号のことだ。シーザーは敵から隠したい文章を、文字を三文字ズラして書いていたと言われている』

「三文字ズラす……? 日本語で言うと”あ”を”え”、”き”を”こ”みたいに書くってコトですか?」

『その通り。ヒントになっている文章が英語ということは、この場合はアルファベット順に文字をシフトするということだろう』

「でも……この変な文字列を三文字ずつズラしても意味のある文面になるとは思えません」

『そうだな、三文字ってのはシーザー自身が当時用いた数であって、現在使われるシーザー暗号は何文字ズラすかを”鍵”として設定し、”鍵”を手に入れなければシフトした数がわからないようになっている』

「鍵……」


 ぼくは考える。


「鍵って数字なんですよね」

『ああ、お前はもうそれを手に入れているはずだが』

「……たし、かに!」


 先輩の言う通りだった。

 ぼくはもう手に入れていたんだ。シーザー暗号の”鍵”。

 あの正六面体の謎を解いたその時すでに!


「6です! 暗号の鍵は6です! 葉純さん、メモ帳を貸して下さい!」

「え? ええ」


 ぼくは半ば強引に彼女からメモ帳を奪い取ると、解読表を書き込んだ。


 ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ

 GHIJKLMNOPQRSTUVWXYZABCDEF


 上の行が普通のアルファベット順、下が六文字分ズラして書いた行だ。

 この対応表を使って、”鬼”が残した意味不明な文字列を置き換えると――。


『THEINIQUITYOFTHEFATHERS』


「これは……英語っぽいけど」

『The iniquity of the fathers、意味は”父親の罪”だ。おそらく、聖書の一節”父のとがを子がむくい”から引用した言葉だろう』

「父親の……罪……」


 ぼくはスマホをPCの前に置いて、椅子に座った。

 葉純さんが見守る中、パスワードの欄に『THEINIQUITYOFTHEFATHERS』と打ち込む。

 その間、先輩は何かブツブツと呟いていた。


『しかし怪物が残したというこの暗号は簡単すぎる・・・・・。”ZNK”という文字列が二回出てくる時点で、三文字の冠詞である”THE”と推測がつく。鍵がなくとも六文字シフトさせることに気づくことは可能だ。暗号を作った者は何かを隠したかったのではなく、何かを伝えたかった・・・・・・ということか……?』


 打ち込みに集中していてぼくの頭の中には、先輩の言葉はあまり入ってこなかった。

 すぐにパスワードは打ち終わり、拍子抜けするほどにあっけなくロックが解除された。

 デスクトップ画面が表示されるかと思ったけど、モニタには映像が映し出された。

 映像に映ったのは机に座る男性。ちょうどこのPCデスクで、ぼくが座っている椅子に座っている。カメラはモニタの上に置いているのだろう。

 白衣を着た研究者らしきその男性はやつれていて、どこか憔悴しょうすいしたような表情で語り始めた。


『僕の名は……。いや、もはや名前には意味がない。僕はこの”きさらぎ研究所”で主任研究員をやっていた名もなき男。そういうことにしておこうか』


 男性はゆっくりと語り始める。

 その内容は、にわかには信じがたい、恐ろしいモノだった。


『僕はもうじき死ぬ。だからこれを見てくれている君にメッセージを託すことにした。ここにたどり着き、”謎”を解いた者に。君は、誰なんだろうね。後始末に来た”ファウンダリ”のメンバーか、それとも方舟アークの連中か。特別な才能を持った世界の迷い子……”V.S.P.”なのか。はたまた、それらとは一切関係がない普通の人間なのか』


『何にせよ、まずどこから始めようか。そうだ、この”きさらぎ研究所”と”ファウンダリ”の概要からにしよう。”きさらぎ”とは”鬼”のことだ。日本古来より伝承に残りながら、実在しないとされる”形而上学的生物”たる”鬼”を人の手で作り出すためにこの研究所は創設された。”ファウンダリ”は世界各国にそういう施設を持っているが――この”きさらぎ研究所”が特殊なのは、建物自体が”境界”の内部に存在するということだ』


『”境界”では生と死が曖昧になる。ここでは超自然的な現象パラノーマル・アクティビティを人為的に再現することすら可能なんだ。”ファウンダリ”はこの場所こそが”呪創鬼人グリゴリ”の製造に最も適していると考えたようだ。実際その推測は当たっていた。研究は順調だった。順調すぎたんだ。”呪創鬼人”など、所詮は副産物に過ぎなかった。人の飽くなき欲望の行き着く先とは……未来の人類がたどり着く境地とは……』


 そこまで言うと、男性は涙ぐみ始める。


『僕、ぼくは……罪を犯してしまった。ただできる・・・からと、立ち止まらず前に進んだ。進んでしまったから……っ、まさかあんなもの・・・・・まで生み出してしまうなんて……。アレは、魂への冒涜だ。僕は、僕たちは――神の御業みわざに触れてしまった』


『行き場のない人々を騙して実験台にした。切り刻み、素材として扱った。非人道的だってわかっていた。だけど僕は、それが世界を救うことにつながると信じていたんだ。閉塞し、先がない未来から人類全てを救うために……歪んだ使命感だって自覚はしていたよ。それでも僕にだって家族はいたから。家族が生きる未来を護るために……”鬼”を製造してみせた。だけど、間違っていたのかもしれない。僕が創り出した”鬼”とは、僕自身だったんじゃないかって、今では思うんだ』


『娘に――言われたよ。嫌い・・だって。世界で一番愛していたあの子にね。ずっとその子を護りたかったのに。その時になってやっと気づいた。僕は子どもに誇れるような父親にはなれなかったんだって。誰よりも美しい心を持っているあの子はきっと、世界を救うためだからと言って……自分たちの都合で誰かを犠牲にすることなんて望まないだろう。今更都合が良すぎるって思われるかもしれないけど、それでも……僕は。変わろうって……思ったんだ』


『この研究は永遠に葬り去らなければならない。僕は研究所ごと”境界”から更に深部――”Φの世界”に沈めることにした。そうすれば施設は”ファウンダリ”にすら簡単には見つけ出せなくなる。研究内容が世に出ることは永遠にないだろう。この映像を見た君は……そう、今は君に話しかけている。君はこの研究所で何を見た? 何を感じた? これが世界の真実だと……そう思ったのかい?』


『しかし真実は一つではない。僕らがこれから歩む道も、決して一つではないんだ。君はこの閉ざされた世界に来て、この先なんて無いと感じているかもしれない。だけどそれを決めるのは世界ではなく、君自身なんだよ。この映像を探し出すために、いくつかの謎を解いてきたと思う。最後に本当に解かなければならない謎を、君に託そう。僕が語る僕だけの”真実”を知ってどうするのか、それは君の自由だ。世界の未来は今、君の手の中にある。未来を決める力は、特別な存在などではない――誰もがその手に持っているんだ。僕はここにたどり着いた君に、これを伝えたかった』


『本当の謎は――人の心だ』


 そこまで言うと、男性はカメラから目をそらしてどこかを見る。


『ああ……君か、く■さき』


 一瞬映像にノイズが走って、一部の音声が聞き取れなかった。


『僕を”処理”する役割を負うのがまさか君とはね、これも”業”ということか。いいだろう、僕はここで終わる。”普通である”事を拒んだ、僕のエゴが招いた当然の報いだと覚悟はしている。だけど家族だけは……心残りだ。君ならある意味では、信頼できる。家族に伝えて欲しい。僕の本当の気持ちを。こんなことなら、ただの写真家でいられたら良かった。家族と平和に暮らすだけの、平凡な男になればよかった。世界に確固たる真実なんてないのかもしれないけれど、僕にとってそれだけは唯一の――』


 ブツリ――そこで映像が途切れた。

 ぼくも、葉純さんも、キサラも何も言わなかった。

 あまりの内容に頭がパニックになって、何を言っていいのかわからなかった。

 先輩だけは、『誰かが喋っていたのはわかったが、ノイズになって何を言っていたか俺には聞こえなかった。どういう内容だったんだ?』と言っていた。

 ぼくは、ゆっくりと震える唇を開いて答えた。


「せんぱい……ロックを解除したら映像が表示されました。この施設の主任研究員が、非人道的な研究内容を告発している映像です。彼は最期には良心の呵責に耐えきれなくなって、”境界”に建てられた研究所をここ――”Φの世界”にまで何らかの方法で”沈めた”と言っていました。”ファウンダリ”という組織から研究内容を隠すために」


 だけど、重要なのはそこじゃない。そこじゃなくて……映像に出てきた研究員。

 彼の正体を――ぼくは知っていたんだ。最初から、ずっと……ずっと。


「その研究員は……ぼくのお父さんだったんです」


 答えは、そこにあったんだ。

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