13,φ 鬼駅 Terminal


 培養液に浸かった謎の肉塊生物、キサラ。

 彼女の”お願い”はカプセルの外に出ること、自由になること――すなわち、「死ぬこと」だという。

 そんな彼女の願いを叶えたら、キサラはぼくの”願い”も叶えてくれると言った。

 ぼくの願い。

 ”真実”を知ること。お父さんの死の真相を知ることだ。

 そんなの、キサラが知るはずない。そう思いつつも、同意に「もしかしたら」と否定に否定を重ねる自分がいる。

 ここはお父さんの死に関係する”F.A.B.”の研究施設。キサラはテレパシーという超能力を備えた人工生命体”呪創鬼人グリゴリ”だ。失敗作……らしいけど。

 もしかしたら、本当に何か知っているのかもしれない。彼女の願いを叶えたら、ぼくは探していた真実に到達できるかもしれない。

 でもそれは、彼女を殺すということを意味する。キサラはきっと、カプセルの外では生きられないし、彼女自身もそれを否定していない。


「……キサラは、死ぬのか恐くないんですか?」

『逆に訊くけど、あーちゃんは死ぬのが恐い?』

「そりゃあ、恐いですよ。恐いに決まってます、誰だって」

『死んだこともないのに? 死ぬってどういうことかも知らないのに? どうして恐れるの?』

「っ……確かに誰も、死んだことなんてないです。死んだらこうやってお話もできないから。だけど誰だって、わからないものは恐いじゃないですか」

『キサラはニンゲンのそーゆートコ、ワケわかんなーい。だってニンゲンは生きてるってどーゆうことかも知らないじゃん。なのに死んでるコトまで勝手に恐がってさー、ヘンだよ』

「……」


 何も言い返せなかった。

 葉純さんの言う通り、「知能ゼロみたいな見た目のわりに小難しいことを言う」子に違いない。だけどどこかわかるというか、彼女の言っていることは的外れじゃないように思えた。

 だから反論できない。


『あーちゃんはさ、生きてるってどーゆーコトだと思う?』

「そう言われても……わからないです。少なくとも、死んでないってことはわかりますけど」

『じゃあ死んでるってどーゆーコト?』

「それは……それ以上先がないってこと……ですかね」

『キサラはね、この水槽から出たことがないの。生まれた時から自由がなかった。ずっと実験ばっかりで、苦痛だけを与えられてさ。それも終わって、今はこーしてプカプカ浮いてるだけなんだぁ。だからもう終わりにしたいのに、こーやっていろんなチューブとかコードで繋がれて、永遠に死ぬこともできない。自分では動くこともできない。だからあーちゃんに頼んでるんだよ』

「キサラ……」

『ねぇあーちゃん、自由のない檻の中で永遠に生きてるってことは、ホントに生きてるって言える? それって死んでることと同じじゃないの?』


 そしてキサラは、濁りのない澄んだ声でこう言った。


『キサラにとってはね、生きてることこそ死んでるのと同じなんだ。だから死ぬことだけが、この檻から唯一自由になる方法なんだよ』


 ぼくは。

 ぼくは、彼女を自由にしてあげるべきなのだろうか?

 そうすれば彼女は救われる。彼女自身がそう言っているんだから、間違いない。

 それに、見返りとして彼女の知る情報を得られるかもしれない。


「……っ」


 カタカタと手が震える。カプセルの中から外に伸びるコードやチューブは近くの制御パネルにつながっているようだった。

 パネルにはスイッチやレバーがいくつかついているけれど、ご丁寧にどれがどの役割を担っているかちゃんと印字されている。ヒューマンエラーを防ぐためだろう。

 だからぼくでもたぶん、生命維持装置を解除できると思う。

 だったら、本当にキサラをこの手で……?


『いーんだよ、あーちゃん。キサラは恨まないから』

「……ダメです」


 それでも、ぼくは言った。


「確かにそうすればぼくの知りたい真実が手に入るかもしれない。でもダメです。そんな方法じゃ意味がないんです」

『どうして?』

「結果だけ手に入れても、その過程が間違っていては意味がないんです。ぼくが昔会ったことがある人が……お父さんの事件を担当してくれた刑事さんが言ってました、『謎を追いかけ続けろ。近道はない、何年かかったとしてもあきらめず探し続けるんだ。その先に……何もないかもしれないけれど』って」


 そうだ。

 ぼくの”謎解き”は、こんなことをするために続けてきたんじゃない。

 

「たとえその先に答えがなくたって。自分で歩き続けなきゃならないんです。この先の道も、正解も……一つじゃないハズだから。きっとキサラにも、それだけじゃない未来があるかもしれないじゃないですか」

『ふーん』


 キサラは無感情に、無感動に答える。


『結局あーちゃんもキサラのお願いは叶えてくれないんだ』


 そのあまりに無機質な声色に一瞬冷や汗をかいた。

 「キサラ、ぼくは――」弁解しようとしたその時、ぼくの肩に人の手が触れた。

 ビクリと身体が跳ねる。


「いつまで喋ってんのよ」


 葉純さんだった。


「キサラの指向性テレパシーと一対一で会話する人間って、ハタから見てると独り言いってるみたいで不気味なのね。初めて知ったわ」

「す、すみません勝手に」

「べつにいいわよ。あの激キモ肉塊のヤツ、どうせ『殺してくれ~』とか懇願してきたんでしょう?」


 ドキリとした、「ど、どうしてそれを?」。

 彼女はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。


「真に受けちゃダメよ。あいつはいろいろテキトー言って人を惑わせるのが趣味の性格最悪なカワイコぶりっ子なんだから。あたしも初めて会った時に殺すよう頼まれてビビったもんよ」

「そ、そうなんですか?」

「でしょ、キサラ」


 キサラは一瞬沈黙した後、


『バレちゃったか~! そうでーす、ドッキリでーす! 培養液に浮いてるグログロ実験体がいきなりコロシテ……コロシテ……って懇願してきたらビビるでしょぉ? ま、キサラはグログロじゃなくてゲキカワなんだけどね! あははははー! ごめんねあーちゃん、ホンキにしちゃったかな!?』


 一気に明るい声色に戻ったのだった。

 ほっとする。キサラの明るい声がまた聞けて。なぜだか既に、彼女に好感を持っている自分がいた。

 少し話しただけだけど、テレパシーを使ったからなのかな。キサラには悪意がないのがわかった。彼女は純粋なんだ。


「ま、仲良くなれそうで何より。それよりも本題よ」

「そ、そうだ。謎解きなんですよね?」

「そう。この研究所にあたしが流れ着いてから、まだ解けていない最大のブラックボックス。それが――」


 葉純さんが「これよ」と指さしたモノは、意外な物だった。


「パソコン……?」


 そう、研究室の奥に配置されたデスクトップパソコン。

 今は使われていないであろう、薄型じゃない、奥行きがある立方体のモニタに繋がっている。

 何かの操作に使うのだろうか、モニタの側面や背面、上側にはボタンが不規則に配置されていた。

 葉純さんは言った。


「研究所の中はほとんど調べ尽くしたわ。だけどこのPCにかかったパスワードだけはどうしてもわからなかった」


 彼女がPCを起動すると、モニタに文字入力欄が表示された。


「配置から考えてこのPCはおそらく、ここ『きさらぎ研究所』の主任研究員が使っていたモノだと思うわ。ここにパスワードを打ち込めば、研究所の謎が解けるはず……」

「何か、心当たりやヒントはなかったんですか? モニタにいっぱいボタンがついてますけど、これを押せばなにか手がかりが出てくるとか」

「とっくに試したわよ。反応したボタンは背面の一つだけ。これを押すと――」


 葉純さんはモニタ背面に一つだけついているボタンを押した。

 すると画面の文字入力欄の上に、アルファベットの文字列が表示された。

 『THE DIE IS CAST』と。


「どういう意味なんでしょう?」

「あたしも英語には詳しくないのよね……」


 いきなりつまずいた。ちゃんと英語の勉強をしておくべきだった。

 こんなとき成績優秀な先輩がいてくれたら……なんて思うけど、ここは異世界。先輩の助けには期待できそうにない。


『賽は投げられた』


 その時、可愛らしい声がぼくと、たぶん葉純さんの頭の中に届いた。


『――って意味だよ。ハスミもあーちゃんも、ちゃぁんとおべんきょーしないから困っちゃうんだよ? かしこくてカワイイキサラに感謝しなさい!』

「はいはい、えらいえらい」


 威張ドヤるキサラに、葉純さんは煩わしそうに対応した。

 キサラの言った「賽は投げられた」という言葉なら聞いたことがある。


「確か……海外のことわざか何かですよね」

「あたしも日本語のほうなら聞いたことあるわね。とにかくあたしが見つけたのはここまでよ。この文字列を入力してもPCのロックは解除できなかった。きっとこの中には、”ファウンダリ”の機密情報が入ってるってのに」


 ぎりっ、と葉純さんは歯ぎしりをした。

 苛立っているのだろう。彼女は冷静なようでいて、その実この研究所の謎を誰よりも解きたがっているのかもしれない。

 それもそうだ。ぼくは思い直した。彼女はここでたった一人、何年もさまよっているのだから。解けない謎に直面して、どれだけの時間立ち止まったのだろう?

 彼女がこの謎にかける想いは、想像もつかない。

 何か――力になりたい。ぼくは頭をフル回転させて考えた。


『かの理論物理学者アルベルト・アインシュタインは言った、”神は賽を振らない”と。何事も理由があって起こるということ』


 その時脳裏によぎったのは、駅前で出会ったおじいさんの言葉だった。

 ”賽”というのはつまりサイコロのこと。

 そしてこの”賽”という言葉がまた出てきた、「THE DIE IS CAST=賽は投げられた」。

 何事も理由があって起こるというのなら、この一致にも理由があるかもしれない。


「賽、サイコロ……サイコロ……」


 一般的なサイコロを思い浮かべる。

 正六面体で、丸が描かれた個数によって1から6までの数字を示している。


「ん――? 正六面体? 丸の個数?」


 ぼくはもう一度モニタを見た。

 画面のほうじゃない。モニタそのもの・・・・を見たんだ。


「このモニタ、変じゃないですか……」

「変?」


 葉純さんは首を傾げた。


「確かに、妙に厚みがあって古く見えるわね。さすがにあたしの時代でもモニタはもっと薄型になっていたわよ。それに、研究室の他のモニタはもっと薄型だったような……このモニタだけ、各辺の長さが同じでまるで正六面体……っ」


 そこまで言って、彼女はハッと息をのんだ。


「サイコロの形状と同じ。このモニタそのものが、ヒントだったということ……?」

「かもしれません。このモニタは正六面体という珍しい形状で、各面に不自然にボタンが配置されています。背面は1つ、側面は3つと4つ、天板は5つ……」


 二人で目を合わせる。

 やらなければならないことはわかっていた。

 二人で力を合わせてモニタを持ち上げると、底面には2つのボタンが配置されていた。


「やっぱり……正六面体ダイスは反対にある面同士の合計値が7になる。その法則はこのモニタにも有効。背面はボタンが1つでした。つまり唯一ボタンのない画面部分には本来ボタンが6個あるはずなんです」

「だけど画面があるからボタンは存在しない。つまり……この文字入力画面に”6”を打ち込めば良いということ……!」


 葉純さんはキーボードに飛びつき、「6」を入力した。

 だけどエンターキーを押してもロックは解除できない。


「くっ……!」


 その後も「six」や「oooooo」、「roku」だったりと6を表す文字列を思いつく限り打ち込んでみたけど、どれもハズレだった。


「そんな……ここまで来たのに……まだダメなの……?」


 葉純さんは頭を抱えて下を向いた。

 ぎりっ、ぎりっ。歯ぎしりの音が大きくなる。

 相当悔しいのだろう、美しい顔が歪んでいた。


「葉純さん……」


 知恵を絞って考えたけど、ぼくもこれ以上はわからない。

 彼女の助けになりたいけど、もう都合のいい閃きも弾切れみたいだった。

 その時だった。

 ぐうううううううううううううう。

 ぼくのお腹が盛大に鳴った。

 ”きさらぎ駅”に入ってからどれくらいの時間が経ったのかはわからないけど、けっこうな長時間飲まず食わずだったから当然だ。

 だけど人前でお腹が鳴るのはこんな状況でも恥ずかしくて、ぼくは顔を真っ赤にしてお腹を押さえた。


「す、すみません」

「……いいわよ、べつに。おなかが減るのは当然だものね」


 葉純さんはふぅ、と息を吐いた。

 ぼくの恥ずかしいトコロを見て、少し落ち着いたみたいだった。

 そしてポケットから棒状の何かを取り出し、ぼくに差し出した。


「お腹が空いたでしょう? これ、あげるわ」


 チョコバーだった。

 チョコレートは手軽に高カロリーを補給できる。

 サバイバルにはうってつけの食品だ。

 うっ……思わずヨダレが垂れそうになる――その時だった。


『あーちゃん、ホントにいいの?』


 キサラの声だった。葉純さんは気づいていない。

 つまり”指向性テレバシー”だ。ぼくにだけ話しかけているようだった。


『”ヨモツヘグイ”、でしょ?』


 はっとした。キサラのおかげでおじいさんの言葉を思い出すことが出来た

 ”ヨモツヘグイ”、この世界の食べ物を口にしてしまえば、二度と元の世界には帰れない。

 受け取るのを躊躇していると、葉純さんは不審そうにぼくを見て言う。


「遠慮しなくていいわよ、施設内の倉庫に一生かかっても食べきれないくらいの備蓄があるから」

「い、いえ。ぼくは……」

「毒なんて入ってないわよ、ほら」


 彼女は包装を剥いてチョコバーを頬張って見せた。

 うっ……美味しそう。実際お腹が空いてるし、欲しい。

 だけどキサラが思い出させてくれたおじいさんの忠告がズシリと心に重くのしかかっていた。

 せっかくの厚意を受け取らないのは気が引けるけど……。

 ぼくが受け取る気が無いのを悟った葉純さんは、すこしムッとした顔をする。


「せっかくあげるって言ってるのに。何? あたしのことが信用できないって?」

「そんなわけじゃ――」

「そんなわけじゃないなら、行動で示して」


 彼女は強い口調と共に、二本目のチョコバーを差し出してきた。


「絶望的な状況下で必要なのは互いの信用でしょう? あたしだってあなたのことを完全に信用したわけじゃないわ。互いに歩み寄って、協力しなきゃね」


 その態度と声色からは、明らかな圧力を感じる。

 彼女は――葉純さんは、どういうつもりなんだろう?

 本気でぼくに厚意で食料を分け与えようとしている?

 もしくは……。

 ダメだとわかっていても、こう考えてしまう。”疑い”は一度始まれば止まらない。

 もしかしたら、「葉純さんはぼくに”ヨモツヘグイ”をさせたいのかもしれない」と。

 この世界の食べ物を口にしてはいけないというおじさんの忠告が正しいとしたら、彼女はもう二度とこの世界から抜け出せない。

 そんな状況で長年過ごすのはとてつもない苦痛が伴っただろう。

 だからせめて、自分以外の誰かをこの世界に留めておきたい――そう考えてもおかしくないんじゃないか? 自分では動けない肉塊のキサラではなく、少なくとも人間の形にとどまっているぼくという生き物を。

 ぼくの脳内ではそんな最悪の想定が渦巻いていた。

 

 どうする?

 受け取るべきか。受け取らざるべきか。

 たぶんこれは、葉純さんの言う通り「信頼」の問題なのだろう。

 彼女を信じるべきか、信じざるべきか。

 でもそれは、二者択一になる。葉純さんを信じて食料を受け取ることは、おじいさんの忠告を無視することでもあるから。

 それだけじゃない。おじいさんの忠告を思い出させてくれたのはキサラだ。

 彼女は、暗に伝えようとしてくれている? 葉純さんから食べ物を受け取ってはいけないんだって。

 ぼくは――。

 決断しようとしたその時だった。

 ポケットのスマホから突如『遊星からの物体X』のサントラが流れ始めた。


「え……?」


 こんなマニアックな着信音に設定した相手は一人しかいない。

 ぼくは恐る恐る、通話ボタンをタップした。

 するとスマホのスピーカーから、懐かしい声が。

 数時間前まで一緒だったはずなのに、懐かしく感じてしまう声が聞こえ始めた。


『よう、生きてるか?』


 それはぼくが、誰よりも強く会いたいと待ち望んだ人だった。


「せん……ぱい――!」

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