13,3 きさらぎ駅 Terminal


「嘘つき」


 ああ、なんでだろう。

 なんで今頃になって思い出すんだろう。

 最悪の記憶だ。思い出したくない、忘れようとしていた記憶。

 それは、ぼくがまだ中学生だった時の出来事だ。


「嘘つき、お父さんの嘘つき!」

「あーちゃん、すまない。本当にすまない、僕は――」

「聞きたくない! また言い訳するんでしょ! お父さん、最近仕事ばっかり! 家に全然帰ってきてくれないし、帰ってきたと思ったらまた仕事でいなくなるって!? そんなのないよ! しばらくは休暇をとって、家族一緒に過ごせるってお父さん言ってたじゃない!」


 ぼくは顔を真っ赤にしてお父さんに怒りをぶつけていた。

 その頃、お父さんの仕事が忙しくなっていて、ぼくもお母さんもめったにお父さんと会えなくなっていた。

 お母さんは「お仕事だもの、仕方ないわ」と笑っていたけど、どう見ても強がりだった。いつも寂しそうにしていたのはわかっていた。

 だけどお母さんはお父さんに何も言わなかった。

 その分、娘のぼくがお父さんに怒らなきゃならないなんて、その時のぼくは間違った使命感に燃えてしまったんだ。


「ねぇ、お父さん……わかってるんだよ。わたし、ホントはわかってるんだ。お父さんは写真家じゃないんでしょ? ホントはどこかでずっと何かの研究してるんでしょ?」

「っ……どこでそれを……」

「『謎を解き明かせ』ってわたしに言ったのはお父さんでしょ? ねぇ、家族にまで秘密にしなきゃならないことって何? 仕事ってそんなに大切なの? 家族にまで嘘ついて、お父さんは何がしたいの……?」

「あーちゃん、僕は……僕はね……」


 きっとぼくは、最低な娘だったと思う。

 人には秘密がある。家族や愛する者にも、隠したいことだってあるだろう。

 だけどそのときのぼくにはそれがまだわかっていなかった。

 ただ嘘とごまかしが嫌いなだけの、世界を知らない子どもだったんだ。


「……」


 ぼくの追求に何も言えなくなったお父さんは、顔を歪ませ、泣きそうな顔でぼくに背を向けた。


「すまない、本当にすまない……もう行かないと。やらなければならないことが残っているんだ。僕には……自らの行いに決着をつける、その責任があるから」

「っ……嫌い……お父さんなんて……きらい、だいっ嫌い……」


 去りゆく父の背中に娘が投げつけたのは、呪詛の言葉だった。

 「嫌い」。

 その言葉が――ぼくとお父さんが交わした最後の言葉になるなんて、その時は。

 何も知らない子どもだったぼくにはまだわからなかった。わからなかったんだ……。


 数日後、お父さんは死体となって発見された。


 落下死だった。

 ぼくらの家とは縁もゆかりもない、日本のどこかの街で落下死体となっていた。

 それだけなら自殺として処理されたかもしれない。でもそうじゃなかった。

 問題は、その場所が開けた平地で高い建物もない場所ということだった。

 つまり、「どこからも落下しようがない場所」からお父さんは落下したということだ。

 死亡推定時刻にその周辺を飛行機が飛んでいたという記録もない。

 どこかで落下したお父さんの遺体を誰かが別の場所に遺棄したという説も、落下地点を中心に血液や肉片、臓物が飛散していたことで否定された。


 お父さんは、確実に落下しようがない場所で落下死したのだ。

 謎だった。全てが謎に包まれた事件で、今でもこの死は未解決のままだ。

 誰かが嘘をついているのかもしれない。警察が、検視官が、発見者が。

 だけど少なくともぼくには、嘘をついていた人が一人いるって、確実にわかっていた。


「嘘つき……」


 それは――わたし・・・だ。


「わたしの……嘘つき」


 お父さんと、もっと一緒にいたかっただけなのに。

 最期にかけた言葉が「大嫌い」だなんて……。

 もしかしたら。

 もしかしたら、お父さんは、娘の心ない言葉に絶望して――なんて。

 どうしても考えてしまう。

 ぼくのせいで、お父さんはこうなったんじゃないかって。


「嘘つき」


 その日以来、ぼくは不思議な出来事を追いかけるようになった。

 お父さんが落下死したのは、目に見えない「未確認飛行物体ユーフォー」の仕業なんじゃないか、なんて非現実的な仮説に逃げたりして。

 いつだって、罪悪感から目をそらしているだけなんだ。


ぼく・・の……嘘つき」


 今だってそう。

 探し続けているんだ。

 つらい現実から逃げ続けるように、ずっと。

 解けない謎の答えを。




   ☆   ☆   ☆


 


「っ――!」


 ハッとして目を開いた。

 あれ、今……眠ってた? トンネルの中に一歩踏み入れて、どうなった?

 夢を視ていたような……。

 いつの間にか、トンネルを抜けていたみたいだった。

 背中にはトンネルの出口が。

 そして、目を開いたぼくの正面には――。


「――綺麗」


 思わずそう呟いた。

 そこは、黄昏たそがれの光に満ちた世界だった。

 夕日が一面を照らし、空は深い紅色に染まっている。

 地面もまた、紅い彼岸花が辺り一面に咲き誇り、小風に揺れていた。

 花々の周りをたくさんの紅い蝶がひらひらと舞っている。

 

「これが……”Φファイの世界”」


 おじいさんはこの世界を、さっきの”きさらぎ駅きょうかい”よりさらに”死”に近い世界と言っていた。

 だけど想像していたような息苦しさとか、重々しさは全然感じなかった。

 むしろ身体が軽くて、快適に感じる。

 まるでぼくの魂が、この場所を”知っている”ように感じた。


「行かなきゃ」


 トンネルの向こうには、線路は繋がっていなかった。

 紅い空と紅い大地、それだけだった。

 彼岸花が生えていない、人が一人通れるくらいの小さな道があったからそこを進んだ。

 道の周りには紅い折り紙で作られた風車かざぐるまがいくつも立てられていて、カラカラと回っていた。

 進むぼくの背中を紅い蝶が踊るようについてくる。まるで意思があるみたいに。

 永く短い道を進むうちに、だんだんと視えてきた。

 建物だ。白くて長方形の、一見病院に見える巨大な建造物が目に入った。

 歩いて建物の前まで到着する。大きな門があったけど、閉まっていなかった。

 普通に通り抜けられそうだ。

 門にはこう表示されている。『F.A.B.きさらぎ研究所』と。


「”F.A.B.”――!?」


 既視感のある文字列。

 『呪いのビデオ』事件で、先輩とともに鑑賞した映像の中で見たんだ。

 それにお父さんの死後、事件を担当してくれていた刑事さんが、担当を降りる前に言い遺した『F××』という組織名――それも今では、”F.A.B.”だったんじゃないかと疑っている。

 もしかしたら、ぼくが今まで関わった怪奇事件やお父さんの死に何か関係があるの? この”Φの世界”は。

 おじいさんが言っていた”業”というのはこういうこと? ぼくが追いかけ続けた” 世界の謎”の答えが、この先にあるの?

 

「なんにせよ、急がないと」


 おじいさんは「ヨモツヘグイ」と言った。この世界の食べ物や飲み物を口にしたら、元の世界には二度と戻れない、ということだ。

 人間は飲まず食わずでは3日程度しか生きられない。ぼくに残された時間もそのくらいだろう。

 まして、脱水症状でまともに動けなくなることも考えると、実際はそれより短い時間しか活動できないと思ったほうが良い。

 一応、時刻を確認しておこうとスマホを取り出した。

 だけどもう、時計もまともに機能していないみたいだった。デタラメな数字がランダムに表示されて、今が何月何日なのか。何時何分何秒なのか。もはや一切がわからない状態だった。


「……」


 スマホのバッテリーも心もとない。

 できるだけ温存しておこうと、またポケットにしまった。


 門を越え、敷地内に入る。

 病院と同じように、正面玄関はガラスの自動ドアになっていた。

 ぼくが近づくと問題なく動作して、建物の中に入ることができた。

 中も電灯で照らされていて、薄暗いけど視界は確保できている。

 足元に羽の千切れた蝶の死骸がピクピクと蠢いているのがはっきりと見えるくらいに。うぇ……。

 とはいえ悪いことばかりじゃない。視界が確保できるのはいいことだし、施設は生きてるかもしれないってコトだから。どこからか電気が通じているんだろうけど、さすがにそこまでは知りようがない。

 余計なことまで考察しても仕方がないので。さっそくこの建物の探索を開始することにした。


「おーい、誰かいますかー?」


 とりあえず声を出してみた。

 しんと静まり返る。ぼく自身の声の反響だけが白い廊下に響いていた。

 もちろん応答はなかった。

 到着したはいいけど、何をどう探したらいいのか、全くわからなかった。


「どうすれば――」


 バン!

 その時だった。

 音が。音がする。聞きたくない、聞き覚えのある音だ。

 できれば、二度と聞きたくなかった音。

 バン! バン! バン! バン! 手で、ガラスを叩く音だ。

 そしてチリチリと点滅する電灯。建物の中が薄暗くなってゆく。


「……っ、うそ……でしょ」


 振り返ると、入り口の自動ドアが閉じていた。

 透明なガラスの上には、赤黒い血のような手形がベッタリと、無数にこびりついている。

 バン! バン! バン! バン! バン!

 間違いない、今度はガラスじゃなくて床や壁を叩く音。

 徐々にぼくに向かって近づいてきていた。

 そして――その姿が見えた。

 電車の中で襲ってきたアイツだ。

 上半身を引きずって臓物ぞうもつを撒き散らしながら移動する恐ろしい8本腕の怪物バケモノ

 建物の中の白い廊下に立つぼくを、入り口付近から見ていた。


「ゃ、やだ、こんな時に……っ!」


 ぼくはどうするか考える前に走っていた。

 とにかく逃げなきゃ。幸い、あの怪物の移動速度は大したことはない。

 本気で走れば引き離せる。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 ついてくる、ついてくる、ついてくる。

 どこまでも追ってくる。廊下を走り続けるけど、逃げ場所が見当たらない。

 どこかの部屋に逃げ込みたいけど、どうやら電子ロックがかかっているみたいで全然開けられなかった。電気が生きているのがこんなところでアダになるなんて!

 いつの間にか、廊下の一番奥まで追い詰められていた。

 ぼくの背後には扉があるけど、これも電子ロックで閉じられていた。

 逃げ場が、もうない。


「そ、そんな……」


 ダメだ。もうおしまいだ。

 死ぬのかな、死ぬんだろうな、ぼくは。

 今になって湧き出てくるのは、後悔ばかりだった。

 まだ、何の謎も解いていないのに。答えだって見つかってないのに。

 先輩に――気持ちだって伝えられてないのに!


 赤黒く染まってゆく廊下。徐々に手の音は近づいてくる。

 ずる……ずる……とハミ出た内臓を引きずる音も……。

 点滅する電灯……迫りくる薄暗闇。

 そして目が合う。長い黒髪の隙間から覗く、白濁した瞳。

 だめだ、怖い。殺される……。


『あーちゃん、ファインダーをのぞいてごらん』


 諦めかけたその時――懐かしい声が語りかけてくれた気がした。


『レンズの向こうに、何が視える?』


「っ――まだっ!」


 そうだ、何諦めようとしてるんだ!

 ぼくは首から下げていたカメラを持ち、迫りくる怪物に向けて――シャッターを切った!

 怪物はビクリと身体が跳ね、動きが止まってしまう。


「やっぱり……!」


 思ったとおりだ。この怪物が出現すると必ず電灯が点滅して薄暗くなる。

 そして今、目が合ってわかった。白濁した瞳。コイツは視覚が人間と違う。

 手で床や壁をバンバン叩いて移動するのは、聴覚や触覚で周囲の環境を把握するため。

 視覚障害者が白杖で地面を叩いて移動するのと同じように。

 薄暗い空間を移動するのは、強い光に弱いから。弱点なんだ、光が。

 カメラのフラッシュが目に直撃すると、身体の動きが止まってしまうほどに。


「とにかく今のうちに――っ!?」


 ”多腕の怪物”が怯んだすきに逃げようとしたその時だった。

 ぼくの腕を何者かがつかみ、引っ張る。


「えっ……!」


 すごい力で引っ張られ、ぼくはいつの間にか開いていた廊下の一番奥の扉から部屋の中に投げ飛ばされた。

 床に思い切り叩きつけられているうちに、ぼくを投げ飛ばした”誰か”は開いていた電子ロックの扉を再び閉めたのだった。


「いたた……た、助けられた……?」

「あなた、なかなかやるわね。普通なら助けようなんて思わなかったけれど、”アイツ”の弱点を見抜いたその判断力と機転……利用価値があるかもしれない」


 部屋の中に立っていたのは、妙齢の女性だった。

 OL風のスーツ姿をしていて、老人や怪物と比べるといくぶんか普通の人間のような外見だ。

 ぼくは投げ飛ばされた身体の痛みをこらえながら訊く。


「利用価値って……?」

「この研究所の謎を解く手がかりになるかもしれないってコトよ」

「謎を解く……? あなたも、そのためにここに来たんですか」

「ええ、何年も前にね。ずっとこの中を彷徨さまよい歩いている。つまりあなたの先輩ってわけ、可愛いJKちゃん?」

「まさか、あなたは……」


 駅前のベンチに座っていた盲目の老人の言葉を思い出す。

 彼は言った、ぼくの境遇は”彼女”と同じだと。

 もしかして、この女性は――。

 ぼくは頭に浮かんだその名前を口にした。


葉純はすみ、さん……?」

 

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