13,2 きさらぎ駅 Terminal
きさらぎ駅。
2000年代のインターネットで広まった都市伝説だ。
”はすみ”という女性が23時40分発の遠州鉄道に乗って帰宅していたところ、電車が20分以上も停車せず周囲の乗客が全員寝ているという異常事態に遭遇した。
匿名掲示板で相談しているうちに電車は停まり、彼女は存在しないはずの”きさらぎ駅”にたどり着いてしまう……。
最後には”はすみ”さんからの掲示板への書き込みは途絶え、行方不明になってしまった。
そんな話だ。最も有名なネット怪談の一つで、ドラマや映画の題材にもなってるけど……。
「まるっきり同じじゃん……」
ぼくは無人駅のホームでポツリと呟いた。
23時40分という乗車時刻も状況もまるで一致している。
同じじゃないのは、ぼくと先輩が乗っていたのが”はすみ”さんの乗っていたという遠州鉄道とは全く違うという点だけだ。
路線は関係なくて、時間が問題だったのだろうか? そもそも”きさらぎ駅”は現実には存在しない異世界の駅だ。場所は確かに関係ないのかもしれない。
今は考えてもわからない、けど。
「なんにせよ、ここから出なきゃ」
ぼくはスマホを取り出した。
時間表示は、深夜零時を少し過ぎた所だった。
だとすると、ちょうど零時頃にこの駅に到着したのだろうか。
日をまたいだ瞬間――これも何か、関係があるのだろうか。
場所は、どうだろう。GPSをONにし、地図アプリを起動した。
「ううっ、完全にバグっちゃってる……」
現在地表示をしてみると、都内どころか海外の都市や海中、山中など、リロードするたびに様々な場所にGPSの座標が移動してしまう状態になっていた。
少なくとも、なんど操作しても都内の座標は表示されないし、たまに日本の座標になったとしても九州とか東北とか、無関係そうな場所になってしまう。
地図アプリでは現在地は特定できなさそうだった。
「先輩もお母さんも……電話、出てくれない……」
先輩はどうなったのだろう。電話をかけても応答がない。
あの電車の中でまだ、眠っているのだろうか。
お母さんは今ごろ夜勤だから、電話に気づかなくても不思議じゃないだろうけど。
「警察は……」
警察に電話しようとして、やめた。
「きさらぎ駅に来ちゃいました、助けて下さい」なんて警察に訴えてどうなる。
実在しない駅までパトカーで迎えに来てもらうのか?
無理だ、信じてもらえない。
仮に警察がぼくの話を信じてくれたとしても、そもそも場所がわからないんだから助けてもらいようがない。
とにかく状況を確認しよう。
ぼくは周囲を見回した。ここはシンプルな無人駅だ。
駅のまわりをパッと見ても、暗がりの中だからはっきりとは見えないけど草原と山くらいしかない。
駅前って感じの建物が並んでいる景色は期待できそうになかった。
「駅から……出てみようかな」
怖いけど、線路沿いに歩いていけばどこかにたどり着くかもしれない。
けどそもそも存在しない駅なんだから、線路が別の駅に繋がっているのかどうかすらわからない。
どうしよう? 迷いながらも、ぼくは改札へ向かった。
改札の横の駅員室には、誰もいなかった。
自動改札は閉じておらず、ICカードをタッチしても無反応だ。
「これもキセル乗車になるのかな?」謎の罪悪感を覚えながら、ぼくは改札を素通りさせてもらった。
駅を出ると、予想通りと言うべきか綺麗に舗装された道なんてなかった。
バスやタクシーのロータリーも何もない。だけど1つだけ光るもの――自動販売機を見つけてぼくは駆け寄った。
「はぁ、はぁ、やった。喉カラカラだよもう」
ジジジ、とやっぱり点滅しているけど自販機は自販機だ。
どうにもラインナップが古い気がするけど、普通にジュースが売っていた。
見慣れた文明の利器を目にして、どこかホッとする自分がいた。
ぼくはカバンから財布をとりだし、硬貨を投入してボタンを押してみる。
ガコン、と音がして普通に缶ジュースを取り出せた。
「やった!」
ジュースを飲もうとして手をかけるとその時、
「やめておきなさい」
誰かの声がぼくを制止した。
「ひっ」とビビりながらぼくは声がした方を見る。
自動販売機の隣のベンチに、おじいさんが座っていた。
髪は少ないけど白い髭は伸びていて、服は少しボロボロだった。
一見、路上生活者にも思えるような風貌だ。
なによりも特徴的なのは、彼のズボンの片方が途中で結ばれていることだ。
つまり、片脚がないのだろう。そのためか、ベンチには杖も立てかけられていた。
いや――杖は歩行障害者用というより、視覚障害者が地面を叩いて歩くための”
わからないけど、どうにも不思議な雰囲気をまとった老人に違いなかった。
「あ、あの……あなたは?」
「……」
おじいさんは答えなかった。
ぼくはさらに質問する。
「やめておきなさいって、ジュースを飲まないほうがいいってコトですか?」
「そうじゃ」
「どうして?」
「外から来た者が
「あの、差し支えなければ理由を教えてもらっても?」
「ヨモツヘグイ――と言えばわかるか?」
「え……? あ、いやわからないです」
聞いたことがあるけど、意味は知らない言葉だ。
おじいさんは教えてくれそうになかったので、ぼくはスマホを取り出して検索してみた。幸い、ネットは繋がっているみたいだった。
ヨモツヘグイ――日本神話から来た言葉らしい。
その意味は、異界や死後の世界に迷い込んだ生者が、その世界のモノを口にすると、元の世界に帰れなくなるということだった。
ゾッとした。おじいさんが止めてくれなかったらぼくはこのジュースを飲んでいただろう。そうしたら、帰る手段を見つけても脱出できなかったということ……なのかもしれない。
そもそもおじいさんが何者か、本当のことを言っているのかもわからないけど。
なんとなく納得したというか、目の前の老人が敵対的な存在とは思えなかった。
ぼくはベンチに――おじいさんの隣に座った。
「あ、あの……おじいさんは
「
「『左様』なんて言う人、
あんまり言葉がうまく出てこなくて、先輩みたいなアニメネタのつまらないジョークをつい口にしてしまう。
うっ、いきなり話題に困った。どうしよう。
ぼくはとりあえず、手に持った缶ジュースを差し出してみた。
「あ、あの。ここの人なら飲んでも問題ないんですよね? ジュース、いります?」
「……もらおう」
おじいさんはぼくから受け取った缶ジュースを開けて、ごくごくと景気よく飲んだ。
ああ、いいなぁ。美味しそう。
羨ましそうに見るぼくを一瞥して、おじいさんは言った。
「お主は、どうしてここに来た?」
「それがわからないんです。電車に乗っていたら急にみんな眠っちゃって、ぼくだけが起きていて……気がついたら、ここに。たぶん、自分の意思で来たワケじゃないと思うんですけど」
「それは当然じゃろう。生きる世界を選べる者など一人としておらん。生まれた時からそうじゃ。誰も皆、自ら望んで生を受けるわけではないのだから。”生”とは、本質的に不本意なものなのだ」
「そーゆーテツガク的な意味で言ってるワケじゃ……」
「意思ではない。重要なのは”原因”じゃ。何事も原因があって、結果がある。両親が出会ったのが原因で、結果として子が生まれるように。たとえそれが不本意な結果だったとしても……結果があれば、そこに原因がある。お主は同じじゃな」
「同じ?」
「”
「”はすみ”さん……? 知っているんですか?」
「ワシはずっとここにいる。お主の前に何人かここに迷い込んだが、お主の状況はあの子によく似ている。むしろ、お主こそ葉純を知っておるようじゃな」
「そりゃあ、ある意味では有名人ですから」
「外ではそうなっておるのか」
おじいさんはジュースをグビリ、と飲んだ。
彼は、どうやらこの場所のことを知っているらしい。
態度も敵対的ってワケじゃない。話は通じる。
ぼくは思い切って訊くことにした。
「ここは……どこなんですか? 有名な”きさらぎ駅”なんですか?」
「この場所が有名になるとは世も末じゃが、そうじゃな。駅標識に書いてあるではないか。お主は答えをもう知っておるようじゃが」
「だからそーゆー意味で訊いてるんじゃなくてですね……おじいさんの言葉で語ってくださいよ。ジュース奢ったじゃないですかぁ」
「ふム……恩を売られた、というワケか。ワシも進んで恩知らずになりたいわけではない。答えよう、ここは”境界”じゃ」
「境界?」
「生と死の境界、魂を運ぶ駅。そういう場所はここだけではない。日本人の多くが”川”を渡ってあの世へ逝くように、景観は一定ではないが。視覚的イメージは重要ではなく、本質は全て同一。死者の渡る場所じゃよ」
「
「ギリシャ神話においても、死者の魂から生前の記憶を洗い流し、生まれ変わる準備をする”忘却の川レーテー”という伝承がある。川は大多数の人間にとって”境界”の原風景なのじゃ」
「は、はえぇ。詳しいんですね」
「これでもかつては研究者じゃった」
「研究って何を?」
「
「けいじ……?」
初めて聞いた言葉だ。そんな学問、実在するのだろうか?
でも問題はそこじゃない。問題は――。
「仮に、おじいさんの言うとおりここが生と死の”境界”だとして……ぼくが今、臨死体験をしてここに迷い込んでしまったと仮定してもおかしいですよ。日本人は普通、三途の川に送られるんですよね。どうして”きさらぎ駅”なんですか? そもそもぼく、死にかけてるワケでもないし……」
「ふム、ワシはお主のことは知らぬ。知っているのは、ここへ迷い込む者は誰もが”
「業?」
「言っただろう。原因があって、結果があると。因果関係じゃ。かの理論物理学者アルベルト・アインシュタインは言った、『神は
「理由? 全然思い当たらないんですけど」
「しかし今、ここにいる。理由はある。自覚しているか否かに関わらずな。ここから出たいのならば、まずはここへ来た理由を知らねばならない。”業”をたどるのじゃ。その答えを見つけたとき、ここから出る方法も見つかるだろう」
「探すって、どうやって?」
「……あそこじゃ」
おじいさんがすっと指さした先を見る。
深夜の暗闇の中、点滅する街頭が照らす道なき道の先にトンネルが見えた。
「トンネル……?」
「”境界”の深部につながる道じゃ。あのトンネルの先はより”死”に近い世界――ワシらは”
「答え……でも、死に近いっていうことはより危険ってことですよね」
「無論、二度と帰れなくなるリスクはここよりも遥かに大きい。怖いならばここで足を止め、来るかどうかもわからぬ助けを待つのも良いじゃろう。だが、”答え”を探したいならば、ここにどれだけいても見つかりはしない。さて――」
お主は――どうする?
おじいさんはぼくにそう問いかけた。
ぼくはこの人とさっき出会ったばかりだ。信用できるかどうかなんてわからない。
罠かもしれない。本心からくる助言かもしれない。どちらか判断する材料なんてない。
真実なんてわからないんだ。こういうとき、先輩ならどうする?
決まってるか。
先輩ならこう言うに違いない。
『唯一絶対の真実なんて存在しない。重要なのは、お前が何を信じるかだ』
って。
ぼくはお父さんを”不可解な事件”で亡くしてから、ずっと世界の謎を追いかけてきた。
解けない謎を解こうとあがいてきた。答えを探し続けてきた。
失敗だって何度もしたし、死にかけた経験だって何度もある。”境界”に迷い込む理由は、もしかしたら数え切れないくらいあるのかもしれない。
トンネルを抜けたら、今度こそもう帰ってこられないかもしれない。だけど、それでもぼくは”答え”が知りたいから。
「この先に――行きます」
ぼくはベンチから立ち上がった。
このおじいさんを信じることにした。
おじいさんは立ち上がったぼくを見上げて、少し驚いたように目を見開いた。
その瞳には色が無かった。
けれどもおじいさんはこう言った。
「お主……良い目をしておるな」
「そうですか?」
「ああ、美しい目だ。そういう目ができるのは、お主が世界を美しいと信じているからじゃろう」
その言葉の意味はわからなかったけど、なんとなくだけど。
おじいさんが、彼なりに励まそうとしてくれているのはわかった。
「……ありがとうございます。いろいろ、ありがとうございました」
「気をつけて行って来るが良い」
「行ってきます」
ぼくはぺこりと頭を下げ、ベンチをあとにした。
線路沿いに歩いて、トンネルへと向かう。
数分歩いた。
トンネルまではなんとか点滅する電灯が導いてくれたけど、トンネルの前まで来きて中を覗き込んでやっとわかった。
この中は、本当に真っ暗だ。トンネルの出口は入り口から見通せそうにない。
こんな暗い場所、ぼくじゃなくたって怖い。もちろんぼくはめちゃくちゃに怖い。
だけど、それでも……。
「前に進むんだ」
ぼくは”
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます