13,1 きさらぎ駅 Terminal
先輩から指輪をもらって、しばらくぼくはたぶん気持ち悪い顔でニマニマしていたと思う。
それからは、なんだか気恥ずかしくなって二人とも一言も発さなくなった。
調査の疲れもあったのだろう。先輩は座ったまま眠ってしまっていた。
ぼくは先輩の無防備な寝顔をなんとなく見つめながら、電車に揺られていた。
その時だった。
「……?」
チカチカと車内の電灯が点滅し始めた。
単なる車内設備の不具合というか、消耗品の劣化だろうなと思って最初は気にもとめなかった。
だけど――それから5分経っても状況は変わらない。
いや、それだけならべつにおかしいことはない。本当に蛍光灯や電球が劣化したならば、交換しない限りはこういう風に点滅し続けるだろう。
だけど問題は、「いっこうに次の駅に着かないこと」だ。状況が変わらないハズは、本来ないんだ。
「何……どうしたの?」
そもそも、この路線は駅と駅の間が5分くらいのはず。
もしかしたら快速とか特急に乗っちゃったのかなと思ったけど、だとしても発車してからもう15分ほど経過しているはずなのに、一度も停車していないのはおかしい。この路線でそんなに駅と駅の間が遠いなんてありえない。
何かトラブルが起こっているのかもしれないけど、車掌さんが現れないし運転士の車内アナウンスもない。おかしい。
ぼくは眠っている先輩に話しかける。
「ね、ねぇ先輩。なんかおかしくないですか?」
だけど先輩は沈黙したままだった。
目を閉じて、ゆっくりと寝息を立てている。
「先輩? ねぇ、先輩!? 起きてください!」
身体をゆすってみても反応がない。起きない。
おかしい、何かがおかしい。ぼくは立ち上がって、同じ車両に乗っている別の乗客を探した。
幸い、すぐ近くにサラリーマン風のスーツの男性が座っていた。
「あ、あの、すみません」
「……」
声をかけても反応はない。眠っているみたいだった。
念の為肩に触れてゆすってみるけど、やっぱり先輩と同じだった。
座ったまま、深い眠りに陥っている。
「っ……! だ、誰か……っ!」
点滅する電灯。眠ってしまった乗客。
どこの駅にも到着しないまま走り続ける電車。
おかしなことが起きてるのは間違いない。
「お、落ち着けぼく……。冷静になろう。電車はちゃんと走ってる。走ってるってことは、運転士がいて、ちゃんと起きてるはず……」
そうだ、冷静に分析しなきゃ。先輩ならそうするだろう。
まずは前の車両に移動して、運転席まで行こう。運転士さんにこの状況を伝えよう。
ぼくは意を決して、カバンを持って車両の一番前の扉を開ける。
一つ前の車両に移動した。そこも状況は同じだった。
電灯は点滅し、乗客はみんな座ったまま目を閉じ、眠っているようだった。
一応誰かはぼくと同じように起きているかもしれないので、一人ひとりに声をかけながら前に進むけど、無駄だった。
起きない、誰も。深い眠りに落ちていた。
「いったい、何が起こって――っ!?」
その時だった――バン!
後ろから突然大きな音がしてぼくは反射的に跳び退いた。
音、どこから? たぶん窓だ。窓に何か当たったのだろうか?
でも車内では誰も動いていない。動くものがあるとしたら、外から――。
バン! バン! バン! バン!
音は背後から、どんどん近づいてくる。ぼくが振り返ると、そこには……。
「てっ、手っ――!?」
バン! バン! バン! バン!
それも一つや二つじゃない。無数の手が窓を叩きながら、こっちへ……。
「来る……ぼくの方に!!!」
バン! バン! バン! バン! バン!
窓を叩く無数の手は、大きな音を鳴らしながらこっちへと徐々に迫ってきていた。
手が叩いた後には、赤黒く手形が残っている。まるで、血痕みたいに窓にへばりついて――!
バン! バン! バン! バン! バン!
迫ってくる。
どんどん近づいてくる……!
バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバン!
「ぅぁぁああ!!!!!」
走った。手形から逃げる形で前方車両に向かって全力で走った。
扉を開けて、前の車両へ。どんどん移動を繰り返す。
途中見かけた乗客はやっぱり眠っているみたいだったけど、”手”が追いかけているのはぼくだけみたいだ。他の乗客には目もくれず素通りで被害はないようだった。
「はぁ、はぁ、はあ、はあっ……!」
必死で走って、走って。ついに一番前の車両に飛び込んだ。
そこは……真っ赤だった。
誰も人が乗っていなくて、車内が全部血に染まっているみたいに内部が赤黒かった。
座席も、床も、天井も、つり革まで、全部……。
窓まで赤く染まっていて、外が全く見えない。
だけどなぜだか、この車両についたとたんに窓を叩く音は聞こえなくなった。
それどころか、電車が揺れるガタゴトという音すら聞こえない。
この車両の中は、完全な無音だった。
「どう……なってるの……?」
とにかく、運転席は近い。ぼくは早足で一番前まで言って、運転席の窓を覗き込んだ。
中が見えるはずのこの窓も赤く染まっていて、先までは見えない。
扉は――開かない。ドンドンと無遠慮に扉を叩いて、ぼくは叫んだ。
「運転士さん、聞こえてますか! 電車の中が、大変なことになってるんです! みんな眠っちゃって! 変な怪物まで現れて! それにこの電車、全然停まってませんよね! お願いですからどこかに停めて、みんなを降ろしてください!」
だけど応答は全く無い。
どうしよう。後ろの車両に戻って、やっぱり先輩をぶん殴ってでも起こしてみようか?
そう思って振り返ったその時だった。
「え……? あ……?」
ずる、ずる……。何かを引きずる音。
この最前車両の入り口から、床を這って”何か”がぼくに迫っていた。
それは、女性のよう
その”何か”には上半身しかなかった。腹から下がちぎれていて、飛び出た内臓が床に引きずられて赤黒い跡を残していた。
脚がない代わりに、”何か”には”手”が複数あった。2つじゃない。肩甲骨から二本の腕、背中と脇腹からさらに4本の腕……そいつは、上半身に腕が8本も生えた”
”多腕の怪物”は手のひらを床に「バン! バン!」と叩きつけ、血のような赤黒い液体で張り付けて、身体をズルズルと前進させてくる。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいてきていた。
その瞬間理解できた。窓を叩いていた”手”の本体は――コイツだったんだ!!
「ぃ……ゃ……」
ダメだ。ダメだダメだ。
怖い。
ジリジリとにじり寄る”怪物”。ぼくは後退して逃げようとするけど、限界はある。
運転席の扉に背中がぶつかって、それ以上は下がれなかった。
「う、うそでしょ……ヤダ、こんなの……」
バン! バン! バン! バン!
8つもある手のひらを大きく広げて床に叩きつける。
音を立ててゆっくりと近づいてくる怪物からもう、逃れる術はなかった。
ダメだ――殺される!
その時だった。
プシューと音をたてて突然、電車の自動ドアが開いた!
外は――視線を向けると、景色は動いていない。電車の走行音や揺れの音がこの車両では聞こえなかったから気づかなかっただけで、いつのまにか停車していたらしい。
この機を逃すわけにはいかない!
「うっ、わああああああぁ!!」
ぼくは開いた自動ドアに思いっきり飛び込んで、駅のホームに転がり出た。
すぐに立ち上がって電車の中を確認する。
上半身だけのバケモノは……追ってくる様子はない。けどいつまた襲ってくるかわからない。
とにかく逃げないと! ぼくはホームを走って、外から先輩が寝ているはずの後ろの方の車両に向かって走った。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……! せんぱいっ、先輩は……!」
薄暗いホームだった。
電灯は電車の中と同じでチカチカと常に点滅している。
当然、今は真夜中だから視界は悪い。
だけど電車の中でまた移動するのは嫌だった。
”アイツ”に襲われる気しかしなかったからだ。
そうしているうちに、なんとか元いた車両まで戻ってきた。
幸い、自動ドアは開きっぱなしだ。
とにかく先輩と合流しよう――そう思って車両へ乗り込もうとしたその瞬間。
プシュー。
無慈悲にも自動ドアが閉まった。
「なっ……」
呆然としているうちに、何のアナウンスもなく電車はなめらかに発進する。
「うそっ、うそうそやめてよ! 待って!」
必死で走って追いかけたけど、もちろん無駄だった。
電車はさっさと走り去ってしまい、薄暗い駅のホームにぼくだけが取り残された。
「そんな、うそでしょ、なんで……」
ぼくは膝に手をついて息を何度も吐いた。
わけがわからなかった。
状況だけが押し寄せてきて、整理できないまま頭の中をぐるぐるしていた。
電車の中の電灯が全て点滅し始めた。
乗客が自分以外全員眠ってしまった。
窓を叩く無数の手がぼくを追いかけてきた。
真っ赤な最前車両の中で上半身だけの多腕の怪物に襲われた。
そして電車は去ってしまった。ぼくだけを残して。
こういう時に一番頼れる人は――先輩は、ここにはいない。
何一つ理解できない状況だった。
唯一わかるのは……。
ぼくが顔をあげると、電車が発車したことで反対側のホームが見えた。
人の気配がない薄暗い駅だけど、大きな駅名標だけはハッキリと読めた。
そこに書かれていたのは、
「――きさらぎ駅」
オカルトマニアのぼくにとって、呆れるほど見覚えのある文字列だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます