12,2 干渉と感傷 Crosstalk・救


 その夜、街の上空に現れた”黒い月”はすぐに消えてしまった。

 ぼくと先輩は走り去った大河内さんを探し回ったけど、結局見つからずじまいだった。

 例のラジオ放送で名前を読み上げられてしまった彼女もまた、失踪してしまったのだろうか?

 答えはノーだった。

 翌朝、学園の中で彼女と普通に出会ったからだ。


「お、大河内さん……?」

「はい?」


 どこか覇気のないぼんやりとした様子で彼女は答えた。


「比良坂さん……でしたっけ。何か私に用ですか?」

「用って……昨晩は大丈夫だったんですか? 急に走っていっちゃって……何かされたり、変なことが起こったりはしなかったんですか?」

「さっきから何を言っているのか全然わからないんですけど……からかってるんですか?」


 不思議なことに大河内さんと全然話が噛み合わなかった。どうやら昨晩の記憶が一切ないらしい。

 それどころか、ぼくとの関わり――依頼メールを出したことや、先月ラジオの混信が起こったことすら彼女の中では無かったことになっているらしかった。

 噛み合わない押し問答を繰り返しているうちに、彼女はしびれを切らして怒り始めてしまった。 


「わけのわからない話につきあっている暇はないんです。部活があるんで。失礼します」


 彼女は踵を返し、去っていった。

 だけどぼくは見逃さなかった。

 彼女の首筋に――。


「でき……もの――?」


 ”できもの”が。そう、ちょうど昨晩、手術痕を見せてくれたばかりのあの場所にあったんだ。

 再びぽっこりとした隆起が。

 腫瘍ならば、良性だろうと悪性だろうと再発することは珍しくない。

 でも大河内さんの”できもの”はICチップのような異物で、除去済みだったハズ。今回も同じだとすれば、今頃彼女の首の中には――。

 背筋が寒くなった。それ以上追いかけることはできなかった。


「最悪、だ……」


 依頼人が、依頼の存在自体を忘れてしまった。

 こんなことは今までなかった。ぼくたちの”謎解き活動”は、依頼があって、その解決を目指すという形で成り立っている。

 なのに今回の依頼は、依頼というシステムが根底から覆されてしまったんだ。

 ぼくは図書準備室に向かっていた。

 扉を開く。先輩はいつもどおりそこにいた。いつも通りソファに寝そべってラノベを読んでいた。

 安心してほっと息を吐く。もしかしたら――。

 もしかしたら、先輩までいなくなってるんじゃないかって思ってしまったから。

 ぼくは先輩に、大河内さんに会って話したこと、どうやら昨晩の記憶だけではなく依頼内容を全て忘却していることを伝えた。

 先輩はあっさりと答える。


「そうか」

「『そうか』って! 先輩、やっぱり昨晩のはUFOですよ! ”アブダクション”です! 大河内さんも、あの放送で名前を読まれた人たちも宇宙人に誘拐されて”金属片”を埋め込まれたんです! アメリカやメキシコでは、宇宙人に誘拐されて金属片を埋め込まれたって人の証言がたくさんあるんですよ!」

「本当に、そう思うか?」


 先輩はどこまでも冷静にそう問うてきた。

 ぼくは困惑する。


「ど、どういうことですか?」

「今回の事件、大河内の心理的防衛機制しんりてきぼうえいきせいだったのかもしれないぜ」

「心理的防衛機制?」

「昨晩大河内の家で手に入れた金属片を調べてみたが、コイツは本当にただのICチップだった。電子機器の通信制御に使われる汎用チップだ。2,4Ghz帯の無線LANだとかBluetoothだとかを送受信するためのな。スマホやPCといったデバイスに搭載されるありふれたモノでしかない。少なくとも、宇宙人の技術だとか最先端技術だとか、そういう上等なモノでは決してない」


 先輩は机の上に、昨晩大河内さんから受け取った金属片を投げ出した。

 それでも。ぼくは食い下がる。


「汎用通信チップということは、人間の追跡にも使えるんじゃ……?」

「電源がなけりゃ機能しない。チップだけ埋め込んでも無意味だ」

「……っ」


 先輩の正論にぐうの音もでなかった。


「で、でも! 大河内さんはそれが首の”できもの”から出てきたって!」

「それはあの女が自分で言っただけだろ? カルテでも見なけりゃこのチップが確実に首から摘出されたって証拠はない。そして俺たちがあの女の家族でもなんでもない以上、個人情報保護ってヤツがあるから、病院に行ったとしても手術の情報は手に入らない」

「肝心の大河内さん自身がこの件を忘れてしまっている以上、今後も絶対に確かめようがない。というわけですか……」

「そうだ。あの女が自分の首に出来た腫瘍を『追跡装置が埋め込まれた』と思い込んでいた……。だから腫瘍の手術をした後、汎用チップを入手して『これが自分の首からでてきた』と自分自身に思い込ませた。誰かに追跡されている証拠として自分自身に納得させるためにな」

「全部、彼女の被害妄想からくる辻褄合わせだったということ……ですか?」

「だろうな。やがて昨晩の現象でストレスの限界を超えた彼女は、ストレス源となっていた情報を全て”否認”した。”否認”は心理的防衛機制の一つだ。自分の心を守るために、眼の前の事実ですら認識しなくなってしまう状態だ」

「大河内さんは記憶喪失になったとか、宇宙人に誘拐されて記憶を消去されたとかではなく……自分から都合の悪い記憶を認識しなくなったということなんですね。それじゃまるで彼女が――」

「精神に何か異常をきたしたんだろう。根拠もなく誰かにストーカーされていると確信する被害妄想や、電波にまつわる過剰な不安や恐怖は精神疾患の症状として典型的だからな。特に、アルミホイルで電波を遮断するという行動は精神疾患の兆候として数多く報告されている」


 先輩はさらりとそう断言した。


「だ、だったらぼくに出したメールに書かれていた3名の失踪者の名前は!? あれは実在の人物の名前ですよ!」

「それは大河内自身がうろおぼえだったと証言している。あるいは順番が逆で、失踪者の名前を見てから、自分が聞いた名前と同一視してしまってもおかしくない。何か大きな陰謀に自身が関わっているという根拠付けになるからな」

「それも……後付けだったということなんですね……。だから失踪者に共通点なんて何もなかった……。彼ら3人を結びつけるのは、大河内さんの証言だけ……。つまり全てが大河内さんの妄想なら、説明がつく」


 確かに先輩の言うことは正しいかもしれない。

 全てが大河内さんの精神疾患の症状だったという説ならば、前の新月の夜から今日までの彼女の言動には全て説明がつく。

 だけど、最後の疑問は残っている。


「だったら……昨晩のラジオ放送で彼女の名前が呼ばれたのはどう説明するんですか?」

「ラジオの件は、どこかの旅行会社のキャンペーン放送が混信したと推定するとして……。大河内の名前が呼ばれたのは、同姓同名の可能性だってあるだろ。そう珍しい名前じゃあないからな」

「あの夜、上空を飛んでいた黒い円盤は? あれが電波の発信源だって先輩も言ってたじゃないですか!?」


 「アレについては俺も混乱して変な推測を口走ってしまったからな」先輩は眉を潜めながら続けた。


「アレが”円盤”ってところから俺たちの思い込みだったのかもしれない。俺たちが観測したのは真下からだっただろ。形状を正確には把握できていないんだ。それに色も……新月の暗闇では飛行物体は全て黒く見えるはずだ。したがって、例えば新月の暗い夜に気球を真下から見れば黒い円盤に見えるハズだろう?」

「た、たしかに……」

「UFOとか軍のステルス機だとかを持ち出さなくとも、説明がついてしまう程度のモノなんだ。電波の発信源にしても、街の上空を飛んでいるからといってあの飛行物体だという根拠はない。俺もあの時はそう思いこんでしまったが……よくよく考えると、強力な違法電波なんてモノはやろうと思えばどこからでも発信できるからな」

「そんな……全部気のせいとか思い込みだなんて、そんなコト……」


 呆然とするぼくに、先輩は毅然とした態度で告げた。


「あまり思いつめすぎるな。そういう思い込みや、不安と恐怖が大河内の精神を押しつぶしたんだろう。俺たちもこれ以上深入りすると同じようになっちまうかもしれない。この件は、これ以上追求しないほうが良さそうだ」


 それ以上先輩は何も語らなかった。

 そのうち下校時間になって、先輩と別れてぼくは帰宅した。



   ☆   ☆   ☆



 その夜、ぼくは部屋で宿題をしていた。

 日々、オカルト蒐集に熱を上げているといっても勉学も疎かにできない。

 だけどさすがに昨晩から今日までのことがあって、集中できる状況じゃなかった。


「あー、気になるなぁー。なんか、モヤモヤするぅー」


 ぼくはなんとなくPCを立ち上げ、大河内さんから送られた3人の名前をもう一度検索してみた。

 何か手がかりはないものか。その一心だった。

 すると――。


「え……見つかった……?」


 畠山雄三、三好康彦、大西和美。

 3人とも発見されたとのニュースが目に飛び込んできた。

 彼ら、彼女らに目立った外傷はなく、行方不明中のことは覚えていないと証言しているらしい。

 だけど――気になる文章が目に止まった。

 ほとんどの大手ニュースサイトには記載されていない文面だった。

 個人のニュースサイトだ。独自に情報収集しているから、メジャー紙にはない情報が掲載されることがあって以前からよく利用している。

 もちろん個人が運営しているサイトだから、情報の確度は低いと思う。無批判に信用できるとは思っていない。

 けどぼくの脳裏にこれらの文面がこびりついて、離れなかった。


『発見された畠山雄三さんには、目立った外傷はありませんでした。首の後ろに腫瘍のようなものが見つかったそうですが、診察した医師によると良性腫瘍であり、健康上の問題はないとの――』


『日本海沿岸で目撃されたのを最後に行方不明となっていた三好康彦さんが発見されました。首筋に軽症を負ったことを除いて、明らかな外傷はなかったとのことです。失踪事件に詳しいジャーナリストによると日本海沿岸での行方不明者は東アジアの特定国家の関与が――』


『新宿歌舞伎町にて行方不明となっていた大西和美さんですが、発見後に頸部から小さな異物が摘出されたとの関係者からの証言もあり、現在警察は暴力団関係者を中心に聞き込みを――』




   ΦOLKLORE: 12 ”干渉と感傷 Crosstalk”   END...?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る