11,3 未確認で過去形 Φorgatten・結


「お……お先にシャワーいただいちゃいましたー……なーんて」


 汗だくの制服は干しておいて、恥ずかしいけどバスローブ姿で浴室から出た。

 先輩はというと、スーツの男が落とした銀色の棒をなにやらいじくり回して難しい顔をしていた。


「えへへ……スッピン見られるとか、恥ずかしぃんですけど……」


 気まずくてそんな軽口を叩いてしまう。

 先輩は集中しているからか、極度にあっさりと返答した。


「ノーメイクでも可愛いから気にするな」

「か、かわ!? ななな、何言って……!」


 ぼくがワナワナと唇を震わせるのをまったく意に介さず、先輩は銀色の棒をイジくっていた。やっぱり集中しているからだろう。返事が適当になっているに違いない。

 いやでも、今のが意図せず漏れ出た先輩の本音だとしたら?

 もしかして先輩は普段からぼくのことを「可愛い」と思っているのでは? なんてつい期待してニヤニヤしてしまう。


「ふ、ふひっ」

「何ニヤニヤしてんだ? キモオタみたいな笑い方して」

「ピャアァ!? なんでもないです! ていうかキモオタは先輩の方じゃないですか!」


 やっと銀色の棒から目を離した先輩はぼくを呆れたように一瞥して言ったのがその言葉だった。コイツ……人の気も知らないで……!

 ぐっと怒りを飲み込む。

 いやいや怒るな。先輩は巻き込まれただけだ。ぼくを助けようとしているだけなんだ。

 ぼくはベッドに腰掛ける。先輩の隣ににじり寄った。


「なにかわかりましたか?」

「いや、全然。この”記憶消去装置”は未知の技術でできているようだ。素材も……こんな金属素材は見たことがない。ま、俺も金属にことさら詳しいワケではないが」

「地球外のモノ、ということでしょうか?」

「そうとは限らない。どこかの軍の新兵器かもな」


 沈黙するのが怖くて、ぼくは次々と先輩に話しかけてしまう。


「そ、そういえばさっきあの男が言ってましたね! ”ファウンダリ”だとかなんとか。先輩がその構成員? って疑われてたみたいですけど。先輩は心当たりがあるんですか?」

「いや、まったく知らん。ただあいつはその単語を2回も口にした。”ファウンダリ”ってのは、こんな技術力を持つ組織ですら警戒するレベルの敵対組織のようだな」

「ファウンダリ……って、英単語ですよね?」

「ああ、”鋳造ちゅうぞう”という意味だ。現代ではもっぱら半導体工場、あるいは半導体メーカーを意味する。代表的企業は台湾の”TS○C”だな」

「その”T○MC”ってすごい技術を持ってる大企業なんですよね。その企業があの『メン・イン・ブラック』と敵対してるってコトですか?」

「いいや、そういうコトではないように思う。”TSM○”が先端技術を持つ企業といえ、”UFO”や”記憶消去装置”を作れるような組織と釣り合うとは思えない。おそらく半導体メーカーという意味で使っているワケではなく、隠語かなにかだろう」

「じゃ、じゃあ”V.S.Pブイエスピー.”という単語は?」

「全くわからん。文脈から推察するに、”ファウンダリ”の”構成員エージェント”を指すコードかなにかだろう」

「そうですか……何か彼らに対抗・・する糸口になると思ったんですけど……」


 ぼくはベッドに身体を投げ出した。

 先輩はベッド脇に座ったまま、顎に手を当てて考え事をしていた。


対抗・・、対抗する糸口、か……」

「先輩?」

「なあ、俺たちは普通の高校生だ。相手は超技術を持った組織。規模は不明だが、おそらくかなりの巨大組織だろう」

「そう……でしょうね」

「そんなヤツらに、俺たちごときが対抗・・なんてできると思うか?」

「……」


 そう、だよね。

 先輩の言うとおりだ。対抗なんてできるわけない。

 ぼくたちは今夜は逃げ延びられたかもしれない。

 でも明日は? 明後日は? 逃げ続けてどうなる?

 先はあるのだろうか?

 それに、家族や友人は? 人質に取られたらどうする?

 今ごろ、あのスーツの男がお母さんを拉致しているかもしれない……。

 結局のところ、ぼくらが逃げ続けるなんて非現実的だ。


「先輩――ぼくはどうして後藤さんのことを覚えているんでしょうか? みんなが忘れてしまったし、ネット上の記録も消えてしまった今。ぼくだけが」


 そして、ついにぼくはその疑問を口にした。

 

「覚えていなければ、こんなコトにはならなかったかもしれないのに」

「理由はいろいろと考えられるが。おそらく……」


 先輩はそこまで言って、何かに気づいたようにハッとした様子だった。


「お前……図書準備室に印刷・・したUFOの画像を持ってきてたよな。今も持っているか?」

「は、はい。鞄に入ってますけど」

「それは一枚だけ・・・・か?」

「……っ」


 ぼくは答えなかった。

 だけど先輩には伝わったようだった。

 「沈黙は肯定と受け取る」だっけ。先輩がよく使う言葉通りだ。


「やはり、コピーが複数枚あるワケだな。お前のコトだ、後藤さんに異変が起こったと察知した時点でUFOの画像のコピーを増やし、様々な場所に隠したんじゃないのか?」

「……そう、です」


 先輩を巻き込まないようにって今まで黙っていたけれど。

 もう、隠せそうにないかな。


「後藤さんから送られてきたUFOの写真。最初は一枚だけ印刷したんですけど……補習に来て後藤さんがいなくて、周りの人も彼女のことを覚えてないと気づいた時点でぼくは……図書室のコピー機で”複製”しました。その後は考え得る限りの隠し場所にコピーを隠したんです」

「やはりそういうことか。だからお前の記憶だけ消されず、”拉致”という選択肢を撮らざるを得なかった」


 先輩に解き明かされる”都市伝説フォークロアの気持ちってこんな感じなのかな?

 今更その気分を味わっているんだ。まるで魔法みたいにスルスルとぼくの隠し事が暴かれてゆく。だからこそわかる、先輩はやっぱり――只者じゃない。


「お前は最初から何らかの理由で、『怪事件を隠蔽する組織』の存在を知っていた。だから改ざんやクラッキングに弱いデジタルデータのままではなく、写真を印刷してコピーし、物理的に複数箇所に隠したんだ。それは黒ずくめの男たちメン・イン・ブラックにとっても簡単には消せない証拠となった。後藤の”処理”を進める仮定でお前の存在に気づいた奴らだが、お前の記憶を安易に消去すれば印刷された写真の行き先がわからなくなってしまう。だからお前の記憶を消さないまま拉致する必要があったんだ」

「……先輩、ごめんなさい。隠し事なんてして。先輩がこの情報を知ったら、彼らにとって危険度がぼくと同等になると思ったんです。そうなったら万が一捕まった時、先輩までひどい目にあうと思って……!」

「そんなことは気にするな」

「気にしますよ! 助けてくれた先輩のこと騙してたんですから! それでも……罪滅ぼしになるなら、今からでも隠し場所のことを全部先輩に――」


 その時だった。


「もういい。その必要はないんだ」

「――っ!?」


 先輩が覆いかぶさってきたんだ。

 ベッドの上のぼくの、バスローブ一枚で覆われた身体に。

 え? え……?


「……」


 ムーディなピンク色の光に満ちた部屋の中。

 今は静寂が流れていた。

 先輩はそれ以上何も言わなかった。

 ただぼくを上からじっと見つめていた。

 え――? これは、これって……? 

 ドクン、ドクン。高鳴るぼくの心臓が叫んでいた。

 ラブホテル、一つの二人用ベッド、バスローブ、濡れた髪のぼく。

 そして上に覆いかぶさる、真剣な顔つきの男の子。

 これって……「そういうコト」なんじゃ……?


「え、せんぱい……ホンキですか、ぼく……心の準備が……」

「本気だ。いろいろ考えたが、この状況は詰みだ。打開は不可能だ。対抗することもな……だからせめて、今夜は全部忘れて眠る・・・・・しかない」

「えっ、うそ……っ」


 「今夜は俺が全部忘れさせてヤるぜ」なんて、らしくないレディコミのイケメンみたいなセリフを口にした先輩。

 いつになく真剣な表情が、吐息が触れあうくらいの距離に近づいた。

 あ、ああ……ダメ。もう、ダメ。だけど……先輩がそうシたいなら。

 ぼくは覚悟して目を閉じた。

 するとなにかゴソゴソと取り出す音がして、先輩の声がした。


「目を開けろ」

「……?」


 目を開けた瞬間――視界に飛び込んできたのは銀色の棒と青白い光。

 これ――”記憶消去装置”!?


「せんぱっ……使い方っ、わかって……!?」

「悪いな、この方法しか思いつかなかった。お前はUFOの写真に関する記憶を全て忘れる。友だちの後藤についても、黒スーツの男についてもすべて、だ。そして安らかに眠る。起きたらいつもどおり、平和な日常に戻れるハズだ」

「せんぱ……ダメ、ヤダ、やめて……それじゃせんぱいは……」

「お前だけがコピーされた写真の隠し場所を知っている――これが唯一の”抜け道”だ。この状況を利用させてもらう。後は俺に任せて、安心して眠ってろ」


 頭の中が青白い光に包まれてゆく感覚。

 記憶が改ざんされるってこういうコトなのかな。

 先輩の言葉の最後の方は、もうほとんど認識できなかった。ふわふわとした浮遊感に包まれる中で、ぼんやりとだけど彼の意図だけはなんとなく察することができた。

 ああ、先輩はぼくを残して一人で決着をつけようとしているんだ。

 ぼくだけは助けるために。

 そんなの……絶対ダメなのに……。

 危険に飛び込むなら二人で、なのに。先輩だけに行かせちゃダメなのに。

 だけど――ぼくの意識はそこで途絶え、青白い光は消えて。

 全てが闇に包まれた。



   ☆   ☆   ☆



 その日の目覚めはスッキリ爽やかだった。

 不安とか恐怖が全部、消えてしまったみたいに。

 いつものように学園に行って、いつものように補習を受けた。

 空き時間には友だちと笑いあって。

 平和で楽しい時間も好きだけど。一番好きなのは補習が終わってからの時間だ。


 だってそこには、あの人が待っているから。


 軽い足取りで廊下を進んだ。

 目的地は当然、図書準備室。

 ぼくはそこで待っている人に想いを馳せ、ウキウキ気分で扉を開けた。


「せんぱーい! 先輩の可愛い後輩がきましたよー!」

「……」


 彼からの返事は帰ってこなかった。

 いつものように図書準備室のソファで寝そべっている。

 けど、いつもとはちょっと違う。

 普段はラノベとか漫画を読んでたりするんだけど。

 今日は目を閉じて、本当に眠っているみたいだった。


「先輩? せんぱーい?」


 ぼくは先輩の頬をツンツンとつつく。

 反応なし。息はしているから死んでいるワケじゃないけど。

 先輩の耳に唇を近づけ、こう囁いた。


「せんぱぁーい♡ 起きてくれないとチューしちゃいますよー♡」


 えへへっ、眠ってるからって大胆すぎたかな?

 その時だ。先輩は「ううっ」とうめき声を漏らして目を覚ました。


「うるせーな……寝不足なんだ。寝かせてくれ」

「先輩、ずいぶんおネムみたいですね。昨日の夜は好きなアニメの一挙放送でもあったんですか?」

「まあ、そんなトコだ……昨晩の間に、いろいろとな……片付けた……かなり、ヘビーだったが。なんとか……なった」

「えらいえらい! がんばりましたね、せんぱい♡」

「コドモあつかい、すんな……」


 先輩はぼくのナデナデ攻撃を振り払うと、再び眠りに落ちた。

 このままだと、ぼくがソファに座れないじゃない――べつに椅子に座ってもいいけどさ。

 ぼくはよいしょ、と先輩の頭をいったんどけてソファに座った。その後、ぼくの膝の上に先輩の頭をのせる。

 う、うわー……コレ、膝枕じゃん。先輩が寝てるからやりたい放題やってるけど、なんか今日のぼくって大胆過ぎない?

 自分で自分の行動にツッコミを入れる。

 だけどなんでだろう。今日は先輩を思いっきり甘やかしてあげたくなる。

 そんな気分だったんだ。


「お疲れ様。頑張ったね、せんぱい♡」


 そうやって、いつまでも頭を撫でてあげたくなった。

 そのうちゆっくりと時間が過ぎて、ぼくもうつらうつらとしてきた夕方のこと。

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ! バイブレーションが鳴った。

 先輩のポケットからだ。これでも先輩は起きようとしないので、ぼくは先輩のポケットからガラケーを取り出した。

 どうやらメールが来たらしい。


「せんぱーい、メールが届いてますよぉー? せんぱーい? 勝手に見ちゃいますよー。うわ、ロックかかってない。先輩こういうの不用心すぎというか、無頓着すぎっていうか……」


 呆れながら先輩のガラケーを覗き込んだ。

 はっきりいって良くないことだと思う。他人のケータイを覗き見るだなんて。

 だけどなぜだろう。ぼくの脳裏には「女の子とラブホテルに入る先輩」という謎の光景が思い浮かんでいたのだ。

 そんな光景見た覚えはないし、今後も見る機会はなさそうだけど……。


「コホン……そ、そうだよ。先輩が悪い女と不純異性交遊を働いていないか見張るのも、可愛い後輩の務めなのです」

 

 だからごめんなさい、先輩!

 謎の言い訳をしながら、届いたメールを勝手に開いた。

 そこには不可解な文章が表示されていた。


from後藤『その提案をもう』


 どういう意味?

 差出人を見る。後藤? 知らない名前だった。

 メールのツリーをさかのぼって、後藤さんという人が返信した、先輩からのメールを見る。

 すると、先輩から後藤さんへのメールには不可解な文面が書かれていた。


to後藤『よう、さっきぶりだな。このアドレスにメールを送ればあんたが監視してると思ってな。さっきは駅前でタックルしてすまなかった。痛かっただろ? あと、あんたの大事なモノを盗んだのも。一応謝っとく、すまない』


to後藤『あんたの心配している”当事者”はもう全部忘れたよ。仕事の手間が省けて助かっただろ? これであいつの家族、友人の安全は保証してもらいたい。ああ、わかるぞ。俺の指示に従う理由があるのか? って思ってんだろ。あるんだよな、コレが』


to後藤『あんたは今、任務中に大事なモノを無くして困ったことになってるんじゃないのか? 秘匿すべき”方舟”とやらの情報を隠蔽しようとしたら、さらに秘匿技術の物的証拠を流出させることになった。これで今、俺が保有する物的証拠は二つになった。”写真”と”棒”だな。コイツは大失態だろう。このことが”上”に知れればあんたの立場が危ういかもな』


to後藤『先に言っておくが、実力行使で取り返そうとしても無駄だ。複数コピーされた”写真”の隠し場所も行き先も俺は全てを知らないんだからな。知っていたのは”当事者”だけだが、その記憶も消えちまった今、確実に回収する手段はない。俺も知らない以上、俺を捕まえて拷問しても無意味ってワケだ。この時点であんたの失態を完璧にリカバリする手段はなくなった。絶体絶命だな』


to後藤『というわけで俺から提案だ。まず”棒”はあんたに返す。コイツを持っていても俺たちが危険なだけで得はないからな。そして俺たちの安全が保証されたら、俺が唯一保有している”写真”一枚をあんたに渡す。これはあんたにとっても悪い話じゃあないハズだ。”写真”を一枚でも組織に持ち帰れば、格好がつくというものだろう? 互いにWin-Winの結果を得ようじゃあないか』


to後藤『さあ賢明なあんたは、自身の立場を守るためにこの提案を呑むか?』


 最後まで読んでも全く理解できなかった。

 先輩は誰に、何の話をしているのだろう?

 多分何かの取引か交渉をしているんだろうけど。まったくわからない。たぶん、ぼくとは無関係の話なのかな。

 だけど、なぜだから惹かれるものがあって。その文章に目を奪われていた。


「人の携帯を勝手に見るな。悪趣味だぞ」


 画面を食い入るように見つめていたぼくの手から、突然先輩の手がケータイを奪った。


「起きたんですか。まだ下校時間まで少しありますよ?」

「そうか……じゃあまた、一眠りすっかな……」

「ですです、後輩の膝枕でお眠りください♡」

「お言葉に甘えることにしよう。ここが一番安心して、眠れるから……」


 先輩はまた、目を閉じた。

 再び図書準備室に静寂が流れる。


『――その人と話したり笑いあったりして、楽しいとか嬉しいって思った感情はぼくの中にまだ残ってるんです。記憶が失われても、誰が忘れたとしても……ぼく自身がいつか忘れてしまっても、その感情まで嘘だったとは思いたくないです』


 なんでだろう。

 急にそんな言葉が頭の中に思い浮かんだ。

 これは――誰の言葉なんだっけ? 思い出せないや。

 だけど今……膝の上で眠る男の子がなによりも愛おしく感じて――ぼくは。

 彼のちょっと長めの前髪をかきあげる。


「おやすみ、せんぱい」


 むきだしのおでこに、そっと口づけを落とした。

 窓から差し込む夕日影だけが、二人を優しく照らしていた。



 

   ΦOLKLORE: 11 ”未確認で過去形 Φorgatten”   END.

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