11,2 未確認で過去形 Forgatten・転


 カチリ、カチリと金属音がする。

 ピッキングの音だろうか、しばらくすると図書準備室の扉が開かれた。

 開いた扉の向こうから、男が部屋に入り込んでくる。

 それは、教師とは似ても似つかない風貌の男だった。

 喪服のような黒いスーツに黒いサングラス。

 日本人離れした長身に彫りの深い顔、青白い肌。

 ポマードで塗り固めたオールバックの黒髪。手元は白手袋で覆われている。

 黒ずくめの男メン・イン・ブラックだ――!

 思わず声が漏れそうになるのを必死で我慢した。


「……窓から逃げたか」


 男が開けっ放しの窓を見て呟いた。

 その手には、ぼくのスマホが握られている。

 準備室の机の上に残しておいたのだ。

 先輩いわく、クラッキングされたということはスマホの位置情報をたどって追っ手が来る可能性が高い――と。先輩の読み通り、男はぼくのスマホをたどってここまでたどり着いたようだ。


「追跡に気づくとは。中には二人いたはずだが、男の声……データに無かった。我らの敵対者たる”ファウンダリ”の構成員エージェントか。それとも異常に勘の良い一般人とでも言うのか?」


 男はブツブツと呟くと、ぼくのスマホをポケットにしまった。

 ああっ、スマホが――! 思わず出て行きそうになるけど、先輩はぼくをギュッと抱きしめて、口を手で塞いできた。

 そう、ぼくと先輩は掃除用具入れに身を隠していた。隙間から外の様子を伺っているのだ。

 先輩が大げさに窓を開放したのも、大声で窓から逃げるだなんて叫んだのも、すべては男を騙す演技だった。生け垣があるとはいえ三階から飛び降りれば無事には済まない。

 身を隠すためだから仕方ないにしても……狭い空間でぎゅうぎゅうに身体が密着して。全身抱きしめられて……これは、男に探されている緊張感からだろうか。ドクン、ドクンと心臓が高鳴ってくる。いや、これはぼくの頭を強く抱きしめる先輩の心音の方だろうか。

 どちらにせよ、男に見つかったらどうなるのか……なんて想像してしまって、中での一秒が一分以上にも長く感じた。

 やがて男は焦った様子で、


「クソッ、早く確保しなければ。”方舟はこぶね”の証拠が流出してしまえば”上”の介入もあり得る」


 そう吐き捨て、苛立った様子の男が早足で準備室をあとにした。

 足音が遠ざかるのを確かめたあと、ぼくと先輩は掃除用具入れから出る。


「ぷはっ! 息苦しかったぁー!」

「おい、大声を出すな。まだあいつが戻ってくる可能性はあるんだぞ」

「す、すみません……」


 そうしている間にも、先輩は窓の下を見下ろしていた。

 ぼくも先輩に習って窓から下の生け垣を覗き込む。


「先輩?」

「見ろ、あの男だ」

「えっ」

「この角度だとあいつからは見えないだろう。俺の狂言にまんまと騙されて生け垣を調べているぜ。とはいえ人間が落下した形跡がないのはすぐにバレる。一杯食わされたと悟って、ここに戻ってくるのは時間の問題だ」


 その時だった。

 男の周りに、グラウンドで練習していた運動部の学生たちが集まってきた。

 不審者だと思ったのだろう。当然だ、学園の中では明らかにあの服装は不審すぎる。

 運動部員たちが男に詰め寄ろうとすると、男はスーツの左内ポケットから何かを取り出した。どこか既視感を覚える銀色の棒だ、先端が青白く光っている。


「これを見たまえ」


 男の言葉に学生たちが視線を向けると一斉に学生たちの動きが止まった。

 なにやらぼーっと、虚ろな表情に見える。

 その状態で、男は続けて言った。


「君たちは順調に練習をしていた。不審な男など見なかった。私に関する記憶はすべて消去される。さあ、練習に戻りたまえ」


 すると素直に「はい」と返答した運動部員たちがグラウンドに戻っていった。

 男は銀色の棒をスーツの左内ポケットにしまうと、その場を立ち去る。

 行き先は――再び校舎の中。ここへ戻ってくるかもしれない!


「あれが記憶を消去する装置か。格好といい、映画のまんまだな。……いや、違うか」


 男の行動を窓の上から見届けた先輩はなにか合点がいったように呟いた。


「順序がなのか。映画があいつらをモデルにした……?」

「先輩、ぐずぐずしてないで逃げないと! アイツが戻ってくるかもですから!」

「ああ……そうだな」


 こうしてぼくたちは図書準備室をあとにした。



   ☆   ☆   ☆



「ホントにこんなショボい変装で大丈夫なんですか? その上、人通りの多い道なんか歩いて……もっと隠れていったほうが」

「問題ない、『木を隠すなら森の中』と言うだろう。部活終わりの下校時間は学生の数が多い。俺たちを発見するのは困難を極める」


 ぼくと先輩は下校時間まで学園の中に身を潜めたあと、部活終わりの学生たちに紛れて歩いていた。

 ぼくは「人気の少ない裏通りとかにしましょうよ!」と何度も主張したけど、先輩は真逆の意見だった。曰く、学生の群れに紛れたほうが相手からすると判別する手間がかかるとのこと。

 変装とはいってもぼくは髪型を普段の前下がりボブカットの後頭部を結ってショートポニーテールを作り、先輩の眼鏡を借りてかけただけの簡易的なモノだ。

 先輩にいたっては眼鏡を外して長い前髪を全部あげておでこを出すことで無意味にイケメンになっただけ。こんなに無駄に顔が良いなら普段からそうしろよ、なんて怒りまでこみ上げてくる。今の危機的状況とは全然関係ないケドさ。

 こんなんで大丈夫なのかなぁ? 不安で不安で仕方がなかった。おまけに先輩のド近眼+乱視用眼鏡で視界がボヤけて歩きにくくてしょうがない。


「そういえば先輩、さっき言ってたのはどういう意味ですか?」

「なんのことだ?」

「ほら、『映画があいつらをモデルにした』って」

「ああ、それか。この状況と同じだよ。『木を隠すのは森の中』だからだ」

「同じ?」

「あいつらの格好は『メン・イン・ブラック』の映画とそっくりだろ。それに使っている銀色の棒みたいな”記憶消去装置”もほとんど同じだ」

「確かに……映画をそっくり真似たのかと思うくらいでした。なんていうか、冗談っぽいっていうか……コスプレっぽくて現実感がないっていうか」

「おそらく、そう感じるのが正しい。奴らはそれを狙ってあの格好をしているんだ」


 先輩は焦点の定まらない目をほっそりと薄めて歩きながら続けた。


「多くの人間が映画のキャラクターとして黒ずくめの男メン・イン・ブラックを認知することで、実際にあの格好をする男や記憶消去装置を使う人間がいたとしても”本物”だとは思われにくいだろう?」

「そっか。普通の人がさっきの男性を見ても映画のコスプレだって思っちゃいますもんね」

「誰かが『メン・イン・ブラックを見た!』と騒いでも、コスプレとか勘違いとして処理されてしまう。下手に隠すよりも、適度にオープンにしたほうが世の中に紛れるのは簡単なんだよ」

「だからぼくたちも堂々と大通りを歩いて下校しているわけなんですね」

「その通り」


 ぼくらは順調に歩みを進めた。先輩の思惑通り、下校する学生たちに混じって無事に駅までたどり着くことができた。

 でも問題はここからだ。駅からどこへ行く? 行き先は?


「先輩、これからどうします?」

「家に帰るわけには……いかないだろうな。特にお前は素性がバレている」

「先輩の顔は割れてないですよね。先輩のおうちに泊まらせてもらうというのは?」

「お前の交友関係をたどれば俺にたどり着くのは時間の問題だ。現実的じゃあない」

「そ、そうですか……」


 しゅんとしてうつむいた。

 べ、べつに先輩のお部屋に”お泊り”シたかったとかそんな気持ちはないけど!

 あわよくば、みたいなやましい気持ちとかもないケド!?

 いやいや、大ピンチの時になに思春期全開な思考してんだよぼくは……。

 自己嫌悪に陥りそうだったその時だった――。


「伏せろ!」


 先輩が叫ぶ。

 とっさにかがむと、さっきまでぼくの頭があった場所を太い腕が通過していた。

 先輩がぼくの服を掴んで引き寄せ、距離をとった。

 見ると、さっきまでぼくが立っていた場所の背後に喪服のような黒スーツの男が出現していたのだった。。

 見つかった……!


「よお、さっきぶりだな」


 絶体絶命の状況だというのに、先輩は男に向かって気軽に挨拶した。

 追跡対象の意外な冷静さに驚いたのか、男は直立したまま先輩と向き合って呟く。


「貴様、今の先制攻撃いちげきを予測したのか? 異常な判断力と洞察力……やはり”ファウンダリ”の”V.S.P.ブイエスピー”か。あるいは――」

「んなこたァどうでもいい。ここは駅前だぞ? ギャラリーがかなり多いが、やり合ってみるか? 衆人環視の状況下で無理やり二人も拉致すれば、目撃者の数は膨大になる。証拠隠滅はかなりの手間になると思うが?」


 先輩は不敵に笑う。挑発するように。

 何を警戒しているのか、男は気圧されているように見えた。もしかして何か勘違いしている? ぼくらをその、”V.S.P.”とやらと誤認した?

 これも先輩通りの狙い通りなのだろうか。先輩の顔を見ると、彼はぼくに目配せをした。

 あ――。その時、ピンと来た。

 衆人環視の状況、実力行使での拉致は困難と印象づけた意図。

 そうか。ぼくにも先輩の作戦がわかった。

 さっき学園で、スーツの男は運動部員たちに囲まれたとき何をした? 左の内ポケットから銀色の棒――”記憶消去装置”を取り出したじゃないか。

 この衆人環視の状況で二人の人間を相手にするのは、いかに体格で勝る眼の前の男でも難しいだろう。先輩とぼくの格闘能力なんててんで大したことはないだろうけど、数的有利がある時点で勝負を長引かせられるハズだし、ならば周囲の助けも得られるはず。

 だったら男はこう考える。格闘戦を行わずにぼくら二人を同時に捕らえる手段は……初手から”記憶消去装置”をぼくらに直撃させるのが一番手っ取り早い!

 そして先輩の読みは現実になった。目の前の男はスーツの左内側のポケットに右手を突っ込んだんだ。


「「今だ――!!」」


 その瞬間を狙って、ぼくと先輩が同時に飛びかかった。

 いくら体格差があるといっても、片手がふさがった状態の相手に二人がかりだ。


「ぐおォ!?」


 二人分の体重をかけたタックルに男は体勢を崩し、倒れた。

 男が落とした銀色の棒をすばやく拾った先輩は、ぼくの手を引くと迅速に人混みの中に紛れた。

 まだ学生たちの下校時間。その上、退勤を始めたサラリーマンたちの姿もある。

 駅周辺で男の追跡から逃れるのは、そう難しくはなかった。



   ☆   ☆   ☆



「はぁ、はぁ、はぁ……」


 走って、走って、走って。いつの間にか夜になっていた。

 たぶん男の追跡からは逃れられただろう。けど……。

 

「はぁ、はぁ……ど、どこかに身を隠さないと……もう走れません」

「俺の顔もさっき割れちまったな。どっちの家にも帰れない。当然、交友関係のある家もダメだろう。状況はかなり悪いな」

「次に見つかったら逃げ切る自信、ないです。どこかで休まないと……」

「だったらちょうどいいのがある」


 先輩が指差した先。

 そこには『ご休憩:1時間1500円 ご宿泊:8000円』と書かれた、妙にきらびやかなピンク色の光る看板があった。

 

「やった、泊まれる場所! お城みたいで綺麗なのに安くてラッキーですね!」


 走り続けて疲れ切っていたぼくは、都合よく現れた救いの手に飛びつくのだった。


「――ってここ、ラブホじゃないですかぁー!!」

「入ってから言うのかよ」


 先輩のキレキレのツッコミが光る。

 光るのはこの建物だけにして欲しかった。誰がうまいことを言えと。


「だだだ、だって! ぼくたちまだ高校生なのに……ラブホって!」

「ラブホラブホ連呼するなよ、華の女子高生がいかがわしいぞ。とにかく身を隠せるだけマシじゃねえか。休憩したいって言ったのはお前だろう。ほら、そこにベッドもあるし存分に休憩・・してイイぞ」

「べべべベッドも二人用じゃないですかぁー!」

「拉致される寸前だったんだぞ、贅沢を言わないでくれ」


 妙にムーディーな照明に彩られた部屋にぼくらは来ていた。

 お城みたいなきらびやかな宿泊施設に入ったぼくたちだけど、ラブホテルだと気づいたのは自動販売機で部屋の鍵を受け取って部屋に入った後のことだった。

 いや、もしかしたら先輩は最初から気づいていたのかもしれないケドさ――ぼくは、その、心の準備が……! だって、ね? その、いろいろと……ね? は、ハジメテ・・・・だし……。


「せ、せんぱい。妙に落ち着いてますね。もしかしてぇー……他の女の子とこーゆートコ、きたことあったりしてー?」

「あるわけねェだろ」

「で、ですよねー……」

「落ち着いているもなにも、騒いだって状況は何も解決しないだろう。それだけだ」


 ぼくが入れた”探り”を、先輩は無慈悲に一蹴した。

 ほっと胸をなでおろす。

 どうやら二人とも初心者ハジメテらしい。よかったー。何がよかったのかわからないけど、とにかくよかったー! 地球に生まれてよかったー!!

 ドキドキしすぎて内心もうヤケクソだった。


「とにかく追跡からは逃れられたし、これからどうするかはゆっくり考えるとしよう。今は休息をとるのが先決だ」

「ですね」

「シャワーはお前が先に使え。走って汗まみれになってるからな」

「お、お言葉に甘えて……」


 ドキドキしたままシャワー室に入った。

 まさか先輩から「先にシャワー浴びてこいよ」みたいなセリフを言われるとは思わなかった。まるでティーンズラブ小説に出てくるスパダリみたいじゃん!

 とはいえ先輩の指摘通り、追われる緊張感と走った疲れで身体が汗まみれなのは事実だった。

 制服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。

 汗と一緒に、今日一日で蓄積した疲れがドッと吹き出てくる気がした。

 同時に一日まとわりついていた緊張から開放されたことで、半ば麻痺していた”恐怖心”が今から湧き上がってくる。


「あ……。ぼく、誘拐されそうだったんだ……消されそうになってたんだ……」


 今日一日で起こった出来事があまりにも怒涛の展開すぎて混乱しすぎた結果、まともに考えられなくなっていたのだろう。

 後藤さんという人間は消えてしまった。UFOの証拠写真を撮った、ただそれだけのことで。

 そして今度はぼくが狙われている。UFOの証拠写真を印刷して持っているのがバレたんだろう。あの男に捕まれば、末路は……予想がつく。他の人みたいに記憶を消されるだけじゃなくて、きっと後藤さんと同じように存在ごと消されてしまうだろう。


「ヤダ……そんなの……怖いよ。消えたくない……忘れられたくない……」


 消される・・・・って具体的にどうなるんだろう。

 殺されるのかな。怖い。でも、それだけじゃないかもしれない。

 情報を引き出すために徹底的に拷問されたりも……するかもしれない。

 ぼくでは想像もつかないような残酷な目にあうかもしれない。

 悪い想像はそれだけじゃない。

 殺された後のことまで考えてしまう。

 消えるということは、ただ死ぬだけじゃないんだ。生きていた証そのものが無くなる。最初から存在しなかったことになるんだ。

 きっとお母さんもお友達も、みんな――先輩まで、ぼくのことを忘れてしまう。


「ヤダ……ヤダよぉ……助けて……助けてよ、先輩……」


 ぼくはシャワー室の中で、震える身体を自ら抱きしめた。

 きっとこんな弱音は、シャワーの音でかき消されてしまうだろう。

 それでいいんだ。外にいる先輩には聞かれたくない。

 先輩は今、ぼくを守るために必死になってくれてるんだ。本当は無関係なハズの先輩を巻き込んでいるのは、ぼくなんだ。

 そんなぼくが弱気になってどうする。助けられるだけじゃなくて、ぼくだって先輩を守らないとダメだ。

 危険なのは先輩も一緒なんだから。『危険に飛び込むなら二人で』。そうなんでしょ、先輩?


「うん、しっかりしろ!!」


 パチン!

 自分で自分の頬を叩いた。

 恐怖も、弱気も、涙も、このシャワーと共に流してしまおう。

 立ち向かうんだ――! ぼくはそう決意するのだった。

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