10,φ 足を引っ張る Shackles・結


「ルールは100m自由形。勝った方が今年度のインターハイでリレーのレギュラーに選ばれる。両者、よろしいですか?」


 審判となった学生議会副会長が確認を取る。

 向かい合う水島さん、田所さんは深く頷いた。

 ここは昼間のプール。水泳部の面々に加え、水泳部女子の二年生エースと三年生の直接対決――しかも綺麗所となると見物人も大勢集まっていた。

 プールサイド。喧騒の中でぼくは先輩に問いかける。


「本当にコレで良かったんでしょうか?」

「これがあいつらの選んだ”答え”だろ。俺たちの役目は終わった。後は見守るだけだ」

「そう……ですよね」


 田所さんを自白させた後、ぼく、先輩、田所さんの三人で水島さんと会った。

 彼女にぼくと先輩が解き明かした二つの仮説「田所さんの呪術説」と「水島さんのイップス説」を説明すると、やはりというべきか水島さんはこう言ったのだった。

 

『薄々感づいてはいたが……やはり私自身の”弱さ”が原因だったわけか。田所先輩のせいではないよ』


 その言葉に一番強く反発したのは、他でもない田所さんだった。

 彼女は水島さんに、「呪術よ! あたしがやったの! 自分ばっかり責めてないであたしを責めなさいよ! そういう所が気に入らないのよ!」と詰め寄った。

 だけど水島さんは穏やかな顔でこう返したんだ。


『私はどんな手段でもレギュラーを勝ち取ろうとする田所先輩の姿勢を尊敬します』


 どこまでも真っ直ぐな水島さんだけど、こうなっては田所さんも退けなくなった。

 田所さんは最終的にこう提案したのだった。


『どっちが正しいか、学生議会の取り仕切る”学生間闘争エンゲージ”で決めましょう。種目は水泳。勝ったほうがリレーのレギュラーを勝ち取り、この事件の”真実”を決める。水島、あんたがあくまであたしの悪事を認めないなら、あたしが認めさせてみせるわ。それが自分の心の弱さからあんたを呪ったあたしのけじめだから』


 そして現在いまに至る。

 夏休み中というのに、”学生間闘争”は一大イベントみたいに盛り上がっていた。

 二人がプールに入り、待機する。

 副会長は腕を振り上げ、宣言した。


「”学生間闘争エンゲージ”――開始!」


 副会長が腕を振り下ろしたと同時に、二人がスタートした。

 スタートは見事に水島さんがキメた。

 伸びが違う。まだバタ足も初めて無いのにぐんぐん進んでゆく。


「やはり技術力は水島が上か。だが――」


 先輩が呟いた。

 水島さん圧倒的有利と思われたこのレース、ただでは終わらなかった。

 50mプールの中盤を超えたあたりでぼくも気づいた。


「水島さんのフォームがブレてる……」

「”イップス”だ。さらに悪化している」

「それでもリードしてますけど、田所さん……必死で食らいついてる!」

「仮にもこの学園の三年生だ。強豪校で長年やってきた実力は伊達ではないようだな」

「ま、負けちゃうかもしれませんよ水島さん! 田所さんが勝っちゃったら……!」

「結果すなわち実力ではないが、この勝負に限っては別だ。結果が全てを決める。この勝負で水島が負けたら、それまでの実力だったということだ。少なくとも、あの二人の間ではな」

「そんな……」


 真面目に頑張って練習してきた水島さんが負けていいハズがない。

 ぼくは水泳部員たちに混じって声援を送った。


「水島さん、頑張ってー!」

「やれやれ……依頼人に肩入れしすぎだ」


 先輩は呆れていたけど、ぼくはやめなかった。

 50m地点でターン。ついに二人が並んだ。

 息を飲む。

 二人の気合がぼくにまで伝わってきた。

 そこでやっと理解できた。

 田所さんも、本気なんだ。青春を水泳に懸けてきたんだ。

 ”呪術”なんて馬鹿げた行為に手を染めたのも、彼女の真剣さ故のことなんだ。

 彼女の泳ぎは、調子の良い時の水島さんほど綺麗じゃなかった。

 必死さが伝わってきて、視ているこっちも辛くなる、そんな泳ぎだった。

 でも――なんだろう。

 彼女の息遣いが伝わる度に。心が……熱くなるのを感じた。


「……田所さんも……頑張って」


 先輩はそんなぼくを横目で見て、少し嬉しそうに「そうだな」と小さく漏らした。

 レースは後半だ。

 並んだ状態で25m地点を過ぎた時――それは起こった。

 田所さんが急に止まった。


「田所さん……?」


 いきなり足がプールの底に沈んで、溺れているように見えた。

 まるで夜のプールで水島さんがそうなったみたいに。


「溺れてる! 助けないと!」


 ガヤガヤとギャラリーがざわめき出し、人々がプールサイドに近づいてくる。

 困惑して動けない人たちに変わってぼくが飛び込もうと構えた瞬間、先輩が腕でぼくを制した。


「待て、よく見ろ」


 田所さんの異変に気づいた水島さんは、ゴール直前で止まり、方向転換したのだ。

 凄まじい速度だった。

 さっきまでとは全く違う、一切の迷いのない泳法で誰よりも速く田所さんのもとへたどり着き、身体を抱き上げる。

 顔を水面より上まで無理やり出させると、田所さんは強く咳を繰り返して水を吐き出した。


「げほっ、げほっ、げほっ! あ、あんたね……水島! 何やってんのよ!」


 助けられた田所さんはなぜか怒っていた。

 水島さんは困ったように。


「田所先輩が溺れていたから」

「あたしのことなんていいのよ……これは罰だったの。あんたを陥れようとした弱い私への……」

「いいえ。先輩の泳ぎは見事でした。勝利への執念。ただ”何かに追われるように”泳いでいただけの私とはぜんぜん違う……自分のために泳ぐという強い意思があった。やっぱり私は、田所先輩を尊敬します」

「バカね。ホント……大馬鹿よ、あんた」


 プールの水か。それとも涙だったのか。

 頬まで濡れた目元で、田所さんはこう言った。


「あんたの泳ぎを見た時。勝てないって思った。あんたはこの水の中で誰よりも自由で……重力からも解き放たれたみたいで。誰にも縛られることなんてないんだろうな、なんて勝手に決めつけてた。でも違ったのね。期待とかプレッシャーとかでがんじがらめになってた。誰だってそれなりに悩みを抱えてるのよ。つらいのはあたしだけじゃなかった。そんなこともわからずにあたしは……」

「もういいんです。田所先輩が無事だったから」


 水島さんは田所さんの身体を抱きしめながら、力強く言った。


「先輩を助けに泳いだ時、必死でした。助けたい。それしか考えられませんでした。でも、今までで一番いい泳ぎができた。田所先輩……やっぱり私は”イップス”だったんです。これが私の信じる”真実”。それでも先輩が納得できないなら――」


 水島さんはそう言って、驚くべきことを口にした。


「先輩が作ってくれた”あみぐるみ”、私にください」

「はぁ!? わかってんの、あれは”呪物”なんだけど!?」

「先輩の作る編み物って前から可愛いと思ってたんですよね。理由はどうあれ、あんなに丁寧に可愛く作ってくれて嬉しかったです。あれを持って大会で勝てたら、先輩のやったことは呪いじゃなくなる。そうでしょう?」

「はぁ……アホなの、あんた。もうツッコミいれるのも疲れたわ。呪われてもいいならいくらでも持っていきなさいよ、あんなもの」

「そうします。ちゃんと全国の頂まで連れて行きますよ。先輩の想いも一緒に」

「行ってきなさい。水島……レギュラーおめでとう」


 そうして二人は熱い抱擁をかわした。

 『足を引っ張る事件』は”和解”という結末で幕を閉じたのだった。




   ☆   ☆   ☆




 後日、インターハイ本番は無事終了した。

 水島さんは個人競技のメダルを総なめし、リレーでも見事ぼくらの学園が優勝を飾ったのだった。

 雑誌でデカデカと特集記事を組まれた水島さんの笑顔の写真には、金メダルと一緒にちゃんと写っていたんだ。

 田所さんの”あみぐるみ”が。

 勝利の秘訣について、インタビューで彼女はこう答えている。


『大好きな先輩が作ってくれた”おまじない”のおかげです』


 彼女は”のろい”を、勝利の”おまじない”に変えたのだ。


「これが今回の事件の顛末です」


 ここは学生議会室。

 今回はプールの使用許可を学生議会が出してくれた手前、会長への報告という義務が課せられていた。

 東風谷こちや会長は広げた雑誌をデスクに置き、「素晴らしいわ」と呟いた。


「見事な解決ね。依頼人の精神的問題を解決し、わが校のエースはパフォーマンスを最大限発揮しインターハイ優勝を勝ち取った。妙な噂も金メダルのニュースでかき消えたことですし、わが校の評判はうなぎのぼり。お手柄ですわよ、比良坂さん」

「ぼくは……何もできませんでした」

「あら、どうしてそう思うの?」

「結局、イップスの謎を解いたのは先輩です。ぼくは水島さんの不調の原因を呪術だと決めつけて、田所さんを責めてしまった。だけどそれじゃ、二人にとって最高の解決にはならなかったんです。先輩にはそれがわかってた」


 そう、疑問に思ってたんだ。

 ぼくが「呪術説」を提案した時、その時点で水島さんのイップスを見抜いていたはずの先輩が何故黙っていたのか。

 もっと早く、水島さんにイップスと告げていれば……。


「本当に、そうかしら?」


 だけど東風谷会長は言った。


「あなたは自分自身を過小評価しすぎです」

「そんなことは」

「ありますわよ。もしもあの男がお得意の合理的推論で水島さんのイップスを導き出せたとして、彼女の心の問題を解決することはできなかった。そうでしょう? あの男はこの事件を”イップス”だけでは解決できないとわかっていた。けれどあの男は呪術など信じない。だから呪術の実在を信じてその真実を暴こうとするあなたに任せた」


 「そもそも――」会長は続ける「あの男はシャーロック・ホームズなどでは決してないわ」。


「全ての謎を解き事件を解決に導く名探偵などではなく、ただの高校生に過ぎないのよ。まだ未熟な才能の卵。あなたもね……半人前の二人が揃って、やっと一人前と言ったところよ」


 よくわからないけど、会長は。

 ぼくのことを励ましてくれていると感じた。


「ありがとうございます、会長。意外と、優しいんですね」

「意外と、は余計ですわ。これでも学生たちのトップ、心のケアにも気を使っているの」


 「それに」彼女は付け加える。


「この事件、『本物の呪術師』が関わっている可能性があるから」

「え……?」


 会長の突然の不穏な言葉にぞっとした。


「じょ、冗談ですよね?」

「どうかしら。さて比良坂さん、”呪詛じゅそ返し”はご存知?」

「それって”呪い返し”と同じ意味ですよね? ”呪術”を行使した術者は、その呪術が破られた時に逆に”呪い”を被ることになるっていう……」

「その通り。『人を呪わば穴二つ』ということわざがあるように、他者を呪うという行為には本来代償を伴うもの。今回の”学生間闘争エンゲージ”の最中、田所さんが突然溺れた理由……わかるでしょう?」

「っ――!?」


 そうだ。二人の劇的な和解や水島さんのインハイでの活躍でかき消されていたけれど。

 まだ謎は残っていたんだ。

 呪われてもいなければイップスでもない田所さんが急に溺れた理由。


「あれは……”呪詛返し”だった。そういうコト……なんですね」

「状況からしてそうとしか考えられませんわ、あの男・・・は否定するでしょうけれどね」

「だったら田所さんが危ないんじゃ!」

「それについては心配ありませんわ」


 東風谷会長が微笑んだ。


「単純に呪いを解除すればそのまま”呪詛返し”を受けて田所さんは危険な目にあっていたでしょう。しかし水島さんは彼女の”のろい”を勝利の”おまじない”に変えた。本来”呪詛”と”祝福”は表裏一体なのです。他者に向ける感情が負か正かの違いでしかないだけで、ね」

「それって……ぼくが呪術の謎を暴いて田所先輩を責めるだけだと、解決法が”解呪”になっていたから……」

「そうね、そうなった場合田所さんは今頃――」


 彼女は明言しなかったけれど、その先は容易に想像できた。

 呪いを解除していたら、田所さんは本当に溺れ死んでいたかもしれない。


「今回の事件、あの男・・・が唱えた『イップス説』だけでは水島さんの心の問題は解決できなかった。逆に比良坂さん、あなたの唱えた『呪術説』だけでは田所さんを危険な目に合わせていたかもしれない。二人の相反する推理があったからこそ、この結末を導くことができた。誇りなさい、間違いなくお手柄よ」


 彼女は扇子を広げ、嬉しそうに笑った。

 ぼくは既に頭が混乱していて、彼女の褒め言葉を素直に受け取ることができなかった。

 ”イップス”と”呪術”という二つの仮説。

 水島さんと田所さんの心の問題。

 そして”呪詛返し”。

 たくさんの要素が絡み合って、この情報量を整理するにはしばらく時間がかかりそうだ。

 わかるのは、会長は学生議会室から動かずぼくの報告を聞いただけでこれらの背景を全て推察できているということだった。

 二年生にして学生たちの頂点に立つ才女、東風谷会長。

 先輩にもひけをとらない頭の回転……いや、もしかしたらそれ以上に広い視野を持っているのかもしれない。

 彼女はいったい……。

 そう考えているうちに、下校のチャイムが鳴った。


「あらあら、もうこんな時間。楽しい時間でしたがそろそろお開きにしましょう」


 東風谷会長はそう言って、


「最後に、言っておくことがあるわ」

「え……?」

「田所さんに呪術を教えた存在。わたくしには心当たりがあります」

「っ――!?」


 そうだ。これもまだ未解決の謎だった。

 レギュラー争いに悩む田所さんの前に現れ、”あみぐるみ”の呪術を伝えた謎の人物。

 田所さんの証言では、「ひどく印象の乏しい、女子の制服を着た人物」とのことだった。


「実は最近、わが校にこうした怪しげな呪術を拡散している人物が紛れ込んでいるという情報がちらほら耳に入ってくるのよ。この学生議会にもね」

「そ、そうなんですか!?」

「証言は似通っていますわ。悩める学生の前に現れ、小さな”呪術”を伝える。呪術の方法は毎回違うけれど、簡単かつ効果も小さいものが多い。人の命がかかっているようなだいそれたモノは今回が初めてよ。けれど学生議会としてもその人物には警戒しています。わたくしはその謎の人物に対してこう名付けましたわ」


 彼女は最後にこう言った。


「”恐怖の語り手テラー・オブ・テラー”と」


 ばたり、扉が閉まる。

 ぼくは学生議会をあとにした。

 はぁ、ため息をついて、天を仰ぐ。


「今回の事件、複雑だったな……」


 いつも以上に自分自身の力不足を痛感させられた。

 今思えば、先輩が”イップス説”を早期に開示するのをためらったり、ぼくが田所さんを責めるのを止めたタイミングで明かしたのは、”呪詛返し”の存在を考慮したからじゃないだろうか? 先輩は田所さんの安否まで考慮していた?

 それとも会長の言う通り、先輩はそもそも”呪術”なんて信じてないから、”呪詛返し”なんて考慮すらしていなくて、ぼくや会長が考えもつかない目線で今回の事件を考察していたのだろうか。

 どちらにせよ、ぼくは先輩や会長にはまだまだ及ばないということを自覚させられたんだ。


 だけど――。


「”恐怖の語り手テラー・オブ・テラー”……『本物の呪術師』かぁ」


 悩める学生を利用して呪術を拡散する存在。

 その正体、目的は一切不明。目撃した人間も、その人物のことを詳細には覚えていない。

 この学園に、そんな恐ろしいモノが本当に潜んでいるのだろうか。

 この活動を続けている限り、また遭遇するかもしれない。

 今回はなんとか解決できたけれど、これ以上深入りすれば無事では済まないかもしれない。今回だって、水島さんと田所さんが助かったのは紙一重だったんだから。

 正直、怖い。

 だけど――同時にワクワクもしていた。

 だってそいつの正体を解き明かせば、世界の謎に一歩近づけるかもしれないんだから。


「うん、ここで立ち止まってられないよ! 切り替えていこう!」


 ぼくは勇み足で帰路につくのだった。

 この時のぼくはまだ知らなかった。


 これがぼくらと『本物の呪術師』”恐怖の語り手テラー・オブ・テラー”とのながい、長い戦いの――ほんの前哨戦に過ぎなかったことを。

 後に再び遭遇したそいつ・・・との戦いの記録は……また、別の機会に。




   ΦOLKLORE: 10 ”足を引っ張る Shackles”   END.

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