10,4 足を引っ張る Shackles・過


「なによ、あたしがやったっていうの!?」


 女子水泳部の三年、田所さん。

 三年生の中では実績が乏しく、おそらくリレーのレギュラー落ちするだろうと目される選手だ。

 水島さんからの情報に基づいて、さっそく彼女に事情聴取を始めたぼくと先輩だったけど、まあそうだろうなという返答が返ってきた。

 「あなたは水島さんを呪いましたか?」なんて聞かれてもすんなり認めるわけがない。


「”呪い”なんてバカバカしい! そもそも証拠はあるの!?」

「あります」


 ぼくは例の”あみぐるみ”を取り出した。


「昨晩プールの周りの草むらに落ちていた”呪物”と思わしきモノです。見覚え、ありますよね?」

「っ……」


 わかりやすい。

 動揺が思いっきり表情に出ているし、冷や汗もかきはじめた。

 十中八九、この人で間違いないだろう。


「みみみ、見覚えとか、ないしっ!」

「田所さん、あなたの趣味が手芸で、毛糸を編むのが得意だという情報も手に入れてるんです。あなたは高校生最後の夏にリレーのレギュラーを逃しそうになった。だから二年生エースでレギュラー入り確実な水島さんを蹴落とそうとした。どれも決定的な証拠じゃないかもしれませんけど。一つ一つの証拠は確実にあなたにつながっているんですよ」


 「加えて――」ぼくはトドメの一撃を放った。


「水島さん自身が証言しています。インハイが近づいてから、田所さんの態度がどこかよそよそしくなったと。もとは優しい先輩だったのに。私が何か悪いことをしたのかもしれない……って」

「……くぅ……っ。あの子、この期に及んでまだ自分を責めるなんて……!」


 悲痛な顔で、ついに田所さんは認めた。


「あ、あたしが……あたしがやったのよ。水島に似せたあみぐるみを作って、あの子の髪の毛を編み込んで……脚に、針を刺した」

「呪術、なんですね」

「そうよ! バカバカしいと思ってた! どうせ効かないだろうって、でも……でも、効いちゃったのよ! あの子溺れて……こんなハズじゃなかったのに! なんでこんなことに……っ!」

「ちょ、落ち着いてください!」


 取り乱す田所さんを、いったんベンチに座らせる。

 ここは通称”避暑地”。校舎裏で人通りが少ない場所だ。

 集まって秘密の話をするにはもってこいだった。

 過呼吸になりかけていた田所さんの背中をさすって落ち着かせる。

 呼吸が整ったところで、再度彼女に質問した。


「なぜこんなことをしたんですか? 何があったのか説明してください」

「……だいたいあんたたちの想像通りよ。水島は……すごい子。あんたたちも見たことあるんでしょ? あの子の泳ぎ。まるで重力から解き放たれたみたいで、すごくキレイ……」

「はい、とってもキレイでした」

「あたしは才能なくて……地べたを這いつくばるだけ。あの子みたいにはなれない。あの子は高校卒業しても水泳選手としての道があるけど、あたしは高校卒業したらもう選手は引退。続けてられるだけの才能はない。あの子には先があるけど、あたしにとっては……インハイは最後の晴れ舞台なのよ」

「高校最後のインハイで、三年生でたった一人リレーに出られないまま終わる……確かに、つらいかもしれません」

「そうよっ……水島は個人戦でいくらでも活躍できるんだから、リレーくらいあたしみたいな凡人に譲ってくれてもいいじゃない! そう思ってた。だけどあたしにはどうにもできない。インハイが近づく度に、精神がすり減ってゆく……そんな時だった――」


 田所さんは言った「変なヤツと出会ったの」。


「変なヤツ?」

「この学園の制服を着ていたっけ。女子の制服だとは思うけど性別はよくわからなくて。顔も……印象には残ってない。とにかく特徴がないっていうか、人の記憶に全然残らない感じのヤツだった」

「え? え? ど、どんな人なんですかそれは」

「わかんないのよ。悩んでたあたしの前にふらっと現れてこう言ったの」


 彼女はこう続けた「――『呪いますか』って」。


「呪い……田所さんが作ったあみぐるみは、その人が……?」

「そうよ、あたしが頷いたらあみぐるみに髪の毛を編み込むやりかたを教えてくれて、どこかへ去っていったわ。そいつとはそれ以降会っていない。今となっては本当にこの学園の学生だったのか、そもそも実在したのかもわからない。もしかしたら、追い詰められたあたしの視た幻覚だったのかもね」

「田所さん……」


 その後、彼女は正直に話してくれた。

 呪物を持った状態で、対象者を視ながら恨みを込めて呪物に針を刺せばそこに傷をつけられると教えられた、と。

 一度目は昼間の練習中。これはぼくらへの依頼メールに書かれていた内容と一致する。

 二度目は昨晩だ。田所さんは、水島さんが夜中に時々忍び込んで一人で練習しているのを知っていて狙ったとのことだった。


「で、でも田所さん! ぼくらがいたから良かったようなものの、もしも夜中に一人でプールに溺れてたら水島さんは生命が危なかったかもしれないんですよ! そうなっていたら田所さんは人を殺したことに――」

「そこまでするつもりはなかったわよ。あたしが溺れるあの子を助け出して、『脚が悪いならリレーのレギュラーは辞退したら?』と促す計画だった。あたしはただ、レギュラーの座が欲しかっただけだから……あの子を傷つけたかったわけじゃない……」


 田所さんはさめざめと涙を流し始めた。

 この人、水島さんに一方的に嫉妬して、呪術まで持ち出しておいてよくも都合のいいことを……!

 

「あなたはっ、ひどいことをしたんですよ! バレたからってそうやって泣いて見せて! もしもっ……もしもバレなかったら、今頃うまくいったって裏で笑ってたんじゃないですか!? そんな……そんなの、ズルいです!!」


 大声でまくしたてる。

 止まらなかった。感情が止まらなかった。


「水島さんは部内に犯人がいるかもしれないって知っても、それでも仲間を信じたいって言ってました。彼女はあくまであなたの味方だった。彼女は部活のみんなのために必死で練習してたんです! それをあなたは、後輩に負けてることを才能のせいにして、練習の邪魔までして! 勝ちたいならあなたがもっと練習すれば良かったのに!」

「そう、そうよ……あんたの言う通り。あたしは弱かった。ズルかった。一時の感情にまかせてバカなことをやったってわかってる。罪は受け入れる。罰も……どんな罰でも受け入れるわ。それだけやってもきっと、あの子への償いには足りないかもしれないけど」

「どんな罰を受けたとしてもあなたが赦されることなんて絶対に――!」


 「――そのへんにしとけ」ぼくの怒りを制止したのは、先輩だった。


「先輩……?」

「もうじゅうぶんだ。俺たちは謎を解くだけだ。断罪者じゃあない。田所の処遇を決められるのは、被害者の水島と……田所自身だけだ」


 先輩は冷静にそう言った。

 確かに先輩の言っていることは正しい。ぼくらは断罪者じゃない。

 田所さんを裁く権利なんて無い。だけど水島さんは優しいから。きっと田所さんが謝罪すれば赦してしまうだろう。それが心からの謝罪じゃなかったとしても。


「なんで止めるんですか先輩……ぼくは、水島さんのかわりに――!」

「他人の心まで勝手に推測して、代弁者ぶるんじゃあない」


 先輩はぼくの意見を断固として否定した。


「田所が本当に反省しているのか。水島が田所を赦せるのか。そんなの当人同士にしかわからないだろう」

「っ……それは、そうかもしれませんけど……」

「後は俺が代わる。いったん頭を冷やしてろ」

「……はい」


 先輩の言う通りだ。ぼくは頭に血が上ってるらしい。

 ぼくの代わりに田所さんの隣に座った先輩は、いきなり衝撃的なことを口にした。


「二人とも盛り上がってるところ悪いが、”呪い”なんてモノが存在するかどうかも疑わしい」

「は?」


 ぼくが反論する前に田所さんが噛みついた。


「あ、あんたね! あたしが自白したってのに何言ってんのよ! あたしは確かに――」

「田所、あんたがやったのは知らねェヤツから教わったあみぐるみを作って針を刺しただけだ。常識的に考えて、それでだけで他人を溺れさせることなんでできるわけねェだろ」

「で、でも実際にあたしが二回刺したら二回とも……!」

「お前たちは水島の重要な証言を無視している」


 先輩は続けた。


「依頼のメールに書かれていたぞ。水島は溺れる以前から不審な気配や”脚に触られる感覚”を覚えていたんだ。田所が実際に針を刺す前からこの現象は起こっていたハズだ」

「い、いや、でも……それってどういう……」

「結論から言おう。水島は勝手に溺れたんだよ。呪いとは関係なくな」


 「は……!?」ぼくも田所さんも呆気にとられた。

 先輩の口からでた結論は、今までの推理を根本から覆すモノだったからだ。


「田所もスポーツマンの端くれなら聞いたことがあるだろう。”イップス”って言葉をな」

「競技中にいきなり身体が動かなくなるって、あの……?」

「そうだ。医学的には”局所性ジストニア”とも言う。スポーツマンや音楽演奏者において、反復練習した動作に異常な緊張が混入して正しく遂行できなくなるという症状を指す。原因は特定されていないが、精神的な緊張やストレスが関わっていると言われている」

「それがどうしたっていうのよ?」

「水島はな――イップスだ」


 断言する先輩。ぼくも田所さんも衝撃を受けていた。

 先輩は構わず説明を続ける。


「泳いでいる最中に脚に違和感を覚え、稀に脚が全く動かなくなり溺れてしまう。インハイが近づくにつれて症状が強くなっていく。水島の訴えを聞いていると、原因が精神的な要因なんじゃないかと思ってな。そもそも、夜中にまで練習するなんてのは異常だ。練習中毒と言っていい」

「た、確かに……」


 今思えば、夜のプールで練習する水島さんは何か思い詰めたような様子だった。

 「何かに追われている」という表現がピッタリだったのかもしれない。


「一年生の時点で実績を上げた水島は、学園じゅうから期待される存在になった。だが真面目過ぎるあいつは、その重圧を受け流すことができず、すべて真正面から受け止めてしまった。他者から望まれる完璧な自分になれるよう、人一倍……いや、もはやオーバーワークとも言える努力を重ねてきた。そしてインハイが近づいたこの夏……発症したんだよ。イップスがな」

「で、でも!」


 ぼくが反論する。


「脚の違和感や溺れた理由はそれで説明できるとしても、右脚についていたあの手形は……呪いでもなきゃ不可能です!」

「それは水島自身がつけたものだ」

「はぁっ!?」

「溺れた水島を引き上げた直後は右脚に手形などついていなかった。脚が痛むと自分で掴んだ後に出現していたんだ。あれは水中で何者か――例えば『人ならざる怪異』なんかにつけられた痕などではないんだよ。極度に緊張し、無意識に強く握りすぎたあいつ自身の握力が生み出したモノだ。水島自身の手形と一致するから間違いない」

「ぁ……!」


 そういえば。ぼくは思い出した。

 昨晩、水島さんを引き上げて手形を確認した直後に先輩は言っていた「なるほど、そういうことだったのか」って。

 先輩はあの時点で気づいていたんだ。あの手形が水島さん自身のモノだって。


「つまり……今回の事件は”呪い”が原因なんかじゃなくて、全部”イップス”のせいだったってコト……?」


 間違っていたの? ぼくの推理も、田所さんを責めたぼくの態度も、全部。

 だとしたら、ぼくはなんてバカなことを……。

 愕然とするぼくに先輩が優しく声をかける。


「いいや、全てが”イップス”だとすると、田所が針を刺した瞬間に水島が二度も溺れた理由を説明できていない。偶然の一致にしては出来すぎているからな。俺の推理、お前の推理、結局は五分五分といったところだ」

「だったらどっちが”真実”なんですか……?」

「いつも言っているだろう。この世界に確かな真実などない。重要なのは不確かな世界で『何を信じるか』だ。”呪い”を立証できない限り、誰も田所を責めることなどできない。もしも責めることができるのだとしたら――」

「水島さんか……田所さん自身だけ。そういうコトだったんですね」


 「さて」先輩は田所さんに向き直って告げる。


「謎は解けた。俺たちは水島のところへ戻ってこの二つの仮説から、あいつが信じる”真実”を選んでもらうつもりだ。その前に聞いておこう。田所――」


 あんたは――どっちを信じる?

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