9,2 アステカの祭壇 Exposure・後


 心霊写真検証を終えた日の夜。

 ご飯を食べて、お風呂に入って、パジャマを着て、ベッドに飛び込んだ。

 一日の終わりの開放感に浸って、そのまま眠ろうとしたその時だった。

 ぼくの脳裏に先輩の考え込む顔が浮かんできたのだ。


「先輩、何かが引っかかってるみたいだった……けど、何に……?」


 同時に「なんで寝る前に先輩の顔が思い浮かぶのさ!? あんなアニオタのこと意識しちゃってるなんてあるわけないじゃん! まるでぼくが先輩のコト――!?」なんて少女漫画みたいなコトを考えてしまったけど。

 本質はそこじゃなくて、「先輩は何故、あの”アステカの祭壇”のメールに対してそこまで考え込んでいたのか」だ。

 違和感を覚えていたに違いない。でも違和感って?


「アステカの祭壇はアナログカメラの現像ミスの産物……それだけのハズなのに……」


 寝る前にうんうん唸って考え込んだ。

 これは寝られないパターンだぞ、と覚悟を決めた瞬間。ピンと来た。


「デジタルデータだ!」


 そう、”アステカの祭壇”はアナログカメラの産物。だからこそ違和感・・・を覚えたんだ。

 フィルムを現像する過程の失敗でそれが生まれるのならば、逆にデジタルカメラやスマホカメラでは撮影できないハズ。

 現代に”アステカの祭壇”が新しく撮影されないのはそういうコトだし、テレビの心霊写真特集だって新たな心霊写真が生まれなくなったから減ったに違いない。

 なのに何故――?


「先輩は、そこに引っかかってたんだ」


 何故――”アステカの祭壇”を添付したというメールが送られてくるんだろう。

 電子データとしては存在し得ないハズだったその写真が、どうして?


「確かめなきゃ……」


 ムクムクと好奇心が湧き上がり、ぼくはベッドから出てパソコンを立ち上げた。

 もちろん、デジタルデータだからといってアナログ写真をスキャナで取り込んだだけという可能性もある。あるいはフォトショップなどで編集した捏造写真という可能性もある。

 だけどそういう類のものならば、ちゃんと見れば判別できる自信はあった。


「カメ子の目をごまかせると思うなよ……ふふふ」


 先輩をオタクよばわりして馬鹿にできない程度にキモい笑み浮かべながらブツブツ呟いて、メールボックスを開いた。

 昼間の検証の時は、メールの文面は読み上げたけど”アステカの祭壇”とわかった時点で見切りをつけたから添付データは開いていなかった。

 実際にこの目で視て、画像を検証すれば疑問への答えはは出るハズ。

 なんだけど……。


『もしも本当にヤバい心霊写真を見つけたとして……”それを直視したら呪われるほど危険なモノ”だとしたら。どうするつもりなんだ?』


 その時、一瞬マウスを操作する手が止まった。

 脳裏に先輩の忠告が再生される。

 

『”好奇心は猫を殺す”かもしれないぞ』

 

 なんで今、こんな時に。指が、震えて動かなかった。


「ビビるな……謎を解けっ!」


 ぼくは震える指を無理やり押し込んでマウスをクリックし、添付データを開いた。

 画面いっぱいに写真が展開される。

 拍子抜けする。なんてことのない普通の風景写真だった。全体が赤みがかっていて、中心に台のような形の影が浮かび上がっているのを除けば。


「ふ、ふふーん。やっぱりじゃん。フツーに作れる写真だし」


 べつに、それ単体では怖い写真じゃなかった。よくある”アステカの祭壇”そのままのオーソドックスな失敗写真。

 安心して細部を観察する。けれど拡大しても、スキャンした痕跡や、ソフトで編集した形跡は見つからない。

 デジカメで直接撮影したデータそのままが添付されているように見えた。少なくとも、カメラ好きなぼくの目にすらそう映ったんだ。


「どういう、ことなの……?」


 ピコン。

 困惑しているぼくにたった今、一通のメールが届いた。

 見たことのない差出人からだった。というか文字化けしていて読み取れない。

 タイトルは「アステカの祭壇」。

 本文は特になく、ただ撮影場所と撮影時間だけが記載されていた。


「何……これ」


 アステカの祭壇を見ていたとおもったら、同じタイトルのメールが届いた。

 ご丁寧にデータが添付されている。

 恐る恐る開くと、それも同じようなありふれた風景写真だった。全体的に赤みがかっていて、中心に壺型の影がかかっていることを除けば。

 間違いない、”アステカの祭壇”がそこにあった。


「っ……なん、で……!?」


 ピコン、ピコン、ピコン、ピコン。 

 それを皮切りに、次々とメールボックスにポップアップしてくる新規メール。

 どれも同じだ、全く別の文字化けした差出人、アドレス。

 中身は撮影場所と撮影時間だけが記載されている簡素なモノ。

 そして全ての添付データが、”アステカの祭壇”が写し出された別の風景写真だった。


「う、うそ、止まらない……なんで……やだ……!」


 ピコン、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン。

 いつの間にか、自分の手が止まらなくなっていることに気づいた。

 自動的にマウスを動かして、クリックしてメールを開き、添付データを開く。

 その作業を何度も何度も繰り返していた。

 そのうち送られてくるメールのアドレスや本文が変化してきていることに気づいた。


『謌代?螟ェ髯ス逾槭?よ?縺梧ー台ココ繧貞ュ倡カ壹○縺励a繧九◆繧√?∬凶縺冗セ弱@縺?・ウ縺ョ逕溘″陦?繧呈園譛帙☆繧九?』


「も、文字化けしてる……!?」


 読めない。文字化けの範囲が投稿者名からがどんどん拡大していた。

 アドレスも、本文も、徐々にパソコンのあらゆる文字表示に到るまで全部。

 ぼくの手は勝手にどんどんメールも画像も開いていく。もはや制御不能だった。

 止まらない、止まらない、止まらない、止まらない――!!


「そんな……なんで……いや……っ、やだぁ……!」


 半べそをかきながら必死に抵抗するも、ぼくの手は止まらない。

 身体も動かない。

 何度も何度も何度も何度も画像を開き、その度に新たなメールが届く。

 全部、全部が”アステカの祭壇”。

 べつに怖い画像じゃないし、理屈だって分かってる。そのハズなのに……!

 心臓の鼓動が高鳴る。ドクドクと張り裂けそうなほどに。怖い、怖い、怖い。


「はぁ、はぁ……やめて、もう、やだ……もぉ、赦して……」


 精神が限界だった。視界が歪んでくる。だからだろうか、画像自体が変化してきている気がした。

 赤みがかった風景写真の中心はこれまで壺型や台形だった。だけど今、徐々に何かが浮かび上がってきているような気がした。

 まるで顔みたいな、何かが。


「ちがっ、コレは顔じゃない! 顔じゃない! 顔じゃない!」


 祈りみたいに繰り返した。何度も、何度も。

 先輩は顔に見える写真を「パレイドリア」と説明した。人間は、3つの点があるだけで人の顔を認識してしまうと。きっとそれだけ、何も怖いことはない。

 これは顔の写真じゃない。ぼくの脳が顔だって錯覚しているだけなんだ。

 そう念じても誰にも届かなかった。無慈悲に指が動いて、新たな画像が開かれてゆく。そして新たな画像に変わるたび、中心に浮かぶ”何か”の陰影が濃くなって……。

 「なんとなく顔に見える」からもっと明確に判別できるようになっていたんだ。

 どれくらい明確なのかと言えば、その顔が誰の顔か・・・・わかるくらいだった。 


「はぁ、はぁ……ぐすっ、こ、こんなのもぉ……錯覚なんかじゃなくて……だってコレって……!」


 ぼくは。

 ぼくは。

 ぼくは、視てしまった。

 理解してしまった。踏み込んでしまったから。

 その顔の正体。誰の顔なのか。


「これは……ぼくの顔だ」


 ああ、認めてしまった。


「っ――!?」


 その瞬間、ぼくの身体が突如何かに羽交い締めにされた。

 いきなりのことで脳が追いつかない。

 そのまま無抵抗に透明な何かに持ち上げられ、ベッドに身体が放り出される。身体が重い。何かが身体の上に覆いかぶさっているみたいだった。

 抵抗したいけど、強い力に締め付けられてできない。まるで”金縛り”にあっているみたいだった。


「うっ……何、なんなの……っ?」


 いつの間にか部屋の電灯は消えていて、真っ暗闇だった。

 PC画面の青白い光だけが薄ぼんやりと視界を照らしていた。

 だからぼくの目にも今、やっとその正体が視えた。


「――!?」


 フクロウ。

 それは、ギョロリと巨大な目玉を持つ”何か”だった。

 フクロウだと思ったけどよく見れば全然違う。身体は人型だ。

 ひょろりとした体躯に、不自然に大きな頭部。そして頭部の大半を占める眼球。明らかに人間じゃない。不気味なバランスの人型生物がそこにいた。

 そいつが今、ぼくをベッドに押さえつけてのしかかっている。


『我――太――神――ガ民人ヲ存続セシメル――若ク美シ――ノ生キ血――所望ス――』


 息が苦しい。

 そいつが鳥のように甲高い声でツブヤク呪文めいた何かはよく聞き取れない。

 身体が重い。動けない。体重差じゃない。何か不思議な力が働いている。

 ドクン、ドクン、ドクン。心臓だけが暴れまわって、耳にも鼓動が届くくらいに大きく感じる。


『神――ノ命――』


 やがてそいつの黒くてほっそりした指がぼくの首を撫でた。

 冷たい。生物の体温を感じない。まるで陶器のようだった。

 ゆっくりと指が首にまとわりついて、


『捧ゲヨ』


 気道を絞め付けていった。


「うっ、ぐ……うぅ……せんぱっ、たすけ……!」


 指が肉に埋まってゆく。徐々に意識が遠のく。視界全体が赤く染まる。

 まるで”アステカの祭壇”みたいに。ぼくは生贄にされてしまうのかもれない。


「っ……ぁ――」


 薄れゆく意識の中、視界の端でフクロウとは別の何かが動いていることに気づいた。

 青白い光。パソコンの画面だ。

 大量の文字化けした謎のコードと不気味な赤い画像で埋め尽くされていたデスクトップ画面が、いつの間にか変化してきていた。

 何か別の文字が、混沌とした文字化けの文字列を塗りつぶすように増殖していた。小さな文字が高速で打ち込まれ、文字化けを塗り替えてゆく。規則的な状態に変化させてゆく。

 何が、起こってる? それを理解している暇はなかった。

 最後に覚えているのは、赤い視界に、フクロウの無機質な相貌。

 そしてパソコン画面を埋め尽くす、大量増殖した一つの文字――。


 ――”Φファイ”。



   ☆   ☆   ☆



「ちょっと、今何時だと思ってるの!?」


 バン、と勢いよく部屋の扉が開いた。


「――っ!? えっ、いま、何が……!?」

「あんたねぇ、夜中に叫んだりして何考えてんの? うちの職場だけで勘弁して欲しいわ、そういうの」

「え、あ……お母さん……? 今日は、夜勤じゃないんだ……」


 ぼくはまだベッドの上にいた。

 しかも呼吸をしている。無事に生きている。


「フクロウは……?」

「フクロウ? 何言ってんだか。夏休みだからって夜ふかししないでさっさと寝なさいよ」


 お母さんはプリプリ怒りながら扉を閉めた。

 何が、起こったんだろう。ぼくはベッドから身体を起こした。

 今も緊張して心臓がドキドキしているけど、どこにも外傷はないみたいだ。

 PCは起動したままだ。画面を覆い尽くす文字化けも、それを塗りつぶした無数の「Φ」も今は見当たらない。

 ぼくはPCデスクに座り、メールボックスを開いた。

 大量のメールも、画像データもどこにもない。綺麗さっぱり消え去っていた。

 残っていたのは1通。昼間既に届いていた最初の”アステカの祭壇”のメールと添付データだけ。しかも添付データをダウンロードすらしていない状態だった。

 つまりぼくは現実では添付データを開かなかったことになる。結局さっきまでの恐怖体験は、全部夢だったということだ。


「夢、だったんだ……まさかとは思ったけど、さっきのは金縛り現象かぁ」


 有名な心霊体験の”金縛り”も、科学的に解明されている。

 眠りが浅いと、身体が眠っていても意識が起きてしまう状態が起こり得る。そういう時、身体だけが動かない恐怖心から人は脳内に怖い夢を作り出してしまう。結局、恐怖体験の大半は人の心が作り出したモノでしかないのだ。

 自分の死が単なる夢だったことに安堵しつつも、せっかくの恐怖体験の正体がつまらないモノだったことに少しがっかりしちゃった。


「あーあ、やっぱり本物の心霊写真なんて……ない、よね」 


 でも。今も思ってしまう。この未開封の添付データをもう一度開いたら――?

 そこには何が写っているのだろう。

 さっきまでの夢は、予知夢とか虫の知らせだったのかもしれない。ここで踏み込めば、現実に本物の怪奇現象を体験できるのかもしれない。

 ――だけど湧き上がる好奇心は、頭の中に残された先輩の言葉にかき消された。


『”好奇心は猫を殺す”かもしれないぞ』


 「猫を殺す」かぁ。そういえばフクロウみたいな肉食の猛禽類は、大型のモノだと猫を襲って捕食することもあるって聞いたことがある。

 夢の中に出てきたフクロウは、まさに危険な好奇心を抱いたぼくを狩ろうとしていた捕食者だったのだろうか。あるいは――。


「深入りは……やめとこっかな」


 ぼくは結局、添付データを開かずにメールごとゴミ箱に移動させた。

 念には念を入れて、ゴミ箱の中身も全削除しておいた。

 これでさっきの悪夢と同じ展開になることはないだろう。


「ふぅー、もう一眠りしようかな」


 というわけで、部屋から出て洗面所で顔を洗っていた。

 悪夢のせいで顔が汗だらけで気持ち悪かったんだ。

 ぱしゃぱしゃと冷水で顔を流して、タオルで拭いた。


「スッキリスッキリ……?」


 その時だった。鏡を視たぼくは気づいた。

 気づいてしまった。


「首のところ、コレって……」


 首の周りが赤くなっていた。

 痛くはない。傷もついていない。血も出ていない。

 だけど、それでも。確かにそこにあったのは、細い指が首周りを覆うようにつけられた赤い絞めあとだった。


「……」


 無言で部屋に戻ったぼくは、無言でスマホを取り出し、電話をかけた。

 深夜0時だけど、出てくれるかな?

 出てくれるよね。だってこの時間帯から……深夜アニメの放送があるのだから。


『なんだよ、こんな夜中に。何か用か?』

「もしもし先輩? 用があるってワケじゃないんですけどぉ、先輩の声が聞きたくなっちゃいました♡」

『なんだよその似合わない媚び媚びキャラは。お前そういう奴じゃねえだろ』

「あはは、すみません冗談です。今夜、先輩の好きなアニメが放送されますよね。通話しながら見ませんか?」

『まあそういうことなら……いいぞ』

「ふふっ」

『なんだよ、急に笑って。気味悪いヤツだな』

「夜まで長電話するのって憧れてたんです。なんか青春っぽくないですか?」

『深夜アニメを実況する青春がどこにあるんだよ』

「あははっ! ですよね……ありがと、せんぱい」

『ん――何か言ったか?』

「な、なんでもないですっ。さぁ、朝まで耐久長電話がんばるぞー! おー!」

『え……俺の睡眠時間は……?』




   ΦOLKLORE: 9 ”アステカの祭壇 Exposure”   END.

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