8,2 逆パワースポット Vortex・窮


「南西といえば南西……?」


 江原さんが持ってきてくれた間取り図を確認する。

 結果は、微妙な感じになった。

 確かに玄関はちょうど鬼門に位置している。だけど江原さんの部屋はというと、対角線から微妙にズレていた。

 南西といえば南西といえなくないけど、鬼門に対する裏鬼門と主張するには無理がある。


「部屋のちょうど南西にあるのは……え、なにコレ……?」


 間取り図を三人で眺めて気づいたのは、江原さんの部屋の隣にある”空洞”こそが玄関の対角線――すなわち裏鬼門に位置している、ということだった。

 空洞。そう、この間取り図には奇妙な空洞が描かれていた。


「確か――」


 江原さんが言った。


「引っ越しのとき、言われた気がするわ。前の住人がリフォームした時に収納庫を一つ塞いでそのままになっとるって。その分、かなり安くしてもろたけど」

「塞がれた収納庫か。本来この部屋から繋がっているハズだったようだな」


 先輩は何かを思いついたように言った。


「間取り図と一緒に配電図はいでんずは保管していないか?」

「え、は、配電図?」

「見せてくれ」


 新居の契約の際に使った書類は、江原さんの父親がまとめて保管していた。

 書類入れを奪い取った先輩がガサゴソと探ると、配電図が見つかった。

 先輩はそれを間取り図の隣に広げると、「なるほどな」と頷いた。


「何かわかったんですか?」

「家庭用電源は電柱から引き込まれた電気を配電盤はいでんばんで受けて、各部屋に分電盤ぶんでんばんの分岐回路を使って分配している。ここを見ろ、この部屋の分岐は”塞がれた収納庫”の中にあるコンセントと共用のようだ」

「それってつまり……?」

「同じ分岐が割り当てられたエリア内で、ドライヤーと電子レンジを同時に使うとブレーカーが落ちるのは有名な話だ。この部屋の電圧が安定しないのは、収納庫のコンセントに何か不具合が起きているからかもしれない」


 「もちろん――」先輩は補足する。


「屋内配線の劣化、分電盤や分岐回路、ブレーカー自体の劣化や接触不良。様々な要因が考えられ、一概には言えないがな。とはいえ収納庫のコンセントに原因があるとすれば、江原さんが言う怪現象が両親ではなく江原さんにばかり降りかかっている理由に説明がつく」

「そっか、江原さんの部屋と”塞がれた収納庫”の分電エリアが同じだから江原さんだけに影響があるんだ……」


 相変わらずの先輩の図抜けた鋭さには舌を巻くしかなかった。

 だけど当の本人はなんてことないようにケロリとした顔だった。


「概ね謎は解けたと思うぞ、江原さん。電気関連の不具合が主だろうから、これ以上は電気工事士に頼んだほうがいい。あいにく俺には専門知識も資格もないからな。異常の原因を本格的に点検してもらうべきだ」


 先輩は冷静にそう告げた。

 だけど江原さんは納得がいっていないようだった。


「まだ……まだ謎は解けてへん」

「依頼人がそういうなら仕方ないが。だったらどうすれば解決したと言えるんだ?」


 先輩からの問いに、江原さんは壁のある一点を指差して答えた。


「あそこ……配電図が正しいなら、あの壁の向こうに異常の原因があるんやろ?」


 江原さんが配電図と間取り図を重ね合わせる。玄関の対角線上、ちょうど南西部の裏鬼門に当たるのは、先程気づいた通りこの部屋ではなく壁の向こうの”収納庫”だ。

 彼女はずっとそこが気になっているらしい。


「それにうち、覚えがあるんや。妙な声とか影がこの壁から出てくる……そうや、うちばっかり気づいて両親が気づかんかったんは……この壁を伝って漏れ出てた・・・・・からなんや……」


 江原さんの額には大粒の汗が浮かんでいた。

 何かに怯えるようにガタガタと脚が震えている。


「この奥……この壁の奥に、答えがあるなら……専門知識とか資格とかやなくて……うちはただ、知りたいんや……本当のことが……あの声……”あの言葉”の意味が……」

「えっ――?」


 江原さんの言葉に今、どこか引っかかりを感じた。

 だけどわからない。ぼくはその言葉のどこに引っかかったのだろう?

 悩んでいるうちに先輩は「はぁ」とため息をついて、ボサボサの髪の毛を掻きむしった。


「わかった。多少壁を破壊することになるが、いいか?」


 こくり、江原さんは首を縦に振った。

 先輩は配電図と間取り図を見ながら、おおよそ収納庫の入り口あたりの壁をコンコンと叩く。続けていると音が違う部分が見つかった。奥に空洞がある証拠だ。

 ぼくらは三人でベリベリと壁紙を剥がす。すると木の板一枚を被せて後から加工されたであろう壁が出てきた。

 収納庫を塞いだ跡に違いない。前の住人がリフォームしたと噂の。

 バールで木の板を剥がせば楽なんだろうけど、手近にそんな道具はなかった。先輩は江原家にあった金槌かなづちを手に持って言った。


「本当にいいんだな?」


 先輩が板の破壊に取り掛かろうとする――その時だった。

 ジジ、ジジジ……。

 江原さんの部屋のテレビが。

 電源がついていなかったハズのテレビのスピーカーから、ジリジリと焦げ付くようなノイズが耳に飛び込んできたんだ。

 ノイズ……? 疑問に思う頃には別の音まで漏れ出てくるのを感じた。

 耳を澄ます。ジジジジジジ、ジジ、ジジジ……不連続なノイズの中に確かに交じる異質な音が聴こえる。

 声――?

 人の、それも女性の声で何か言っているようだった。とても小さくて、ノイズに簡単にかき消されてしまうほどの。だけど確かに何かを訴えている。必死で。それだけは伝わった。

 いったい何を訴えているの? ぼくは意識を集中する――。



「 ワ タ シ ヲ 」



 ガコン!!

 その瞬間――先輩の金槌が壁を破壊した。

 大きな音とともに木の板はあえなく割れてしまった。

 ノイズに混じった”声”に集中していたぼくと江原さんの二人は、破壊音にハッと意識を引き戻された。

 先輩の方はというと、作業に集中していてノイズと声の存在には気づかなかったらしい。ぼくらの方を振り返ると「何やってんだ、板を外すの手伝ってくれ」といつもの調子で言った。

 すでにただ事じゃない雰囲気を感じていた女子二人は顔を見合わせ、力をあわせて割れた板を壁から引き剥がした。

 すると……。


 そこには、


「いやあああああ゛ああああああああああああああ゛!!」


 江原さんが悲鳴を上げた。

 彼女が先に叫んでくれて助かった。おかげで少し冷静になれた。

 そうでなきゃ、叫んでいたのはぼくの方だったと思う。

 だって壁の奥、謎の収納庫に隠されていたのは……。


「死体――か。すでに白骨化している。死後かなり年月が経っているようだ」


 先輩は冷静に分析した。そう、そこにあったのは死骸だった。

 しゃれこうべ、というヤツだ。綺麗に白骨化していて肉が残っていない。

 けれど不思議なことに頭部にはカツラのように長い髪がかぶさっていて、体には女物の和服が着せられていた。


「この高温多湿の環境で腐臭もせず見つからなかったということは、死後に何らかの処理が施されたということだろう。それに……この髪の毛。これがコンセントからの電力供給に異常をきたした原因かもしれないな」


 不可解なことに死骸の髪の毛は、収納庫のコンセントに入り込んでいた。それも一本や二本ではなく、大量に。まるでコンセントを通じてどこかへ這い出て行こうと試みたみたいに……。

 この日、江原さんが電話することになったのは電気工事士ではなく警察だった。




   ☆   ☆   ☆




「あの後、江原さんとご家族は引っ越すことにしたそうです」


 数日後。ぼくと先輩はいつもの図書準備室で話し合っていた。

 夏休みでも、平日はこうして集まっているのだ。

 先輩はソファに横たわってラノベを読みながら気だるそうに答えた。


「だろうな、事故物件を知らずに売りつけられていたワケだ」

「あの家を売った業者も知らなかったそうですけどね。でも不思議ですね。あの遺体が警察に引き取られた後は家電製品の異常も例の”声”も、怪現象のたぐいは綺麗サッパリなくなったそうなんです。それでも引っ越しは近々するらしいんですけどね」

「ま、死体の隣で生活していたんだ。一刻も早く忘れたいだろうよ」

「あの遺体……いったい何者だったんでしょうね」

「さあな。それを調べるのは警察の仕事だ。俺たちは謎を推測できても、DNA鑑定みたいな科学捜査は不可能だろ。『餅は餅屋』、調査終了だ」


 先輩はあまりこの件に関心を持っていないみたいだった。

 あるいは、関わりたくないのだろうか?

 どちらにせよ、真相は闇の中って感じだ。江原さんの話では、収納庫をリフォームで塞いだという”前の住人”とは連絡がとれないままらしい。

 白骨死体の”彼女”がなぜ亡くなったのか。そもそも女の格好をしていたとはいえ本当に女性だったのか。なぜ死んだのか。どうして死んだ後も収納庫に閉じ込められていたのか。

 なぜ皮膚や肉、内臓がきれいに処理されていたのに髪の毛と服だけはご丁寧に残されていたのか。

 今となってはそれを完全に解明することはできないだろう。

 だけど――。


「先輩」

「なんだ?」

「スピーカーが他のコンセントから逆流したノイズを拾うってこと、ありますか? 例えば隣の部屋のコンセントに繋いだ機器のノイズが、隣の部屋の機器から放出されたり」

「あるぜ。ラジオが混信して海外の電波を拾う事例と同じだ。スピーカーを駆動するアンプって機器は、アナログ音声信号を増幅する機能がある。アンプにつながる電線にノイズが混入した場合、アンプが音声信号に混じったノイズまで一緒に増幅してしまい、最終的にはスピーカーから増幅されたノイズが放出される」

「江原さんの部屋のコンセントは例の”収納庫”のコンセントと同じ分電エリアでした。あの死体の髪の毛からコンセントにノイズが逆流して、江原さんの部屋のテレビのスピーカーから放出された……それが謎の”声”の正体。そうは考えられませんか?」

「……さぁな」


 先輩はラノベのページを閉じて言った。


「かなりのこじつけだ。だが、この世界ではありえないことなどありえない。人間の想像すること全てが起こりうる。それだけだ。後はお前が何を信じるかによる」

「そう……ですか」


 この日の議論はそこで終わった。

 先輩はこれ以上言っても信じてくれないと思った。そもそもあのとき江原さんの家で”声”を聞いたのは先輩以外の女子二人だけなんだから。

 もしも、もしもだけど。

 江原さんが聞いていたという女性の声が、あの家に囚われていた白骨死体の霊からのメッセージだとしたら。

 コンセントに繋がれていた髪の毛を伝って、”白骨死体かのじょ”が助けを求める声が、テレビのアンプで増幅されてスピーカー越しに江原さんの部屋に漏れ出していたのだとしたら。

 全て……説明がつく気がしたんだ。


 死体が見つかってから江原家に怪現象が起こらなくなったのは、先輩なら説明するだろう。「コンセントから異物が除去されて、家の配電設備が正常動作するようになったからだ」と。

 その考えは筋が通ってるし、きっと正しい。だけど世界は筋が通っているとは限らないし、正しいことが真実とは限らない。

 「落下しようがない場所で落下死した人」だって実在するんだ。

 ぼくは知ってる。現実の世界こそ、人の想像フィクションよりもよほど荒唐無稽こうとうむけいなんだって。

 思い出す。江原さんの不可解な発言を。


『うちはただ、知りたいんや……本当のことが……あの声……”あの言葉”の意味が……』


 今になってわかった。あの時ぼくが引っかかったのは”あの言葉”という部分だったんだ。

 依頼文に記されていたのは「不気味な女の声がする」ことだけだった。。

 江原さんはずっと女が「何を言っていたのか」は語らなかった。

 だけどきっと、彼女はずっとその言葉を聞いていたのだろう。ぼくらに依頼するずっと前から。わざわざぼくらに謎解きを依頼したのも、依頼文に記されていたよりももっと深い謎に彼女が直面していたからだろう。

 ぼくも声を聞いた。だから今なら理解できる。江原さんは受け取っていたんだ。最初から”白骨死体かのじょ”からのメッセージを。

 だってあの時――。

 先輩が壁を壊した、その瞬間に。スピーカーから漏れ出たノイズの向こうで、”声”はこう言っていたのだから。




「 ワ タ シ ヲ ミ ツ ケ テ 」






   ΦOLKLORE: 8 ”逆パワースポット Vortex”   END.

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